准聖女は名を名乗る。
偉大なる栄光城の執務室。
俺はアスール王子、ボーゼンと共にラシュディ、准聖女からの報告を受けた。
「その、ジルって言うのはなんなんだ。そもそも君は一体なんなんだ」
マングラール北部に出現した恐怖の蛇竜の正体は、王都に現れたジルと言う存在によって変質させられた密偵長ミスラー。突拍子も無い話だが、ミスラーと言う名前が出てきたことで、ある程度は信じざるを得なかった。准聖女は俺とミスラーの関係を知りうる立場にいない。アスール王子やラシュディにも語っていない情報だ。
「ジルは異形の神の化身の一つです。それと、私も、異形の神の化身の一つです。名前は、マティアルと言います」
「やっぱりマティアルか」
ラシュディが嘆息した。マティアルは困ったように微笑むと「ごめんなさい、なんだか名乗りにくくて」と言った。
「マティアル教の大聖女マティアルと考えて良いのか?」
アスール王子が問う。
「はい、そのマティアルです。錬金文明の頃、ジルと戦うために作った組織の名残が今のマティアル教になります。あのころは直接自分で動けたんですけど、今は肉体をなくしてしまって、こんな風に適性のある人間に憑依することでしか活動できません」
「大聖女殿が知ったらなんというかな」
ボーセンが嘆息した。
「ターシャはある程度知っています。ターシャが聖女になった頃は私も覚醒期で、話ができたんです。本当なら、私が宿るのは聖女であるターシャのはずでした。でも、最近資格を無くしちゃったみたいで、それで、准聖女のアナの体を借りることに」
ターシャが資格を無くした理由は見当がついた。
アスラ殺しだ。
マティアル教は復讐を禁じている。
ボーゼンも察しはついたようだが、そのまま話を先に進める。
「異形の神というのは、単純な邪神ではないということかね?」
ボーゼンは興味深げに問う。
「邪神か善神かと言ったら、間違いなく邪神です。こことは違う宇宙で生まれて、自分以外の全てを滅ぼした存在です。今は滅びた宇宙の中心で、自分自身が滅びる時を待っています。けれど滅ぶまでの時間が長すぎるから、慰みに他の宇宙に化身を送り、他の宇宙の営みをのぞいているんです。私とジルは、そのために生み出されました。この世界の生命と精神に触れ、その熱を受け取って、異形の神のもとに届けます。異形の神はそれを慰みにして、自分自身の終末を待つんです。どれだけ先のことになるかは、異形の神自身にもわかってないんですけれど」
マティアルは少しほろ苦く微笑んだ。
「異形の神は生命と精神の熱を、祈りと呪いという二つの形で認識します。幸いあれと思うことと、災いあれと思うこと」
「善と悪ということかね?」
「善悪も優劣もありません。自分を悪と思わない悪人の祈りは善とは言い難い場合が多いですし、罪や病毒を憎む心は悪ではありません。私は祈りを拾い集めるものとしてこの世界に送られ、ジルは呪いを拾い集めるものとしてこの世界に送られました。本当はただ、この世界で時を過ごし、自然な生命と精神の営みに触れることだけが役目だったんですけれど、錬金文明の頃から、ジルはより強い刺激を求めるようになりました。より強い精神の熱を求めて世界に干渉し、人を狂わせたり、堕落させたりするようになったんです。最初の犠牲者は錬金文明でした。錬金文明の支配者に接触し、戦争や虐殺を起こさせたんです。当時の人間のほとんどが、苦痛に苦しみ、他人や世界を呪って死んで行きました。それで、私も動いて、ジルと戦って、相うちになりました。だから私もジルも、本当の肉体はなくしています。『光の獣』というのは、私とジルが戦ったときの産物の一つです。ジルの側の練金文明の支配者が、私の体組織を分析して作ったものだと記憶しています」
マティアルは「ちょっと喋りすぎました」と、テーブルの水を口に含む。
「肉体をなくしたジルは、もともと自分の肉体につながっていた異形の神の力のバイパスを人間につなぎ、代行者にするやり方を見つけ出しました。その方法で生み出されたのが最初の魔王ハティガル、そして今回の魔王ガレスです。その方法を真似して、私のバイパスをつながせてもらった人間が、ハティガルを倒した最初の勇者です」
