虚ろの魔王は戴冠する。
ステージ後方の門が開いた。
白い鎧をまとった四人の『聖騎士』がガラスの棺を担いで運び出してくる。
勇者の棺。
分厚いが、澄んだガラスの向こうには、白いドレスを着せられた桃色の髪の少女が横たわっている。
ヴェルクト。
立ち上がりたくなるのを、なんとか押さえ込んだ。
聖堂騎士の一部は本当に立ち上がって「座ってな」とターシャに叱られていた。後ろの方ではユーロック女王たちも立ち上がり「頼むからじっとしていてくれ」とルヴィエーン王に言われていたらしい。
落ち着け。
鼻から息を吸い、すぼめた口から吐く。それを繰り返し、血が登りかけた頭と心を冷ましていく。
ステージの中央に運び込まれたガラスの棺は、弔問客から勇者の姿が見えるよう斜めに角度をつけられ、固定される。
そして、メイシンが現れた。
喪服とも婚礼衣装ともつかない黒い衣装を纏い、大霊廟の奥から、高い靴音を立ててやって来る。
おぞましいほどの密度の魔力、邪気を身にまとって。
何も言わなくても、視線を向けなくても異常とわかる。戦慄を誘う佇まいだった。事前の覚悟を済ませていたものは腹に力をこめ、邪気と恐怖の侵食を受け止める。覚悟のなかったものは、その場で魂を凍らせたように、あるいは魅入られたように動きを止め、声と表情を失った。
その隣には、ダーレス王の姿もある。葬礼用のマントを纏い、王冠をかぶっていたが、暴君の凄みはもはやどこにもない、痩せさらばえ、目の落ち窪んだ佇まいは、もはや廃人を思わせた。
メイシンの視線が俺を捉える。
人間の眼じゃなかった。
光を照り返さない、黒い穴のような眼。
この世のあらゆる絶望を見て来たような、一切の希望や執着を捨てたような眼。
狂気を誘うような視線だったが、恐怖は不思議と感じなかった。
むしろ、腹が立つ。
そんな資格があるのか、おまえに。
言われるままに生きて、言われるままに仲間を裏切って、言われるままに勇者を手にかけて、言われるままに魔王になったような奴が。
悲しみやら、絶望やらを知っているような眼をする資格があるのか。
裏切られたのはヴェルクトだ。
お前じゃない。
「甘ったれるな」
穴のような眼を見返し、そう呟いた。
聞かせようと思った言葉じゃない。だが、魔王ともなれば地獄耳らしい。メイシンの眼に炎が浮いた。
敵意と、憎悪の炎。
さっきまでの虚無とは違う、視線だけで魂を焼くような、強烈な意志を帯びた視線だった。
さすがに今度はぞわりとしたが、メイシンはそこで、ふっと口元を緩めた。
妙に楽しそうな、心地よさそうな表情だった。
現時点で休戦を破るつもりはないようだ。再び黒い穴のような眼に戻ったメイシンは、俺から視線を離し、今にも倒れそうなダーレス王の手を引いて王族の席に着いた。
「勇者ヴェルクトに黙祷を捧げます」
恐怖と緊張に包まれた大広間に、アレイスタ教区司教の『模範的』な声が響く。
黙祷の後は、人族連合の盟主であったアレイスタ国王による勇者への弔辞の読み上げ。
いや、むしろ。
「公開処刑」
ロトがボソッと呟き、ロキが鼻から笑いを漏らした。
「変な時に変なツボ狙ってくんじゃねぇよ」
笑う気にはならなかったが、公開処刑というのは言いえて妙だ。
大霊廟のステージの上で、ダーレスは王としての死を迎えようとしていた。
ステージの真ん中に歩み出たダーレス王は怯えきった、落ち窪んだ目で弔問客たちを見渡す。ちょうど真正面に猊下とターシャ、その後方には竜王国のネシス王という席順だ。こちらからは見えないが、ターシャが血なまぐさい表情の一つでも見せたらしい。射すくめられたように身を強張らせるのがわかった。
目の前には六王の弔問団。他国の弔問団やアレイスタの諸侯はメイシンの異様な気配、バール竜王国の武力と威光、そして教皇フルール二世の逆鱗を恐れ、息を潜めている状態だ。
これまで猊下が侮られてきたのは、背後に決定的な後ろ盾がなかったためだ。だが今の猊下を敵に回せば、大陸最強格の軍事力を誇るバール竜王国、大農業国、食料輸出国であるルーナ国、北方海運に絶大な影響力を持つジース国、人族の五十年先をゆく冶金、金工技術を持つヴォークト国、敵に回すと千年祟ると言われるサイフェリア国の五国を、破門状付きで敵に回すハメになりかねない。
当人は自覚していないようだが、今の猊下は人族社会最強格の権力者といえた。
対するダーレス王には、猊下やネシス王らに対抗するだけの気概や気迫は残っていないようだ。
