女秘書は港へ向かう。
「対魔獣用装備をした部隊を二千ずつ三部隊、メリルナガン、グラード、ラグンの国境近くに待機させてください。はい、戦争の準備と考えてください。糧食等については弊社にて手配し、現地にキャラバンを向かわせますので最低限で構いません。無理ばかり言って申し訳ありません。ああ、そうですね。この一件が終わったら、是非」
マティアル勅許会社、社長付き秘書グラムは、馬車に積んだ通信機材を止めた。
眼鏡を外し、軽く伸びをする。
背骨からバリバリと音がした。
(さすがに働きすぎでしょうね)
グラムは今年で七〇歳。
ハーフエルフとしてはまだまだ若いのだが、それでもこのところ働きすぎだ。今回はビジネスは度外視、仕事ではなく、ヴェルクトという友人のために立ち回っているので、過重労働も仕方のないところと割り切ってはいるが。
(ともかくこの件が終わったら、長期休暇をいただきましょう)
この戦いが終わったら、当面仕事は放棄しようと心に誓う。アレイスタ包囲網構築のための根回しや用兵、兵站の管理などは得意分野なのでまだいいが、勇者ヴェルクトの訃報を聞き、本社を出ていったきり戻ってこない社長の決済業務の類までグラムの肩にかかってきていた。
挙句の果てにグラムにも、アレイスタに出てこいと言い出した。
状況はわかっている。自分の力が必要なこともわかっているし、必要とされることへの喜びもある。
それはそれとして働きすぎだ。
退職願を叩きつけるつもりはないが、恨み言と休暇願いくらいは叩きつけてやってもいいだろう。
「激詰め終わりました? 頭」
馬車の前方の幌が開き、若い女が顔を突っ込んでくる。二十代前半、短い栗色の癖毛、女性にしては長身で、メガネをかけている。
名前はアステル。歳は若いが勅許会社傘下の傭兵部隊九尾の団長を勤めている。今は直属部隊である一号隊の隊士三十人のみを率い、海運国ジースの港に向かうグラムの馬車の警護任務についていた。
九尾は大陸最強格の戦闘集団の一つだ。総兵力は三〇〇程度、軍事組織としての規模は決して大きくないが、実質的な戦力は一万の兵力に匹敵すると言われる。寡兵の身軽さと大軍並みの打撃力で戦場をかき回し、支配する。そういう集団だった。
「いえ、そういう交渉はこれからです」
先ほどの交渉は古い友人が相手だ。えげつない交渉をやらなくても話をつけられた。
タフな交渉になって行くのはこれからだろう。
「そーですか。まぁとりあえず一息入れません? チョコ練りました」
軽い調子で言ったアステルは顔の下からカップを二つ出す。チョコというのは、緑の地獄と言われた南方大密林付近に自生する豆を加工して作る新しい嗜好品だ。元はレストン族の伝統的な食品だったが、勅許会社の戦後の商売に加えるべく少量を生産し、法王国で試験販売をしている。
「そうですね、いただきます」
アステルの誘いに応じ、馬車の御者台に出る。街道をゆく馬車の周囲には、一号隊の騎馬三〇騎。三台の馬車を連ねた馬車を引くのは、通常の騎馬の三倍近い馬体を持つ魔物めいた巨馬である。
バイアリーターク。
御者台で砂糖を混ぜたチョコを練る団長アステルの愛馬である。
陽気で砕けた調子からは想像しにくいが、アステルは熱操作を得意とする魔術師だ。水筒から熱を逃がして低温保存しておいたミルクをカップに注ぐと、今度は周囲の熱を集めて加熱し、スプーンと一緒にグラムに差し出した。
「どーぞ」
「ありがとうございます」
加熱されたミルクを掻き回してカップの底のチョコを溶かし、口に運ぶ。
思ったより熱い、少し風に当てて冷ましてから改めて口に運んだ。
ふう、とため息をつく。
自分の分を作ったアステルもまた「ふー」と声をあげた。
「そーいえば、ちょっと前にアレ見かけました」
「アレ?」
「アレですアレ」
「わかりません」
「教皇サマのデカイ羊」
「大牡羊、ですか」
「ソレです。やべーやつでした。デカいわ速いわ金色だわ。で、その後ろを聖堂騎士団がずどどどどおぉー」
大牡羊はマティアル教会教皇専用の乗物。教皇フルール二世は予定通りアレイスタに向かうのだろうか。
今のアレイスタの状況を考えれば、中止して当然、聖堂騎士団が動ければ御の字と考えていたので、少し計算外だ。
フルール二世という人間を見誤っていたのかもしれない。
「最後の戦争になるんですかねぇ、これで」
「そう願いたいところですが」
あまり期待はできまい。人族というのは、そう賢い生き物ではないのが現実だ。
だが少しでも、長い平和が来て欲しいとグラムは祈る。
ヴェルクトという少女の戦いと、勅許会社を作った男の想いが、無駄なものにならないようにと。
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グラム、一号隊の到着と時を同じくして、九尾二号隊から九号隊、勅許会社の海運、海上警護を司る海狼武装商船団が港湾都市ジースへと集結した。
