野営
法王都からフレイツ伯爵邸への道のりは馬車で二日ほど。
初日はランス湾街道沿いの海岸に馬車を止め、キャンプを張った。
馬車に積んできたテントを二張り設営、火を焚いて夕食の支度をする。
「バラドがやるの?」
「ああ」
そう難しいものを作るわけじゃないし、作れもしないが。
「楽しみ」
「正面にしゃがむな。やりにくい」
焚き火の向こうに陣取ろうとしたヴェルクトを追い払う。
今度は後ろから覗き込む気配と視線を感じるが、視界内をうろつかれるよりマシと割り切ることにした。
焚き火の上に鍋を吊して湯を沸かし、刻んだベーコンをフライパンを使って炒める。
湯が沸いたところで干貝と揚げ玉ねぎを鍋に放り込んでスープを取る。
適当に味が出たところで小麦から作った麺を入れた。
俺とヴェルクト、ビンレイ枢機卿、御者二人。
頭数は五人だが、五人前だとヴェルクトが足りないというのは目に見えている。
八人前程度が目安になる。
炒めたベーコン、刻んだチーズと保存の利くクリームを足し、麺入りの白いシチューのように仕上げ、胡椒と香草を少し入れる。
「こんなところか、味見してみてくれ」
まずは一人前よそってヴェルクトに出す。
こいつが変な顔をしなければビンレイ枢機卿たちを呼ぶとしよう。
木皿から立ち上る湯気を吸い込んたヴェルクトは満面の笑顔で言った。
「おいしい!」
「どうしていつも食う前においしいって口走る」
「ふへへ」
楽しそうな顔のまま、ヴェルクトはフォークで麺を巻き取り、口に運んだ。
「……おいひい!」
問題なさそうだ。
ヴェルクトは大抵のものは喜んで食うが、変なら顔に出る。
「おかわり!」
「なくはないが味見だって言っただろうが。先に他の連中を呼んできてくれ」
「わかった!」
ヴェルクトは勢いよく頷いて、枢機卿たちに声をかけに行った。
†$
食事と片付けを終え、テントで寝ていると、ヴェルクトに揺り起こされた。
「バラドバラド」
テントの中にいるのは俺、ヴェルクト、ビンレイ枢機卿の三人。
二人の御者は隣のテントだ。
賊の多い場所だが、見張りは立てていなかった。
警報用の魔導回路は設置してあるし、何よりヴェルクトがいる。
俺や御者たちが見張っているより、寝ているヴェルクトのほうが気配に敏感だ。
「どうした?」
「よくわからないけど、変な感じがして」
「賊か?」
「陸じゃなくて、海のほう。一緒に来てもらっていい?」
「わかった」
ビンレイ枢機卿はいびきをかいている。
今起こすこともないだろうと判断し、黙ってテントを抜け出した。
夜の海に視線を向けると、沖合に亡霊のようなものが佇んでいた。
夜光虫のような光の粒子を体内に浮かべ、ぼんやりと光る巨人。
見えるのは上半身のあたりだけだが、見えている部分だけでも二十ヤードはあるだろう。
「リザイリア、だと?」
さすがにぞっとした。
海の怪物リザイリア。
このあたりも一応活動範囲に入るらしいが、沿岸部に現れた事例は少ない。
こうも見事に出くわす羽目になるとは思わなかった。
「あれがリザイリア?」
ヴェルクトも驚いたような声をあげる。
「もっと竜っぽいって思ってた」
「リザイリアってのは海棲型の超大型スライムで、何度か姿を変えてるらしい。最初の頃は普通のでかいスライムで、次は魚人型、前回の活動期が海竜型」
全部ボーゼンの受け売りだが。
「今度は多分、人型か」
下半身が見えないので人魚型という可能性もあり得るが、少なくとも上半身は人型だ。
ほっそりとした、女のようなシルエット。
人型と言うには、妙に耳が長いようにも見えるが。
「近づいてるな」
ゆっくりとだが、こちらに向かってきている。
