商人は行く。(本編最終話)
アスール代王は、結局いつまでたっても代王のままだった。
王になれば王冠を被らなければならないが、アレイスタの王冠は王都の戦いで消し飛んでいる。金をかけて新しい冠を作り、戴冠式をやることには興味がないそうだ。
冠が必要な場面では四季折々の草花を使った花冠を被っていたため、いつしか『花冠の代王』という呼び名が二つ名として定着した。高慢、高潔な人柄は相変わらずだが、英明で公正な君主として民や諸侯、諸外国の信頼を集めている。
ミスラーの遺児、ロムス、ロキ、ロトの兄弟は、ロムスが王の耳の名を受け継ぎ、アスール代王の腹心として活躍している。ロキ、ロトの二人は宮仕えをせず、アレイスタから姿を消した。凄腕の冒険者として暴れまわっており、派手な噂話を時々耳にする。
ターシャ、マティアル、教皇猊下は保護した四人の桃色頭、それと意識を回復した准聖女アナ、聖堂騎士団と共に法王国に帰還した。
ターシャとマティアルは勅許会社で確保した土地に治療院を作り、四人の桃色頭と同居し、子育てや奉仕活動に精を出している。
マティアル自身は桃色髪をバッサリ切り、修道女の帽子をかぶっているが、小さい桃色頭たちは野放しでその辺を駆け回っている。
すでに変な噂が色々流れているが教皇猊下が「王都で保護したただの孤児」として押し切ってくれたので、今のところ変な動きはないようだ。
今回の一件を通じて、猊下はだいぶ度胸をつけた。さらに「祈りで異空への穴を塞いだ」「魔王を一喝で退けた」「猊下の祈りで花が咲き乱れた」「黄金の鎧を身に纏い異形の神と戦った」など、様々な流言飛語が飛び交ったおかげで発言力が大幅に底上げされている。いまでは一人でも、枢機卿たちと渡り合えているそうだ。
各種の武勇伝、流言飛語については、本人が一番青い顔になっていたそうだが。
血尿についてはだいぶマシになったらしい。治療院にきて小さい桃色頭たちと接することがいい癒しになっているそうだ。桃色頭たちもよく懐いている。ちなみに桃色頭たちには例の寿命問題はない。マティアルが対策をしたそうだ。
現状一番苦労をしているのは准聖女アナだろう。桃色頭たちの子育てを優先したいターシャが戒律破りを口実に聖女を降りると言い出したため、後継者候補筆頭として勉強漬けらしい。ターシャの被害者同士ということで、猊下と話があうようになって来ているそうだ。マティアルが受肉した今、聖女制度は意味のないものになってきているが、儀礼上いきなり廃止というわけにもいかないらしい。
ボーゼンはまたジースの造船所に戻り、魔導船の研究に精を出している。
ラシュディはアレイスタ旧王都の支店長から異動、イズマや部下たちと一緒にレストン族の領域に向かってもらうことにした。九尾の引退者を主体とした旧王都支店のメンバーは平和な場所での商売には向いていない。今後のレストン族との商売に向けた拠点と人脈作りをしてもらうのが狙いだ。少数民族であり、かつては魔族であったレストン族を保護する防衛力という意味合いもある。
アステルを中心とした九尾の部隊も、旧魔族の領域付近に軸足を移している。魔王ガレスや魔族によって押さえ込まれていた竜族、ゴブリン、オークなどの非友好的種族への抑えが当面の役割だ。金主はアレイスタ、バールなどだが、いつまでも傭兵でやるような仕事ではない。最終的には人族連合による治安維持組織に引き継ぐことになるだろう。
エルフ国サイフェリア、ドワーフ国ヴォークト、ルーナ国、海洋国ジースとの関係は引き続き良好。サイフェリアのユーロック女王がグラムを酒宴に招きたがっていること、ダーレスの盃を見せたがっていることが目下最大の問題だろう。
今回の一件で友好関係を確立したバール竜王国からは、「こっちにも支店を出せ」という要求がきている。
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そしてヴェルクトは、
「バラド!」
子供みたいな声をあげて、素っ裸で飛んできた。
ドン!
