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勇者の商人  作者:
【付録・後日譚】元勇者と猊下の休日

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71/85

火あぶり教皇の堀。

 ニスピルの堀が作られたのはいわゆるマティアル教暗黒時代。教皇権力の絶頂期であった『火あぶり教皇』ニスピルの時代だった。

 若き日より峻厳な異端審問官として活躍したニスピルは、幾千もの異端者を処刑、幾万もの異教徒を殺戮して収奪した資産を慈善活動、教会工作に費やすことで庶民の絶大な支持、教会幹部の信頼を集め、教皇の座を掴んだ。

 そして、教会史上最も苛烈な教皇として君臨した。

 マティアル教徒、庶民に対しては仁愛深い宗教者として熱狂的な支持を集める一方で、聖職者たちに対しては非人間的なまでの規律と忠誠を求め、それを満たせない者には厳しい罰を下し、時には背教者として処刑した。

 結果、教皇府では修道士の脱走が多発。ニスピルは脱走した修道士を背教者として捕縛し、次々と火刑台に送っていった。

 修道士の火あぶり多発という事態を憂慮した時の教会幹部たちは決死の覚悟でニスピルを諌めた。

 教会幹部たちとの全面対立は回避すべきと考えたニスピルは逃亡修道士たちに対する罰則を緩めることに同意した。その代わりに作ったのが、修道士の逃亡を許さないための檻、教皇府と法王都を隔絶する内堀、ニスピルの堀だった。

 その後教会幹部たちを切り崩し、完全な独裁体制を整えたニスピルは、マティアル教徒の絶大な支持を背景としてマティアル教諸国の頂点に君臨、異教徒、異種族根絶のための聖戦を叫ぶようになる。

 だが、ニスピルは聖戦が始まる前に変死した。

 夜の執務室から絶叫が聞こえ、警護の聖堂騎士たちが急行すると、バラバラの肉片が散らばっていた。

 ニスピルの『顎の関節から上』が最後まで見つからなかったことから、ニスピルの異種族根絶論がエルフの逆鱗に触れたと噂されたが、真相は今もわかっていない。

 ニスピルの暴走を教訓に、以降の教皇はフルール二世のような『覇気のない』人物が選ばれるようになり、法王国の指導体制も教皇中心から枢機卿中心へと移行することになっていった。

 ニスピルの堀も順次埋め立てられていったのだが、泥棒や害獣よけに役立つということでそのまま残されていたのが、薬草園の裏にある南側の堀だ。

 教皇府の外周を回り、法王都の繁華街であるメネラシュ通りから堀の前に出る。

 教皇府の敷地の南のへりの部分にそって伸びる堀の長さはおよそ二〇〇ヤード、幅はおよそ六ヤードほどだ。

 薬草園のちょうど向かい側から堀を見下ろす。藻が大量繁殖しているらしく、水は黄緑色、どろどろと濁っていた。

 透明度はゼロ、魚などの類はいそうにない。

 だが。

(あれ?)

 水底の方に、生き物の気配を感じる。水底の泥の中に潜っているのか、はっきりしたことはわからないが、かなり大きな生き物のようだ。


「なにかいるんですか、ここ」

「いや、魚は住めないはずだが」


 とフルール二世が答えたところに。


「いるよ!」

「いたよ?」

「……いた」

「いました」


 と、四人が言った。シャインはヴェルクトにくっついているが、セブルとエルスの二人はフルール二世の両手に、ソフィは背中にくっついている。


「見たの?」

「おっきいむしみたいなやつ」

「むかでみたいなやつ」

「どろどろ」

「とりをたべてました」


 フルール二世は変な顔をしつつ、堀の水面に視線を落とす。


「……穏やかでない話になってきてないかな?」

「たぶん、そんなに危なくはないと思います……ワニとか、クマとか、サメくらい?」


 無害でもなさそうだが、大型の魔獣の類ほどの危険性は感じない。


「とても危ないよそれは!」


 両手と背中にくっついた三人娘を連れて後ずさるフルール二世。

 ヴェルクトは足元から小石を一つ拾い上げる。

 試しに石をぶつけてみようかと思ったが、シャインが「だめ」と声をあげた。


「フエがこわれちゃう」

「あそこに落ちたの?」

「うん、あのへん」


 迂闊に刺激しないほうがいいらしい。石が直撃してしまったら論外だし、水底の何か・・を暴れさせるのも、当面は避けた方がよさそうだ。


「どれくらい大きいの?」

「ここから、あそこまでくらい……? もっとおっきい?」

 

