六王は大路を征く。
最初にそれを目にしたのは、王都大門の警護を担っていた王都衛士隊の隊長、エンダイム兄であった。
(噂は、真実だったと言うのか)
ある日から流れ始めた噂。
死んだと公表された聖女ターシャの生存。
ターシャが証言したという勇者ヴェルクトの死の真相。
フルール二世の憤激、メイシンらへの破門状の発布。
流言飛語の類として取り締まってきたそれらの噂は、全て真実。そう告げる光景が、大門の前に広がっていた。
教皇の乗り物である大牡羊の上、教皇フルール二世の傍に、死んだはずの聖女ターシャが立っている。
灰色の審問旗を掲げて。
教会からの破門の言い渡し、魔女や異端者の捕縛の時に掲げる旗だ。
通常の弔問の時に掲げる旗ではない。
断罪に来た。
そう宣言する旗だ。
それだけであれば、そう大きな問題ではない。フルール二世といえば軟弱教皇。猛女として知られる聖女ターシャに引きずり出されたとしても、まだ対処の余地は残されている。
だが、断罪旗を掲げているのはマティアル法王国一国ではない。
西方のルーナ国の女王サーナリェスの馬車。
海洋国ジースの王、メルディオスの馬車。
二匹の金の大ムカデの間に渡した輿の上に立つ、ヴォークトの少年ドワーフ王ルヴィエーン。
白い虎の上に横座りしたサイフェリアのエルフの女王ユーロック。
そして漆黒の騎竜エム・レスカードの上に陣取ったバール竜王国の国王ネシス。
その全てが、長い旗竿につないだマティアルの審問旗を掲げていた。
ルーナ、ジース、ヴォークト、サイフェリア、バールの五国は法王国と歩調をともにすると宣言していることになる。
ルーナ、ジース、ヴォークトの三国はともかく、バール竜王国とサイフェリアの同調は致命的だ。
バールはアレイスタと同格の国力を持つ強国にして隣国。アレイスタ最大の同盟国だ。その国王ネシスはダーレス王とて一目置かざるを得ない存在だった。
サイフェリアの場合はエルフという種族そのものが不可侵種族と言われる森林の戦闘種。エルフ族の寿命の長さもあって「敵に回せば千年祟る」と恐れられている。
(終わるぞ、この国は)
勇者殺しが真実であるなら、この国はもう終わりだ。少なくとも、ダーレス王の支配するアレイスタ王朝は幕を下ろすことになるだろう。メイシン王子の命運も尽きる。あるいはアスール王の時代が訪れることになるかもしれないが、アスール王子は革新者、つまりは破壊者だ。いずれにしても、これまでのアレイスタの体制は、根幹から崩壊することになる。
エンダイム家の名家としての時代も終わりを告げることになろう。暗い未来を予感し青ざめたエンダイム兄を見下ろして、教皇フルール二世はやや肩身の狭そうな顔で、間の抜けた調子で言った。
「なんと言えばいいのかな、こういう状況では」
強国であるバール竜王国を筆頭とする王たちの中心に立たされ、やや萎縮、混乱気味のフルール二世。
ネシス王が「ここは私が」と告げる。黒騎竜エム・レスカードは体長十ヤード、教皇の大牡羊をさらに上回る威容の巨獣だった。その後方にはその半分くらいの大きさの通常の騎竜に乗った竜騎士たちが付き従っている。
「声の大きさには自信がありますので」
「申し訳ありません。では、お願いします」
「お任せあれ」
ネシス王は鼻から息を吸い、口からすっと吐き出した。
そして、大喝するように告げた。
「マティアル法王国弔問団! ならびにルーナ国弔問団! ジース国弔問団! ヴォークト国弔問団! サイフェリア国弔問団! バール竜王国弔問団! 勇者ヴェルクトの弔問に参った! 開門を願いたい!」
