お堀の水全部抜く。
翌朝からは汚泥の除去作業に入る。ニスピルの堀は現在、汚泥の層が約二フィート、水の層がおよそ一フィートとなっている。
この水深になると泥を吸ってしまうため、ポンプを使えない。堀の中に降り、水と泥を人力で汲み出す作業になる。生物の所在はおおよそ掴めているが、まずは端の方から水と泥を汲み上げて逃げ場をなくし、追い込んでいくことにした。逆の端まで追い込むことができれば、笛の回収もやりやすくなる。
フルール二世、准聖女アナ、遊びに来た桃色頭たち、そして近隣の野次馬たちが見下ろす中で作業を開始。桶で汲み上げた水と泥を樽に入れて吊り上げ、馬車で勅許会社の残土置き場に運び出すという流れだ。危険が予測されるため、まずはヴェルクトと聖堂騎士団が堀の底に降りる。といっても、ヴェルクトの身長では汚泥に入ると動けなくなる。堀の底に下ろした小舟の上で周囲を警戒し、汲み上げ作業は当面体格の良い聖堂騎士たちが担当する。
人手が必要な作業のため、聖堂騎士団の人数はそれまでの倍の二百人体制となっている。ヴェルクトが現場で作業に参加しているということで、志願者には事欠かなかった。
ヴェルクトと聖堂騎士団は魔王軍との戦いで何度も生死を共にし、今も自主訓練などを通じて交流が続いている。まだまだ影響力は絶大だ。
綱をつけた樽に泥水がいっぱいになると、堀の中のゼエルが雄叫びをあげる。
「上げろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「「「「ソイヤー! ソイヤー! ソイヤー! ソイヤーッ!」」」」
そんな声を堀の内外に轟き渡らせつつ、次々と樽を引き上げ、馬車へ積み込んでいく聖堂騎士たち。
作業開始から一時間ほど、ヴェルクトの小舟の近くに茶色っぽいものがプカリと浮いた。
(なんだろう)
小舟に積んだ短槍を取り上げ、それを引っ掛けて引き寄せる。
「なにかありましたか?」
泥の中に下半身を沈めた、泥まみれのゼエルが声をかけてきた。
「ちょっと待ってください」
茶色いものの正体は想像できたが、泥水の中でざっと泥を落とす。
思った通り。
「頭の骨です」
人間の髑髏。
特に驚きはしなかった。ヴェルクトは骨や死体には免疫がある。そもそも火あぶり教皇の名前を冠した堀である。骨や死体の類が出てくることは想定の範囲内だ。
「「ほねだ!」」
目ざとい桃色頭たちが堀の上から声をあげ、野次馬たちがどよめいた。見世物にするようなものでもない。あらかじめ小舟に積んでおいた壺に収める。
体の方も沈んでいそうだが、まだ泥水と汚泥が深い、目印となる旗竿を立てておき、周囲の水抜きと汚泥の除去を先に進めていく。
「上げろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「「「「ソイヤアァァァァァァァァァァッ!」」」」
「降ろせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
「「「「セイヤアァァァァァァァァァァッ!」」」」
圧倒的な気力と体力、数の暴力にものを言わせ、恐ろしい勢いで堀の泥をさらっていく聖堂騎士たち。
表層の水はだいぶ減ってきたが、聖堂騎士たちの熱気が強烈すぎて、手の出しどころが見つからない。もうしばらくは小舟の上でおとなしくしておくことにした。