 シャインが示したのは、ニスピルの堀の対岸。

 ざっと六ヤード。

「ムカデみたいなやつ」という証言も考え合わせるとだいぶ長細い生き物のようだ。水中に住む、ムカデのような大きな生き物。どういうものなのか想像がつかなかったが。

 何にしても、今は迂闊に手出しできない。


「どうして、准聖女様がこんなところに?」


 特に景色がいいわけでも、空気がいいわけでもない。むしろ、淀んだ水の臭いが漂う、薄暗く不気味な場所だ。


「人目を忍んで笛を吹くにはいい場所だったんだろう」


 フルール二世が言った。


「目隠しに木を植えているし、薬草園の近くには音楽堂があって、楽団や合唱隊がよく練習をしているんだ。時間を合わせれば、笛を吹いても聞きとがめられにくい」


 フルール二世が「准聖女に会ったのはどれくらいの時間だった?」と聞くと、ソフィたちは「ゆーがた」と応じた。


「やっぱりか、夕方の自由時間と、楽団の練習時間が合う時に出てきていたんだろう」

「教皇府って、笛を吹いちゃダメなんですか?」

「ダメという決まりはないが、楽団員以外で吹いている人間はいないだろうね。やりにくい空気はある。それに彼女は、気を使う方だ。笛を吹いても迷惑にならない時と場所を選んだんだろう……ところで」


 フルール二世は再度桃色頭たちの顔をみる。


「どうやってアナと知り合ったのかな? この堀を隔てて」

「あるいてたらね。あっちのほうからふえのおとがしたの」


 堀の向こうの林を指差すソフィ。


「みにいったの」

「あっちの林の中へ?」

「うん」

「どうやって? お堀は?」

「とびこえて」

「……やっぱりとびこえちゃってたか」


 フルール二世はふうっと嘆息をついたあと、真面目な調子になって続けた。


「いけないよ、それは。飛び越えられる距離でも、うっかり落ちたりしたら取り返しのつかないことになる。ここは怖い堀なんだ。落ちたら上がって来れないように、杭や縄も沈めてある。落ちただけで大怪我をしたり、死んでしまうことにもなりかねない。マティアル様やターシャ、私。何より君たち自身が悲しい思いをすることになる」

「……ごめんなさい」


 桃色頭たちは珍しくしゅんとした表情を見せた。


「わかってくれれたならそれでいい。もうお堀を飛び越えたりしないでくれれば」

「ううん」


 ソフィは首を横に振る。


「とんだのはさいしょだけ。じゅんせいじょさまにも、とんじゃだめっていわれたから。とんでないの、それからは」


 フルール二世が「そうなのか」と言った時、教皇府の方から人の気配が近づいて来るのを感じた。敵対的な気配ではない。桃色頭たちには馴染みのある気配だったようだ。シャインが「あなさま!」と声をあげる。

 それから間も無くして、修道女姿の少女が堀の向こうに姿を見せた。

 准聖女アナ。

 桃色頭たちの存在には気づいていたようだ。


「みんな……」


 と声を上げかけた後……。


「げ、げげげ猊下っ! ゆゆ、勇者様っ!」


 と、悲鳴のような声を上げた。

「この子たちのことは、なんとなくわかるんです。近くに来てるとか、そういうことが」


 ニスピルの堀の向こうに佇んで、アナはそう言った。


「それで、みんなが私に会いに来たのかと思って、様子を見に来たんです」


 アナは『聖騎士パラダイン』の襲撃で死にかけた所でマティアルに憑依され、その後、傷ついた魂魄を補うため、マティアルの本質クオリアのかけらを与えられている。その関係で、わずかだがマティアルに似た感覚を持つようになったらしい。


「君がこの子たちと知り合いだとは思わなかったよ」

「知り合ったのは、ほんの最近なんですけれど」

「ここで落し物をしたと聞いたんだが」

「……誰かに言っちゃだめっていったのに」


 アナが微苦笑すると、ソフィは「ごめんなさい」と首を縮めた。


「私が無理に聞き出したんだよ。まだ、ここに落ちているのかい?」

「はい、底の方に沈んでしまったみたいで。ですが、お気になさらないでください。私物のことですから。それより、ここ、変な生き物が住み着いてるみたいなんです。大きな鷺を水の中に引きずりこむのをみました」

「さっきこの子達から聞いたよ。誰かに報告は?」

「ニール司祭にはお伝えしたんですが」

「私のところに話は上がって来ていないな。私に報告する案件として扱われていないのかもしれないが。笛のことも相談したのかな?」

「いえ」


 アナは首を横に振り、繰り返す。


「私物のことですから」

「お母上から譲られたものと聞いたけれど」


 フルール二世が重ねて問うと、アナは少し切なそうに微笑んだ。


「本当に、お気になさらないでください。落としてしまった私がいけないんです」

「そうか」


 フルール二世は微笑んだ。


「少しくらい、甘えてもらってもいいんだよ?」

「……そんな、わけには……」


 アナは戸惑ったような、困ったような、泣きそうな表情を見せた。本当は、辛くて、相談したいのだろう。ただ、だれかを頼ることや、相談することに慣れていないようだ。

 アナが前にいたアレイスタ王都の教会には、ちゃんとした大人がいなかったらしい。

 シャインがヴェルクトの手を強く握り、見上げて来た。アナの代わりに助けを求めるように。

(うん、まかせて)

 小さくうなずいて、笑って見せた。


「猊下」


 フルール二世に声をかける。


「欲しいもの、決めました」

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