悪しきものは狂乱する。
「八連励起」
ヴェルクトはヴァイス・レキシマの八つの魔導回路を同時に立ち上げる。ガレスとの戦いの時は同時に使えるのは三つくらいが限度だったが、今は八つの魔導回路を一度に、全部使える。
鋭刃回路。
強靭回路。
聖焔回路。
賢人回路。
遊刃回路。
巨刃回路。
防楯回路。
断片回路。
刀身から生じた白い焔が勇者の身を覆い、体の左側には擬似物質で構成された浮遊式ナイフ、遊刃が七本。右側には透明の擬似物質でできた浮遊式の盾、防護者が一枚現れる。
巨刃回路の機能でヴァイス・レキシマの刀身を光刃で覆い、刃長を三ヤードほどまで延長。
「行くよ」
まずはジルを無力化。そこから空中の眷属たちを止め、メイシンの魔王のバイパスを破壊する。
ヴァイス・レキシマを携えたヴェルクトと対峙したジルは、異様な仕草をした。
内側にメイシンを収めた半透明の腹の肉に手をかけ、自ら割り開き始める。
生理的な嫌悪感を誘うような動き。
なにをしようとしているかわからない。
なにもさせない方がいい。
切るべき場所、ジルの本質の在り処はわかっている。ヴェルクトの中に混じったマティアルとは、もう言葉はかわせない。だが、第六感的な形で道を示してくれていた。
ヴァイス・レキシマを体の後ろ、腰だめに構える。
鼻から息を吸い、唇の隙間から、ゆっくりと吐き出す。
竜騎剣術、斬影。
魔王ガレスを倒した剣。
光の翼で急加速し、稲妻の速度で距離を詰める。
だが、ヴェルクトを待っていたのはジルではなかった。
ジルの腹からびっくり箱のように飛び出した、顔のない男の上半身。
メイシン。
下半身にみっしりと絡みついた触手の束によって、ばね仕掛けのようにヴェルクトの眼前に突き出された男は、救い難い咆哮をあげて少女に手を伸ばす。
「ヴェルクトォォォォォォォォォォォッッッッッ!」
呼吸と、思考が止まった。
ヴェルクトも悪意や憎悪を知らないわけではない。だが、あまりにも変わり果てた姿から、聞き覚えのある声で放たれた、底が抜けたような悪意の咆哮。身を強張らせた少女の首に、メイシンは手を伸ばす。
浅ましい感情の赴くまま、自らの醜悪、醜態を振り返る理性も、誇りも失って。
顔のない魔王の腹や背中から四角錐の触手が突き出し、紫の魔力刃をまとってヴェルクトに襲いかかる。
ジルもまた、勇者を切り刻もうと、脚部の触手から細い糸状の魔力光を放った。
○
○
○
○
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いきなりやりやがったか。
ヴェルクトの動きを封じるには、メイシンを突き出してやるのが一番簡単だ。
ヴェルクトはメイシンの裏切りを把握しているが、実際に魔王になったメイシンを見るのも、顔のないメイシンを見るのも、これが初めてだ。
仕掛けようとした瞬間にあんな狂ったものを見せられたら、あんなものに名前を呼ばれて詰め寄られたら、誰だって呼吸を乱す。
実際に最低最悪のびっくり箱だ。
だが、予測はできた流れだ。
好きにはさせない。
「援護を!」
口と脳内魔導回路の両方を使って叫ぶ。
それ以上の言葉は必要なかった。ヴェルクトの身を覆う光の鎧がグラムの操作で光の花びらに戻って飛び散り、メイシンの体や触手を切り裂いて引き剥がす。
俺の方でも戦争回路の通信網経由でヴァイス・レキシマの防楯回路に外部接続、下方から放たれたジルの魔力光の防御を命じた。
防護者が下方に回り込み、ジルの魔力光を受け止める。
さすがに凄まじい威力だ。防護者は瞬く間に赤熱し、溶解し始める。
続けて遊刃回路に外部接続、七本の疑似物質のナイフを切り込ませ、魔力光の発生源である触手を切り裂いて行く。
その間に側面から飛び込んだ巨大な影が、ヴェルクトの身柄を横からかっさらった。
黒騎竜エム・レスカード。
ネシス王の指示で突っ込んできて、ヴェルクトの体に尻尾を引っ掛けて飛んでいった。巨体からは想像のつかない俊敏さだ。
「追わせるな! 釘付けにしろ!」
アスール王子とボーゼン、ルヴィエーン王、ターシャ、イズマが魔法や鎧の光弾、光刃などで牽制し、さらに障壁を張り巡らせてヴェルクトとジルの距離を確保する。
(大丈夫か?)
