元勇者のおねだり。
数日後。
フルール二世は教皇府の執務室でバラドと秘書のグラム、ヴェルクトの三人を迎えた。
「今回はおかしなおねだりをしてしまったようで申し訳ありません」
スーツ姿のバラドに、フルール二世は苦笑する。
「いや、こちらこそ申し訳ない。結局准聖女のために動いてもらうことになってしまった」
「お気遣いなく、無償でお引き受けするわけではありませんので」
「……そうだったね。それで、いくらくらいになりそうかな?」
やや顔をこわばらせて問うフルール二世。
ヴェルクトがフルール二世にねだったものは、仕事だった。
ニスピルの堀に生息する生物の調査と駆除、それと堀の水の入れ替え、汚泥、ゴミなどの処理。水中の杭などの危険物の除去。
生物への対応以外は、ニスピルの堀の水の汚れと匂いに目をつけていたバラドが以前から教皇府に売りこんでいた案件だ。緊急性が低いということで成約にはいたらず、宙ぶらりんなっていた話をヴェルクトが思い出し、フルール二世、そしてバラドに検討するように提案した形だ。ヴェルクトからすると自分と准聖女の、欲しいもの問題をまとめて解決する妙案だったが、フルール二世からするといきなり予算の桁が跳ね上がった形になる。
「水中の生物への対応、汚泥や落下物などの回収と処分、杭や綱などの設置物の撤去と、水抜きをした堀の清掃など、おおよそ三週間ほどの作業で、費用としてはこの程度となります」
バラドは作業項目と費用をリストアップした書類を示す。バラドが以前に教皇府に持ち込んだ提案は謎の生物や准聖女の笛の存在は想定しておらず、そのあたりのことを織り込んだ再提案となる。
「生物への対応と准聖女の笛の回収だけであれば見積もりの三分の一程度で可能ですが、この機会にニスピルの堀の一通りの浄化、清掃まで済ませてしまったほうが無駄がないと思いまして、まずはこういった形で見積もりを出させていただきました」
「そうか」
恐る恐る金額を確かめる。
心配したほど高くはない。心中で胸をなで下ろした。新しい教会を一軒建てられる程度の金額だったが、教皇府と近辺の安全管理、衛生管理のための投資としては妥当なところだろう。フルール二世の懐から出すのは難しい金額だが、教皇府の予算から出せるだろう。衛生管理、安全管理の面で考えれば、不適切な出費ではないはずだ。
「今後の衛生管理、景観、水利なども考えあわせますと、最終的にはレビス川から水を引き、水路とする形が望ましいでしょう。法王都の水運、水道網の充実にも繋がります」
「川の水を流すの?」
ヴェルクトの問いに、グラムが答える。
「ニスピルの堀はもともと、レビス川から取水をしていたんです。北と東西を埋めてしまったので水路が切れて、今は雨水が溜まっているだけですが」
「大きな工事になりそうだね、それは」
法王都そのものの再開発計画と言っていいだろう。
「ええ、まだ具体的なご提案ができる段階ではありませんが。遠くないうちにまたご提案をさせていただければ幸いです」
バラドは商人らしい笑顔を見せる。「仕事をください」と言ったヴェルクトの申し出に裏があったとは思わないが、バラドとしてはこの話をさらに大規模な事業につなげて行くつもりのようだ。
「ま、まぁ、そのあたりのことは、またその時に考えさえてもらうとするよ」
フルール二世は冷や汗混じりに応じた。バラドは悪辣な商人ではないが、何かと話の規模を大きくしたがる傾向がある。目が回るような大規模事業計画をもって来そうだ。
「ええ、そのあたりはまずは置いておきましょう。まずは生物への対応と笛の回収を急がなければいけません。ただ、一つ問題がありまして」
「問題?」
値上げ交渉でも始まるのかと警戒したフルール二世だが、少し違った。
「生物の危険性を考えると、できるだけ早く着手したいのですが、人の手配が間に合いそうにありません。教皇府の人手をお借りできればと思いまして」
「人手か、どれくらい必要かね?」
「体力のある男性を、一日二十人ほど。可能であれば聖堂騎士団を」
「聖堂騎士団か……」
フルール二世は眉をしかめた。
「難しいでしょうか」
「いや、難しくはないんだが」
聖堂騎士団は戦闘だけでなく、災害などの場にも派遣される組織だ。土木作業の類を嫌がることはない。枢機卿たちにも相談する必要があるが、反対されることはあるまい。危険生物が関与する案件となれば、聖堂騎士団を動かさないほうがおかしいくらいだ。
「……大騒ぎになりそうだと思ってね」
小規模とはいえ教皇お声がかりの仕事となる。昔の聖堂騎士団ならともかく、今の聖堂騎士団がどう言う張り切り方をするか読めなかった。
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それから間も無く、教皇府は勅許会社に正式の依頼を出し、ニスピルの堀の水抜き作業が始まった。
フルール二世の予想通り、団長ゼエルを筆頭とする聖堂騎士団は強烈な意気込みで仕事に乗り出した。当初の予定ではまずは聖堂騎士団から二〇人、勅許会社も二〇人ほどの人員を手配し、四十人体制で作業に当たる予定だったのだが、非番の騎士団員が群れをなして押しかけた結果、実際の人数は百人を超す大所帯になった。
まずは堀の水を近くのレビス川に流すための水路を作る。
