泥の底にあったもの。
「べるくと!」
「げーかっ!」
『火あぶり教皇』ニスピルの頭部という歴史的発見にフルール二世が胃痛を再発させた少しあと、堀の向こう側に桃色頭たちがやってきた。
「「フエみえたっ!」」
「こっちこっち!」と言う桃色頭たちを追って堀の真ん中あたりに足を運ぶ。
水の引いた泥の中に、白い百合の花のようなものが顔を出していた。
花貝笛。
ミルカーシュ地方の大型の貝殻を削り出し、貼り合わせて作る、白百合を模した笛。強度はガラスや陶器の類とそう変わらないが、破損はしていないようだ。落ち方がよかったのだろう。
「あれ?」
側に立っていたアナに確認する。
「はい、でも、あれもいます」
「あれ?」
堀の中をもう一度眺める。
「アレ?」
さっきから「あれ」「アレ」としか言っていないが会話は成立している。
例の生き物が、泥の中で蠢いているのが見えた。シャインたちの証言通り細長い。体長はおそらく五、六ヤード、胴体の太さは二フィート前後。
(やっぱり、ワーム?)
恐怖の蛇竜などのワームではなく、ミミズなどの線虫の方のワームだ。事前にグラムと資料をあたったり、ボーゼンに助言を求めたりして、ある程度候補は絞り込んであった。
ばしゃん!
生き物は大きな音を立てて泥をはね上げ、甲虫のような透明の羽を広げた。
「……あ」
絞り込んだ候補の中でも、まずいほうの生き物だ。
空飛ぶオニイソメ。
海の浅瀬や河口あたりに生息する超大型イソメ。砂の中に潜んで魚やカニ、海鳥などを捕食する生き物だが、最大級の個体になると大人の手足も簡単に食いちぎって食べてしまう。繁殖期になると羽を生やして空を飛び、外敵のいない池や沼に産卵する習性がある。産卵前後の成体は卵を守るために凶暴になる上、空中を飛び回る。
飛ばせるとまずい。
足元にあった石を爪先に引っ掛けて蹴り上げ、手元まで跳ね上げて掴む。
そのまま、空飛ぶオニイソメの頭部めがけて投げつけた。勇者のバイパスを使ったときほどの力はもうないが『光の獣』としての身体能力は変わっていない。石は稲妻のような速度で飛び、正確に標的をとらえる。
パンと音を立て空飛ぶオニイソメの頭が破裂する。だが、生命力の強い生き物だ。頭がはじけ飛んだ程度では止まらない。頭がなくなったままの状態で羽ばたき、のたうち回る。その内動かなくなるだろうが、この勢いだとアナの花貝笛も巻き込まれ、粉々にされてしまう。
堀の底に身を踊らせた。
まだ泥が深い。腹のあたりまで泥の中に沈み込む。
花貝笛を取り上げたところで、頭のない巨大イソメの尻尾の部分が鞭のように襲いかかってきた。下半身が泥の中では回避は無理だ。花貝笛を片手に懐の短剣ソーマ・レキシマに手をかける。
そこに、修道女姿の人影が飛んで来た。
大聖女の杖を両手で大上段に振りかぶり、鋭く振り下ろす。
巨大イソメの尻尾が打ち据えられ、ぶちりとちぎれ飛んだ。
(……ターシャ、じゃない?)
