勇者は話の腰を折る。
勇者になったヴェルクトが来る前に、バラドたちを皆殺しにする。
その状態でヴェルクトを待ち、ヴェルクトから呪いの感情を引き出して、嬲り、弄んで殺す。それがジルの心算だった。
ジルはヴェルクトが嫌いだ。
マティアルのまがい物として作られた、元はと言えばジルの陣営の道具として作られたもののくせに、ジルが作ったガレスという魔王を追い詰めた。代わりに目をつけたメイシンも、根城にしようと思ったアレイスタも、支援者であるバラドという男に破滅させられた。
全てのかけ違いは、ヴェルクトから始まっている。
ヴェルクトさえいなければ、こんなめちゃくちゃなことにはならなかったはずだ。
魔王と勇者、ジルとマティアルの戦いも、もっと壮絶に血で血を洗う、祈りと呪いが螺旋を描く、美しい戦いになるはずだった。
だが、この戦いは違う。
呪いの色が薄すぎる。
戦というのは、もっと毒々しく、どろどろした憎悪と怨嗟、恐怖に染まったものであるはずだ。だが、この戦は違う。軸にあるものが根本的に違う。メイシンを倒すことも、ジルを倒すことも、本質的な目的ではない。
たった一人の少女を、ヴェルクトを生かすための、ヴェルクトを幸福にするための戦いだ。
ジルの知る戦いのあり方とは、ジルが望む戦いのあり方とは、あまりにもかけ離れた戦いだった。
メイシンの力を使い切るつもりで、自らの存在を削る覚悟で大量の眷属を呼び出しても、絶望が長続きしない。
ヴェルクトが「帰ってきた」という言葉を大音量で撒き散らすだけで、あっさり歓喜と勇気に塗り替えられる。
呪いと祈りのバランスが明らかにおかしい。
この戦いの流れを変えるには、現実を突きつけるしかない。
無残に凌辱されたヴェルクトの骸を突きつける他にない。
その前段階が、バラドたちの抹殺、魔王討伐隊とやらの惨殺だ。一人でも、二人でも殺せれば、それだけヴェルクトは乱せるはずだ。濃い呪いを引き出せるはずだ。
そうしなければ、ジルの方が壊れてしまいそうだった。
マティアルの偽物として、短命の兵器として作られた少女が、多くの出会いを経て勇者と呼ばれるようになり、人々に愛され、最後には本物の勇者として祝福され、未来を勝ち取る。
そんな甘ったるい物語などいらない。そんな物語では、ジルは満たされない。
もっと残酷な、忿怒と憎悪と絶望に胸をかきむしり、血の涙を流すような生こそが、この世界にはふさわしい。愛するにふさわしい。
(いらない)
真紅の光の翼を広げ、ジルは宙に舞い上がる。
左右の手のひらの間に、巨大な虚無の渦を作り出す。
この規模なら、あのボーゼンという魔術師でもそう簡単には無効化はできないはずだ。絶望も苦痛も与えず、全てを消し去ってしまうのが難点だが、もう時間がない。えり好みはできなかった。
虚無の渦を投射する。
星のない銀河のような形をした渦は急激に膨張しつつ落下、かつて王宮と呼ばれたエリア全体を飲み込んでいく。
ジルは口元を歪めた。
「おしまい」
転移魔法の使い手や、あるいは加速能力を持つエルフたちは逃れたかもしれないが、物理的に回避できないサイズの大渦だ。ボーゼンによる無力化もされなかった。
終わったはずだ。
勇者ヴェルクトの、幸福な冒険は。
ヴェルクトを支えてきたもの、護ってきたものは、消え去った。
これであの娘も、呪いに染まるはずだ。
やっと、まともな戦いが始まる。憎悪と憤怒、怨嗟の戦いが。ジルが望んだ戦いが。
大きく地表をえぐり、すり鉢状の穴をうがった虚無の渦が、消えていく。
中心部に、光のドームのような構造物を残して。
(まさか)
土でできたドームにマティアルの花びらが寄り集まったものだ。中には、多数の生命の気配。
あの男たちの気配。
力を使い切った花びらが消えてゆき、土のドームも崩れ落ちる。
やはり、全員生きている。
(どうして)
目を見開いたジルを見上げて口を開いたのは、前線には出ず、静観を続けていたドワーフの少年王ルヴィエーンだった。
全身から、異様な水準の魔力を発している。
「異空の毒婦よ。妖精族を舐めるなよ」
龍脈接続。
大地の魔力流に接続し、その力を引き出す技法。原理的にはバラドが恐怖の蛇竜を葬るために用いた龍脈砲と同じもの。これまで積極的に戦闘に参加していなかったのも、この地の龍脈の流れを掴むことに専念していたためだろう。
そして龍脈からの魔力を使って土の防壁を組み上げ、さらにマティアルの花弁や聖堂騎士団の障壁魔法、エルフが使役する時の精霊などの力で補強し、闇の渦の力をやり過ごした。
ジルは無言で、二度目の闇の渦の展開を始める。
ルヴィエーン王は吼える。
