ジョーカーたちは打ち破る。
時間はかけられない。
イズマは勝負を急ぐことにした。
恐怖の黒竜は危険だが、敵の最大戦力はあくまでも魔王となったメイシンだ。
バラドの異空鎧で抑え込むにしても時間制限がある上、本来バラドは戦士ではない。稼働時間いっぱいまでもたせられる保証もない。
勇者が蘇っても、そこにあの男が待っていなければ、勝利とは言えない。
その点を理解しているのはイズマだけではないが、だからと言って、ここでもたついていい理由にはならない。
風獣たちによって地表に叩き伏せられた恐怖の黒竜を見下ろし、魔剣士イズマは長い柄をつけ、槍のように延長した長剣、ホルス・レイ・アルタードを天にかざす。
告げた。
「風の御霊たちよ。我が一族の請願に応じてこの戦いに参じた気高きものたちよ。今ここに、この一剣に助力を請う。我が名はイズマ。悲しみより狂い、風と大地との絆を断ち、魔道に堕ちたる族長ガレスが腹心なりし者。この一剣をもって、我が一族の贖罪の始まりとする。この一剣をもって、我らと汝らの、新たな調和の誓言とする。この一剣をもって、明日を切り開く。ガレスの過ちを繰り返すことのない、新たな世界を切り開く。願わくば、この声に応えられんことを」
風獣たちは呼応する。
狼の群れが鳴くような風音をあげ、渦を巻き、魔剣士の周囲を取り巻く。恐怖の黒竜が瘴気を放つが、豪風に阻まれ、届くことはなかった。
長い柄に組み込まれた巨刃回路を起動する。接続した剣の刀身に大型の魔力刃を生成する対大型魔獣用魔導回路。
イズマの元に集った風獣たちは一匹の巨狼となり、半実体化する。体長約百ヤード、地上の恐怖の黒竜の咆哮を止め、すくませるほどの威容と威風を持っていた。風の巨狼は、そのままイズマの体の中に吸い込まれ、姿を消す。
「御霊たちよ、感謝します」
身のうちに宿った風獣の力を巨刃回路へ送り込む。
ホルス・レイ・アルタードの刀身を緑の光刃と旋風が覆う。天に向けてのびた光刃は、瞬く間に刃渡り二〇ヤードを越す巨刃となった。
「行こう」
主人が静かな口調で告げると、有翼馬は恐怖の黒竜に向けて疾駆する。髑髏の黒竜、死そのものが具象化したような存在を前にしても、有翼馬はひるむようなことはなかった。
恐慌をきたしたのは、むしろ恐怖の黒竜の方だ。迫り来る破滅に狂乱したように瘴気のブレスを吐き散らし、黒い稲妻を放って、魔剣士を押しとどめようとする。だが、戦士は止まらない。身にまとった風で瘴気を吹きはらい、黒い稲妻を見切り、かわし、踏み込む。
外付回路である巨刃回路を除いて、ホルス・レイ・アルタードの魔導回路は四種。剛性、靭性の強化を司る強靭回路、切断力の向上を司る鋭刃回路、そして思考速度の加速を司る賢人回路、至近未来の予測を実現する予見回路。
決着への道筋は、既に割り出していた。
恐怖の黒竜の眼前へ詰め寄り、その巨影の真横をすり抜けるように、斬撃を放つ。
恐怖の黒竜の鼻先に滑り込んだ緑の光刃は黒竜の巨体を地面と水平に両断し、尻尾まで抜けた。
恐怖の黒竜は瘴気の竜。断末魔の代わりに瘴気の爆発を巻き起こし、周囲を巻き添えにしようとしたが、イズマにはそれも見えていた。渦巻く風で封じ込め、空高く巻き上げて無害化した。
(よし)
恐怖の黒竜の排除は終わった。すぐに大霊廟に向かいたいところだが、四角錐の大悪魔の様子も気にかかる。
視線をやると、巨大な馬の背に乗った九尾の団長、アステルは慌てたようにパタパタと手を振った。
○
○
○
○
○
「あ、いえ、お気遣いなく、こっちはこっちでやっときますんで、社長んとこ行ってください」
ザイオーグとの戦闘に介入して来そうな雰囲気を見せたイズマに、アステルはパタパタ手を振ってそう言った。
今は自分より社長の方に戦力を割くべき時だろう。
それに、いい敵だ。
手出しをして欲しくない。
対魔王戦争の最後の相手には、これ以上は望めない存在だろう。
「分かった。この場は任せる」
それ以上は言わず、イズマは有翼馬と共に大霊廟へと飛び去って行った。
<良かったのか?>
ザイオーグが言った。
「ワタシだけじゃダメなんですか?」
混ぜかえすような調子で応じ、笑ってみせる。
<そういうつもりはないが、二対一ならすぐに終わっただろう>
「そー簡単にいくタマじゃないですよね? アナタ」
確かに一人で倒すよりは楽になるだろうが、それでも短時間で倒せる相手ではないはずだ。下手にイズマと二人で当たって手こずるより、自分たちだけで当たった方がいい。