エム・レスカードの背中に乗せられたヴェルクトに、ヴァイス・レキシマの断片回路を通して呼びかける。
『うん、平気。びっくりしたけど』
やはりショックが大きかったようだ。声に震えがある。
(まあ、ありゃな。誰だってビビる。やれそうか?)
どう考えても、戦いやすい相手じゃない。
『大丈夫。マティアル様が教えてくれたの。今のメイシン王子は、私への嫉妬と憎悪だけをむき出しにされてるって。誰にだってある悪い気持ちから、本当だったら、誇りや良心で封じ込めてるものから、無理やりタガを外されて、引きずりだされて。だから、戦うよ。あの状態が一番苦しいのは、一番辛いのは、メイシン王子だと思うから。誰かが、止めてあげないと』
(お前がそこまで同情してやることもないと思うがな)
勝手に転がり落ちて、行き着くところまで行き着いた男だ。被害者であるヴェルクトがそこまで同情的になる義理もないだろう。
ヴェルクトは少し困ったように「えへへ」と笑う。
『そんな風に考えないと、たぶん、迷っちゃうから』
(そうか)
まぁ、こいつはそういう奴だ。
(そうだな、お前はそれで行け)
それが俺の相方だ。
どこまでもゆるくて甘い。そのくせ全てを力ずくで、まっすぐ切り開いて行く。
ヴェルクトというのは、そういうバカだ。
(聖魔水が温存できてる。行けるぞ)
『あ、まずは、勇者の鎧を借りようと思って』
(……そうか)
最後の最後で競合に、マティアルの勇者の正式装備に負けたらしい。
『聖魔水は合図するまで待って。両方要ると思うから』
(……わかった)
やや安堵しつつ頷いた。
『じゃあ、また、行ってくる』
黒騎竜の背中から、ヴェルクトはまた足を踏み出す。
○
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○
○
○
背中を借りていた黒騎竜エム・レスカードに「ありがとう!」と告げつつ、ヴェルクトは空中に身を踊らせる。
自由落下に近い速度で降下したヴェルクトはそこから翼を広げ、地表の近くを滑空しつつ声をあげた。
「ターシャっ!」
「はいはい、持ってきな」
後方に下がったターシャは勇者の鎧の兜を脱ぐ。体を覆っていた黄金の鎧が、すっと姿を消す。
ターシャが空中に投げ上げた兜を、ヴェルクトは片手で捕まえた。
「ありがとう!」
「さっさと行きな。三十女に変なもん着せるんじゃないよ。まったく」
ターシャは笑い、肩をすくめる。
この間、ジルは何もしなかったわけではない。脚部の触手から魔力光を放ち、虚無の渦を次々と作り出し、ヴェルクトを捉え、地上の戦士たちを殺し、消し去ろうとした。
だが、届かない。
ヴェルクトの動きを捕捉できない。
龍脈につながったルヴィエーン、大賢者ボーゼンを軸とした魔王討伐隊の防衛陣を崩せない。
ヴェルクトの復活。正確に言えば、ヴェルクトが帰還を告げた瞬間を境に、戦士たちの力が異常な勢いで肥大化している。
原因は、戦士たちが身につけた黄金のマフラーだ。
祈りを力に変えるもの。
ヴェルクトの声は、この地に集ったものたちに、この地に向かうものたちに、改めて勇者の存在を思い起こさせた。
その幸福と勝利を願い、祈らせた。
共に迎える明日を想った。
その結果だ。
異常な密度の祈りの力が勇者の元に集束し、勇者に、勇者を守る者たちに、ぞっとするような力を与えている。既に一人一人がガレスを倒した時のヴェルクトと同等以上の水準に達しているはずだ。
