商人は蛇竜を迎え撃つ。
恐怖の蛇竜出現の一報から一日後。
アスール王子はマングラール山岳部の活火山ドルフ山の裾野を恐怖の蛇竜との決戦場に設定した。
活発な火山活動で知られるドルフ山とその周辺は、古くから有毒ガスの噴出が多く、火山岩に覆われた不毛の大地となっている。瘴気の怪物である恐怖の蛇竜の悪影響が相対的に少ない場所としての選定だった。
ドルフ山中腹に本陣を設営したアスール王子はマングラール軍を動かし、恐怖の蛇竜の進路上に存在する街道を封鎖、恐怖の蛇竜と人間の接触を防ぎ、更には軍士に火と油を使わせて毒沼を焼き、大地の汚染を封じ込めてゆく。
各所に配置した監視ポイントから恐怖の蛇竜の通過を示す狼煙が順にあがり、やがて地平線の向こうから恐怖の蛇竜の巨影が姿を見せた。とはいえ、まだ距離は遠い。肉眼ではミスラーの面影はおろか恐怖の蛇竜の輪郭も把握できない。
「来たな」
ドルフ山の山頂付近。俺の護衛についたイズマが呟く。イズマが戻って来たのは俺たちがドルフ山に移動する直前だ。法王国入りしたターシャは教皇を説き伏せ、メイシン、アスラの破門状を出させたが、いつ教皇がヘタレて日和るかわからないため、当面は法王国に留まり、教皇や聖堂騎士団と一緒にアレイスタに乗り込む手はずだ。マティアル聖堂騎士団はマティアル繋がりで勅許会社、そしてヴェルクトとも接点や共同作戦の機会が多かった。勇者、聖女の殺傷という暴挙に怒り心頭、完全武装で乗り込む構えだそうだ。
「ああ」
リブラ・レキシマに二枚の異空符を挿入する。
【異空符ウリエル、異空符モロク確認。天秤回路起動可能】
ウリエルは聖土、モロクは魔土の力を持つ異空体だ。
恐怖の蛇竜の倒し方は、言うだけなら簡単だ。恐怖の蛇竜の瘴気や邪眼の影響範囲の圏外から恐怖の蛇竜を一撃で消滅させるエネルギーを叩き込めばいい。
言うは易しの見本のような話だが、ウリエルとモロクの異空鎧、聖魔土ならそれができる。単体としての力は聖魔焔や聖魔風とそう変わらないが、他の異空鎧とは別次元の出力を叩き出す特殊な機能を備えている。
この段階で異空鎧を展開しても恐怖の蛇竜はまだ射程外。峠に佇んだまま、無言で接近を待つ。イズマには悪いが、今は話をする気分になれない。イズマもわかってくれているのか、何も言わずにいてくれた。
恐怖の蛇竜の最大攻撃半径は推定二〇マイル。三十マイル圏内に入ったところで、異空鎧を展開し、攻撃を仕掛ける作戦だ。
恐怖の蛇竜の三五マイル圏侵入を告げる赤い狼煙があがり、そこからは一マイル刻みで狼煙が上がっていく。
三四マイル、三三マイル、三二マイル、三一マイル、三〇マイル。
頃合いだ。
「始める」
リブラ・レキシマを空に突き上げ、トリガーを引きしぼる。
【天秤回路起動。異空鎧、聖魔土展開】
魔導回路が光を放つ。
金銀の光の粒子が竜巻のように渦を巻き、俺の背後に金の鎧をまとった重厚な戦士を現出させる。
異空鎧、聖魔土。
異空鎧の中では最大。全高にして二〇ヤードを越す、もはや鎧とは言い難い代物だ。聖魔焔が身につけるタイプのゴーレムだとすると、こちらは乗り込むタイプのゴーレムと言ったところだ。剣や槍などの武装はなく『砲』と呼ばれる錬金文明式の銀の巨大兵装を右肩に積んでいる。
他の異空鎧と違い、聖魔土は体を鎧うのではく、後方に跪くような格好で物質化している。鎧の胸部に向けて魔導水銀の義手を伸ばして掴み、腕を縮めて胸部に取り付いた。