<いや、いつ焼き尽くされても、氷づけにされてもおかしくない。今立っていられるだけでも幸運というものだ>
「そーゆーところですよ」
アステルの存在や能力を面白がるようなゆるさを持ちながら、まるでこちらを軽視してくれない。それが面白いところであるが、面倒なところでもある。
<お前には言われたくないな>
笑うように思念を投げたザイオーグは、アステルに氷結、破壊された右腕の付け根から、赤黒い肉でできたブレードを形成する。元が十ヤード級の巨人の腕から変じたものなので、バケモノじみた大きさだった。
「魔術師に刃物とは卑怯では?」
<韜晦はそこまでだ。手札を晒せ、ジョーカー>
ジョーカーという言葉の意味はよくわからないが、確かに伏せたまま戦うのは限界だろう。
ザイオーグの動き出しと同時に、アステルは断片回路に指示を出した。
「六号隊、攻撃開始」
広場の半分を取り巻いて掘った塹壕からドワーフ兵たちが顔を出し、ザイオーグに爆火瓶を投げつける。
仕切りのある瓶の中に二種類の薬液を入れたもので、割れて混じると反応し、炎上する。
大悪魔を焼けるような熱量はないが、アステルは熱を操る。
爆火瓶の熱を制御して収束、無数の熱の杭に変え、ザイオーグの全身を刺し貫いた。
脚部を重点的にえぐり、ザイオーグに膝をつかせる。
<やはり伏兵か、いるとは思っていたが、この距離で気づかないとはな>
膝をついたまま呟くザイオーグ、痛みは感じていないようだ。
「六号隊は全員ドワーフなんで、土の中に紛れるのは得意なんですよ。あと、穴のあるとことないとこで温度差が出ないよーに熱操作かけてました」
<なるほど>
ザイオーグは全身から四角錐の触手を雲丹のように伸ばした。魔力光の発射動作だろう。
触れたものを焼き貫く光熱線。
熱操作だけで抑え込める規模ではなさそうだ。
自分の身は守れるとしても、一帯に甚大な被害が出るのは間違いないだろう。
撃たせる前に止めるほかない。
熱操作で触手の先端部の熱を奪い、氷結させていく。柔軟性を失った触手のうち数本が魔力光の内圧で破裂し、ザイオーグの全身を青い炎が覆った。これで燃え尽きてくれれば楽なのだが、そこまで間抜けな相手でもない。
触手の爆散は最初の数本だけで収まり、ザイオーグは四角錐の触手を体内に引き戻した。
焼き貫いた五体の傷も、ついでのように癒えていく。
(クソ面倒です)
欠伸をかみころしながら、心中で毒づいた。
いい加減に決着をつけないとまずいだろう。
だいぶ眠くなってきた。
<凄まじい力だが、相応の代償があるのではないか?>
凍てついた体をひび割れさせて踏み込みつつ、ザイオーグは問う。
「ええ、とても口にできない恐ろしくも忌まわしい代償があります」
目元に浮いた涙を軽く拭って、アステルは笑う。
<そう言われると、代償などないように思えてくるが……眠くなるのか>
「さすがにバレますね。ええ、使いすぎると寝ます」
ちょっとしたこぜり合い程度ならどうということはないが、この規模の戦いで運用し、大悪魔クラスとやりあうとなると、流石に負担が大きい。
ひどい睡魔に襲われていた。
「と、ゆーことで、どーします? この調子だともうちょっとで寝ますよ、ワタシ。手札伏せたまま」
戦闘能力を完全に失うことになる。
「せっかくですし、見ていきません? 今度は全部出しますよ? 全部」
ザイオーグはアステルという敵に興味を持っている、何を持っている、何をしようとしているのか知りたがっている。その関心を刺激するように、挑発の言葉を投げる。
だが、ザイオーグは乗ってこなかった。
<個としては興味深いが、戦う意味はない。私に与えられた命令は殺戮。不要と判明した戦闘に、これ以上興じることはできない。さらばだ。愉快な敵よ。眠っているがいい。寝込みを殺すような無粋はしない>
「そーですか」
翼を広げて中空に舞い上がろうとするザイオーグ。
口に手を当て欠伸をしたあと、アステルは手札を開く。
「零号隊、攻撃開始」
断片回路を通した通達に呼応し、後方に伏せていた零号隊の老兵たちが投擲紐を使い、爆裂の手投げ魔導弾を一斉投射する。爆発と爆煙を引き起こす新式の魔導弾だが、それだけで四角錐の悪魔をどうにかできるものではない。ザイオーグは無傷で浮いていた。
<こんなものか>
「ええ、まぁ、今のところは」
ここまではただの目くらましだ。
本命はもう、踏み切っている。
