贖罪者は妖刃に散る。
次々と天井から落下した異形の神の眷属たちがミスラーを取り囲む。
ここまでのようだ。
一体二体であればやりようはあるが、明らかに多勢に無勢。その上勇者パーティーのメイシンに『最初の魔導騎士』こと妖人ゴルゾフ。心を読むらしき少女の力も読めない。
突破は困難であろう。
口内の毒のカプセルを確かめる。
密偵の最後の仕事は死ぬことである。いざとなればカプセルを飲み下す覚悟とともに、突破口を探る。
刹那、ゴルゾフの体が揺らいだ。
戦術転移。
視界内の任意の座標に転移する魔法だ。それ自体は初歩的な転移魔法だが、ゴルゾフの戦術転移は極限まで洗練、簡略化された術式、体内魔導回路を用いた思考加速により、常軌を逸した発動速度を持つ。斬り合いの最中に、自身の座標を自由自在に切り替えることができるという神技すら可能だった。
しかもそれを通常の足捌きと同感覚で、連続して使用できる。
全盛期のゴルゾフを世界最強格の戦士として君臨せしめた力の一つだ。
ミスラーの背後へと転移したゴルゾフはローブの下から逞しく巨大な腕を二本突き出し、密偵の体を抑え込んだ。カプセルを呑む暇も与えずに顎を掴み、強引に開かせる。ローブの下から更に二本の細い腕が突き出した。長身に見合った長さはあるが、老人らしい、細腕だ。
ミスラーはナイフを切り返し、ゴルゾフの腹を突く。
だが、刃が通らない。
ゴルゾフは自分自身の体に無数の魔導回路を組み込んでいる。魔導回路の作用で鎧のような力場を纏っているのだろう。老齢ゆえ持久力にはやや問題があるが、概ね全盛期と同等か、それ以上の力を保っていると噂されていた。巨人のような太い腕もまた、魔導回路から生成された擬似物資の義手。本来の腕は、後に出した細い腕の方だろう。
ミスラーの口内より毒のカプセルを取り出したゴルゾフは、ミスラーを押さえ込んだままメイシンらに目を声をかけた。
「少々、遊ばせていただいてもよろしいですかな」
「殺しちゃだめだよ?」
メイシン王子に寄り添い念を押す少女に、ゴルゾフも笑んで「心得ております」と応じた。
「好きにするがいい」
メイシン王子は鷹揚に言った。その手は少女の肩にある。愛おしいものに触れるような仕草だった。
「ありがとうございます。では」
ゴルゾフはミスラーを突き放し、にっかりと笑顔を見せた。
「お逃げください。逃げ切るか、自害をすることができれば、あなたの勝ちとなるでしょう。皆様。彼に道を開けて差し上げてください」
異形の神の眷属たちは扉への道を開ける。
怪人ゴルゾフの考えは推察できた。研究棟を汚すことを嫌っているのだろう。研究内容の血なまぐささとは裏腹に、研究室にはチリ一つなかった。
簡単に逃げられる相手でないことはわかっているが、選択肢はない。今の状況では自害することすら難しいだろう。
ゴルゾフの遊びに乗り、時間を作る他ない。
走り出す。
最初の扉を抜けると同時に、暗闇と静寂の手投げ魔導弾を使って気配を眩まし、窓から飛び降りる。
だが、ミスラーが着地をする前に、妖人ゴルゾフの姿が地上に現れた。
大小二対の腕には鋼の刃を持たず、柄の形の魔導回路から細い棒状の光熱刃を生成する魔煌剣が四本。
ミスラーは空中で身を捻り、ナイフを投げた。
一閃で三本、両手で六本の投げナイフには、全て魔導回路が組み込まれている。一本ずつ、微妙にタイミングをずらして急加速、時間差と速度差をつけて怪老人を襲う。
だが、届かない。
六本のナイフはことごとく、魔煌剣の柄で打ち払われ、かわされた。
「では」
ゴルゾフが動く。
落ちてくるミスラーを抱きとめるように四本の腕を広げ、四本の魔煌剣より四本の光熱刃を展開する。
真紅の魔刃が宵闇に閃き、密偵は引き裂かれる。
魔力刃に両の手首を、右足を、顎の筋肉を焼き切られ、ミスラーは無様に地面に叩きつけられた。
舌を噛むことすらもかなわない。それでもなお、ミスラーは地を這おうとする。四本の腕をローブの中に収めたゴルゾフはその足を踏みつけ、動きを封じ込める。
「これまでといたしましょう」
「殺しちゃだめだよー」
窓の上から顔を出し、少女が声をあげる。
「ええ、心得ております」
孫娘を相手にするような調子で応じるゴルゾフ。
「ちょっと待って」
そう言うと、少女は窓からふわりと飛び降り、ゴルゾフとミスラーに歩み寄る。
「立たせてあげて」
再び巨腕を出したゴルゾフはミスラーの頭を掴んで引き起こす。
頰と顎の筋肉は焼き切られている。もはや言葉を発することもできなかった。
「これでよろしいでしょうか」
「うん、ありがとうお爺様」
「お安い御用ですとも」
笑顔で言った少女の掌から、黒いものが盛り上がる。
掌ほどの長さ、触手のように蠢きくねる、黒い肉の四角錐。
「何をなさるのですか?」
「殿下とお爺様に、いいもの見せてあげようと思って」
屈託ない調子で言った少女は、黒い肉の四角錐を密偵長の口の中に押し込んだ。
口腔内にずるりと這い入ったそれは、自らくねり蠢いて、食道をおりていく。窒息し、痙攣する密偵長の腹の中へと入り込むと、そこでどろりと形を失い、密偵長の体に溶け込み、同化し始める。
取り返しのつかない変化は、そこから始まる。
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ミスラーが目覚めたのは、マングラール地方に程近い丘陵地だった。
生きているのか?
そう自問したが、答えは出なかった。
わかることは、一つだけだった。
伝えなければ。
王都に起きた異変を、バラドに伝えなければならない。いまのメイシン王子は、普通の状態ではない。メイシン王子のそばにいた少女は、普通の存在ではない。
放置すればアレイスタの全てを狂わせ、腐らせる、毒花のような何かだ。
伝えなければ。
使命感に突き動かされるがまま、ミスラーはくねり、這い出した。
ミスラーは気づいていなかった。
自らの体が邪悪な力で変質し、巨大な髑髏と蛇体からなる漆黒の蛇竜に成り果てていることに。
自らが発する瘴気が大地や空気を腐らせていっていることに。
ミスラーは這っていく。
友の元へと這ってゆく。
毒と瘴気、死と恐怖の運び手へと成り果てた、己の姿に気づかぬままに。
蛇体の這ったあとは腐ったタールのような毒沼となり、毒沼は邪悪な意思を帯びて大地に広がり、腐食させていく。
マングラールに災厄が訪れる。
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