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勇者の商人  作者: 今際之
勇者のための戦い。
53/85

最後の自我は沈みゆく。

 虚ろな顔を晒し、メイシンは咆哮する。


「ヴェルクトォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーッ!!!!!!」


 最低の咆哮。

 大国の王子が、王冠をも得た男が、魔王の力を得た男が、生年から数えれば十歳やそこらの小娘への羨望、嫉妬、憎悪を剥き出しにした、どうしようもなく救い難い、どうしようもなく惨めな咆哮。

 それは大気を、空間を歪め、王都やその上空のあちこちに異空への穴を穿つ。そこから新たな異形たちが、空を埋めるように湧き出して来る。終末の到来を思わせる光景だった。

 救いようのない『本当の自分』を露呈したメイシンの心を、甘い猛毒のような声が抱擁し、愛撫する。


(そう、がまんしないで。さらけ出していいよ? ぜんぶ)


 メイシンの中の幼いもの、浅ましいものはその声に身を委ね、思うがままに絶叫し、慟哭を撒き散らす。

 その一方で、別のメイシンは、解き放たれた『本当の自分』の中でもがき、ヴェルクトへの憎悪とは別の絶叫をあげていた。


 やめてくれ!


 勇者ヴェルクトへの嫉妬と憎悪。

 それは絶対に、表に出してはいけない感情だった。

 男として、大人として、あってはならない、認めてはならない感情だった。

 それを認めてしまったら、メイシンはもう、空っぽですらなくなってしまう。

 虚無以下の、どうしようもなく惨めなものに成り下がってしまう。


 頼む! やめてくれ! 誰か! 止めてくれ! 助けてくれ!


 そう叫ぶメイシンの自我は、良心という訳ではない。

 メイシンの、最後のプライドのようなものだった。

 すでにジルによって不要と断じられ、精神の触手によって引き剥がされた自我。

 今更何を叫ぼうとも『本当の自分』の中では、微かなノイズにもならなかった。

 無様な咆哮が世界を揺らし、歪めていくなかで、一人の男が魔王を見上げた。


「たわけ」


 戦術転移タクティカルテレポートで魔王メイシンの前に現れたアスールは吐き捨てる。


「人と共に、矜持をも捨ておったか」


 メイシンの人馬体の両手に、赤黒い火球が生じた。

 二つの火球が一本の巨大な火柱に変わり、アスールを呑み込む。

 だが、アスールは無傷で立っていた。

 素晴らしき鎧の大王マーヴェラスメイル・ザ・グレート魔流回路アスールサーキットで、熱と炎の流れをずらしていた。


「もう良い」


 呟くように言ったアスールは、後ろを振り向かずに「者共!」と呼ばわった。


「総がかりだ。もはやこやつは魔王と呼ぶにも値せぬ! 勇者と戦う資格すらない。今この時、この場にて、我らの手で葬る!」

 者共ときた。

 一応格上である六王の存在は認識しているはずだが、お構い無しの傍若無人ぶりだ。

 ネシス王は変な顔をし、フルール二世は気の弱い苦笑を見せていた。

 だが、アスール王子の意見には賛成だ。

 この場で、葬っておきたい。

「ヴェルクト」という叫びに込められた意味はわからないが、こんな状態のメイシンと戦うのは、ヴェルクトには精神的負担が大きいだろう。

 たとえ倒せなくても、多少なりとも、力を削いでおきたい。

 ネシス王に声をかける。


「やりましょう。今のこいつを、ヴェルクトに見せられない」


 さっきまでのメイシンもダメだったが、今のメイシンは更にダメになってきている。


「親心か、いいだろう。来い! レスカード!」


 ネシス王は、上空から黒騎竜エム・レスカードを呼び寄せる。

 イズマはホルス・レイ・アルタードに巨大な光刃を再形成する。


「猊下、教皇拳のご用意を」

「そんなものないよ⁉︎」

「では僭越ながら、私が猊下の名代として」


 そんな軽口の後、ターシャは両手の間に白く輝く魔力の球体を作り出す。その周囲には例の光の花びらが次々生み出されていく。

 教皇拳、ではなく、勇者の鎧から力を引き出し、力を光弾状にまとめたものだろう。

 ロキ、ロト、ロムスのミスラーの遺児三人も動く。


「ロト、兄弟拳の準備だ」

「死ね」

虎乱こらんでいく。バラド社長、先行の許可を」

「わかった。タイミングは任せる」


 今回は俺自身にできることはない。代わりにグラムにメッセージを入れた。


(メイシンに総攻撃をかける。火力が欲しい。さっきの光の槍、もう一度やれるか?)