明らかに怯え、すくみあがっていた。
そんな王を守ろうとする諸侯はいなかった。
そんな王でも守ってもらえるような生き方は、してこなかった男だった。
すでに終わっている。
王としても。
人としても。
だが、メイシンはまだ、ダーレスを舞台から下ろすつもりはないらしい。
「弔辞を、父上」
孤立無援、破滅と断罪の恐怖の中で立ちすくむ哀れな王の背を、魔王の声が無慈悲に突く。「ぁ、ああ」と声をあげたダーレスは操り人形のようにヴェルクトの棺に向かい、ひどい弔辞を読み始めた。
「い、今、ここに、葬送の時を迎え、勇者ヴェルクトに惜別を告げなければならぬこと、誠に哀痛の極みである。人族の勇者ヴェルクトは、七年もの間にわたり、獰悪、邪悪なる魔王軍との戦いの陣頭にあり続けた。この間、我ら人族連合もまた、激烈なる戦火の中、気高き勇気と正義の心を胸に、邪悪なる魔王軍の侵略に抗い続けてきた。このような世界にあって、勇者ヴェルクトは世界の平和、人族の幸福を願って正義の剣を振るい続け、そしてついには、魔王ガレスを討ち果たした。その武勇と仁慈の心に触れ、感動をせぬ者はなかった。その姿、その偉業は、何百年経とうとも忘れられることなく語り継がれ、最高の英雄の姿として人々の心に生き続けることになるだろう。最後の別れを告げるにあたり、在りし日の勇者の姿を思い起こせば、悲しみの涙を禁じ得ない。我々人族連合は、勇者ヴェルクトが願った平和な世界に思いを致し、この地上より、邪悪なるものどもを根絶し、千年の楽土を築くため、今後も尽力し続けてゆく。勇者の御霊が安らかならんことを祈り、ここに弔辞を献じる」
事前に用意してあった原稿をそのまま読んだだけのようだが、イズマが聞いたらヤバい眼になりそうな内容だった。ヴェルクト本人も変な顔になりそうだ。
自分でヴェルクトを殺せと指示をしておいてどの面を下げて弔辞だ馬鹿野郎と、いうべき場面だが、意外にそういう怒りは湧かなかった。
既に全てを失った男が、舞台から下ろしてもらうこともできず、無惨な醜態を晒しているだけだ。
勇壮な弔辞の文面を読み上げるダーレスの声は弱々しく、惨めに震えていた。
腹が立つより痛々しい。
失笑する気分にすらならなかった。
こんな男のために、ヴェルクトは傷つけられたのか、ミスラーは死ななければならなかったのか。そういう、やりきれないような感情だけが、腹の底に沈殿していく。
だが、無残な茶番はまだ続く。
震えながら弔辞を読み終えたダーレス王は、弔問客たちに向きなおり、再び口を開いた。
「わ、私はここに、王太子アスールを廃し、第二王子メイシンへの譲位を宣言する。魔王ガレスは倒れ、一つの時代は終わりを告げた。私の時代もここで終わるべき時にきた。我が子メイシンは、勇者ヴェルクトと常に共にあり、深く愛し合ってきた。そして今日、勇者ヴェルクトと冥婚の儀を執り行い、勇者ヴェルクトを生涯の魂の伴侶とする。これを機に私はメイシンに王座を譲る。新しい時代のアレイスタ王には勇者ヴェルクトの魂と結ばれた我が子メイシンこそがふさわしい」
やっぱりダメだ。
「……あー」
無意識に、呻くような声が出た。
「だいじょうぶ?」
サーナリェス女王が俺の顔を覗き込む。
「……吐き気がしてきました」
弔辞まではダーレス王の落ちぶれ具合で許せたが、冥婚はダメだ。
何が深く愛し合ってきただ。
何が魂の伴侶だ。
何が魂と結ばれるだ。
ヴェルクトを道具扱いするのもいい加減にしろ。
愛だの、心だの、魂だのまで道具にしようとするんじゃない。
「殴りに上がっていきたい気分です。動かなくなるまで」
今となっちゃ、メイシンに言わされているに過ぎないのかもしれない。だが、それでも言っちゃいけない言葉はある。
触れちゃいけないものがある。
サーナリェス女王は俺の太ももに手を触れる。
「今は我慢。がんばって」
「……ええ」
このタイミングでダーレスを殴りにいっても意味がない。
「後にさせていただきます」
そんな会話の一方で、ダーレスは王冠を外し「メイシン」と呼ばわった。「はい」と応じ、ゆっくりと歩み出たメイシンはダーレスの足元に跪く。
弔辞の直後の、唐突な譲位の宣言。混乱する弔問客たちの前で、戴冠はごくあっさりと済まされた。
ダーレスの震える手が、第二王子の頭に黄金の冠を置く。
広間がざわめく中で、ダーレスは告げた。
「これよりは、メイシンがアレイスタの王である」




