商人は王都に向かう。
偉大なる栄光城、ボーゼンの仮設研究室。
「大丈夫、ですか?」
俺の首に小さめの四角錐を埋め込んだマティアルは心配そうに俺の顔を見上げる。
「ああ、問題ない……とはさすがに思えない気色悪さだが、痛みや痺れはない」
首の中でナメクジが這っているようで気色の悪いことこの上ないが、吐き気や痛みと言った症状はなかった。
四角錐の役割はジルの読心能力封じと俺の記憶の封鎖。ジルの読心は不可視の霊的な触手を伸ばし、相手の心に触れることで成立する。その触手の動きを封じ込める結界を発生する四角錐だ。有効半径はおよそ一マイルと広く、大霊廟内にいるグラム他の潜入メンバーへの読心も抑制できる。
俺自身の存在は隠蔽不可能になるのが難点だが、俺の場合はもともと面が割れている。特に支障はないだろう。せいぜい目立って囮になるまでだ。
記憶封鎖されているので当たり前だが、記憶封鎖の理由は思い出せない。マティアルとボーゼンの話では『表層意識にあると救出作戦に致命的な支障をもたらす記憶』が頭の中にあるらしく、それを封じるための処置だそうだ。大事なことを忘れていると言う漠然とした不安があるが、自分自身で決めたことらしい、受け入れておくしかないだろう。
これで、事前準備は一通り終わりだ。
ボーゼン、イズマ、ロキ、ロトの兄弟をつれ、四角い革鞄を二つもって馬車に向かう。馬車は五台、二台目以降には納入されたばかりの毒撃回路を携えた王都支店のメンバー二十名が分乗する。撤収した王都支店の奪還、殺された社員セレスの仇討ちということで、支店長ラシュディ以下、中高年主体ながら士気は高い。
「わぁ!」
見送りに出てきたマティアルは何もない、強い風の吹く空を見上げて、歓声のような声をあげた。
「すごいです!」
「見えるのか?」
イズマが問う。
「はい! 風獣でしたっけ? こんなにいっぱい集まってるのは初めて見ました!」
「何か見えますか? ボーゼン先生」
俺も空に視線を向けたが、その手のセンスがないので全然わからない。風獣ってのはかつてのレストン族と契約していた不可視の風の霊獣だと聞いたが、わかるのはそこまでだ。
ロキとロトの兄弟も見えてないようだ。「見えるか」というロトの言葉にロキが「ああ」と答えて「嘘つけ」と突っ込まれていた。
「儂も風獣は見えぬが、ふむ」
ボーゼンは杖を軽くかざした。
「これは驚いたな。百を超しているではないか、どう契約したんじゃ。風獣は一人一体しか契約できぬと聞いたが」
「デギスが治めていた土地に、魔族からレストン族に戻った人々のコロニーができつつある。彼らに契約してもらった風獣たちだ。僕の風獣の契約の時に頼んでおいたんだが、何とか間に合った。空中の『聖騎士』を制するのに役立つだろう」
マングラールに来る前、魔族の領域に立ち寄っていたらしいが、このための根回しをしていたんだろう。
「レストン族の助勢ということで、恩を売らせてもらえるとありがたい」
「ああ、良い値をつけさせてもらう」
働きには、相応の報いが必要だ。
そうでなければ、世界は回って行かない。
馬車を出す前に、マティアルが言った。
「そうだ。言い直すのを忘れてました。私のことは、ターシャや教会の人たちには内緒にして置いてください」
「まずいのか?」
「はい、今の私がターシャじゃなくて、アナを依代にしてるってわかったら、ターシャは聖女じゃいられなくなっちゃいます。今はそういう混乱を起こしていい時期じゃありません。それに、私がやることを考えると、今は、教会の皆には会わない方がいいと思って」
「何をするんだ?」
「言えません。社長さんの記憶封鎖に関係する内容なので」
「そうか、ターシャ本人にも言わない方がいいのか?」
「はい、聖女の資格を捨てたことは、ターシャ本人も気にしてると思うんです。今は、私が来てるってことは、知らせたくありません」
「わかった」
確かに、王都に乗り込む寸前に「マティアル降臨」なんて話を持ち込んでも混乱をさせるだけだろう。
マティアルたちに見送られて馬車を出す。
百の風獣を従えた五台の馬車は、追い風ととも進んでいく。
前方に金色の羊を伴った騎士団の姿が見えた。休憩中らしい。馬車を止めると、団長のゼエルが駆け寄ってきた。
「これはバラド社長。ターシャ様ですかな?」
「はい、面会はできますか」
「ええ、教皇猊下が羊酔いをなさいまして。一息いれているところです。猊下とご一緒に小川の近くにおいでですよ」
「ありがとうございます」
小川の方に歩いていくと、教皇猊下が魂が抜けたような顔でうつむいている姿が見えた。目の光が弱々しい。まぁ、あの聖堂騎士団と一緒に法王国からきたならこうなって当然だろう。聖堂騎士団は大陸最強最悪の体力団体だ。まともな人間の体力ではまずついていけない。