かなりの大騒ぎだが、謎の生物は動きを見せない。
魚や虫といった普通の生き物の姿は見当たらない。泥の中から出てくるのは法王都、そして教皇府から投棄されたゴミの類ばかりだ。
衣服や割れた食器、椅子、クローゼット、錆びついた長剣、斧槍など。
重石をつけられた首のない白骨死体。
さっきの髑髏と同じ場所から出てきたものだ。
「どこかで殺されて、ここに投げ込まれたのでしょう。相当前のことのようですが」
泥まみれで全身黄土色のゼエルが見解を告げる。
「……どうしましょう」
修道士の死体がいくつか沈んでいるくらいのことは考えていたが、別件の白骨死体が出てくるとは思わなかった。
「対応を急ぐ必要はないでしょう。後ほどこちらで行方不明者の帳面を調べてみます。この状態ですと、特定は難しいかと思いますが」
「わかりました」
壺に入れて安置しておき、あとの調査は聖堂騎士団に任せることにした。
泳ごうとした人間を絡め取るための縄、飛び込んだ人間を串刺しにするために設置された杭なども取り除きつつ、作業を進めて行く。
次に出てきたのは、たくさんの金貨が入った袋。
「落し物?」
随分豪快な落し物もあったものだ。この一袋で今回の仕事の料金が楽に支払えそうだ。
「この額で落し物は考えにくいでしょう。布も妙に防水の良いものを使ってあります。何者かが意図的に隠した、犯罪がらみの金ではないかと」
ドロドロのゼエルは難しい顔で言った。
他殺死体に犯罪がらみと思われる金貨の袋、変なものばかり出てくる。
○
○
○
○
○
正午を回ったところで休憩時間。
「いや、ひどいね。本当に、色々と……」
積み上げられた投棄物の山を眺めて、フルール二世は乾いた声で呟いた。
悪名高いニスピルの堀である。修道士の骨や死体が出るくらいのことは覚悟していたが、犯罪がらみの死体や金貨の類まで出てくるとは思わなかった。
「なんだか変なものばっかり出てきちゃって。ごめんなさい」
濡らした布で顔や手足の泥や汗を拭い、ヴェルクトは申し訳なさそうに言った。
「いや、君が謝ることじゃないよ」
火急の課題ではないということで放置を続けた結果、完全に犯罪の温床になっていたようだ。堀の泥の除去は全体の五分の一も終わっていない。変なものはまだまだ出てきそうだ。
「もっと早く手を打っておくべきだったと思ってね」
ニスピルの堀の荒廃を放置した結果、法王都の治安を悪化させたと見るべきだろう。目につかない場所だからと深く考えずにいた歴代担当者、歴代教皇の怠慢だ。
そんなことを考えるフルール二世の足元に、黒い布袋が転がりだした。
視線を感じた気がした。
(なんだ?)
布袋の前にしゃがみ込む。
布袋の端をつまんで引っ張ってみると石がいくつか、そして下顎のない髑髏が一つ転がりだした。
(うわッ!)
ビクッとなりながら、どうにか悲鳴は抑え込み、髑髏を拾い上げる。
「またあったんですか?」
ヴェルクトがフルール二世の手元を覗き込む。
「ああ、この袋に入っていたんだが……」
一緒に入っていた石は髑髏を水中に沈めるためのものだろう。下顎はなく、額のあたりに大きな傷跡のようなものがある。
頭の中で、警鐘が鳴った。
触れてはいけないものに触れてしまった。見つけてはいけないものを見つけてしまった。そういう警鐘だった。
(……下顎のない、額のあたりに傷跡がある頭蓋骨……?)
ハッとする。
(ニ、ニスピル猊下っ!?)