違う。
教皇府の方から飛んで来た。
それにターシャは、別方向から飛んでいる。
最初の修道女から一呼吸遅れて飛んできたターシャは、片手で振り上げた大聖女の杖を一閃、のたうつ飛行型オニイソメの羽根の近くへと叩き込む。それがとどめになった。化物イソメはびくりと身を震わせて、動かなくなる。
「……無事ですか?」
ターシャが最初の修道女に声をかけた。暴力聖女ではなく、よそゆきの聖女口調だが、泥と一緒に巨大イソメの体液を浴びているおかげで、かえって凄絶だ。
「あまり無茶をするものではありません。准聖女アナスタシア」
「……す、すみませんっ! ついっ!」
少し裏返ったその声は、准聖女アナのものだった。
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「准聖女様って、そういうひとだったの?」
教皇府の大浴場。
シャインの桃色頭に手桶の湯を流しつつ訊ねた。
「どういう意味だい?」
エルスの頭を流しつつ問い返したターシャは、大浴場の湯船でバタ足をするソフィに「ばちゃばちゃやるんじゃないよ」と声を投げる。浴場にいるのは泥の中に飛び込んだヴェルクト、アナ、ターシャ、それとターシャと一緒に桃色頭たちを迎えにきたマティアル、そして桃色頭四人。
昼食どきになっても戻らない桃色頭たちを迎えに来たところでアナが飛行型オニイソメに飛びかかるのを目にし、咄嗟にターシャが飛び出したらしい。
マティアルと桃色頭たちは泥をかぶったわけではなく、聖女や准聖女、元勇者といった肩書きも持っていないのだが、ターシャの補佐役と養い子ということで入浴の許可が下りた。
「マティアル様の杖でがつん」
ああいうことをする修道女はターシャだけだと思っていた。
「ああ……いや、あれはね……」
珍しく口ごもるターシャ。マティアルが珍しくジト目で言った。
「アナに護身術を教えた時、昔使ってた私の杖を渡しちゃったんです」
今のオリハルコン・アダマンティア合金の杖でなく、普通の大聖女の杖に鉄芯を通し、鉛を詰め込んだ代物だ。
「枢機卿どもになめられてるみたいだったからね。あれ持たしときゃ多少遠慮するかと思ったんだよ。……思ったより相性が良かったみたいでね」
確かにきちんと振り回せていた。百戦錬磨のターシャの杖さばきにはさすがに及ばないが、十代半ばの少女の武芸としてはなかなかのものだ。
「死んだ親父さんがアレイスタの騎士で、修道院に入る前は武術やら馬術やらばっかりやってたらしいよ」
意外に武闘派だったようだ。
「聖女の鈍器として受け継いでいくなら私の像がついてない杖にしていただきたいと思います」
マティアルはジト目のまま言った。
話題の中心になっている准聖女アナはヴェルクトから受け取った花貝笛を水洗いしている。
髪を流し終えたシャインを解放し、アナに歩み寄る。
「きれいになった?」
「はい」
手元を覗き込むヴェルクトを見上げ、アナは笑顔を見せる。
「ありがとうございます。本当に」
「うん」
ヴェルクトもえへへ、と笑う。
アナが笑ってくれるなら、泥にまみれたかいもあった。
「猊下と、あの子たちにも言ってあげてね。猊下とあの子たちが、准聖女様を心配してくれてなかったら、わたしには、なんにもわからなかったから」
フルール二世がアナを見守っていたから、桃色頭たちがアナに出会い、友達になっていたから、知ることができた。
フルール二世と桃色頭たちがいなければ、なにも気づかず、見過ごしていたはずだ。
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それから二週間ほどで、ニスピルの堀の清掃と水の入れ替え作業は完了した。初日のような危険物はもうに出てこなかったが、なぜか馬車が丸々一台出て来たりした。
そこからさらに数週間後、フルール二世は再びバラドを執務室に迎えた。
「お加減はいかがです?」
「血尿は大丈夫だが、胃痛がね」
テーブル越しにバラドと向き合って、フルール二世は腹を撫でた。
「ニスピル猊下の頭蓋の件を発表してから、セイレン派が怖くてね」
『火あぶり教皇』ニスピルと対立し、ニスピルの死後急激に勢力を伸ばした派閥。あくまで「エルフの犯行ではない」と発表しただけで、具合的な犯人像を示唆したりはしなかったのだが、やはり敵対行為と認識されてしまったらしい。いまのところ具体的な動きを見せてはいないが、発表直後のセイレン派幹部たちの目は、フルール二世を刺し殺さんばかりのものだった。
「今のセイレン派に猊下をどうこうする力はないはずです。暴発にさえ警戒しておけば十分でしょう」
「その暴発が怖いんだ」
セイレン派はダーレス時代のアレイスタとの繋がりが強く、アスール代王になってからは後ろ盾を失い、弱体化しつつある。だが追い詰められているからこそ暴発し、刺客を送ってきたり、毒殺を企てたりするのではないか、そういう不安があった。
「適当な罪を着せて処断なさっては? 今の猊下ならば可能でしょう」
「それこそ身の破滅だよ。私はへなちょこ教皇だから、憎まれずに生きていられるんだ」
別に処世術としてへなちょこに生きているわけではないが、今の声望に思い上がって権勢を振り回すようなことをすれば、あっという間にニスピルの二の舞だろう。
「あまり、人を試すようなことをいうものじゃないよ?」
バラドの言葉は助言というより、なにかを試すようなものだった。
「申し訳ありません」
バラドは笑って頭を下げた。
「実は、猊下にご紹介させていただきたい者がいるのですが、御目通りをお許しいただけるでしょうか」
「ああ、かまわないよ」
「ありがとうございます。少々お待ちを」
一度執務室を出たバラドが連れて来たのは二人組の……。
(エルフ?)
