元勇者の朝。
生存報告がてらのゆるいお話です。
ヴェルクトとフルール二世の平和な一日。
一週間は七日間。一曜日から始まって七曜日で終わる。
マティアル勅許会社はマティアル教が安息日とする一曜日を休日としているが、ヴェルクトはいつも通り、早朝に目を覚ます。
「ん……」
ベッドを這い出し、着替えを済ます。
マティアル法王国。法王都新市街、マティアル勅許会社社長邸。つまりはバラドの家だ。独身者であるバラドだけの家だったので、豪邸というほど大きくはないが、新しく、しっかりした作りの二階建てだ。
ヴェルクトの部屋は二階、バラドの部屋は隣にある。休日のバラドはお昼頃まで起きて来ない。ちょっかいは出さずに一階に降り、薪ストーブで炙ったパンとチーズ、ジャムを入れたお茶で朝食を済ませる。
武器などは身につけず、動きやすい平服姿で早朝の街に出た。
まだ人気のない往来を抜け、教皇府前広場に出ると、団長ゼエルを筆頭としたマティアル聖堂騎士団の面々が野太い声をあげ、朝の自主訓練に励んでいた。
「おはようございます!」
大きな声で呼びかけると。
「「「おはようございます!」」」
聖堂騎士たちはいい笑顔といい声で、野太い挨拶の津波を返して来る。いつものことだが尋常でない声量だ。耳というより頰の方に刺激を感じる。
聖堂騎士たちの訓練に混ぜてもらって、訓練用の木槍を振るう。ローデスで目を覚ましたばかりの頃に比べると、だいぶ落ち着いてきているが、ヴェルクトの『光の獣』としての闘争本能はなくなっていない。こういう形で発散しておかないと、体がむずむずして落ち着かなくなる。
ヴェルクトの戦闘力は今も常識はずれの水準のままだが、幸いというべきか、槍の扱いは不得手だった。逆に聖堂騎士団は槍術を得意とする戦闘集団であるため、槍同士の多対一、あるいは団長のゼエルであれば、どうにか手合わせが成立する。聖堂騎士団の精鋭たちやゼエルを相手に何度か手合わせをし、突きや払いの適当さを指摘されたりして時間を過ごしていると、広場に見覚えのある人影が現れた。
壮年、額の禿げ上がった、胃の弱そうな雰囲気の聖職者。
「……げいか?」
額の汗をぬぐいつつ、ヴェルクトは呟く。
現れたのはマティアル教の教皇、フルール二世。だが、いつもと雰囲気が違う。供も護衛も連れていないし、服装が地味だ。普段は白に金糸の入った立派な衣装なのに、今日は普通の修道士のような黒装束だ。
「……猊下?」
ヴェルクトと談笑していたゼエルはヴェルクトの言葉を繰り返し、その視線を追う。
そして、
「教! 皇! 猊! 下ァァァァッ!!」
と、咆哮した。
朝の静寂を打ち砕く衝撃波のような大音声とともに、ゼエルはその場に跪く。
ヴェルクトとフルール二世がびくりと反応する中、他の聖堂騎士たちも遠吠えのような声をあげつつ跪いていく。
「「「猊下ァァァァッ!」」」
(……ええと)
礼儀作法についてはグラムから習っている最中だが、こういう場面ではどういう風に振る舞うのが正しいのだろうか。とりあえず聖堂騎士達の真似をして「猊下ァァァァ!」とやればいいのかと思ったが、フルール二世は「いやいやいやいや!」というような顔で激しく首を横に振っていた。
「楽に! 楽にしていてくれていい! お忍びなんだ。お忍び! ほら、お忍びっ! 楽にっ! 静かにっ!」
フルール二世は修道士の衣装を強調するように、自分の胸の布地を引っ張った。
「猊下はお忍びである! 全員起立!」
ゼエルがビシリというと、聖堂騎士達はビシリと起立した。
「休めいッ!」
聖堂騎士達は軽く足を開いた。
質実剛健、忠良無比にして手の施しようがないのが最近の聖堂騎士団の傾向だ。フルール二世は力なく笑ってため息をついた。
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「いや、本当に……申し訳ないね……色々……」
教皇府前広場のベンチに腰掛けたフルール二世は気まずそうに、申し訳なさそうに言った。
「いえ、わたしは、大丈夫、ですけど……」
大変なのはフルール二世の方だろう。同情気味に「あははぁ……」と笑って、ヴェルクトはベンチを取り囲む聖堂騎士団の背中の壁を見回す。
教皇猊下絶対防衛肉壁陣形。とでもいえばいいのだろうか。「猊下をお守りする」という分厚い忠誠心からできた、総勢三十人の男達の防壁である。
お忍びでヴェルクトに会いに来たつもりのフルール二世にとってはいささか分厚すぎ、重すぎる忠誠のようだが。
ヴェルクトが死んでいる間に、フルール二世への忠誠心がやけに上がったというか、熱狂的になった感じだ。
以前の聖堂騎士団は割と独立独歩、上層部何するものぞ、と言った気風があったが、だいぶ雰囲気が変わっている。まぁあくまでフルール二世との関係が変わっただけで、枢機卿達との関係は相変わらず微妙なようだが。
「なんですか? わたしにお話って」
ともかく話を前に進めることにした。
「あ、ああ。実は、買い物に付き合ってほしくてね。うちの准聖女、ターシャの後継者候補でアナという娘がいるんだが、慣れない暮らしと勉強で苦労しているようなんだ。労いのために、何かプレゼントをしようと考えたんだが、何を買えばいいかわからなくてね。それで、君のことを思い出した。ちょうど近い年頃だってね」
准聖女アナ。
名前は知っている。ヴェルクトが死んでいた頃、マティアルの依代となっていた少女だ。
「准聖女さんとわたしだと、趣味が違うと思います。変なこと言っちゃうかも」
教会の准聖女と、物心ついてから最近までずっと戦っていた自分とでは、ものの見方や感じ方がだいぶ違うはずだ。フルール二世の相談に乗るのは難しい気がした。
「私とアナほどは違わないだろう。それと、君にも何か、プレゼントをしたいと思っているんだ」
フルール二世は、少し照れ臭そうにに言った。
「わたしに?」
「ああ、結局君は、何も受け取らなかっただろう? 地位も、領地も、勲章も」
「お金をもらいましたよ? いっぱい」
ガレス、メイシンという二人の魔王、ジルを討伐した報奨金、アレイスタの裏切りに対する賠償金はきちんともらっている。変な事業や投資に手を出したりしなければ一生遊んで暮らせる額だ。
「あれはアスール代王たちの意地のようなものだろう。それとは別に、マティアルの教皇として、君に救われた世界の住人として、何かお礼をしたいんだ。大袈裟なことはかえって困るようだから、君が重荷と思わない程度の規模でね」
「そうですか」
ヴェルクトは小さく微笑む。
フルール二世に聖堂騎士団の面が熱狂し、ターシャやマティアルが信頼を寄せている理由が、改めてわかった気がする。
暖かくて、誠実なのだ。
一見気が弱く、頼りない。気が弱いのは事実のようだが、弱さを乗り越えて、想いや理想、いうべきことを口にできる不思議な強さがある。
「わかりました。どこに行きますか?」