国葬の場でのバラドの演説も大きかった。バラドの言葉に共鳴し、国許に戻ったものたち。それらもまた、強力な祈りの発生源となっている。急ぎ国許に戻り、兵と共にとって返そうとする者は、その時点で大きな祈りの発生源だ。
彼らが道中や国許で王都の異変、勇者を巡る戦いのことを語れば、そこからまた祈りは伝播して行く。
世界中に広がって行く。
「ふざけないで!」
ジルは絶叫する。
こんな出鱈目な構図が、不公平な構図があっていいはずがない。
こちらは一人きりなのに、出来損ないの魔王しかないのに。祈りの力だけが、敵の力だけが、狂ったような勢いで跳ね上がり続けて行く。
呪いの力もなくはない。魔王や戦乱に対する恐怖や怒りも存在する。増えてはいるが、まるで足りない。
マティアル陣営の力には、ヴェルクトの力の拡大には及びもつかない。
どれだけの異形を呼び出しても、追いつかないだろう。
追いつけないだろう。
「卑怯者! 卑怯者! 卑怯者! 私一人に! 世界中で! そんな人数でっ!」
狂乱しつつ、さらに異形たちを呼び出していく。
魔王のバイパスの限界すら、魔王であるメイシンの肉体の限界すら超えて。
ジルの体は腐食して行く。
メイシンの体が痙攣する。
体のあちこちから、何かが弾けるようなおぞましい異音が漏れる。
構わずに叫ぶ。
「焼き尽くして! 叩き潰して! 犯し尽くして! 穢し尽くして!」
大小無数の眷属が、地上に破滅を撃ち下ろす。
全てを焼き尽くす邪悪な太陽のかけらが、全てを汚し尽くす瘴気の塊が、全てを打ち砕く宇宙からの岩塊が生じ、怒涛のように地上へと打ち下ろされた。
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ヴェルクトは空を見上げ、勇者の兜をかぶる。
ターシャが身につけたままの大きさではサイズが合わないが、勇者の鎧は異空鎧と似た疑似物質でできている。兜はヴェルクトの頭のサイズに合わせて縮む。再び黄金の鎧が現れ、少女の体を覆った。
選択肢は二つある。
マティアルの勇者としての力を使うか。
ヴァイス・レキシマを使うか。
どちらでも行けそうだが、後者を使うことにした。
慣れているし、愛着も強い。バラドやボーゼン、グラム、ユーロック、ルヴィエーンらを中心に、たくさんの人々が力を合わせて作ってくれた剣。
天に向け、大剣をかざす。
あまり使う機会のない機能なので、口に出して起動した。
「聖焔回路、広域解放」
勇者のバイパスには、マティアルの属性である祈りを魔力に変換する機能がある。黄金のマフラーとほぼ同じ機能だが、黄金のマフラーと違って変換できる力に上限がない。
無尽蔵に集まってくる、怖いほどの密度の祈りを魔力に転換。ヴァイス・レキシマの聖焔回路へと送り込み、浄化の焔を解き放つ。
刀身を覆い、膨れ上がった白い焔はそこから爆発的に燃え広がり、王都とその周辺一帯をのみこんでいく。
それは、災厄のみを灼く焔。
生き物や建物などを傷つけることなく広がり、しかし激しく燃え上がって、悪しきものを焼いてゆく。
最初に犠牲になったのは市街に降り、九尾や聖堂騎士団、竜騎士団などと交戦状態にあった異形たち。
次々と燃え上がって、灰となって崩れ落ちて行く。
ジルとメイシンも、無事にはすまなかった。体のあちこちを黒く焼けただれさせたジルは、障壁を展開し、浄化の炎の影響をやり過ごす。
ここまでは、おまけのようなものだ。
本当の目的は、高空から降り注ぐ熱塊、瘴気の塊、隕石の阻止。
白い焔はジルが無秩序に引き寄せた破壊の力を音もなく受け止め、全てを焼き尽くす。
熱塊や、隕石すらも焼き尽くし、跡形もなく消し去った。