大型の樽と太いパイプを組み合わせた木製の簡易水路だ。樽がいっぱいになると、樽の上部のパイプから水が流れ出し、次の樽の下側へ送られる。次の樽がいっぱいになるとまたその上部のパイプから次の樽の下部へと水が流れという形で、樽から樽の間に水が渡っていく仕組みだ。樽の高さで高低差をつけられるので、ちょっとした坂道程度なら、乗り越えて水を流せる。
水路作りが終われば、水抜き作業は半分終わったようなものだ。
大賢者ボーゼンが造船所のドッグの水抜き用に作った魔導回路内蔵のポンプを使って堀の水をくみ上げ、水路を通じて排水していく。最初は本社にあった二基、後半はジースから届けられた二基を加えた四基体制で排水作業を進めて行く。魔導回路への魔力の供給はヴェルクトと、魔力に扱いに長けた聖堂騎士が交代で担当する。
魔力の供給自体は、きつい仕事ではないが、ニスピルの堀の水の黄緑色の藻をたっぷり含んでいるので、ポンプがよく詰まってしまう。その度にポンプを分解して藻を取らないといけないのが面倒なところだった。
排水作業は順調に進行、ニスピルの堀の四分の三ほどの水を取り除いたところで、ポンプを止める。ここから先は水底の汚泥層となり、ポンプでのくみ上げは困難になる。人が降りて、直接汚泥を汲み上げる作業になって行く。
人が降りるとなると、その前に例の大型生物を排除しなければならない。水量は減り、水中に設置されていた杭や縄などが露出しているが、汚泥の中に潜っているのか、大型生物の姿はまだ見えない。准聖女アナが落としたという笛の姿も見当たらない。
「……すごい」
夕方ごろ、薬草園の向こうから顔を見せた准聖女アナは、ため息のように呟いた。
「もうちょっと、待っててね」
堀を隔ててアナと向き合い、ヴェルクトは笑う。ポンプは止めたので、今日の仕事はもう終わりだ。
「明日から泥をさらって行くから。准聖女様の笛も見つかると思う。もしかしたら、その……壊れちゃってるかも知れないけど」
落ちたはずみでもう壊れているかもしれないし、泥をさらったはずみで壊れてしまうこともあるだろう。めでたしめでたしで終わる保証はまだない。
「そのお気持ちだけで、十分です」
准聖女は生真面目な顔で言って、堀の向こうの少女を見る。
「私なんかのために、ここまでしていただいて」
「ううん」
ヴェルクトは首を横に振った。
「准聖女様って言うより、シャインたちのため。あのまま准聖女様を心配したまま終わっちゃったら、かわいそうだったから」
直接の接点は少なかったが、准聖女には借りがある。准聖女がマティアルの依代としてバラドを助けてくれなければ、バラドは生きていなかったかもしれない。ヴェルクトも、ガラスの棺の中で朽ちていくだけだったかもしれない。
が、その辺のことはあまり関係なく、シャインたちが泣き出しそうだったので、思いついたままに動いた。ヴェルクトの感覚としてはそれだけだった。
「……そう、ですね。まだまだ、修行が足りないみたいです」
アナは生真面目に、自責するように言う。その顔を見上げて、ヴェルクトは尋ねた。
「なんの修行?」
「あまり、辛い顔を見せないように」
胸の奥で、何かが痛んだ。
「……あんまり、しないでいいよ。そう言う修行。うまく出来すぎても、助けてあげられなくなるだけだから」
メイシンのように。
辛い顔を見せない男だった。
最後まで、どうしようもなくなるところまで、なにも気づけなかった。
自分の精神が幼く、鈍感で、ある意味で残酷だったことは自覚している。それでもメイシンが痛みや、辛さのようなものを、少しでも見せてくれていれば、違う終わり方もあったのではないか、そんな痛みが、ヴェルクトの中に残っていた。
「シャインたちの前でって言うのはわかるけど、それだけでいいよ。あとは、もっと心配させてあげて。猊下、きっと、困ってた。准聖女様をどう心配したらいいのかわからなくて」
相当困っていたのだろう。
よりによって自分のところに相談に来てしまうほどだ。
まだ十年ほどしか生きていない、まだまだ戦うことしかわかっていない、幼くて、鈍感な元勇者のところなんかに来てしまうのだから。
「わたしと、猊下と、あの子たちが一緒にいたのは、准聖女様へのプレゼントを探すためだったの。苦労してる准聖女様が喜んで、元気づけられるものはなんだろうって。ソフィたちが笛の話をしてくれたのも、そういう話の流れ。大事な笛をなくしちゃったから、新しい笛をプレゼントしたらどうかって」
「そう、だったんですか……」
「うん。こう言う心配されるの、嫌?」
「……いえ」
アナはそう答えて、潤んだ目元を軽く拭った。
「よかった」
ほっと息をつく、本当に余計なお世話ということもあるらしいので難しい。
「じゃあ、心配させてあげて。心配できないでやきもきするより、心配してやきもきする方が、ずっといいと思うから」
「……頑張ってみます。心配させてあげるって、なんだか難しそうですけれど」
アナは苦笑するように言った。
「難しく考えないでいいよ。わたしなんか、何も考えてなかったのに、気がついたら世界中から心配されて、戦争になってた」
ここまで周囲に心配をかけた人間は他にいない気がする。
「……さすがにそれは、真似のしようがないと思います」
「……えへへ」
確かに真似のしようがない。
真似をするような機会があったら困る。
次回より新番組「堀の水全部抜く」をお送りします。(教皇府テレビ)




