勇者の剣は光を放つ。
「どうして」
ジルは声を震わせた。
あまりにも異常すぎる。
異質すぎる。
超越的すぎる。
ジルが作ったどんな魔王も、ジル自身も、ここまでの力は持ち得なかった。
マティアルが作った勇者も、マティアル自身も、ここまでの力を持ちえたことはないはずだ。
「どうしたら、そんな、化け物みたいな力が……」
再び眼前に舞い上がってきた少女の姿を血走った目で見据え、呪詛のようにつぶやく。
「わたしは、本物の勇者じゃなかったから」
桃色の髪の少女は、静かに応じる。
「バラドに、みんなに助けてもらわなかったら、どうしようもなかったから。本物の勇者だったら簡単にできたはずのことも、一人じゃできなかったから。ずっと、誰かに助けてもらって、ずっと、誰かに護ってもらって、ずっと、誰かに教えてもらって。そうやって、戦って来たから」
そう告げて、少女は少しだけ微笑んだ。
「だから、得意なの。こういう戦い方」
きっと、本物の勇者より、長い時間をかけて進んできた。
きっと、本物の勇者より、多くの人の力を借りてきた。
きっと、本物の勇者より、多くの絆を紡いて来た。
ずっと、そうやって、戦ってきた。
そうして繋いできたものが、今、途方もない力になって、ヴェルクトを支えている。
本物の勇者すら、持ち得なかったような力となって。
「わたしは、あなたを許さない。ガレスの心に踏み込んで、魔王にしたあなたを、わたしの大事な人たちと、その大事な人たちが、苦しみながら生きなくちゃいけない時代を作ったあなたを。メイシン王子を魔王にして、また、同じことを繰り返そうとしてるあなたを。メイシン王子をめちゃくちゃにしたあなたを」
「えっ?」
ジルは大仰に、嘲るように返す。必死の嘲弄だった。勇者ヴェルクト。この時代が選んだ勇者。この時代が育てた勇者。綺麗事から出来上がったような怪物から、その本性を、闇と呪いを引き出そうと。
そうでなければ、耐えられない。
こんな綺麗事の塊のような、偽善の塊のような存在にだけは、負けたくない。
ジルを討つ刃があるとすれば、毒と憎悪をたっぷりまぶした凶刃こそふさわしい。
呪いと祈りの螺旋の果ての、生の感情をたっぷりと塗りつけた刃でなければならない。
分厚い祈りに護られた小娘の、光の剣など願い下げだ。
だから、ジルは嘯く。
少女の心を少しでも揺らそうと、穢そうと。
「ガレスを魔王にしたのは、この国の王様よ? この国の王様がレストン族の土地をほしがらなければ、ガレスは私と契約なんかしなくてよかった。それにメイシンをめちゃくちゃにしたのはあなた。メイシンがあなたの名前を叫んでる理由、わかる? あなたが憎くて、あなたが羨ましくて、ああなったの。あなたに出会う前からずっと、メイシンは苦しんでた。誰からも愛してもらえないって。そこに現れたのがあなただった。人間ですらないくせに、ひとりぼっちで苦しんでるメイシンの前で、愛されて、護られてる姿を、これ見よがしに見せつけて、メイシンの孤独には気づきもしなかった。メイシンが壊れたのは、ヴェルクト、あなたのせい」
○
○
○
○
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ジルの指摘は、嘘ではないのだろう。
メイシンの孤独に、メイシンの憎悪に、ヴェルクトは気づいていなかった。見せつけていたという意識はさすがにないが、ずっとバラドに護ってもらっていたのは事実だ。
少なくとも、孤独であったことはなかった。
メイシンの実兄であるアスール王子とも親しくやりとりをし、アスール王子の佩剣であったアガトス・ダイモーンを譲り受けたりもした。
そういうところが、メイシンの中の何かを傷つけていたのかもしれない。
責任がないとは言えないだろう。
だが、それは、ジルを相手に語るような話ではない。
「関係ない」
切り捨てた。
「ガレスとこの国の王様の問題には、あなたは関係ない。わたしがメイシン王子の気持ちに気づけなかったことと、あなたがメイシン王子をそんな姿にしたことには、なにも関係ない」
「偽善者!」
ジルは叫ぶ。嘲弄しようとしているようだが余裕の色はない。
むしろ、断末魔のような声だった。
「結局あなたは、メイシンを殺すんでしょ? 魔王として、あなたを殺そうとした男として」
「関係ない」
ヴェルクトは繰り返す。
「誰にだって、触っちゃいけないところはあるし、見せたくないものがある。あなたは今、そこを踏みにじってる。だから私はそこに怒る。私を殺そうとした、魔王になっちゃったメイシン王子のことも怒る。全部怒って、全部、ここで終わらせる。この戦いを、あなたが作ったこの時代を」
少女は加速する。
再びメイシンが眼前に飛び出してくる。二度目なのでもう驚きはしない。大きく羽ばたいて角度を変え、頭上高くに舞い上がる。
高度を上げつつ、勇者の鎧の兜を外した。
告げる。
「形態変更、勇者の剣光」
