商人は火蓋を切る。
「ひどいものだ」
王族の席に着いたまま、メイシンは苦笑した。
マティアル、ルーナ、ジース、ヴォークト、サイフェリア、バールの六国の面々を除き、広間には誰も残っていなかった。エンダイム父すら這々の態で逃げ出していた。
ジルもいつの間にか見当たらなくなっている。
ジルの方は去ったのではなく、何かをやらかそうとしているだけだろうが。
「ここまで綺麗に負けるとは」
「そっちの味方が無能すぎだ」
俺はヴェルクトの棺の側に立ったまま応じる。ここで棺をぶち壊してしまいたいところだが、この棺はヴォークトの職人たちがヴェルクトの眠りを一万年守ろうと総力を結集した代物で、無理に壊そうとすればヴェルクトまで傷つけてしまう。好意でやったことに文句は言いにくいが、結果的に厄介な状況になっていた。
「あんな恥知らずな真似をされたら、多少でも理性や羞恥心のある奴は、そっちには行けなくなる」
俺の始末に成功していたなら、また違ったかも知れないが、あそこまで無様に鎮圧され、啖呵を切られてはどうしようもない。
「あれを味方と言われても困る。父上の臣下だ」
「そのことだけは同情してやる。まぁ、困ってもいないだろうが。別に、賛同者が欲しかったわけじゃないだろう?」
最初から人国連合、アレイスタ諸侯を従えて始めるか、ジルだけと始めるか、それだけの違いだったはずだ。
「いや」
メイシンは口元だけで笑う。
「欲しかった。一緒に魔道を歩く仲間が。全員いなくなるとはな。悪くてもさっきのエンダイムやターミカシュあたりは残ると思っていたが」
ターミカシュ公爵は、グラムと一緒に大霊廟を離れている。この状況で下手に残ると目立ちすぎてしまうため、退出せざるを得かった。
なんとかして戻ってくるとは言っていたが、間に合わなければもう一枚のカードを使う必要がありそうだ。
「魔道ね」
そんな大層なものではないだろう。
メイシンがやろうとしたのは「裏切り者の王国」作りだ。ヴェルクトを裏切った男が、他の連中までに裏切りに巻き込もうとしたに過ぎない。
ヴェルクトを裏切ったメイシンに従うということは、ヴェルクトを裏切るということだ。
そんな風に思ったが、わざわざ口にはしないことにした。他人の心中を勝手に推し量って文句をいう趣味はない
「そろそろ正午だ。準備を始めるとしよう。そっちも始めるといい、武器を持ち込んでも構わない」
メイシンは立ち上がる。
「ありがたいが、段取りがいろいろ台無しだ」
完全に、正面からの殴り合いの構えになってきている。
潜入も何もなくなってきた。
「人の国を台無しにした男が良く言う」
「ヴェルクトを敵にしたところで終わってたんだよ、この国は」
腰の後ろからリブラ・レキシマを取り出し、右手にはめた。
「違う。ヴェルクトじゃない」
メイシンの背中。左の肩甲骨のあたりから赤黒く、捻れた四角錐が突き出す。
魔王のバイパス。
マティアルが言っていた通り、常軌を逸した力を発している。四角錐が突き出しただけで、周囲の空間がゆがんで見えた。
「お前だ。バラド。お前がアレイスタを追い詰めた。お前が世界を動かした。アレイスタの裏切りを、僕の裏切りを世界に伝えた。お前がアレイスタを世界の敵にした」
四角錐が伸びる。メイシンの体に絡みつき、這い回るようにして、赤黒い肉の鎧のようなものを形成していく。一通りの形が出来上がったところで表面が硬化し、甲虫の甲殻のような光沢を帯びた。肩のあたりから黒く、長細い四角錐の束がマントのように伸びて、床に広がっていく。
「そうまで恨んでもらえるとは思わなかった」