露天風呂に水柱を立て、俺の目の前に着水。
「またやりやがったな」
既視感のある構図だ。
水をかぶって降りてきた前髪を、魔導水銀の義手でかき上げる。かつての魔族の領域と人族の領域の端境、南方大密林近くの都市マイラ。魔王軍との戦いの終盤には一大物流拠点として栄えたが、今ではだいぶ鄙びている。
「えへへ」
微妙に学習しているのは、桃色の髪をあげている点だろうか、一応髪が湯に広がったりはしていない。
「えへへじゃねぇよ。グラムはどうした?」
「一緒に来たけど?」
「いるのか? グラム」
露天風呂の仕切りの向こうに呼びかける。
「なんでしょう」
仕切りの向こうからグラムの声が応じる。ちなみに風呂は貸切だ。俺やヴェルクトはいいが、グラムは手足が義肢、背中に魔導回路が埋め込まれている。貸切でないと落ち着けない。
「こいつを男湯に突っ込ませるな。一応若い女だぞ」
最近十歳程度と判明したが、身体的には十代後半の娘に近い。でるところも普通に出ている。
かすかな含み笑いが聞こえた。
「申し訳ありません。気がついた時にはもう」
わざとやらせやがったな。
グラムは俺とヴェルクトが二人一組でいるところを異様に好む。酔った勢いで「社長と勇者様の幸せが私の幸せなんです」とか言うセリフを口走っていたこともあった。
今回のマイラ行きは、最初から三人での旅だ。
世界樹作戦でのヴェルクトとの約束を守るのが三分の一、苦労をかけたグラムをねぎらうのが三分の一、商売が三分の一だ。
グラムの慰労も目的なので、今回はヴェルクトは突っ返さずに泳がせておくことにした。
いや、まて。
「泳ぐな」
「ふへへ」
「ふへへじゃない」
ため息をつく。異形の神にいじられた結果、ヴェルクトの首筋のエメス回路はもうなくなっている。勇者のバイパスもマティアルが回収したため、今の能力は魔王ガレスと戦った時と同程度だそうだ。
「ね、バラド」
湯の中で膝を抱え、ヴェルクトはこちらを振り向く。最近では珍しく真顔だ。
「わたし、大丈夫かな」
「目的語をよこせ」
意味がわからん。
「わたし、カイシャで、大丈夫かな?」
やや不安げな響きがある。
意味はわかった。ヴェルクトは勅許会社で働き始めた。まずはグラムのもとで仕事の基礎やマナー、算術、語学などを習わせている段階だが、だいぶ悪戦苦闘しているそうだ。
「ダメっぽいな。聞く限りだと」
「……」
ヴェルクトは物理的に沈んだ。ぶくぶくと泡が立つ。
「悪かった。沈むな」
冗談が通じる段階ではなかったようだ。
引き上げる。
「知ってるだろうが、グラムは才媛で、しかもお前を自分並みに育てようと考えてる。すぐについてけないのは当たり前だ」
ついていける奴の方が少ないはずだ。
「慌てなくていい。勇者になるのだって時間がかかったはずだ。自分で言ってただろう。たくさんの人間に助けてもらって、守ってもらって、教えてもらって、それでどうにか、やって来たって。他の仕事だって同じで、俺もそうだった。お前も含めたいろんな奴に救われて、教わって、どうにかやって来たんだよ。だから心配するな。大丈夫だ。もしダメだったとしても、俺はお前の側にいる。お前がもういいって言うまで、ずっと側にいる」
ぶっちゃけた話、勅許会社で働かなくても構わない。
ヴェルクトがヴェルクトらしく、幸福に生きていけるならなんでもいい。
「……」
ヴェルクトはまた、物理的に沈んでいく。顔を半分だけ沈めて、またぶくぶくと泡を立てた。
さっきとは泡のリズムが違う。
「……えへへへへへ」
また頭が暖まってきたらしい。
「大丈夫か?」
「うん、平気」
幸福そうに微笑んで、ヴェルクトは「言わないよ」と呟いた。
「もういいなんて、絶対」
「今言えとは言ってねぇよ」
嫁に行くとか、そう言う時の話だ。
どうも想像がつかないと言うか、想像する気が起きないが。
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湯を上がり、逆茂木横丁に出た。
「人、あんまりいないね」
前に訪れた時は大都市さながらの賑わいを見せていた逆茂木横丁は、今は閑散としている。並んでいた屋台も、ほとんどが店をたたんでいた。
「マイラは兵站上の拠点だったからな。戦争が終わったら、戦略的な価値はなくなる。あの店はまだやってるから大丈夫だ」
前にヴェルクトを連れていった焼肉屋は、うちの冷蔵技術をアピールする意味も兼ねた勅許会社の直営店だ。まだ撤退していない。
残っていた何軒かの屋台を回ってから、焼肉屋の屋台のテーブルにつく。客は減ったが、味の方は変わっていない。焼けた肉を口に運んだヴェルクトは、満面の笑顔で「やっぱりおいふぃ!」と声をあげた。
前回同様に皿の山を作っていったヴェルクトだが、何かに気づいたように俺の後方に目をやる。
「ふぃふま?」
口に肉を入れたまま、ヴェルクトは呟いた。
来たようだ。
俺も後ろに視線を向けると、大ぶりの帽子をかぶって歩いてくるイズマの姿が目に入った。
「約束してたの?」
肉を飲み込み、ヴェルクトは首を傾げた。
「ああ、話したいことがあってな。食いながら話そう」
肉と酒の追加を注文し、四人でテーブルと火鉢を囲む。
「話というのは?」
「イズマイズマ」とじゃれつきに行くヴェルクトをあやした後、イズマは俺に問う。
「相談したいことがあってね。この街なんだが、どう思う?」
「寂れたな。他はよくわからないが」