勇者の兜が光を放ち、金の光の塊に変わる。それを、ヴァイス・レキシマの刀身に押しつけた。光の塊が刀身に吸い込まれ、ヴェルクトの剣は金の光を放つ。
勇者の剣光。
マティアルが持つ唯一の眷属である大牡羊のいくつかの姿の一つ。剣と同化することで、勇者の剣を作りだす。教皇の乗り物と勇者の剣と鎧が同一存在の別形態というのは少し不便だが、分けると分けただけ力が分散するため、こういう形にしているらしい。
緑の光の羽根を花吹雪のように周囲に散らしつつ、勇者の剣となったヴァイス・レキシマに魔力を注ぎ込む。
輝く刀身に電光が走る。
緑の光の羽は、勇者の鎧の光の花びらの上位互換のようなものだ。呪いの力を阻害し、受け止め、切り裂くことができる上、魔流回路などがなくても、思考と無意識によって制御できる。メイシンの体から伸びてくる触手群、ジルが放つ魔力光を光の羽根が切り裂き、受け止める。
ジルは苛立ったような表情をみせ、ヴェルクトの周囲に眼球剣を円盤にしたような回転刃を身体の周囲に大量生成した。
勇者は最後の合図を送る。
「バラド!」
○
○
○
○
○
「ああ、受け取れ」
準備はとっくに済んでいる。
グラムから渡された黄金の丸盾、リブラ・レキシマのプロトタイプを天に向け、トリガーを引く。
【天秤回路起動。異空鎧、聖魔水展開】
異空符ガブリエル、異空符レヴィアタンの二枚のカードを中心に、丸盾は金と銀の光の粒子に変わる。
聖魔焔、聖魔土の異空鎧は金の粒子が金の鎧となり、銀の粒子が銀の武装になるが、聖魔水は最初から、完全に勇者専用として設計した異空鎧だ。武装はヴァイス・レキシマを使うことが前提になっている。二種類の粒子は青と無色の水の粒子となって空間を超え、裾の長い、濃い青色の長衣となってヴェルクトの身を覆う。
異空鎧、聖魔水。
妙な感慨が胸を横切る。
レキシマ計画の一環として作り出した。だがガレスとの戦いには投入できなかった鎧。
俺たちが作った、俺たちの勇者のための鎧。
ようやく、届けられた。
(使い方は覚えてるな。いくらか改良してあるが、扱い方は同じだ)
試作段階のものを、前に試させたことがある。
『うん、任せて』
ヴェルクトの返事と同時に、ジルは狂乱したような勢いで動く。
虚無の渦が、ヴェルクトの周囲に浮いた数千の回転刃が、触手からの魔力光が、全方位から襲いかかる。
だが、無駄だ。
殺到する悪意と殺意はヴェルクトの体に触れることなく狙いを外し、静止していく。
聖魔水の機能は二つ。異空体ガブリエルから引き出す流水、そして異空体レヴィアタンから引き出す止水。
万象の流れを変える機能と、止める機能。
破壊的な力は全て、その軌道を歪められ、あるいは静止させられて、無力化されていく。設計以上に影響範囲が広く、支配力が強いようだ。勇者のバイパスのパワーのおかげだろうが、その分リブラ・レキシマの負荷も大きくなっている。普段ほどの稼働時間は維持できないだろう。
(一気にケリをつけろ。お前の力でリブラ・レキシマの回路が……)
『わかった! 任せて』
最後まで聞け。
ため息をつく俺の頭上で、ヴェルクトは最後の構えに入る。
勇者の剣を体の後ろに構え、呼吸を整える。
「斬影か」
ネシス王がつぶやく。
「勝てるか?」
答えがわかって聞いている顔だ。ネシス王の顔に、焦りの色は感じられない。
「ずっと世界の先頭に立ってた、世界に支えられて立ってるやつが、世界の裏を這い回ってただけのやつに、一人っきりのやつに、どうして負けるんです」
これで終わりだ。
いや、もう、終わっている。
ヴェルクトが帰ってきた時、あるいは、ヴェルクトが「ありがとう!」と叫んだ時に、ジルの命運は終わっていた。
かすかに揺れていた勇者の剣の切っ先が静止する。
勇者は踏み込む。
緑の翼を翻し、青と金色の光の残像を残して。
言葉にならない咆哮をあげ、ジルはさらに大量の魔力光、虚無の渦、回転刃を放つ。
だが、届かない。
勇者は止まらない。
ジルの力は全て受け流され、静止させられていく。
ジルをかばうように、いや、ジルに突き出される形で、メイシンの体が飛び出してくる。狂気めいた声で、ヴェルクトの名を叫びながら。
勇者はためらわない。
完璧な呼吸で、寸分のブレもない太刀行きでメイシンの横腹を捉え、胴体を両断する。 勇者の剣を切り返し、ジルを見上げて、鼻で息を吸う。
呼吸を止めるな。
ヴェルクトに竜騎剣術を教えた竜騎士ラヴァナスが言い続けた言葉。
ヴェルクトは二手目を放つ。
腰だめじゃなく、アスール王子の袈裟懸けに似た姿勢からの斬撃だが、これも斬影だ。
呼吸を通じて自らの心の影を断ち、神速無心の斬撃を放つ、斬影とはそういう呼吸と意識の境地なんだそうだ。俺には全く理解の及ばない話だったが、今のヴェルクトの剣は、多分、その領域に達しているんだろう。
剣術などまともに学んだこともない。ただ、人の情念を弄び、呪詛を貪ることに溺れてきただろう存在には勿体無いほどの速度と精度で疾り、勇者の剣はジルの胸部を捉える。
人の目には見えない、ジルの本質を正確に捉え、断ち切った。