大悪魔もギリギリで気づいたようだ。
ザイオーグが背後をふり仰ぐ。
馬鹿げたものが跳んでいた。
高さ三十ヤードの時計塔の屋根から踏切り、空をかけるように迫る、銀髪、巨漢の老人。
ラシュディ。
マティアル勅許会社アレイスタ王都支店支店長。
九尾前団長。
黒い拳のラシュディ。
色々肩書きや異名の多い老人だが、アステルの評価はこうだ。
どこでも走るジジイ。
森林でも渓谷でも砂漠でも山岳でも、城塞でも市街でも、訳のわからない速度で訳のわからないところを縦横無尽に走り回り、戦場や戦況を好き勝手にかき回す。そういう妖怪めいた存在だった。
その行動域は、四角錐の大悪魔が想定する人間の通常の行動域とは大幅にズレたところにあった。
高度三十ヤードの空中。
通常の人間は存在しないはずの座標へと身を踊らせ、ザイオーグに迫った老兵は、手にした槍状の魔導回路、毒撃回路に魔力を通す。
撃発。
槍の柄に似た四角いケースの中で結晶火薬が炸裂し、前方にオリハルコン・アダマンティア合金の毒杭、後方に反動軽減用のペレットを打ち出す。毒杭はザイオーグの胸の横を貫き、その定義づけの根幹である核を直撃した。四角錐の大悪魔に毒は通じないが、核への一撃は、大悪魔の存在そのものを大きく揺らす。
ザイオーグの思考をノイズが満たす。そのままぐらりと姿勢を崩し、地上へと叩きつけられた。一緒に地面に落ちた老兵は、ゴロゴロと受け身を取り、ザイオーグから飛び離れた。
ザイオーグの浮力の影響もあるのだろうが、地上三十ヤードから落下してなぜ受け身ゴロゴロでどうにかなるのか、どうもよくわからない。「やっぱり妖怪」と軽口を叩くのは今回は自重し、アステルは墜落したザイオーグの姿を見上げた。
核への一撃で体が動かなくなっていたようだが、決定打には至らない。再び立ち上がろうとするザイオーグ。
アステルはさらに手札を切った。
「玲瓏神火陣」
広場の中心部から、赤い光の筋が八条生じ、広場全体に、巨大な八角形の図形を浮き上がらせた。
<……これは?>
また好奇心が勝ってきたようだ。ザイオーグはアステルに問う。
「陣っていう、地面に描くタイプの使い捨て魔導回路です。この陣の場合、踏み込んだものの動きを封じ、焼き尽くします」
ザイオーグたちに攻撃をかける前に設置をし、偽装をしておいた。
既にザイオーグは陣の上にいる。
ラシュディは、そうなる角度で突っ込んだ。
そうなるように布陣を組んだ。
<なるほど、だが、これで私が焼けると?>
「完全に焼きつくすのはムリでしょーね。でも、熱を集めれば、アナタの核は焼き潰せます」
四角錐の大悪魔と戦うのは、アステルが初めてではない。魔王討伐隊、人族連合軍が、いくつかの戦場で相対し、打ち破ってきた。その骸は、ボーゼンをはじめとする研究者のもとに送られて解析され、弱点や対処方法などが検討されてきた。
情報の蓄積はできている。
弱点となる核の位置、耐熱限界は把握済みだ。
「起動」
八角の陣が真紅の光と、紅蓮の業火を吹き上げる。ザイオーグは逃れようとしたが、叶わなかった。紅蓮の炎に混じった黒い炎が蛇のようにザイオーグに絡みつき、抑え込む。
ザイオーグの全力をもってすれば脱出不可能ではないはずだが、その時間は与えない。
「ここまでです。楽しかったんですが、これ以上は、ワタシ、本当に寝ちゃうんで」
熱収束。
玲瓏神火陣が生じる紅蓮の業火を一本の光熱の杭に変える。
<そのようだな。あっけなかったが、楽しかったよ。アステル>
ザイオーグは恬淡と応じた。
「おやすみなさい。ザイオーグさん」
光熱杭、投射。
白熱する光の杭が、四角錐の大悪魔の胸部を貫き、その核、定義を灼き潰す。定義を失った大悪魔の体は、どろりと溶けるように崩れ落ちていく。
あとは、玲瓏神火陣の業火で焼けるだろう。
熱操作を解除し、アステルは「ん」と鼻を鳴らした。
「まだ起きてるか?」
ラシュディが駆け寄ってきた。
「そろそろ寝ます。あと、お願いしていーですか?」
いい加減に上まぶたと下まぶたの接触を防ぎきれそうにない。
「はいよ」
「なんか、変な悪魔でした」
巨馬バイアリータークの背中に転がりながら、アステルは呟いた。
「あんまり、悪者感なかったです」
「そういう奴もいるのかね」
「そーみたいです」
こちらが思っていたほど、人とかけ離れたものではなかったのだろうか。
そんなことを思いながら、アステルは眠りに落ちた。