猊下のそばにいたターシャが振り向いた。猊下と違って平気な顔だ。
「まだこんなところにいたのかい? もう王都にいると思ったよ」
「待ち合わせがあってね」
ターシャに現時点での状況を説明する。重要な点は正午までの休戦だ。こちら側で一番暴発しそうなのは熱狂的な勇者信者の多い聖堂騎士団だ。戦力としては頼れるが、手綱を誤ると色々まずいことになりかねない。
「正午まであいつらを抑えろってのかい?」
「ああ」
「猊下のケツを蹴るより厄介な注文だね」
ターシャは肩をすくめた。教皇猊下が身じろぎするのがわかった。
ケツを蹴られると思ったのかもしれない。
○
○
○
○
○
「出発!」
ゼエルの号令で動き出した聖堂騎士団と並走し、再び王都を目指す。
風を巻き、土煙を立てて進んでゆく。王都近郊で待ち合わせの相手、ルーナ国弔問団と合流した。規模は警護の騎士や兵士、従者などを含めて五〇〇人ほど。
弔問団の長はルーナ国女王、サーナリェスその人だ。
サーナリェス女王はグラムとは幼馴染で、歳が近いのだが、人間とハーフエルフでは成長速度、老化速度が違う。細身で十八歳前後の外見のグラムとは対照的な、ふくよかな体つきをした、品の良い老女王だ。
「今回は無理なお願いをお聞き届けいただき、ありがとうございます」
杖をつきながら馬車を降りてきたサーナリェス女王の前に跪き、謝辞を述べる。サーナリェス女王は二年ほど前に脳梗塞で倒れ、それ以来足を悪くしている。やや不安定な足取りで俺に歩み寄ると、面白いものを見るような表情で俺の顔を覗き込んだ。
なにか?
そう視線で問うと、サーナリェス女王は少女のように微笑んだ。
「ごめんなさいね。小さい頃に聞いたあの子の理想の男性とは、だいぶ違うと思ったものだから」
「それは、まぁ、そうでしょうね」
グラムはルーナの将軍家の娘だった。金物屋上がりの四十男が理想に近かったら親が困るだろう。
「本当にごめんなさい。浮いた話なんてしている場合ではないのに。ずっと前から、気になっていたものだから、つい。これからの手はずについてお話をしなければいけませんわね。どうぞこちらへおいでになって」
サーナリェス女王は朗らかにいうと、俺を馬車へ招き入れた。
サーナリェス女王の一行に混じって国葬に入り込むのは俺とロキ、ロトの三人。
俺のポジションは囮。転移よけの破壊工作はロキ、ロト、そしてターミカシュ公爵の姿で国葬入りするロムスのラクシャ家三兄弟が担う。保険としてイズマが大霊廟の外部に待機、状況に応じて外部から強襲や陽動を仕掛けて、兄弟を支援する布陣だ。
転移担当のボーゼンは王都の外で待機、転移よけの解除を待って大霊廟に突入する。
そこからは、完全な強行策となる。
本命はグラム。
かつて根源魔導回路の生体部品にされていたグラムは俺の脳内魔導回路のオリジナルにあたる脳内魔導回路を持っていて、リブラ・レキシマを運用できる。俺やターシャたちが囮として動き、その隙にリブラ・レキシマのプロトタイプを使ってヴェルクトの身柄を引き寄せる。そこからボーゼンの転移でマングラールの本陣まで後退、マティアルとボーゼンとでヴェルクトの蘇生、可能であれば勇者のバイパスの提供を行う流れだ。ヴェルクトが参戦可能かどうかはわからない。状況と戦況によってはアスール王子や俺が勇者のバイパスを使うことになるかもしれない。
「あら素敵! 二人ともいいわねぇ、なんだかシュッとしてて」
ルーナ国の従僕の衣装に着替えたロト、ロキの姿に、サーナリェス女王は少女のような歓声をあげた。
「二人ともそのままうちの国にきてくれないかしらねぇ」
冗談とも本気ともつかない声だが、割と本気が強そうだ。
俺も従僕姿になったが、特にコメントはなかった。
まぁミスラーの息子たちと比べられても困る。アレイスタのフィジカルエリートみたいな兄弟だ。
「それで、グラムが言っていたものは?」
女王は俺に尋ねた。
「こちらです」
俺は携えてきた二つの鞄のうち一つをとりあげる。一方は俺が普段使っているリブラ・レキシマのケース。
もう一つは。
「新型リブラ・レキシマ。まだ試作段階で、扱える異空符は限られますが、安定性の向上を最優先課題にした改良型です。現状では一番扱いやすいものになります」
ケースを開き、箱の中の黄金の丸盾を見せる。
「思ったより大きいのね。ちゃんと使えるのかしら」
「やり方はご説明します。極力、使わずに済むようにことを運ぶつもりですが」
これが必要になるとしたら、本当に最後の最後の切り札になるだろう。使わずに済むならそれが一番だ。




