ハーフエルフは支配する。
マングラール軍の本陣へと転移、ヴェルクトの蘇生をマティアルとボーゼンに委ねたグラムは本陣近くに設置されたマティアル勅許会社のテントに入った。
テントの中には、海狼が搬送してきた重く冷たい金属と、赤い粘液の塊が待っていた。
根源魔導回路、戦争回路。
魔導回路の原点の一つ。こことは違う宇宙で、星と星との戦に使われていた魔導回路。
狂った錬金術師のもとで、数十年もの間、グラムを部品として支配していたもの。
異空の文明で神経伝達キャノピーと呼称された赤いゲル状物質が埋め込まれた、黒い金属の直方体だ。ゲル状物質は錬金術師が扱う試験管に似た形状をしており、人がすっぽり入る大きさ。鈍く、赤く、鼓動するような光を放っていた。
ジルの攻撃で破損した右の義手を取り外し、眼鏡を外し、喪服と肌着を脱いだ。本当は義肢の類は全部取り外してしまった方がいいのだが、痛ましい上に自力で出られなくなるのでやめろと社長に言われている。
黒い直方体の上に登り、ゲル状物質の上に足を伸ばして座る。赤いスライムに似た質感の物質だが、表面は硬いゴム程度の強度を持っていた。
「半身接続」
グラムがそう告げると、ゲル状物資は硬度を失い、グラムの下半身、左手をぬるりと呑み込んだ。不気味な生暖かさが、グラムのつま先から下腹のあたりまでを飲み込む。
軟体動物に捕食されるような恐怖と悪寒が背筋を貫いたが、上半身を残した形で浮力との釣り合いが取れ、グラムの体は静止した。
義足と生身の体の継ぎ目から、ゲル状物質が入り込み、グラムの神経と繋がって行く。
ゲル状物質はさらにグラムの体を覆うように左腕と胴体を這い上がり、右肩、左の義手と体の継ぎ目、背中に刻まれた刺青状の魔導回路を通じてグラムに繋がっていく。
ゲル状物質と接続した箇所から軽い痛みを伴う痺れが走り、グラムは小さな呻きをこぼす。
頭の中に、声が響いた。
【接続完了】
ハーフエルフの瞳の色が緑に変わり、その視界も緑色に染まった。
(始めましょう)
グラムは戦争回路に指示を出す。
(戦術情報通信網構築)
戦争回路は勅許会社の幹部や、有力な協力者に配布した断片回路に接続し、通信網を構築。情報を吸い上げて、集積して行く。
断片回路はただの通信回路ではなく、戦争回路の目だ。周辺数マイルの情報を収集、記録し、戦場を俯瞰する端末としての機能を備えている。
(戦術地図作成、情報投影)
現時点の王都の三次元地図を作成、視覚情報として脳内に投影。さらに敵味方の座標を表示して行く。
並行して彼我の戦力、戦況の分析を開始。
注目すべきものはやはり王都一帯に飛散し、今も浮遊している黄金の花びらだ。
主な作用は体力向上、魔力向上、思考速度の加速、自然治癒能力、防御力の向上。防御力の向上については毒や酸の影響をゼロにする機能があるようだ。異形の神の眷属の面倒なところである酸の体液の問題をクリアできている。異形の神の眷属に立ち向かうための加護なのだろう。
一帯の異形たちの力を削ぐ効果もあるようだ。眷属たち、四角錐の大悪魔たちが放つ魔力光や広域魔法の類も、その威力を大きく減じている。
断片回路を通じ、メッセージを送る。
(グラムです。戦争回路への接続を完了しました。これより、九尾、海狼両部隊の指揮をとります)
『待ってましたぜ、頭ァ』
『待ちくたびれてまた寝るとこでしたぜ頭ー』