「うん」
リザイリアは人を好んで喰う。
船を襲撃し、海に落とした人間を捕食していく。
ヴェルクトはアスール王子から譲渡された長剣アガトス・ダイモーンを鞘ごと持ち上げた。
鞘を握った左の親指でハンドガードの部分を弾く。
キン、と金属音が響いた瞬間。
海の魚たちが魂消たように跳ね上がった。
ヴェルクトの正面から扇型に広がる形で、大量の水柱が立っていく。
破邪の鍔鳴り。
勇者パーティーの初期メンバーだった竜騎士ラヴァナスがヴェルクトに教えた竜騎剣術の技法の一つ。
闘気を鍔鳴りの音に乗せて放ち、敵意を挫く。
音という空気の波の代わりに、闘気の波を撒き散らして相手を牽制する威嚇術だ。
腹を見せて浮き上がった魚たちほど派手な反応は見せなかったが、まずいものがいることはわかったようだ。
リザイリアは動きを止めると、そのまま海中に沈み込み、気配を消した。
「行ったか」
「やっつけたかったけど」
ヴェルクトは悔しそうに言って、アガトス・ダイモーンを下ろす。
リザイリアは粘液状の巨大海棲生物。
剣が得意なヴェルクトでは戦いにくい相手だろう。
「追い払えりゃ十分だ」
リザイリアを仕留めるには、それなりの準備と装備が必要だ。
今はまだ、戦うときじゃない。
†$
破邪の鍔鳴りには指向性がある。
魚たちは派手に目を回したが陸の鳥獣、テントの中のビンレイ枢機卿、御者たちが目を覚ますことはなかった。
急いで報告しても無駄に怯えさせるだけだろう。
そのまま寝かせておくことにした。
俺自身はさすがに眠気が飛んでいる。馬車の御者台に上がって夜明けを待つ。
「中で寝てていいぞ」
毛布を持って御者台に上がってきたヴェルクトに告げる。
デカイ化け物に出くわした程度で眠れなくなるような奴じゃないし、寝ていても妙な気配には気づける体質だ。
「こっちで寝ようと思って」
そう言ったかと思うと、毛布にクルクルくるまって、御者台の余りスペースに寝転がる。
そんなに幅があるわけじゃない。足がはみ出し、桃色頭が俺の膝の上に乗る。
「ふへへ」
桃色頭は変な笑い声を出す。
「なんで笑ってんだよ」
「楽しい」
「お前の楽しいは昔からよくわからん」
おっさんの膝枕の何が楽しい。
†$
おっさんとの縁談なんて真っ平御免だ。
商人バラドの縁談相手、フレイツ伯爵家の三女カースティは夜明けの前に屋敷を抜け出した。
十八歳。
艶やかな黒髪にほっそりした体つきの美しい娘だ。
貴族の娘としては適齢期だが商人との縁談になど興味はない。
大富豪という話だが、もう四十近くという話だ。
でっぷり太ったヒキガエルのような男に違いない。
カースティには夢がある。
おかしな男と結婚している暇などない。
街の喧騒を嫌った先代の趣味でフレイツ伯爵邸は港湾都市グラール郊外の森の中にぽつんと建っている。
自室の窓から部屋を抜け出し、屋敷を離れた。
見咎められないよう灯りは持たず、暗い一本道を息を切らせて走る。
何度も倒れ込み、泥にまみれ、あちこち擦りむきながら、足を前に出し続ける。
(こんなところで)
こんな歳で、人生を終わらせてなるものか。
夢を叶える前に、変な商人の慰み者にされてたまるものか。
そんな執念に突き動かされ、前へ、前へ。
だがまた、木の根に足を取られた。
バランスを取り直すこともできず、倒れ込みかける。
白い影が、それを受け止めた。
小さく、ほっそりした、夢のように美しい童女。
街道で賊たちを鏖殺した件のエルフの童女であった。
倒れかかるカースティの体をふわりと抱きとめ、童女は微笑む。
「大丈夫ですか?」
柔らかく、優しげな声が、カースティの鼓膜と脳髄を揺らした。