「そこだ。戦争が終わって戦略的価値がなくなった。温泉は悪かないが、この分だと勅許会社も撤退する羽目になるだろう。それが勿体無くてね。で、新しい事業を考えてる」
カバンを開き地図を取り出した。マイラとその南方、つまり南方大密林の地図だ。
「マイラを起点にして、大密林に道をひこうと思うんだ。まずマイラから南東に抜け、ネファール国へ向かう道。レビル山道を使うルートの半分の日数で抜けられる道になるだろう。次は枝分かれをさせてルーナガンへの道、最終的には旧魔族の領域、南方大平原につながる道を作る。それで、レストンの協力がほしい。レストンにとっても、いい交易路になると思うんだが」
「難しいな。今はまだ、レストンは人族へのわだかまりを無くしていない。人族だってそうだろう。道を繋げば、それが新しい争いの火種になってしまうかもしれない」
「それはわかってる。だが、レストンはもともと人族だった。人族の一民族として、他の民族と交流してきたはずだ。アレイスタとの和解は難しいとしても、未来永劫に孤立した民族ではいられないだろう。今の時点でも、不具合が出てると聞いてる」
ラシュディからの報告によると、物資、食料、教育など、どれも足りていない。放っておけば孤立したまま、静かに滅んで行くことになるだろう。
「大平原との道を繋ぐかどうかは、まだ結論を出さなくていい。まずは、うちと商売をしてくれないか。ネファール、ルーナガンへの道作りに協力してほしい。その対価として、金を払い、レストンの領域への物流を確保する。現状だとそう大規模なことはできないが、小規模な商隊を定期で送ることはできる」
ボーゼンの魔導船を使えば小規模物流は可能だろう。
イズマは少し考えた後、軽く頷いた。
「何をすればいい? レストンに人足をやれと言うのか?」
「まずは情報を集めたい。レストンは、ガレスとともに南方大密林を抜けている。その時の話を聞きたい、何があったか、どう言うものを見たか、どのようなものがあったか、そのあたりの話を取りまとめて売ってほしい。その上で南方大密林を調査し、正確な地図を作る。できることなら、その調査にも同行してくれるとありがたいんだが、この辺は無理にとは言えないか」
レストンは南方大密林で辛酸をなめている。当時の証言をとるだけでも簡単には行かないはずだ。
実地調査についてはロキ、ロトの兄弟に声をかけたり、俺とヴェルクトで動いた方が早いかもしれない。
後者は俺のスケジュールの調整が難しいが。
「わかった。やってみよう」
静かに言ったイズマは、そしてかすかに笑った。
「できることから少しずつ、レストンと人族の距離を詰めていく。そう言う話と考えていいのか?」
察しが良くて助かる。
「ああ、そう言う話だ」
かつては人族だった。だがアレイスタの圧力と、ジルの悪意によって変質させられたのが魔族であり、レストン族だ。このまま孤立の中で、歴史の影に消えさせるわけにはいかない。世界との溝を少しづつ埋めて、世界のとのつながりを取り戻す。
それがこの事業の最終的な目標、そして最初の目的だった。
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「道のこと、いつから考えてたの?」
マイラからの帰りの馬車の中で、ヴェルクトが訊ねてきた。
とぼけようかと思ったが、やめた。察しはついていると言う顔だ。
「お前に手紙をもらってからだな」
魔王ガレスとの決戦の直前、魔族とレストン族の真実を知ったヴェルクトは俺に相談の手紙を送ってきた。そこから今まで、検討を続けてきた。
「ありがとう、バラド」
ヴェルクトはにへらと笑う。
「本当に大変なのはこれからだがな。商売ってのはな、始めるだけなら簡単なんだ。やり続けて、やり抜く、成り行きや状況に応じて修正する。最初から最後まで注意を払い続け、判断し続けていかなきゃならない」
「戦うことより大変?」
「似たようなもんだ。世界の命運を背負って戦うか、社員や取引先の生活を背負って駆けずり回るか。例えが悪いか。それだとさすがに世界のほうが重いな」
苦笑し、少し間を取った。
「まぁとにかく、俺たちの仕事はこれからが本番だ。戦いは終わったが、戦いで途切れちまったものを、だれかが繋ぎ直さないといけない。物の流れや人の流れを、誰かが整えていかなくちゃいけない。それこそが商人の使命……とまでは思わないが、そういうことで金を儲けていけるのが商人のいいところだ。そのぶんクソ忙しくなるがな」
「うん、わかった」
珍しく最後まで聞いて、ヴェルクトは頷く。
「よし。だが、無理はするなよ? もう魔王はいない。ジルもいない。異形の神も、もうこないだろう。誰かと戦って、倒すことで決着がつく時代じゃない。はっきりした終わりのない毎日の中で、少しずつ働きかけて、動き続けて、世界を立て直す。そして、作って行くんだ。俺たちや、俺たちの大切なものが、幸福に生きられる時代を」
我ながら、どうしようもない理想論だ。
全てを成し遂げることはできないだろう。
結局最後は想いのこしを、やり残しを残して行くことになるだろう。
全てをやり遂げるには、人生ってやつは短すぎる。
それでも、行けるところまで行こう。
やれるだけのことはやろう。
ヴェルクトと、仲間たちと一緒に。
ヴェルクトが守った世界が、ヴェルクトが愛した、ヴェルクトを愛してくれた世界が、少しでも幸福な場所であるように。