海狼の団長ゴーバッシュと九尾のアステルがメッセージを返して来た。アステルはもう寝ているものと思っていたが、花びらの力で目を覚ましたようだ。愛馬であるバイアリーターク、九尾の兵たちの他、ネシス王の愛騎である黒騎竜エム・レスカード、バール竜騎士団と連携し、四体の大悪魔たちを押さえ込んでくれている。マティアルの加護が及んでいるのは人間だけではない。バイアリーターク、エム・レスカード、竜騎士団の騎竜たちも黄金の襟巻きを身につけて、異形たちと渡り合っていた。
(まずは情報を共有します。大聖女マティアルの加護を分析した結果、眷属群の酸の体液への完全な耐性が得られることが判明しました。以降は近接戦闘における短尺武器の使用制限を解除します)
一部のメンバーは勝手に気がついて勝手に使っていたようだが。
(九尾一号隊、六号隊、零号隊は引き続きアステルを中心に上空からの大悪魔と眷属群を抑えてください。三号隊、四号隊も引き続き魔王メイシンとの戦闘を援護、特に上空からの眷属群の介入に警戒を。五号隊、現時点で残存する『聖騎士』の座標を送ります。残存数は六騎。全て抹殺を。七号隊、八号隊は北上して聖騎士団と合流の上、地上の眷属群への対応をお願いします。九号隊、マティアル教教会近辺で、王宮より脱出したと見られるアレイスタ王ダーレスを確認しました。拘束に向かってください」
放っておいて眷属どもの餌食にしてもいいような男だが、行方不明になられても面倒だ。
(海狼は王都守備隊、マングラール軍に先行して王都へ前進、露払いをお願いします)
マングラール軍、王都守備隊、どちらも訓練は行き届いているが、内地の部隊だ。眷属たちのような化け物を相手にした戦いでは、海狼の方に一日の長がある。
『了解でさ。しかし苦情が出ませんかね』
『その折は余の名を使うがいい』
アスール王子が通信に割り込んできた。
『よろしいんで?』
『構わん。我が軍も、お前たちに追従して前進する』
そこまでは良かったが、そこでアスール王子は、変なことを言い出した。
『グラム。当面は貴様が全軍を差配せよ。副官のレストゥには、貴様の指示に従えと申し伝えてある』
(あの)
何を言っているのかよくわからない。
九尾と海狼は勅許会社傘下の組織で、給与も勅許会社から支払っているからいいが、マングラール軍は完全な別組織だ。いきなり差配しろと言われても困る。
『このいくさ場において、今の貴様以上の将はおらぬ。頼む。余は、あやつらのところに行かねばならぬ』
「頼む、ですか」
グラムは通信でなく、独り言として呟いた。
あやつら、というのは、バラドとメイシンのことだろう。
盟友と、魔王に成り果てた弟。
ハーフエルフは小さくため息をつく。
(わかりました。社長のことをお願いします)
バラドは本来戦士ではない。戦いの先頭に立つような男でもない。ヴェルクトを守るため、体を張って博打を繰り返しているだけだ。いいときはいいが、いつ、どういう弾みで倒れるかわかったものではない。
『案ずるな』
アスール王子は笑う。
『ヴェルクトは間も無く目を覚ます。それで終わる。あの娘がいる限り、商人が倒れることはない。商人がいる限り、あの娘が倒れることはない。それは貴様が一番知っているはずだ』
(そうでしたね)
そういう二人に救われて、グラムはここにいる。
戦争回路から救われて。
戦争回路を従えて。
『あとは任せる』
(はい)
アスール王子の座標がずれた。
ボーゼンが得意とする長距離転移ではなく、ゴルゾフが使っていた戦術転移のようだ。短距離転移を繰り返しながら、稲妻のように王都へ進んでゆく。
地上は黄金の花弁に、光に満ちている。
だが空はなお昏い。
暗雲の向こうから、また新たな悪意が姿を見せる。
またしても千単位の眷属群、そして恐怖の黒竜が、二体。
『頭! 増えやがりましたっ!』