天地を震わすような、衝撃波のような大音声。エンダイム兄は心臓と睾丸を縮み上がらせた。
「し、ししし! 招待状のご提示をっ!」
慌てふためきながらどうにかこうにかそう口にしたエンダイム兄であったが、そこが限界であった。衛士たち共々震え上がったエンダイム兄はバラドたちの存在を綺麗に見逃して門を通すことになる。
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六本の審問旗を掲げ、大路を進む六国の弔問団。
その姿は否応無く人目を引く。
白い上衣をまとい、審問旗を掲げて大牡羊の背に立つ聖女ターシャの姿は、その存在だけで勇者の死に関する欺瞞を人々に悟らせた。
「聖女様はやっぱり生きていらしたのか」
「勇者様を殺したのって、本当に、メイシン様たちだったってこと?」
「そんなはずがあるか、メイシン様がそんなことをするはずが」
「ならなんで審問旗なんて出してんだよ。勇者様のこと以外で、審問旗を出して乗り込んでくるようなことがあるのかよ。国葬の当日だぞ」
メイシンらの裏切りについては、以前から勅許会社のキャラバン、商船団などを通じてぼかした噂が流布されていた。既に情報のパズルができあがりかけていたところに、聖女ターシャの生存、教会の審問旗というピースを与えられた人々は自らの思考の帰結として、勇者の死の真実を悟っていった。
「人が増えて来たようだね」
大牡羊の輿の上から後方を見渡し、フルール二世は呟く。
勇者の死の真実を悟った群衆が、弔問団のあとについてきている。
アレイスタの国民の多くは、勇者を愛していた。
魔王ガレスに最も憎まれたアレイスタは、勇者の恩恵を最も受けた国でもある。特に激戦地の住人や従軍経験者の間での人気は極めて高い。わざわざ国葬のために地方から王都にやって来ていたものも少なくない。
その人気が勇者という存在をダーレスに煙たがらせた部分もあるのだが。
「そろそろかな」
こういう状況になるのはある程度計算通りだ。
わざとこういう状況を作った。
アレイスタの人々には、伝えなければならないことがある。
「頃合いでしょうね。覚悟はよろしいですか」
ターシャが同意してくれた。
「ああ、大丈夫だ。速度を落としてくれ」
教皇の言葉に従った大牡羊は弔問団の最後尾に回り、ゆっくり減速して足を止めた。
フルール二世は群衆を見渡し、声をあげる。
「足をお止めください、みなさん!」
聖堂騎士団のような強面たちや、王侯貴族を相手に駆け引きをするのはどうにも苦手だが、大衆を相手にした説法であれば、数は十分に重ねている。声が上ずったりするようなことはなかった。
勇者の死の真実を悟り、既に頭に血が登りかけていた群衆たちだが、聖女ターシャを従えたフルール二世の声に足を止める。黄金の大牡羊の荘厳さ、少し前にいるネシス王と竜騎士たちの威圧感も、教皇フルール二世の威光を上積みしていた。
静まり返った群衆を見渡し、フルール二世は口を開く。
「ありがとうございます。私はマティアル法王国の教皇、フルール二世。少しだけ、私の話をお聞きください。みなさんは、どこに向かおうとなさっているのでしょう。勇者ヴェルクトの死の真相を知るため、私たちに続いて、大霊廟に向かおうとなさっているのでしょうか。もし、そのようなお考えであれば、どうかおやめください」
なぜです!