『火あぶり教皇』ニスピル。
魔女や異教徒との戦いに生涯を捧げたニスピルは、当然異教徒や異民族には深く憎まれ、何度となく刺客の襲撃を受けてきた。そして異教徒に雇われた東方の剣士によって、額を深く切り裂かれたという。マティアルの加護によって致命傷を免れたニスピルだが、骨にまで達した額の傷跡は、生涯消えなかったと伝えられている。
ちなみに本人談では、ニスピルに特別な加護を与えたことはないそうだ。休眠期だったため、人間との接触自体なかったらしい。
(い、いや、そんな、まさか……)
ニスピルの頭蓋だとすると、いろいろまずいことになる。
ニスピルの死の真相は、現状謎とされている。一応エルフ犯行説が囁かれているが、はっきりしたことはわかっていなかった。
はっきりしてしまうとまずいのだ。
ニスピル殺しがエルフの仕業と断定されれば、教皇府としてもそれなりの対応をしなければならないが、エルフと事を構えれば身の破滅しかない。
人間の知覚力を振り切った速度で動き回り、手刀で首をはね、貫手で心臓を抉り出す白い殺戮者。王都の戦いで現物を見たからわかる。完全な不可侵種族だ。
手を出せば殺される。
平和的に収める方向で行くとしても、今度は教皇府の強硬派を抑えなければいけなくなる。
どちらにしても胃痛と血尿が再発しかねない展開だ。
「大丈夫、ですか?」
「あ、ああ、大丈夫……ちょっといいかな?」
厄介な頭蓋骨を裏返し、小声でヴェルクトに問う。
「……この骨なんだが、エルフに殺されたものだろうか」
「エルフ?」
「顎の関節から斬られているんだ。エルフの殺し方じゃないかと思うんだが……」
「ちょっと貸してください」
フルール二世から頭蓋骨を受け取ったヴェルクトは、やがて「違うと思います」と告げた。
「……違う?」
「はい、顎の関節は、斬られてるんじゃなくて、砕かれてます。多分、鉈か何か。エルフの手刀ならもっと綺麗に、すぱっと行きます。それにエルフは、取った頭をこんな場所に沈めたりしません。大将首なら持って帰って杯にしたり、いらない首だったら纏めて晒したりするのが普通です」
「……そうか」
普通という言葉の用法がおかしいような気もしたが、ともかくエルフの犯行ではないようだ。ひとまずため息をつく。
髑髏の額をじっと眺め、ヴェルクトはポツリと呟いた。
「ニスピル猊下?」
「……しっ! しーっ!」
慌てて唇に指を当てた。
「今はまだ内密にしておいてほしい。よくわかったね、ニスピル猊下と」
『火あぶり教皇』ニスピルはマティアル教暗黒時代、マティアル教の負の側面の象徴的な人物だ。肖像画や像の類はあまり表には出していない。よくわかったものだ。
「最近、教会のことをグラムに教わって。まだ全部は覚えてないんですけど」
「ニスピル猊下のことを知っているだけで十分だよ」
魔女狩りの禁止以降、教皇府でも積極的に教えていない人物だ。この骨を見て、ニスピルという名前がさっと出てくる人間など滅多にいないだろう。
(一体どういう教育をしてるんだ)
そんな疑念も脳裏をよぎる。バラドではなく秘書のグラムのもとで教育を受けていると聞いたが、ここまでの水準のことを教えているとは思わなかった。あのハーフエルフは元勇者をどういう風に教育していくつもりなのか、この調子で成長していったヴェルクトはどういう存在になっていくのか、それを考えると、いささか空恐ろしいものを感じた。下手をすると保護者より手のつけられない存在になりそうた。
ヴェルクトは続ける。
「たぶん、やったのは人間です。エルフの仕業に見せかけるために顎の関節を鉈みたいなもので砕いて外して、頭をお堀に沈めたんだと思います」
「そうか……ありがとう」
エルフの仕業でないことには安心したが、人間の仕業というのもまずい。エルフが犯人でないなら、考えられる容疑者は当時のニスピルの敵対者。つまり当時の教会の有力者たちとなる。ニスピルの敵対者は他にも存在していたが、エルフの犯行に見せかけたことから考えると、内部犯と見るべきだろう。当時の有力者たちも当然死んでいるが、当時の派閥のいくつかは、今も生き残っている。
どうにも厄介なものが出てきてしまったものだ。
胃がシクシクと痛くなってきた。
今回のヤバイブツはあくまでヤバイブツネタ要素ですのでシリアス展開は特に予定しておりません。