そう叫ぶアステルの声にはまだ不敵な色があるが、容易な数とは言えないだろう。
「やらせません」
グラムはつぶやく。
勇者の冒険を、徒花として終わらせはしない。
(擬似魔導回路、魔流回路、投影準備)
戦争回路の黒い金属部が変形し、練金文明の『砲』状の構造物を作り出す。
魔導回路投影。
戦争回路に記録させておいた魔導回路を読み出し、空中に投影することで超大型、高出力の擬似魔導回路を構築する機能だ。不死竜グラシドゥとの戦いでコア以外の機能のほとんどを失った戦争回路に唯一残った直接戦闘対応機能。
(投影)
天に向かった『砲』の先端から赤光が閃く。
天幕の布地を焼き貫いて暗雲漂う空へと伸びた赤い光芒は中空で拡散し、地上二〇ヤードの高度に直径十ヤードの大型魔導回路を描き出す。
【擬似魔導回路投影完了。構築精度999.9】
(魔流回路、起動)
赤い光で描かれた大型魔道回路の配線に青い電光が駆け回り、回路全体がゆっくりと回転し始める。
基本的な考え方は、アスール王子の断片回路の戦闘記録にあった花びらの剣と同じだ。魔流回路で黄金の花びらを制御し、敵に叩き込む。
だが、その規模はさらに、はるかに大きい。
王都全域を制御域に指定、戦争回路とグラムは魔力の流れを支配して行く。
黄金の花びらは渦巻き、王都をとりまくような形で六本の光の竜巻となる。それをさらに細く、まっすぐに収束させて、六本の光の槍を形成する。
(投射)
まずは、一本目。
先に形成しておいた超高速の魔力流に乗せ、射出する。音の速さを簡単に振り切った光の槍は、四角錐の大悪魔の頭部に深々と突き刺さって、弾けた。槍の形から、再び元の姿に戻った光の花びらの群は、大悪魔の体をボロボロに撃ち抜き、引き裂いて消し去る。
(第二射)
二本の光槍を同時に投射。地上に瘴気を吐き散らそうとした二体の恐怖の黒竜の顎を縫い止める形で撃ち抜き、消しとばした。
(第三射)
残りは四角錐の大悪魔が三体。残りの三本の槍をまとめて投射する。三体の大悪魔は掌を突き出し、魔力の障壁を展開して光の槍を防ごうとする。二体は障壁ごと貫いて屠ったが、最後の一体は機転が効く個体だったようだ。障壁に角度をつけることで上手く槍の軌道をずらし、直撃を逃れた。
だが、大悪魔の周囲は、炸裂し、舞い散った花弁に満たされている。
(同じことです)
光の花弁が、再び風に巻かれたように渦を巻き、大悪魔を、周囲の眷属たちを飲み込む。そして全てを切り裂き、穿ち、消し去った。
『うへぇ』
アステルが変な声を出した。
『もうワタシ達いらなくないですか?』
(いえ)
グラムはわざといたずらっぽく応じた。
(まだ上空の空間が不安定なままです。まだまだ新手が現れる懸念があります。私と戦争回路だけで押しとどめるのは限度があるでしょう。マティアルの花びらも、無尽蔵に使えるものではないでしょうし)
『……デスヨネー』
アステルは大げさにため息をつく。
(はい、ですから。今のうちに、少しでも休んでおいてください)
アステルは『ヒィ』とわざとらしい悲鳴をあげた。
『まぁどうにかして、俺たちが行くまで生きてろ』
ゴーバッシュが割り込んで来た。
『頭、海狼総員進軍開始した。後続の連中を動かしてくれ』
(わかりました。聞こえていますか、レストゥさん)
アスール王子に色々押し付けられたらしい副官に呼びかける。
『はっ』
しゃちほこばった声が返ってきた。
(海狼に続いて進軍を開始してください。厳しい戦いになるはずですが、力を合わせて乗り切りましょう。私たちにはマティアルの加護があり、勇者がいます。勝てる戦です。必ず)




