大器は古き器を砕く。
「魔力の流れに干渉する魔導鎧ですか、斬新ですな」
ゴルゾフはアスール王子を見返した。
不純物が堆積したような淀みの中に、昏く歪んだ光が見え隠れする目であった。
「素晴らしき鎧の大王。余自ら考案し、図面を引き、勅許会社に製作を依頼したものだ。つい先ごろ完成し、余のもとに届いた。ようやく世界が、余の大器に追いついてきおったわ」
「それは素晴らしい」
口元だけで笑いつつゴルゾフは、ローブの下の四本の腕と魔煌剣をだす。魔力刃では素晴らしき鎧の大王に干渉される危険がある。柄の尻の部分からナイフ状のミスリル刃を出し、構えた。
「エンダイム」
ゴルゾフの声に応じ『聖騎士』エンダイムが背中の大剣を抜き放つ。
ゴルト・ゴーファー。
魔剣士イズマによって切断されたエンダイム弟の黄金剣を修復したものだ。だが『聖騎士』エンダイムの真骨頂はそこではない。
頭の中身だ。
恵まれた体格と身体能力にあぐらをかき、増長したエンダイム弟の脳髄に徹底的に手を入れて改良、その素養を最大限に生かした、力強くも精緻な挙動を取れるように調整してある。
剣術嫌いのアスール王子など敵ではないはずだ。
「ゆきなさい」
『聖騎士』エンダイムが大地を蹴る。転移を思わせる速度でアスール王子の前方へと踏み込んで、黄金の炎をまとった大剣を振り下ろす。その炎の熱量と密度も、イズマに破れた時の比ではない。
だが、ゴルト・ゴーファーがアスール王子を捉えることはなかった。
『聖騎士』エンダイムは斬撃の途中で突然静止し、黄金剣を取り落とす。
「何をしているのです!」
「わかっていたのではなかったのか? 猿山の賢人」
アスール王子は立ち尽くした『聖騎士』エンダイムの胸を長剣の鞘で押した。白い鎧をまとった体がぐらりと傾ぎ、そのまま後方にひっくり返り、動かなくなる。
「素晴らしき鎧の大王は、周囲の魔力の流れを支配し、操作する。魔導回路を焼き切る程度のことは造作もない」
アスール王子は自身のこめかみに指を当てる。
「頭の中に魔導回路を詰め込み過ぎだ。回路を焼き切れば、脳髄の機能も止まる」
ゴルゾフに戦慄が走った。
素晴らしき鎧の大王をまとったアスール王子はゴルゾフの天敵と言える存在であろう。魔力支配で魔法の行使を阻害した上、魔導回路を焼き切り破壊する。
ゴルゾフの肉体は自己強化、延命のための魔導回路の塊だ。目の前に立っているだけで、生殺与奪を掌握されていると言っていい。
「猿山の賢者よ。ここが貴様の死地となる。貴様が妨害に動くこと程度、楽に読めたわ。たやすく罠にはまったものだな」
「そのようですな」
勅許会社のバラドのみならず、アスール王子までもがドルフ山に布陣していたのは、ゴルゾフの介入を予測、葬り去るための策だったのだろう。
最初から恐怖の蛇竜とゴルゾフの両者を葬ることを前提にした布陣だった。
内心で湧き上がる忿怒と屈辱感を好々爺の仮面に覆い隠し、ゴルゾフは踏み込んだ。
転移よけのおかげで、戦術転移は使えない。
今は剣に全てを託す他ない。
体内の魔導回路を焼き切られるより疾く、アスール王子の急所をえぐり、活路を開く。
(死になさい、廃太子ッ!)
加速用の魔導回路を全励起。閃光の速度で廃太子に詰め寄り、四本の刃を振りかざす。
(死ね! 死ね! 死ね死ね死ね死ねぇっ!)
