その時は訪れる。
「めちゃくちゃだ」
教皇猊下が煽りまくった将兵十万の咆哮は、俺たちのいる王都の西部丘陵まで轟いたばかりか、地面までビリビリと震わせていた。
「すごいね、教皇様」
ヴェルクトは微笑む。
「昨日からずっと、世界中から、凄い力が押し寄せて来てるし」
「それも猊下なのか?」
「うん、たぶん。教皇様が動き出したあたりからだから」
「珍しくというか、はじめて枢機卿どもを怒鳴りあげてたからね。世界中の教会で礼拝をやってる。正午が近づいたらもっと増えるはずさ」
ターシャが悪い笑顔で言う。
「なんなんだろうな。あのお人は」
自覚はないようだが、アスール王子やヴェルクトなどとは別の種類の怪物だろう。
「前から素養はあったと思うんだけどね。あそこまでになったのは本当に最近さ。まぁ大体、コレの影響だろうね」
「コレか」
ターシャと俺は桃色頭に視線をやった。
「どれ?」
コレは怪訝そうな顔をする。
○
○
○
○
○
ルヴィエーン王から龍脈調整完了の連絡が入ったのは正午の鐘が鳴る直前だった。
『龍脈の調整全て完了した。ぎりぎりまで待たせてすまなかったな』
「いえ、ありがとうございます。最後の最後まで」
本来なら一日やそこらで「全て完了」するような仕事ではなかったはずだ。
『我々とてあんな肉に埋もれて死ぬのは御免だからな。あとのことは社長、あなたに託す』
「はい、ご期待は裏切りません」
ルヴィエーン王とのやりとりを終え、グラムに声をかける。
「龍脈の調整が終わった。戦争回路の起動を頼む」
「はい」
グラムは静かに頷くと、丘陵の草原の上に搬送された戦争回路に向けて歩き出す。それを取り囲む形でユーロック女王たちが同行していく。エルフの血が入っていると言うことで、グラムに親近感を覚えたらしい。グラム本人はエルフとは関わりの薄い人生を送ってきているので、やや戸惑い気味のようだが。
エルフたちの役割は目隠しだ。戦争回路との接続の関係で、野外で服を脱がなければならないグラムをぐるりと取り囲んで、服と眼鏡を預かる。代わりにユーロックの白い薄布のマントを着せ、戦争回路の上へと導いていく。
「ありがとうございます。ユーロック女王」
「いえ、これくらいのことしかして差し上げあげられなくて」
戦争回路の神経伝達キャノピーの上に佇んで礼を言うグラムに、ユーロック女王は微笑んで応じる。
「この一件が終わったら、お食事をご一緒しませんか? 裏切り者の頭蓋を盃に」
綺麗な笑顔だったが、最後で話がおかしくなった。
現時点で残っている裏切り者の頭といえばダーレスの頭だけだ。
殺る気はまだ健在らしい。
「その、ささやかな席であれば……」
さすがに返答に困ったようだ、曖昧な調子で応じてから、グラムは薄布のマントを脱いだ。
「始めます」
ユーロック女王にマントを返し、告げる。
「全身没入」
グラムの体が赤いゲル状物質の中に沈む。
王都の決戦で使った半身接続ではなく、全身をキャノピー内に没入させるやり方だ。体の負担が大きいのでやるなと言っていたやり方だが、今回ばかりは全身没入でないと仕事がこなせない。空気については、赤いゲル状物質が供給してくれるため、窒息の心配はないらしい。
断片回路を通じ、グラムの声が響く。
『戦争回路、起動しました。戦術情報通信網構築完了。戦術地図作成、情報投影完了。共有します』
脳内魔導回路を通じて戦術情報通信網に接続すると、戦争回路が作り出した三次元地図を頭の中に映し出された。
膨れ上がる異形の神の姿や体積、質量。地上に展開する俺たちと十万の兵の情報。龍脈のエネルギーの流れ、そして勇者めがけて渦を巻くように集まり、集約されていく『緑』というエネルギーの動きなども表示されていた。
(この『緑』ってのは?)
戦術地図を閲覧できるのは、戦争回路の管理者であるグラムと、利用者権限を持っている俺の二人だけ。声は出さずに脳内魔導回路経由で訊ねた。
(祈りの力のことです。昨日に比較して、およそ十六倍の数値に達しています)
えらいことになってるな。
(教皇猊下か)
(それもありますが、我が社の社員たちの働きも大きいようです)
微笑むようにグラムは言った。
(そうだったな)
世界中の社員たちが、今も世界中を駈けずり回ってくれている。
今この時に、ありったけの祈りと、力をかき集めるために。
○
○
○
○
○
そして正午が訪れる。
マティアル教会の鐘楼が時を告げる中、ヴェルクトは緑の光の翼を広げた。
「先に始めるね」
「ああ」
同時に動きたいところだが、リブラ・レキシマの冷却にはまだ少し時間がかかる。
ヴェルクトの動きに反応した大牡羊が空間を渡り、金色の鎧となって勇者の体を覆う。
ヴァイス・レキシマを手に、ヴェルクトは空中に舞い上がる。
そして、祈りを力に変える。
俺たちの想いを、レストン族からの祈りを、十万の将兵の意思を、各地の教会からの祈りを、世界中の祈りを、『幸いあれ』という想いを受け止め、眩く輝く緑の翼として広げていく。
二枚の翼じゃ収まりきらないらしい。
膨れ上がった翼の長さが三十ヤードを超えたあたりで翼は枝分かれし、四枚、八枚と倍々に増えていく、最終的には長大な翼が左右に八枚と斜め後方に八枚、合計十六枚という形に落ち着いた。
「デタラメだ」
緑の光の塊のようになった勇者を見上げて呟く。
勇者は「えへへ」と笑う。
「また、強くなって来てるみたい。みんなの力」
「そうみたいだな」
各地で祈りが始まったせいだろう。正午をすぎたあたりから、王都に集まる『緑』の数値が更に、爆発的に跳ね上がってきている。
「予定通り行けそうか? グラム」
ここまで来ると、出力オーバーの方が心配だ。
少し間をおいて、返事が返ってきた。
『かろうじてですが許容範囲内です。砲身の補強率を上げなければいけませんが』
やはり想定以上の数字が出ているようだ。
俺のリブラ・レキシマの冷却時間も終わる。
カシン、と音を立て、リブラ・レキシマの安全装置が外れる。
カードホルダーからウリエル、モロクの二枚の異空符を取り出し、セットした。
【異空符ウリエル、異空符モロク、確認。天秤回路起動可能】
空に浮く黄色い肉塊を見上げ、告げる。
「よし、始めるぞ、ヴェルクト、グラム」
「うん!」
『はい』
天秤回路を始動する前に、全ての断片回路にメッセージを飛ばす。
「これより世界樹作戦を発動します。これが勇者ヴェルクトの冒険の、私たちの戦いの、この時代の総決算となるでしょう。私たちの持てる力を、引き出しうる力を全て連ね、異形の神をうち払う。教皇猊下のお言葉通り、全員の力で、全員の未来を拓く。行きましょう。世界樹作戦! 発動します!」
リブラ・レキシマを天に掲げ、トリガーを引き絞る。
【天秤回路起動。異空鎧、聖魔土展開】
黄金の丸盾が輝く。
金と銀の粒子に変わって、竜巻のように渦を巻く。




