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勇者の商人  作者:
世界樹作戦

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64/85

虚ろの穴は消えてゆく。

 ヴェルクトは花吹雪を抜け、高度をあげる。

 異空への穴を塞いだ黄色い肉塊は既に消し飛んでいる。もはや行く手を阻むものはない。

 ここまでくれば、問題なくことを終えられるはずだ。そう信じて、俺は勇者ヴェルクトの後ろ姿を見送っていた。

 それ・・がこちらを覗き込む瞬間までは。

 それ・・は、空の穴の向こうに忽然と浮かび上がった、おぞましいほど巨大な金色の瞳。

 悪寒と吐き気が走り、全身が総毛立つ。

 予備知識があったわけじゃないが、わかった。

 異形の神の眼だ。

 肉塊を消しとばしたのはいいが、刺激しすぎたのだろう。

 異形の神を目覚めさせ、興味を引いてしまった。


「ヴェルクト!」


 戻れと叫ぶべきなのか、穴を閉じろと叫ぶべきなのか、わからなかった。

 それを判断する時間さえなかった。

 黄金の瞳は、現れた時と同じ唐突さで掻き消える。

 穴に向けて飛翔していた、ヴェルクトの姿と一緒に。


「ヴェルクト!」


 もう一度、名前を叫ぶ。


「ヴェルクト! おい! ふざけるな! こんな! こんな時に迷子になるやつがっ……」


 返事は戻ってこない。

 代わりに、微かな笑い声が聞こえた。

 聞き覚えのある哄笑。

 狂気を帯びた、恍惚とした声。

 だんだんと高く、大きくなっていく。

 声の主はヴェルクトが姿を消したあたりに浮いた赤い煙のようなもの。

 それはじわりと色を濃くして、黒いドレスを纏い、赤い光の翼を背負った女の姿になる。

 ジル。

 ヴェルクトが消えた結果、封印が緩んだのだろうか。復活したというよりは、どうにか封印を這い出した状態らしい。体は幽霊のように透けている。額の四角錐は折れ曲がり、羽根は右側に一枚だけ、左半身と頭の一部はえぐれたようにかけ落ちていた。

 ひどい状態だが、気分は最高のようだ。

 壊れたような笑い声をあげ、満面の笑顔で俺の方を振り仰ぐ。


「ざぁ・ん・ねぇ・ん・でっ・しっ・たあぁ」


 残っている右腕を大きく広げ、狂った喜悦を帯びた声で、妙なイントネーションをつけて告げる。


「みんな、一生懸命頑張りました。でも、頑張り過ぎてしまいました。父なる母の好奇心を刺激して、勇者は! 連れて行かれてしまいました! もうこの世界には帰ってこられません。父なる母が飽きたら、もしかしたら、帰ってこられるかもしれません。でもその時には、この世界には誰もいません! 待ってる人は誰もいません!」