そう叫ぶ声がした。
声を放った男に目をやり、フルール二世は微笑する。教皇として微笑する。我ながらうまく笑えていると思うのは、聖女や、聖堂騎士たちが背中を押してくれているおかげだろう。
「なぜです、とおっしゃりたいお気持ちはわかります。みなさんのために戦ってくれた勇者の死の真実、それを知りたいと思うのは当たり前のことでしょう。ですが、私たちは勇者への裏切りを断罪するためだけに、ここにやって来たのではありません。私達の本当の使命は、勇者ヴェルクトに大聖女マティアルの奇跡を届けること、勇者の体に再び生命の火を灯すことにあります」
群衆がざわめく。
「既に噂になっている通り、勇者ヴェルクトの体は魔王城での死から現在に到るまで、痛んでおりません。なぜだと思われますか? それは、勇者が大聖女マティアルの娘として生を受けた、特別な存在であるからです。勇者の死の真相、それはアレイスタ王ダーレスの命を受けたメイシン王子らによる卑劣な裏切りでした。ですが、大聖女の血をひくゆえに、勇者はまだ、完全な死にはいたっていません。人の悪心によって倒れた愛し子を哀れんだマティアルは、一度だけ私たちに贖罪の機会を与えてくださいました。再び勇者に命を吹き込む術を、神託により授けてくださったのです」
マティアルの娘あたりから嘘ばかりだが、この辺りは方便というものだ。
古代錬金文明の『光の獣』だなんだという話になると、話がややこしくなってしまう。
「大霊廟から勇者の身柄を取り戻し、蘇生を実行することが、私たちの真の使命です。ですが、悪しきものもまた、この王都に現れようとしています。勇者の死によって命脈を保った悪しき力が、アレイスタ王宮の腐敗に共鳴し、新たな災いを生み出さんとしています。私たちの行く手に待つものは悪しき力と、私たちとの本当の決戦となるでしょう。ですので、みなさん。どうかここで足をお止めください。そして皆さんに、お詫びとお願いを申し上げます。この街は、戦場となるでしょう。規模の想像できない戦いとなります。その戦いが始まる前に、本日の正午までに、王都を離れていただきたいのです。王都の外には聖堂騎士たち、マティアル勅許会社の者たちが待機しております。その指示に従っていただければ、当面の衣食住の心配はありません。共に戦いたい、そうお考えになってくださる方もおられるかもしれませんが、どうかご自身を、ご家族や友人を、そして財産を守ることを、第一に考えてください。悪しきものとの戦いについては、各地より勇士が集いつつあります。王都の外には、既に多くの兵が待機しています。正当な対価を受けて戦う、勇敢な戦士達です。みなさんの戦いは、生き残ること、今日の命を、明日からの生活を守ることです」
フルール二世は胸の前で両手を組み、跪く。
「お願いいたします。どうか、戻ってください。行ってください。逃げてください。他の方々にも逃げるようにお伝えください。どうか、お願いいたします」
戸惑うようなざわめきが上がる。
感極まったように「猊下!」と声をあげ、ひざまずくものもいた。だが全体に、統一と方向性を欠く反応だ。
感情を動かすことはできているが、行動付けができていない。
野太い声が、そこに轟いた。
「心得ましたぜ教皇サマ!」
銀色の髪、筋骨たくましい体つき、両の拳に黒い布の包帯を巻いた巨漢の老人だった。
「納得したんならとっと動くぞ! 俺たちがこうして突っ立ってたら教皇サマが身動き取れねぇだろうが! お忙しいんだぞ教皇サマは!」
巨漢の老人の声をきっかけに、群衆が動き出す。その場から動かないものもあったが、多くのものが家族のもとや職場に戻り、声を掛け合い、王都からの避難を開始した。
結局自分は最後まで残っていた老人が声をあげる。
「行ってください。あとは最後まで這いつくばって猊下を見送りたいやつと、誰がなんと言おうがついて行くぞってバカだけです。気にしてたらキリがない」
「ありがとうございます」
この老人が声をあげなければ、うまく収拾がつかなかっただろう。
「お名前をお伺いしても?」
「……ああ、いや、やめときましょう。そいつは多分、間抜けになります。ご縁があればまたのちほど」
苦笑気味にそう言った巨漢の老人は、そのまま踵を返していった。
「間抜け?」
首をかしげるフルール二世に、ターシャが告げた。
「バラドの部下ですよ。王都支店の支店長、黒い拳のラシュディ」
身内だったらしい。