二人とも金髪で耳が長い、そして、見覚えのある顔だ。
「アレイスタの王都で会ったかな?」
王都の戦いでユーロック女王に付き従っていたエルフたちだ。
「はい、またお会いできて光栄です、教皇猊下」
二人のエルフは実直な口調と表情で応じる。誰かに似ている気がしたが、はっきり思い出せなかった。
「ユーロック女王のご意向で、猊下の護衛に来たそうです」
「ユーロック女王が?」
「ニスピル猊下の頭蓋の件をヴェルクトが手紙に書いたようで。ニスピル猊下殺害の真相を明らかにした場合、猊下に何らかの危険が及ぶのではないかと懸念なさったようです。また、今後の人族との交流を円滑に行っていくため、マティアルの教えと、猊下の教えを学ばせたいとのご意向です」
「そうか……」
ありがたく、喜ばしい話だ。ユーロック女王の心遣いはありがたいし、人族の文化や宗教を理解しようとしてくれることも喜ばしいことだろう。
だが、確認すべきこともある。
二人のエルフに問いかける。
「マティアルの教えにご関心が?」
ユーロック女王の命令で来ただけなのか、多少なりとも関心を持ってくれているのかで、話がだいぶ変わってくる。
「「いいえ」」
二人のエルフは即答した。
「そ、そうですか……」
苦笑するフルール二世に、二人のエルフは熱のこもった声で続けた。
「アレイスタでの猊下のお言葉に感銘を受け、お側で教えを賜りたいと思い、志願いたしました」
(……私か!)
マティアル教の教えではなく、フルール二世個人に興味を持ってやって来たらしい。
「「是非、お弟子に加えていただきたく!」」
二人のエルフは熱い目をしていた。フルール二世の哲学は基本的にはマティアル教の価値観に基づくものだ。マティアル教への入口がアレイスタの演説であっても大きな問題はないはずだが、やや危険なものを感じた。
裏がある、という感覚とはまた違う。
もっと直接的な、嵐の予感に似た感覚だ。
(ああ、そうか……)
思い出した。
誰かに似ていると思ったが、このエルフたちは、ゼエルたちに似ているのだ。
それも最近の、やたらと熱狂的なゼエルたちに。
(……ややこしいことになりそうだぞ、これは)
今の聖堂騎士団だけでも持て余しているのに、さらに新しい頭痛と胃痛の種を抱え込むことになる。
とはいえ、サイフェリア女王ユーロックの意向、本人たちにも熱意があると来ては、断ることもできないのだが。
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守護者として二人のエルフを送り込んだユーロック女王の判断は図にあたり、二人はセイレン派によるフルール二世毒殺の陰謀を見抜き、フルール二世の命を救うこととなる。
その後二人はエルフの流儀でセイレン派とその関係者を皆殺しにしようとしたが、フルール二世は三日三晩をかけて二人を説得、虐殺を思いとどまらせることに成功した。
その際の対話の内容はマティアル教哲学の名著『フルール二世対話篇』として、その時の姿は宗教画の傑作『エルフを諭す教皇』として長く後世に伝えられ、称えられてゆくこととなる。
次回で「付録」は最終話になります。
「付録」のあとは「外伝(過去編)」にいく予定です。まずは「アスールの竜退治」をやろうかと考えておりますが、構想などはまるでできていませんので、開始までは少し時間をいただくことになりそうです。
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