好々爺の仮面の下で、ゴルゾフは絶叫していた。
一息に殺せなければ、殺される。
死にたくない、死ぬわけにはいかない。
まだ探求すべきことがある。世界は、アレイスタはまだ自分を必要としている。
『最初の魔導騎士』ゴルゾフは魔導学の世界の王者だ。
この時代における全ての魔術師と錬金術師の頂点に立つ存在だ。
その座は誰にも、譲るつもりはない。
だが、届かない。
四本の刃が廃太子を切り裂く前に、神速の斬撃が、妖人の肩から腰へ、袈裟懸けに斬り下げていた。
成したのは、アスール王子の長剣の一閃。
妖人の体を鎧う魔導回路は、斬撃の一瞬前に焼き切られていた。
(……バカな)
アスール王子は剣術嫌いのはずだ。
アスール王子の幼少時、ゴルゾフはダーレス王に根回しをし、アスール王子を次代の傀儡とすべく、その教育係の座に就いた。だが、アスール王子はゴルゾフの剣術や魔術には全く興味を示さず、気ままに市井を放蕩し、最終的にゴルゾフは教育係の役目を降りることとなった。頭脳については一個の天才であり、後に独学で強力な魔術と教養を身につけたと聞いていたが、剣については興味を持たぬものと思い込んでいた。
体内の魔導回路が次々と焼き切られてゆく。
地面に膝をつき、廃太子の顔を見上げる。
「……どこで、そのような剣を?」
「十の時に、東方の剣士と縁ができてな。『袈裟懸け』の一刀のみを研ぎ上げる刀法を学んだ。貴様の魔導剣よりも単純で学びやすく実戦的だ。余ほどの大器となれば、時間の使い方は考えねばならん。己が学究のためだけに生きる貴様と違い、余は民を安んじねばならぬ。限りある時間の中でやらねばならぬ仕事、学ばねばならぬことが幾千、幾万とある。こう言った剣でなければ学んでおれん」
アスール王子は長剣をあげる。
「終わりだ。猿山の賢者。ダーレスの愚昧をいいことに邪悪な研究に耽り、無辜の者を犠牲にし、余の耳となるべき男を死に追いやり、我が国の魔術師、錬金術師、学者の頂点として君臨し続け、我が国の時を二十年失わせた罪、死して償え」
「お、お、お待ちください!」
最後の言葉だけは、事実と異なる。ゴルゾフの天才は、アレイスタの魔導技術を二十年先に進めたと言われている。
「私が時を失わせたなどとは!」
アスール王子は老人に冷めた目を向けた。
「余が知らぬと思うか、猿山の賢者。貴様は己が権威を守るため、新進の魔術師、錬金術師、学者どもを押さえつけてきた。それが貴様を敗北させた。貴様が押さえ込んだ才は、芽吹く場所を他国に求め、今では各地で新しい花をつけている。この国を置き去りにな。素晴らしき鎧の大王は、アレイスタでは作れん。貴様を頂点とするアレイスタの学問は、もはや世界の先端にはついて行けておらぬのだ。若き日の貴様の天才は認めよう。だが、今の貴様はそうではない。余の国を、アレイスタを腐らす退廃の根源よ」
「黙れ若造!」
好々爺の仮面をかなぐり捨て、ゴルゾフは吼えた。
「貴様ごときに何がわかる。私は英雄だ、アレイスタの柱だ! アレイスタが今の地位を得たのは私の功績だ! 私が頂点に立ち続けて何が悪い!」
狂気めいた叫びをあげ、咳き込む老人を、アスール王子は謹厳な表情で見下ろした。
「ゴルゾフ。貴様の業績は評価する。今日の老害の弊はあれ、かつてアレイスタの栄光をもたらした立役者であることは事実だ。よって、格別の慈悲をもって」
長剣が閃いた。
百歳をとうに過ぎたゴルゾフの体は、すでに魔導回路の支えを失っていた。身じろぎひとつできなかった。
皺首が転げて落ちた。
「罪一等を減じ、斬首で許す」