ここからは海路。九つの隊は九隻の船に分乗、九箇所からアレイスタ沿岸に上陸、王都に潜入し、バラドたちの勇者救出を支援する。作戦終了まで九尾のメンバーが一堂に会する機会はないため、この場で作戦上の注意事項と新しい装備の説明を終えておくことになる。
会場はジース造船所の空きドック。階段状の段差がついたドッグの傾斜を座席代わりとし、グラム自身は水を抜いたドックの底に立ち、作戦概要を通達して行く。
九尾上陸作戦の説明の途中で、海狼の団長ゴーバッシュが口を開いた。
「頭」
頭というのは軍事や兵站に疎い社長の代わりに実戦部隊の差配を続けてきたグラムにいつの間にやら定着した呼び名だ。
「九尾を下ろしたあとはどうすりゃいい? 陸戦だから出番なしってのはないぜ? 一応これが、最後の戦なんだろ?」
「九尾の上陸後はマングラール領のシリュン港に寄港。マングラール軍に合流してください。また、海狼には戦争回路の搬送をお願いします。今回私は先行し、勇者ヴェルクトの救出作戦に参加します。しかるのち海狼と合流、戦争回路に接続して九尾、海狼の統合指揮を取ります。接続のタイミングを早めるため、可能な限り戦争回路を前進させておいてください」
「接続までの間の指揮は?」
「戦争回路のこと以外はマングラールの指示に従ってください」
「九尾は?」
アステルも問う。
「貴女の判断にお任せします」
「りょーかいしました」
九尾団長アステルは気負った様子なく応じる。
「王都での戦闘ですが、新魔王、アレイスタ軍、異形の神の眷属群の他『聖騎士』と呼称される兵器との交戦が想定されます。『聖騎士』は勇者ヴェルクトになり変わる戦力として作られた合成獣の一種であり、極めて高い戦闘能力を有しています。先日、王都を脱出中の王都支店従業員たちを一体が急襲、多数の負傷者と一人の死亡者を出しました」
アレイスタ王都支店には九尾の引退者が多数籍を置いており、前団長ラシュディが支店長を務めていた。引退者中心とはいえ、百戦錬磨の九尾出身者からなる集団を単騎で圧倒するもの。尋常な戦闘力ではないのは明らかだ。事前にグラムから話を聞いていたアステル以外の目に真剣な色が走る。
「まともに戦えば、九尾、海狼とも甚大な被害を被る恐れがあります。そこで対『聖騎士』用として、こちらの装備を用意しました」
足元に置いたケースから、グラムは太い四角柱型の棒を取り出した。長さは三フィートほど、オリハルコン・アダマンティア合金製の杭を四角柱型の金属の箱の中に収めたものだ。杭の先端側は解放された構造となっている。
「毒撃回路。このように標的に先端部をあて、魔導回路に魔力を通します」
事前に用意しておいた分厚い鋼板に毒撃回路の先端をあて、魔導回路に魔力を通す。
どん!
重く、鈍い音がドッグに轟いた。
九尾、海狼の兵たちが「おお」と声をあげる。
点火された結晶火薬が毒撃回路の後方から反動軽減用ペレットを撒き散らし、オリハルコン・アダマンティア合金の杭を前方に蹴り出す。内部のライフリングで回転しながら突き出した杭は鋼板をあっさりと貫いた。杭の先端部から透明な液体が滲みだし、地面に滲みを作っていく。
「オリハルコン・アダマンティア合金の杭を結晶火薬の爆発力で押し出し、装甲を貫通、先端部から毒液を注入する仕組みになっています。後方にペレットを飛ばすことで反動を抑える構造となっていますので、軸線上に体や味方を置かないよう注意してください」
「毒が効くのかい?」
ゴーバッシュが問う。
「ボーゼン顧問が『聖騎士』の解剖、解析を行った結果、毒物や病原体への抵抗力が極めて低いことが確認されています。異なる生物の生体組織の接続を維持するため、免疫力や抵抗力が意図的に落とされているそうです。もっとも有効な攻撃手段は毒ではなく、免疫力の向上によって拒絶反応を誘発することですが、こちらは実現にコストがかかるため、毒を使用する仕様となりました」
理論上はエリクサーを注入して免疫力を高めてやるのが一番早いそうだが、コストがかさみすぎる。オリハルコン・アダマンティア合金の杭だけでも結構な高額商品だ。
「同様の装備を千本用意しました。九尾、海狼の全員に行き渡るはずですから、死ぬまで撃ち込んでください。情報によると『聖騎士』の配備数は多くとも三〇体。充分に殺しきれるはずです」
ハーフエルフの女秘書の目に、刃物のような光が浮いた。百錬練磨の兵どもが、息を呑むような凄みがあった。有能とはいえ、あくまでも秘書、非戦闘員のはずのグラムが九尾、海狼の双方から『頭』と呼ばれる所以の一つ。
毒撃回路を手にグラムは決然と続ける。
「狩り殺してください。すべて」
『聖騎士』は『光の獣』から作られた怪物。勇者ヴェルクトと同じ力を持つ道具を作る、そんな邪心から、罪なきものを犠牲に作られた存在。
『光の獣』を、勇者ヴェルクトの姉妹と言えるものを切り刻み、人間に縫い合わせて作られた怪物。
グラムの勇者を冒涜するもの。
グラムの運命を変えてくれた少女を冒涜するもの。
地上から、駆逐しなければならない。
一体も残さずに。




