気配
程なくして、俺はフレイツ伯爵邸の本館に呼び出された。
ヴェルクトは離れで待たせ、応接室でビンレイ枢機卿、フレイツ伯爵の二人と向かい合う。
縁談相手であるカースティ嬢の失踪。
どういう言い訳をし、どうごまかそうとしてくるだろうか、そんなひねくれた期待をしていたが、ビンレイ枢機卿の言葉は思ったより真っ当なものだった。
「申し訳ない。実は今朝からカースティの行方がわからなくなっている」
ビンレイ枢機卿は俺に頭を下げた。
「縁談に納得してくれているものと思っていたんだが、内心では思うところがあったようだ。ここまで足を運ばせておいて本当に申し訳ないが、今回の縁談、なかったことにしてもらいたい」
カースティ嬢の不在を伏せるかと思っていたが、予想外に正攻法だ。
「わかりました。どうぞお気になさらず」
特に残念でもない。
元から断る縁談だ。
「カースティ嬢の捜索のほうは?」
重要なのはそちらのほうだ。
この縁談を嫌って逃げたとすると、俺がいらないプレッシャーをかけたせいで家を飛び出させたことになる。
事故や事件に巻き込まれる前に保護しておいたほうがいい
「今朝からやっている。我々が来るというので変な気を使い、中断させていたようだが、すぐに再開させるつもりだ。駆け落ちならばまだいいが、なんのアテもなく、一人で飛び出していったらしい。事故があったら取り返しがつかない」
ビンレイ枢機卿がそう告げた時、桃色頭が応接室に首を突っ込んできた。
「バラド!」
「ノックくらいしろ、どうした?」
「なにかこっちに来てる。変な気配が八つと、普通の人間っぽい気配が一つ」
「八つ?」
不穏な数字だ。
エルフの死の塚を見つけた時、ヴェルクトは「七人か八人くらい」と口にした。
「エルフか?」
「わからないけど、そうかも。人間じゃないし、魔族じゃない」
ヴェルクトが緊張気味に告げた。
その刹那。
部屋の中に声が響いた。
澄んだ、幼いトーンの声。
《開門を願います。私はエルフ国サイフェリアのユーロック。貴家のご息女、カースティ様を保護して参りました》
部屋の中に誰かが入ってきたわけじゃない。
屋敷の外側から声だけを飛ばしてきたようだ。
カースティという言葉を聞いたフレイツ伯爵が、蒼白な顔で立ち上がった。
「ご一緒しましょうか」と声をかけたが、ビンレイ枢機卿は「いや」と言った。
「バラド社長と勇者様は動かないでいてくれ。相手がエルフなら、迂闊な刺激は禁物だ」
†$
フレイツ伯爵邸に呼びかけたユーロック一行が門の前で待つことしばし、邸宅の庭から数人の男たちが姿を見せた。
「お父様でしょうか」
ユーロックはカースティに問う。
「はい」
震えの混じった声で首肯するカースティに、ユーロックは微笑んだ。
「そんなに怖がらないでください。私達が憎み、呪うものは、敵対者と裏切り者だけです」
カースティの父フレイツ伯爵が裏切り者でないなら、なんの問題もない。
従僕を連れて駆けてきたフレイツ伯爵は「カースティ!」と叫んで門を開き、ユーロックたちと向き合った。
畏怖と緊張の色の浮いた顔でユーロック、白装束たちの姿を見渡す。
ユーロックは失望をした。
エルフを知っている顔。
エルフに怯えている顔だ。
それも、一般的な「エルフは怖い」というイメージからの怯え方ではない。
何かしらの後ろ暗さを感じている者の怯え方だった。
(残念です)
エルフは無闇な殺戮は行わない。
しかし、敵対者や裏切り者は断滅あるのみ。
フレイツ伯爵が黒であれば、カースティの目の前でフレイツ伯爵を処刑しなければならない。
悪質なものであれば、カースティも処刑しなければならないだろう。
それがエルフのやり方だ。
だが、まずは真実を究明してからだ。
苛烈な者は、慎重でなければならない。
エルフの童女は微笑んで、フレイツ伯爵に声をかける。
「フレイツ伯爵様とお見受けいたします。私はエルフ国サイフェリアのユーロック。三十年前にこの地で行方知れずとなった姉、シグルーダを探す旅をしています。その道中で、ご息女を保護して参りました」
「あ、ありがとう、ございます」
強張った表情、青ざめた顔で応じるフレイツ伯爵。
死神を目の前にしたような顔だった。
「いえ、当然のことです。それよりも、おうかがいしたいことがあるのですが」
目を伏せるフレイツ伯爵の顔を見上げながら、ユーロックは問いかける。
「私の姉シグルーダの足跡をたどってきたところ、姉が姿を消す直前に逗留していたのは、このフレイツ伯爵邸だとわかりました。フレイツ伯爵家のビンレイ様、サーガソン様のご兄弟と親しくさせていただいていたとも。その後の姉の行方について、何かご存知ではありませんか? フレイツ伯爵サーガソン様」
フレイツ伯爵は何も答えない。
エルフが嘘に敏感だと知っているのだろう。
「何か、ご存知ではありませんか?」
ユーロックは繰り返し問うが、フレイツ伯爵は無言のままだった。
黙秘に徹されてしまうと手が出せない。
耳を削いだり、目をえぐったりするような取り返しのつかない拷問は、もっとはっきりした証拠が揃うまでやるべきではない。
(仕方がありません)
ユーロックは決断し、告げた。
「突入」
白装束をまとった七人のエルフが加速し、フレイツ伯爵邸の敷地に突入する。
妖精加速。
時の精霊の力を借り、自身と周囲の時の流れに干渉、瞬間移動のような速度での移動を実現するエルフの固有技術だ。
「な、何を……」
ようやく声を上げたフレイツ伯爵を、ユーロックは静かに見上げた。
「家探しをさせていただきます。フレイツ伯爵家が姉の失踪に関与している証拠が出てこなければ良いのですが」
エルフは殺戮や流血を好むわけではない。
ためらわないだけだ。
「では、私も失礼いたします」
ユーロックは加速し、フレイツ伯爵邸の敷地に入り込む。
目的は家探しではない。
気にかかる相手が二人いた。
一人はフレイツ伯爵家の兄弟の一人、ビンレイ。
もう一人はカースティの縁談相手であるバラドという男……の護衛と思われる何者か。
特に後者が気にかかる。
馬車でやってきたところを追跡してみたが、すぐに察知され、見定めきれなかった。
人とは違う、エルフやドワーフ、魔族とも違う、全く未知の何者か。
ぶつかれば、鏖殺されるのはこちらかもしれない。