 相当怒らせていたようだ。ボロボロの体で天を仰ぎ、ジルは血を吐くように笑い続ける。


 どうしたもんかな。


 放っておいてもいいんだが、一応、教えてやることにした。

 ジルの斜め後ろに視線をやり、告げた。


「ご機嫌なところ悪いんだが。戻ってきてるぞ・・・・・・・


 警告してやったが、結局、遅かったようだ。

 空の穴の向こうから、緑の稲妻のようなものが飛び出してくる。

 緑の光の翼を広げ、大剣を携えた、桃色頭の勇者が飛んで来る。

 ジルが振り向いた時には、勇者ヴェルクトはもう、その目の前まで飛び込んでいた。

 今のジルとヴェルクトじゃ、戦いなんか成立しない。

 ヴェルクトはヴァイス・レキシマの一閃でジルの首をはねとばすと、そのままの勢いで俺のそばまで戻ってきた。


「ただいま! ごめんなさい! 心配かけちゃって!」


 本人は真剣な顔だ。反省もしているようだが、反応しにくい。

 驚いたし、動揺もしたが、「心配したんだぞ」というには、さすがに帰りが早すぎる。

 あえてコメントはせず、ただ、安堵の息をつく。


「一体何があった」


 ジルの言葉通りなら、異形の神によって「あっち側」に引き込まれていたはずだが、意味がわからないほどあっさりと戻ってきた。

 ヴェルクトが返事をする前に、またジルが騒ぎ出した。

 ジルは不死不滅とかいう厄介な特性を持っている。飛ばされた首は赤い煙のようになって消え、また新しい頭が生えていた。だいぶボロボロというか、えぐれ具合がひどくなっているが。

 もう、顔と頭は半分くらいしか残っていない。

 その顔には、もう喜悦の色はない。混乱と恐怖、絶望の色がはっきりと浮き出ていた。


「どうして! なんで戻って来れるの! そんなの! そんなこと!」


 怯えたように、泣き叫ぶように繰り返すジルの頭上に、再び巨大な瞳孔が浮き上がる。

 さっきと同じ、金色の瞳。

 異形の神の眼だ。

 今度は穴の向こうじゃない。完全に、こちらの世界に入り込んでいる。

 ぞっとしたが、ヴェルクトは「大丈夫」と言った。


「ちゃんと、話はしてきたから」

「話? 異形の神とか」

「うん、世界樹砲ユグドラシルバスターで起きてくれて」

「……なるほど」


 あれで起こしても問題なかったらしい。

 心配していたよりおおらかというか、大雑把な存在だったようだ。


「話す時間なんかあったのか?」


 異形の神というのは、別にこの世界の敵というわけじゃない。覚醒状態ならば対話と交渉の余地もあるらしいが、まともな対話ができる時間はなかったはずだ。


「いっぱい話したよ。異形の神様は時間の流れもいじれるから、こっちの時間は少ししか経ってないんだけど」

「そこまでケタが違ってるのか」


 大きさだけでなく、もっと根本的なところから俺たちとは次元の違う存在らしい。ヴェルクトの認識が「心配かけちゃってごめんなさい」で、俺の感覚が「まともに心配する前に戻ってきた」なのも、異形の神が時間の流れを調整した影響だろう。