「それが、真の勇者だというのか」
アスール王子が呟いた。
「マティアルの勇者、という意味ではそうなります。でも、今の勇者ヴェルクトという存在を否定するものではありません。バイパスなしでガレスを追い詰めた力は、バイパスの力より、ずっと偉大で、素敵な力です。私の力なんかなくても、この世界は自分たち自身の力で、ジルの暴走に立ち向かっていけるってことですから」
「世辞はいい」
アスール王子は切り捨てる。
「ジルとやらはまだ暗躍している。暴走とやらは止まっていないのだろう」
「もう一歩だけ、足りなかったんです。ガレスは倒せても、バイパスを破壊できてなかった。バイパスを壊せれば、ジルも力をなくし、また何百年かは動けなくなるはずでした。でも、バイパスが残っていたせいで、すぐにやり直しができてしまったんです。メイシン王子に接触し、新しい魔王に仕立てようとしています」
「対抗手段はあるのか?」
「私が目を覚ましたのは、ジルの気配を感じたからです。遅くなっちゃいましたけど、勇者のバイパスは用意してあります。これを使えば、魔王のバイパスを破壊できます」
静かに言ったマティアルは、その手の平に、白くねじくれた四角錐を出した。
「結局それか」
ラシュディが呟いた。
「仕組みは、魔王のバイパスと同じものなので。ごめんなさい」
気まずそうに言ったマティアルは、俺たちの顔を順に見た。
「候補者は三人考えてました。アスール王子様、バラド社長さん、そして、勇者ヴェルクト」
「俺も?」
「私の力は祈りの力です。勇者ヴェルクトの勝利を祈り、たくさんの人の思いを繋いで、勇者を支える力にしてきたのは貴方です。今、この世界の祈りの中心に立ってる人は、貴方だと思います。単純な相性なら貴方が一番のはずです……でも」
マティアルは少し困ったように微笑んだ。
「社長さんは嫌ですよね。勇者が二人なんて」
「ああ、あいつ以外に勇者はいらない」
あいつを救うために必要ならなんでもするが、勇者はヴェルクトだけに相応しい称号だ。自分自身で勇者の道を選び、最後まで戦い抜いたあいつ以外に、勇者と呼ばれる資格を持つ者はいない。
勇者のバイパスを受け取るべき者は、あいつしかいない。
「そもそも俺は商人で、剣も魔法も全然だ。バイパスなんてものを預かっても使いこなせるとは思えない」
できるとしたらアスール王子だが、その気はないようだ。鼻を鳴らして言った。
「あれであやつは勝ちにうるさい。獲物を横から持っていかれてはへそを曲げるであろうよ」
「勇者ヴェルクトご本人が嫌がる可能性も考えた方がいいと思うんですが」
マティアルは少し不安げに言った。
「他にどうしようも無ければ、俺がやるさ。ヴェルクトを助けるより先に、メイシンやジルと戦うことになる可能性もある。だが、本人が嫌がるってのは……どうも、考えにくい」
その手の話でヴェルクトが躊躇をするイメージが全く浮かばない。
アスール王子も首肯した。
「最後まで説明を聞けるかどうかも怪しいものよ」
「ええ」
話半分も聞かずに「わかった!」と言いそうだ。
「そう、なんですか」
「そういう娘なのだ。そろそろ当座の問題に話を戻すとしよう。恐怖の蛇竜への対応策はあるか、マティアル」
「なくは、なかったんですが」
マティアルは白い四角錐をくねらせた。
「王子様か社長さんが勇者のバイパスを使ってくれれば対応できると思ってたんです。バイパスを使わないとなると……」
「俺が止める」
恐怖の蛇竜がミスラーであり、俺のところに向かってきているのなら、俺が囮になって誘導し、倒せばいい。
ミスラーを裏切り者に仕立てたのは俺だ。
ならばミスラーを止めるのも、俺の役割だろう。
「手はあるのか?」
「ええ」
苦い感情を吐息とともに吐き出し、頷く。胃袋の底が、ひどく重かった。
「一匹、仕留めたことがあります」
同じ方法でいけるだろう。
楽にしてやれるだろう。