「褒めている。恨んではいない」
メイシンはまた、口だけで笑う。笑いながら続けた。
「僕はお前が憎い。どうせ憎むなら、小物よりも大物の方が憎みがいがある。今更父上やゴルゾフを憎んだところで憎みがいがない。王家に生まれて自我を膨らませただけの男や、過去の栄光に執着し、自身の延命と若い才能を潰すことだけに汲々とする老害。そんな相手を憎んだところで、自分が惨めになるだけだ。だが、お前は違う。お前は本物の、現役の怪物だ。身分があったわけでもない、元手があったわけでもない、ただ、ローデスでヴェルクトに出会った。ただそれだけのところから、勇者の商人として地位を築き、多くの人士、多くの国々と繋がって、魔王すら追い詰めるような組織を作り出した。そしてアレイスタも叩き潰した。ジルが現れなければ、僕も、父も、とうに破滅していただろう。さっき言っていたな。なぜヴェルクトに勇者がつとまったかわからないと。韜晦もいい加減にしろ。全部お前だ。お前がヴェルクトをそう育てた。勇者が務まるように育て上げた。勇者が務まるように支え、守りつづけた。お前がいたから、お前と出会ったから、ヴェルクトは勇者として戦い抜くことができた。全てお前の力だ。バラド。僕はお前が妬ましい。僕は、お前のようになりたかった。お前が勇者の商人であったように、僕も勇者の魔導騎士になりたかった。だが結局、僕はそうはなれなかった。父の道具として裏切り者に、勇者殺しにしかなれなかった。だから僕は、お前が羨ましくて、憎くて、どうしようもない」
「それが魔王のセリフかよ。救いようのないこじらせ方しやがって」
メイシンは声を出し、ふふ、と笑った。
「そうだな。本当に救いようがない。だが、いまの僕にはそれが心地よい。お前が憎い、お前が妬ましい。我ながら、どうしようもない感情だが、これは間違いなく僕の、僕自身の真情だ。こうやって、お前への嫉妬と憎しみを剥き出しにしているときの僕が、きっと、本当の僕だ。何も演じていない。ありのままの僕だ」
「とことん迷惑なやつだな。知らねぇよ。俺はな、ヴェルクト一人の面倒見るので精一杯なんだ」
カードホルダーから金と銀のカードを取り出し、リブラ・レキシマのスロットに押し込んだ。
【異空符ミカエル、異空符サタン、確認。天秤回路起動可能】
準備はできたが、まだ起動はしない。脳内魔導回路から断片回路にメッセージを送る。
(総員に通達。メイシンが魔王のバイパスらしきものを展開、予定通り、正午よりヴェルクト救出を決行する。この騒ぎが全部終わって、生きてた奴には全員に有給とボーナスを出す、社員じゃなくても出す。死んだら墓と遺族年金くらいはやるが、ぼろ泣きする奴がもうじき目を覚ます。配慮しろ)
『九尾。りょーかいしました』
『零号隊、老衰で死なないよう奮励努力する』
『海狼、了解』
『イズマ、了解した』
『ボーゼン、金や休みよりは人手をよこせ』
『ロムス、通達を確認』
『余だ。マングラールの兵の酒手も払うということか』
(ええ、もちろん)
『よかろう』
そんな会話の一方で、グラムから文字メッセージが飛んできた。
<支払いの計算と手配は誰がするのでしょう?>
まずい。
<すまない、埋め合わせはする>
と文字メッセージを返すと、今度は音声で『了解しました』という返答が帰ってきた。さほど怒っていないときの声だった。
広間にいる面々にも聞こえるよう、今度は声を出し、続ける。