 あの威力なら、メイシンにも通用するだろう。


『可能です。集束にやや時間が必要ですので、つなぎにアステルを回します』

(任せる)


 そして、三兄弟が動いた。

 三角形に散ってメイシンを包囲すると、三方向から距離を詰める。

 人馬体の背中の四角錐からの魔力光をかいくぐり、踏み込むと、三本の脚に三本のナイフを突き立て、腹下を駆け抜けて離脱する。

 三人が使ったナイフは全て普通のナイフだ。刺したところで大したダメージはないが、ロトが刺して行った一本だけ、転移よけ破壊作戦の余りの時限式魔導弾を引っ掛けてある。

 魔導弾が炸裂する。

 足を破壊することはできなかったが。膝を折り曲げ、よろめかせた。

 離脱する三兄弟を追い、四角錐の触手群が魔力光を放とうとするが、そこで、エルフたちも動いた。

 妖精加速エルブンヘイストで加速し、跳躍、手刀で四角錐を切り飛ばして離脱する。

 三番手はネシス王の黒騎竜エム・レスカード。

 マティアルの加護を受け、力を増した大型騎竜は、斜め上空に静止した状態から黄金の閃光を解き放つ。

 メイシンも無抵抗じゃない。人馬体の顔面、食人鬼のような口から赤黒い炎の渦を吐いて迎え撃った。

 力そのものは、さすがにメイシンの方が上だ。エム・レスカードの光熱のブレスは押し戻されていく。

 だが、一対一じゃない。

 イズマの光の巨刃がメイシンの人馬体の顔面を捉え、炎の渦を封じ込める。

 光熱のブレスがメイシンの巨体をのみ込み、灼き、炭化させていく。

 さらに後方から、蹄の音が響いて来る。

 アステルの巨馬、バイアリーターク。

 その背中にはアステルだけでなくラシュディの姿もあった。

 稲妻のように馳せるバイアリータークの速度に、老人離れした強肩の力を乗せ、ラシュディは槍を投げつける。

 アステルはその槍に熱を収束し、炎の槍に変えた。

 メイシンの人馬体の胸板を貫いた炎の槍は、敵の体を内部から焼いていく。

 次は、ターシャとグラムだった。


「行くかね」

『投射準備完了しました』


 二人はほぼ同時に告げる。

 両手を突き出すようにしてターシャは光弾を投射する。

 同じタイミングで、グラムが上空から光槍を二本撃ち下ろす。

 炎に包まれながら人馬体の右腕を突き出し、メイシンは光弾を受け止める。

 だが、ターシャの光弾はそこで炸裂、光の花びらを撒き散らして人馬体の右腕を引き裂き、吹き飛ばした。

戦争回路ウォーヘッド』によって集束された二本の光の槍がメイシンの人馬体の馬の背中、尻の部分を貫いて炸裂、消しとばしていく。

 最後はアスール王子だ。

 最初から周囲を舞い散っていた光の花びら、ターシャの光弾やグラムの光の槍から舞った光の花びらを魔流回路アスールサーキットで集束、巨大な光の剣に変える。


「果てよ。メイシン」


 光刃が閃く。

 死ねるのか、これで。


 メイシンの最後の自我プライドは安堵に似た感情と共に、アスールの光刃を見守っていた。

 このままアスールの刃に両断されれば、憎悪に、浅ましい感情に支配された姿をこれ以上晒さずに済む。

 これ以上、惨めな自分と向き合わずに済む。

 あの少女の前に、救い難い姿を晒さずに済む。

 だが、その願いは届かない。


(だいじょうぶ)


 ジルは慈母の声でメイシンの願いを踏みにじる。


(私が護ってあげる)


 メイシンを両断せんと振り下ろされた光刃を、分厚い瘴気が受け止めた。

 恐怖の蛇竜テラーワームなどがまとっていたものとは別種の、より濃密で、物質的な瘴気。

 光の花弁と対極に当たる呪いの力。

 それは相殺という形で、アスールの光の剣を無力化した。

 さらに瘴気の触手となり、アスールに襲いかかる。

 舌打ちをしたアスールは、戦術転移タクティカルテレポートで後退する。

 瘴気は凝縮するようにメイシンを取り巻き、その身を覆う炎を消し止める。

 そこから、最後の変化が始まる。

 灼かれ、炭化した組織が剥離し、露出した肉の中から、新たな組織が構成されていく。

 それまでの男の半馬人の組織ではない。

 もっと柔らかく、もっとおぞましい何か。

 半透明の肉の塊のようなものが盛り上がり、半馬体の腹部にあった顔のないメイシンの体を取り込む。

 肉の塊の輪郭は、身ごもった女の腹の肉に似ていた。

 馬体型の下半身がどろりと形を失って、バラのツタと四角錐の触手の混血のような、渦巻く触手の塊に変わる。

 ただれ、ボロボロになった上半身は、美しい顔立ちをした、黒い瞳の娘のそれへと変わる。

 背中には、赤い光の翼。額には、黒くねじれた四角錐の角が生えていた。

 息を吹き返したヴェルクトやボーゼンが見れば、マティアルの本質クオリアの色違いだと気づいただろう。


 なんだこれは。


 半透明の肉の生ぬるさの中で、メイシンの自我プライドはもがく。

 白い手が、肉塊越しにメイシンの体を撫でた。


「あったかいでしょ? しばらくここにいて。みんな、私が殺してあげる。あの子も、あの男も、お兄さんも、お父さんも、みんな、あなたの憎悪で殺してあげる」


『本当の自分』が、浅ましく歓喜するのがわかった。

『本当の自分』には、誇りも、良識も、羞恥心もない。

 どうしようもない、豚にも劣る肉塊と成り果てていた。


 やめてくれ! もうやめてくれ!


 叫んでも、声はどこにも届かない。

 仄暗く、生ぬるい、肉の中へと消えていく。

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