胸部の装甲が上下にスライドして開き、そこから鎧の中に入り込む。鎧の中は真っ暗な球形の小部屋になっていて、柔らかい曲線でデザインされた白い椅子が一つだけおいてある。腰を下ろすと、胸部装甲が閉じる。暗闇の中から虹色に光る紐が伸びて来て、魔道水銀の腕の中に潜り込んだ。
【頭脳回線接続。情報投影開始】
女声でのメッセージのあと、情報収集用魔導回路からの情報が頭に流れこみ、俺の感覚を拡張していく。
聖魔土の眼からの情報によって、新しい視界が開けた。黒い壁が突然透けたような錯覚に、軽い眩暈がした。
聖魔土は脳内魔導回路からの信号で動かす。左手を軽く上げ、拳を握り、動作を確かめる。
問題ないようだ。
聖魔土の眼を通し、再度恐怖の蛇竜を見下ろす。聖魔土の魔導回路は、俺に普段の何百倍もの知覚力を付与していた。
三〇マイルの距離を越え、恐怖の蛇竜の背中から生えた男の姿や表情、慟哭に似たうめき声が、はっきりと認識できた。
吐き気が込み上げる。
恐怖の蛇竜がミスラーであるということはわかっている。わかった上で、殺すと覚悟していた。だが、聖魔土が俺に見せた恐怖の蛇竜の姿は、思っていたものとはまるで違った。
恐ろしいものでも、おぞましいものでもなかった。
どうしようもなく無残で、悲愴なものだった。
ゾンダ大会戦で殺した恐怖の蛇竜と同じ種類の魔獣でも、全く違う。ゾンダ大会戦の恐怖の蛇竜は、破壊衝動と殺戮衝動のままに暴れまわる類の存在だった。恐ろしくはあるが、そこに悲しさや歪みはなかった。殺したいから殺す、壊したいから壊す。そういうシンプルさがあった。
だが、ミスラーはそうじゃない。
凶暴な衝動など持っていない。ただ、使命感に駆られているだけだ。俺の元に来ようとしているだけだ。だがそれが、マングラールの大地を腐らせ、近づくものを殺してしまう。
だがミスラーの使命感は、満たされることはない。
俺が生身で恐怖の蛇竜と向き合えば、腐り果てて死ぬだけだ。
何も伝えることはできない。
何も果たすことはできない。
それでも、はい進んで行くことしかできない。
「……くそったれ」
両手を額の横に当てて、そう吐き捨てる。
やりきれない。どうしようもない。
喚いて暴れ出したいような衝動を押さえ込み、恐怖の蛇竜の姿を見据える。
告げた。
「……龍脈砲、発射準備」
一撃で、一瞬で終わらせる。
今の俺がミスラーにしてやれることは、それしかない。
異空鎧は動き出す。
【龍脈走査完了。異空体ウリエル。琥珀装甲展開】
金の鎧が光を放ち、琥珀でできた分厚い外装に覆われる。
【異空体モロク。種子生成・発芽(ジェネレイション&ガーミネイション)】
琥珀の外装の中に巨大な植物の種子がいくつも浮かび上がり、発芽する。その根は瞬く間に成長し、地中深く潜り込んでいく。枝葉は聖魔土の全身に絡みついて伸び、聖魔土を地面に固定した。
【機体固定・龍脈接続完了】
地下深く潜った根が大地の魔力の動脈である龍脈に繋がる。
吸い上げられた魔力は琥珀の外装を通りぬけ『砲』へと充填されて行く。
【エネルギー充填・加圧開始】
『砲』の先端部が淡い青色の光を放った。
【龍脈砲発射可能。照準装置投影】
俺の視界の中に、幻影の機械弓のようなものが現れる。
龍脈砲の照準装置だ。
グリップを握り、恐怖の蛇竜に狙いを定める。
トリガーに指をかけた。
【安全装置解除】
「待たせたな。ミスラー、今楽にしてやる」
幻影の引き金を引き絞ろうとした刹那。
聖魔土の情報収集魔導回路が警告を放った。
超高空に空間歪曲。
ボーゼンが設置した転移よけの結界の圏外となる超高空に何かが転移してくる。
一体の白い戦士、そして黒衣の怪老人。
『聖騎士』とゴルゾフ。