「大詰めだ。これがこの時代の最後の戦いになる。戦が好きなやつには最後の祭りになる。楽しんでくれ。戦が苦手な連中には申し訳ないが、もうひとがんばり付き合ってくれ、そうしたら、平和な世界がくる。平和がいつまで続くかはわからないが、ともかく、ヴェルクトがいる未来が来る」
「ああ、行くよ」
外から武器を取ってきた聖堂騎士たちとターシャ、ゼエルがステージに向けて一歩前に出る。
「鏖殺」
徒手空拳のエルフたちと、ユーロック女王が一歩歩みでる。
「ネシス。我が子ラヴァナスに代わり助勢する」
竜騎士たちとネシス王が一歩前に出る。
残りの面子はロキ、ロト以外非武闘派だ。フルール二世とサイフェリア女王を守る形で後方に布陣する。
メイシンは両手を広げた。
「そうだな、バラド、楽しもう。この時代の最後の戦いを。僕とお前の、最初で最後の戦いを!」
空間が歪み始める。
メイシンの背中の触手のマントが後光のように丸く広がった。
世界が狂い始める。
大霊廟の天井に、ステージ後方の墳墓の奥に、異形の気配が生じた。王都の上空に暗雲が立ち込め、その向こうから、無数の異形の影と二つの巨影が現れる。
『イズマだ。上空から異形の神の眷属が約二千。それと恐怖の黒竜と四角錐の大悪魔が一体ずつ現れた』
恐怖の黒竜は恐怖の蛇竜の近縁種、恐怖の蛇竜と同様、瘴気を身にまとった髑髏頭の黒竜だ。恐怖の蛇竜のように這い回ることで大地を汚染することはないが、空中から瘴気のブレスを吐き散らしていくつもの都市や軍隊に壊滅的な被害を与えてきた。
四角錐の大悪魔は異形の神の眷属の中でも最強格の存在だ。体高約十ヤード、強靭な四肢に四角錐の頭、巨大な翼を備えた暗黒の巨人。
『すまないが持ち場を離れる。ヴェルクト以外で恐怖の黒竜を抑えられるのは僕と、風獣たちだけだろう』
(わかった。頼む)
転移よけの破壊工作はロキとロトの二人に委ねることになるが、この状況ではやむを得まい。
あとは四角錐の大悪魔の方だが、九尾のアステルが自分から言い出した。
『じゃ、余った方は九尾で。最後ですし、デカい首もらってきます』
(頼む。ラシュディ、状況を見てフォローを)
『了解でさ。いらねぇとは思いますがね』
『マジでいらねーです』
『いらねぇか。だが残念だったな。社長命令だ』
軽口を叩きあう九尾の団長と前団長。
異形の力の侵食は終わったわけじゃない。広間の天井に気配が生じ、異形の神の眷属たちが数十体、コウモリのような逆さ吊り状態で姿を現した。ステージ後方の墳墓の方にも気配が生じ、狂気めいた呻き声が聞こえて来る。
最後は、例の新魔族だ。
『模範的』な顔のまま、人形のようにたたずんでいた司教たち、兵士たち、従僕たちの顔がゆがんだ。目や鼻、口がなくなって、そこにぽっかりと、黒い穴が開く。メイシンの目と同じ、底のない、暗い淵のような穴だった。
穴開き新魔族たちは兵士たち以外武装をしていなかったが、体の方も作り変えられているようだ。司教たちや従僕たちも、腕が粘土のように変形したかと思うと、両手を鞭のような触手や片刃の剣のように変えて身構える。
「まずは、こんなところで行こう」
あいかわらず俺だけに憎悪の目を向けながら、メイシンは笑う。
「もう始めるのか?」
俺の言葉に、メイシンはかぶりを振った。
「いや、正午の鐘が鳴り終わるのを待とう。あと少し待つだけだ。中途半端な前倒しは気持ちが悪い」
「ああ」
ステージの上で魔王と向き合い、時を待つ。
やがて、正午の鐘が鳴る。
「総員に通達。準備はいいな?」
脳内魔導回路と舌を使って、そう告げる。
「ヴェルクト救出を開始する!」
リブラ・レキシマを前方に突き出し、引き金を引く。
【天秤回路起動。異空鎧、聖魔焔展開】