 金色の瞳の下に人影が現れる。

 額に白い四角錐、背中に緑の光翼を生やした桃色の髪の女。ヴェルクトをもう少し成長させたような雰囲気だ。


「マティアルか?」


 ヴェルクトはうなずく。


「私の中にいたマティアル様を、異形の神さまがまた別々にしてくれたの」

「ちょっと待て、別々って」


 マティアルが同化したのはヴェルクトの寿命を延ばすためだ。勝手に別々にされたら困る。


「わたしの体は大丈夫。異形の神さまが命を分けてくれたから」


 わけのわからない命を適当に受け入れやがって。

 マティアルの生命の出元も結局異形の神だ。結局は同じことなのかも知れないが、さすがに不安になってくる。

 俺とヴェルクトの姿を見下ろし、少しだけ微笑んだマティアルは、そこからすっと降下して狂乱したジルの前に立った。

 事務的なトーンで、静かに告げる。


「父なる母は全てを認識し、修正を決定しました。ジル、あなたは観測者の資格を剥奪され、廃棄物として処理されます」


 ジルは身を翻す。逃げだそうとしたようだが、叶わない。

 動こうとした時にはもう、緑色の光の箱の中に閉じ込められていた。


「不死性、不滅性を剥奪しました」


 緑の光の箱が縮み始める。

 箱の中のジルが泣き叫ぶ。声は箱が吸い込んでしまうのか、もう何も聞こえなかった。


「これが、貴女が選んだ結末です」


 マティアルは淡々と続ける。感情の色のない、平坦な声で。


「精神の熱に溺れ、他者の世界に過剰に介入し、他者を道具として弄んできた。そして最後は自分自身が、壊れた道具として廃棄される。ただのゴミとして、潰れて消える」


 緑の箱の中で、ジルは潰され、形を失う。


「さようなら、廃棄物ジル」


 緑の箱は小さな光の点のようになり、消え失せた。

 最後に残った問題は、この世界と異形の神の世界とをつなぐ穴。

 異形の神から対処を任されているんだろう。マティアルは穴に向けて飛翔し、手を伸ばす。

 そして、


「あ」


 妙に間の抜けた声をあげた。

 戸惑ったような顔になったマティアルは、そこから何もしないで俺たちのところまで降りてきた。


「あの、ちょっと、いいですか?」


 ふわふわした調子の声。見た目は大人っぽくなったし、ジルを消した時は凄みがあったが、基本的には准聖女に憑依していた時のままのようだ。


「どうかしましたか?」


 とりあえず、敬語で対応することにした。


「あの穴なんですけれど、自分で塞がろうとしてるみたいなんです。メイシン王子の意識がまだ残ってるのか、それとも、残留思念の影響かは判断できないんですが……どうしますか? すぐにふさぐことは簡単ですが」

「最後までやらせてやるかどうか、ですか?」

「はい」


 マティアルは頷いた。


「どうしたい? お前は」


 まずは被害者ヴェルクトに確認することにした。

 ヴェルクトは空の穴を見上げる。

 珍しく困ったような、複雑な表情を見せた後、小さく息をついて言った。


「わたしは、やらせてあげたい。バラドは?」


 やはり、恨みつらみの感情は薄いようだ。

 心臓と呼吸を止められ、ガラスの棺に入れられていたことはあまり意識にないんだろう。

 そもそも死んでいたという自覚も薄そうだ。

 ならば、答えは簡単だった。


「待ってやるか。魔王メイシンは俺たちの敵だった。ダーレスや、ジルの道具として終わっただけの、情けないだけの魔王として終わられたら、こっちも格好がつかないからな」


 これが、メイシンが自分の意思を貫く最後の機会になる。最後の最後まで、どうしようもない、痛ましいだけの男として終わられたら、こっちも寝覚めが悪い。

 マティアルは頷く。


「わかりました。待つことにします。縮小が止まるようなことがあれば、すぐに手を打ちますので」


 マティアルはそう言ったが、穴の縮小は、最後まで止まることはなかった。

 俺たちが見守る前で、異空への穴は静かに、確かに小さくなってゆき、かき消えた。

 それと同時に、空に浮いていた金色の瞳も姿を消す。


「これで、終わりか」

「うん、終わったよ。ぜんぶ」


 ヴェルクトが頷く。

 既に聖魔土は運用可能時間を過ぎ、実体化を解除してある。だが、世界樹砲ユグドラシルバスターで生やした木々はそのまま残っていた。使ったエネルギーが大きすぎたせいで、実体化を通り越して定着してしまったようだ。


「大丈夫なんだな、異形の神の方も」

「異形の神さまは、穴が塞がるのを確認してくれてただけだから」

「そうか」


 ただの見届け役にしては、とんでもない重圧感だった。一応無害という連絡は入れてあるが、後方の兵士たちも生きた心地がしなかったようだ。吸精回路ドレインで疲弊した状態のまま、凍りついたようになっていた。

 脳内魔導回路を使い、俺は最後のメッセージを飛ばす。


「異空への穴の封鎖に成功。異空より侵入した金色の瞳の退去を確認。現時点をもって、世界樹ユグドラシル作戦の終了を宣言します。皆さんのお力に、世界の人々の祈りに、この大地の力に感謝を。戦いは、終わりました。勇者は……ヴェルクトは、元気でいます」


 吸精回路ドレインでふらふらのはずの兵士たちが、歓声と雄叫びをあげた。

 この世界に残ったままの異空の花びらを風が巻き上げ、花吹雪が再び舞った。

 戦いの終わりを、この世界を、祝福するように。

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