「何度でも来るがいい! 我らが倒れることはない! 誰一人、倒れさせはしない! 勇者は我らに生きろと叫んだ。我らは決して、その言葉を裏切ることはない!」
ジルは唇を噛む。大見得を切ったルヴィエーン王だが、攻撃を繰り返せば、いずれは葬れるはずだ。だが、目の前にいるのはこの世界、この時代における最強の戦闘集団だ。こういう形で守りを固められると始末が悪いのも事実だった。
口元を皮肉に歪め、ジルは両手を下ろした。
「すごいね。みんな強い。かっこいい。でも、戦場全体で見たら、そういう人は、少ししかいないよね?」
空を見上げる。
高空に待機させていた四角錐の大悪魔、恐怖の黒竜を中心とした異形たちに告げた。
「おいで」
異形たちが動き出す。
黒い雨のように。
王都は光の花びらが舞っている、無傷で降下はできないが、構いはしない。
「これでも言える? 誰も倒れさせないって、誰も死なせないって。あなたたちは英雄だけど、みんながそうじゃ……」
話の途中で、叩き切られた。
稲妻の速度で突っ込んできた緑の翼、桃色の髪の少女の光刃がジルの顔面を捉え、斜めに切り裂く。
ジルの顔と肩を両断する入り方だったが、全身にまとった瘴気が光の剣の力を削り取り、顔と肩を浅く切り裂かれる程度のダメージにとどめた。
だが、精神面への衝撃はどうしようもなかった。
斜めに焼き切られた顔に手を触れ、傷を消す。後方に抜けて行った少女の姿を振り仰ぎ、ジルは呪詛のようにその名を叫ぶ。
「……ヴェルクトっ!」
○
○
○
○
○
(?)
捉えたと思ったのだが、光の刃が削れてしまった。
『それは繋ぎだと言ったはずです。ジルが相手だと瘴気に減衰されてしまうんです。ヴァイス・レキシマを使ってください』
「そうだった!」
『後ろから来ます!』
グラムの警告とほぼ同時に、ジルの巨体が巨大な剣を手に突っ込んでくる。
花びらの光刃はもう使えない。ソーマ・レキシマ自体の魔導回路を励起、刀身強度と切断力をあげて巨刃を受け止め、静止させた。
ジルが自らの肉体を変形させて作った剣はメイシンが使っていたものとほぼ同じ、金と銀の目玉が浮いた眼球剣だ。力が拮抗し、静止した状態から、眼球より紫の魔力光を放ち、勇者を撃ち抜こうとする。
ヴェルクトは加速する。
エルフ族の妖精加速以上の速度で移動し、ジルの背後に回り込むと、首の側面からソーマ・レキシマの刃を滑り込ませ、頚椎の神経をぶつりと切断する。
地上で、ロムスが瞠目した。
頚椎断ち。
ロムスがターミカシュ公爵を全身不随にしたものと同じ技法だ。
魔王討伐隊の初期メンバー、密偵カグラはロムスと同じ変身能力者だった。血のつながりがあったわけではないが、密偵七家同士、同系の能力を持つ後輩ということで、ロムスはカグラに能力の使いこなし方、戦い方などの手ほどきをした。
そのうちの一つが、カグラを通してヴェルクトの元へと伝わっていた。
まともな生き物とは到底言い難いジルだが、それでも頚椎に刃物を押し込まれるのは痛手だったようだ。目を裏返らせ、パニックになったように下半身の触手をくねらせる。その間に降下したヴェルクトは、バラドたちに駆け寄り、声をあげた。
「バラド! みんな! 来たよっ!」
○
○
○
○
○
ターシャがジルの手から跳ね飛ばし、転がっていたヴァイス・レキシマは、ユーロック女王が気を利かせ、妖精加速で回収してくれていた。
「えへへ」
自分の手に戻って来た大剣を掲げて、ヴェルクトは変な笑い声をあげた。
「若い娘が剣持って変な笑い方すんな」
「だって、わたし、この剣好きだから」
屈託のない顔でいうヴェルクト。俺以外で製作に関わった者は、ボーゼン、ルヴィエーン王、ユーロック女王の三人。それぞれに冥利に尽きるものを感じたようだ。それぞれに表情を緩めるのがわかった。
とはいえ、緩んでいる場合でもない。
「上の連中、どうにかなるか?」
今はジルより、眷属たちの方がまずい。光の花びらがあるとはいえ、あの数が降りてくれば、さすがにもう対抗できないだろう。
「いっぱいいるほう?」
「ジル以外全部だな。どっちかっていうと」
ジルも一緒にどうにかできるならしてもらって構わないが。
「できるよ、任せて」
無邪気にいうヴェルクト。
そこに、声が降って来た。
「やらせるわけが、ないでしょう?」
ジル。
頚椎をえぐられたダメージは回復したようだが、話の途中で顔面を叩き斬られた挙句に、首にナイフを突っ込まれて白目を剥かされる。自尊心の方はもうズタズタのようだ。今までの余裕は消え、殺意と憎悪の塊のようになっていた。
「そうだね」
ヴェルクトも、真剣な目でジルを見上げた。
「あなたがいると、うまくいかないかも。ちょっと待ってて」
ヴェルクトは緑の翼を広げると、再び空へ舞い上がった。




