大悪魔は敵を得る。
魔王メイシンに呼び出された四角錐の大悪魔は恐怖の黒竜、二千の有翼型眷属とともに王都へ降下していく。
魔王が出した命令は殺戮。
眼下の都市に存在する生命の全てを蹂躙し、殲滅すること。
(惜しい)
大悪魔の意識に、そんなノイズが混じる。
四角錐の大悪魔は、元来は異形の神の宇宙に充満する異形の神の断片であった。明確な自我を持たぬ程度の小片の一つに、大悪魔という定義を与えられることで成立している。
だがこの大悪魔は、マティアルやジルと言った化身を送り込み、他の世界を覗き込む異形の神の性質、つまり好奇心を強く反映した個体であった。眼下に広がる世界や都市、そこに這い回り、飛び回る生物たちの姿に、大いに興味をひかれていた。
大悪魔としての定義や、魔王からの命令がなければ、何もせず降りてゆきたいところだが、さすがにそうも行かない。同じく魔王からの命令を受けた恐怖の黒竜は、地上の生き物を全てを殺し尽くすべく、猛毒を帯びた瘴気の吐息を吐き散らそうとしていた。
地上の生物たち、四角錐の大悪魔たちを迎え撃とうと飛び立った竜騎士たちも、それで大半は死に絶えるだろう。もったいないが、仕方がない。四角錐の大悪魔は、四角錐の大悪魔として定義されている。
その定義に背くことはできない。
恐怖の黒竜は体内の毒と大気を混ぜあわせて瘴気の塊を生み出し、地上へと放たんとする。
それを横から殴り飛ばすような勢いで、颶風が生じた。
その力は音もなく、予兆もなく発生し、凄まじい衝撃波と真空波を伴って恐怖の黒竜、その周囲を飛行していた有翼眷属たちを呑み込み、切り裂いて吹き飛ばした。
解き放たれようとしていた瘴気もまた、風に巻かれて四散する。
恐怖の黒竜は咆哮し、羽ばたくが、抗いきれなかった。致命傷には及ばないが、全身を切り裂かれ、王都近くを流れる川のあたりまで吹き飛ばされ、地上に叩きおとされた。
(これは)
はっきり認識できないが、空気を操る力を持った非物質的生命体の群体が、恐怖の黒竜に襲いかかったようだ。
面白い敵がいるようだ。
恐怖の黒竜は憎悪の咆哮をあげ、地上から上空を見上げた。直感でわかったのだろう。
その視線の先に、見えざる敵たちの首魁がいた。
栗毛の有翼馬にまたがり、長剣に槍の柄をつないだような得物を携えた、紫の目に浅黒い肌の女剣士。
魔剣士イズマ、という名前は知らないが、大悪魔は直感した。
(ジョーカー)
この世界における最強の存在の一角だろう。大悪魔の好奇心を充足しうるもの。
ちなみに大悪魔はジョーカーの現物は見たことがない、
大悪魔の本体である異形の神が、幾多の世界を覗くうちに拾った言葉の一つとして意識に浮かんだ。
だが、手は出せそうにない。
激怒した恐怖の黒竜が、全身に殺意をまとって女剣士を見上げている。横から手を出せばどうなるかわかったものではない。
(羨ましいものだ)
ああいう敵には、自分の方にこそ向かってきて欲しかった。そんな羨望を抱えつつ、大悪魔は眷属たちに指示を出す。
(急速降下。地を這うもの、空を飛ぶもの、一切を殺戮せよ)
恐怖の黒竜の射線に入らないよう、速度を落として降下していた有翼型眷属が急降下を開始する。
すでに動き出していた竜騎士たちが飛竜の火球や魔法を放って迎え撃つが、異形の神の眷属たちは火や魔法などの類には強い、一発二発当たったところでどうということはなかった。
だがそこで、異変が生じた。
眷属たちの降下速度が落ちない。
降下と言っても、着地する必要はない。遠隔攻撃用の魔力光、触手などが届く距離で位置的優位を保ちつつ戦う程度で十分だ。
だが、眷属たちは減速しなかった。
飛行能力が機能していない。
何が起きているのかを把握する時間も、対応する時間もなかった。
重力に捉まった二千の眷属はなすすべなく地面に叩きつけられ、粘土のように潰れて地面に広がる。無論それで死ぬようなことはない。地上戦用の形態で再生していくが、そこに九尾の狐の紋章をつけた戦士たちが眷属たちに襲いかかっていく。さらには空中の竜騎士たち、王都の外から突入してきた騎士や兵士たちも戦線に加わっていく。
(ふむ)
応戦はさておいて、大悪魔は思考した。
眷属から情報を取り寄せると、少しわかった。
翼を凍結させられたようだ。
気温が急激に低下したわけではない、いわゆる氷結魔法や凍結兵器の類を使われた気配もないが、眷属たちからの情報は全て、翼の凍結を示唆するものだった。
なにが起きたかはわからない。
しかし、誰がやったかは推測できた。
王都の中心の広場から、好奇心をくすぐるものが大悪魔を見上げている。
例の九尾の狐の紋章をあしらった戦装束を纏い、通常の馬の三倍はあろう巨馬の背中にまたがった、人族の娘。
巨馬も含めて考えても、大悪魔の半分の身の丈にもならないちっぽけな存在。
だが、わかった。
(この敵だ)
この敵こそ、二千の有翼眷属を地表に叩きつけ、泥臭い地上戦に巻き込んだ存在に違いない。
ゆっくりと降下し、巨馬に乗った娘と向き合う。
妙な高揚感がある。
自分の敵が得られた。
そんな感覚があった。
<名を聞こう>
大悪魔は思念で問う。
「名乗るのはかまいませんけど……呪ったりしません?」
奇妙な敵はのんびりと言った。
<知りたいだけだ。面白い敵。呪いを懸念するならば、私から先に名乗ろう。我が名はザイオーグ。今決めた名前だが、今後もそう名乗れば問題あるまい。お前だな、羽根つきどもを落としたのは>
「なる」
奇妙な敵は頷く。「なる」という言葉の意味はよくわからない。この世界でも癖のある言語感覚の持ち主のようだ。
「バケモノとか言われたことはありますけど、面白い敵って言われたのは初めてです。いーですよ、面白い悪魔さん。ワタシはアステル。傭兵団九尾、九代団長。羽根つきさんたちを落としました」
奇妙な敵は微笑み、胸に手を当てた。
<感謝する。その名前、記憶にとどめおき、母なる父の御許へと持ち帰るとしよう>
「ワタシの名前が不穏なところに伝わりそーなんですが気のせいでしょーか」
<特段害はない。母なる父の無聊を慰める言葉の一つに加わるだけだ>
「母なる父ってアレでしたっけ、こっち風に言うと異形の神のことでしたっけ」
<そのようだな>
あまりこちらの事情には詳しくないが、そうだったはずだ。
<酔狂に付き合ってもらい感謝する。では、戦を始めよう>
「りょーかいです」
あくまで軽い調子で応じるアステルとその馬を包囲する形で、ザイオーグは黒い円盤状の時空の抜け穴を百作った。右腕を百本の触手に変え、眼前に開けた百一番目の抜け穴へと撃ち込む。抜け穴を通り抜けた百本の触手は、百方向からアステルとその馬を襲う。
触手は一本一本が、超高熱を帯びている。一本でも触れれば人族の体など灰塵と帰すはずだった。
だが。
<やはりか>
通用しない。
空間を超えて閃いた触手はすべて、標的を捉える前に全て凍結し、砕け散っていた。
時空の抜け穴を解除した後には、やはり無傷のアステルがいる。
かざした手の上に、小さな太陽のような光を浮かべて。
<熱を自在に操るのか>
アステルが持っているのは、ザイオーグの触手から抜き取った熱だろう。
有翼の眷属たちも、翼から熱を引き抜かれて落ちたのだ。
「これ、お返しします」
アステルは手の上の光を圧縮し、光の糸のような光線として投射した。まともに受けてはまずい。ザイオーグは新しい抜け穴を作り、光線を受け止めようとした。アステルの目の前に抜け穴を繋いでうち返すつもりでいたが、光線は直角に曲がり、抜け穴を迂回した。
さらにいくつかの抜け穴を作り、受けようとしたが、全て迂回された。
灼熱の光線がザイオーグの眉間を捉え、その全身を業火に包む。
<なるほど>
ザイオーグは炎の中で笑う。
ザイオーグの頭はねじくれた四角錐であり、顔もない。人間にはそれと認識できない表情だったが。
炎上自体は大きなダメージではない。
ザイオーグはもともと熱への耐性が高い上、光線のエネルギーも迂回を繰り返したために減衰していた。
それにしても、信じがたい能力と言わざるを得ない。
二千の眷属の翼を奪い、灼熱の触手を凍てつかせ、投射した熱塊を縦横無尽に制御し、ザイオーグの防御をすり抜ける。
<これはいい>
こういうものに出会いたかった。




