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私とワタシの桜の日

作者: よぞ

劇場『すぽっと』という企画サイト様からお題をお借りしました。

お題は【散る散る花びらの下に】

【まどろみの中で】です。

ありがとうございました。

 四月、窓から町を見下ろせる高台のアパートで、またこの季節を迎えた。

 今年の春は早かった。温暖化を止めよう、なんて言われてるけど、冬が嫌いな私にとってはオンダンカも悪い奴じゃない。冬は嫌いだ。だって寂しいから。

「あ、桜……」

 手の平に舞い落ちた一枚の桜花。誰もいない部屋で、一人「あ、桜」なんてつぶやいている。そんな私はもう二十四歳。大学を卒業して、就職をするわけでもなく、実りないアルバイトで生計を立てて息をしているだけのツマラナイ存在。もちろん、彼氏もいない。

 小さくため息をついて、握り締めていた桜の花びらを窓に放す。花びらは風に乗り、高く高く舞い上がり、私じゃない誰かのもとへ飛んでいった。

(青い鳥、青い鳥。私じゃない誰かのもとへ舞い降りな)

 掃除の手を休めていたことを思い出し、眺めていた青空から目を逸らした。

 ぬいぐるみ、レンタルしているビデオ、暇を潰すだけの週刊誌、私の弱さの象徴の欲しくもない新聞。……いつまでも捨てられなかった思い出。それらを全て片付ける。

 この私の中の大掃除は、昨日の夜、眠る前に突然浮かんだアイディアだ。好きでもないお酒を一人で飲んで、ビデオテープに記憶されているだけのラブストーリーに涙して、冷たい枕を抱きしめている時にふと、(明日は窓を開けて、隅々まで掃除しよう)と思い立った。

「陽子はちょっとセンチメンタルすぎるんじゃない?」

 なかなか会えなくなった友達に言わせればそうらしい。でも私はワタシのことを良くわかっているつもり。顔もそんなによくない。鼻だって低いし、まつ毛も短いし、目だってぱっちり大きいわけじゃない。胸には多少自信があるけど、そんなもんしか自信がないんじゃワタシなんて大したことない。センチメンタルになる身分じゃない。

(昨日は恋愛映画。明日はアルバイト。今日は何の日?)

 通信販売で買ったカワイイ掃除機をかけながら、今日は何の日だったか考えた。でも、今日は何の日でもなかった。

 部屋を一通り掃除し終わり、冷蔵庫の中を整理することにした。期限切れぎりぎりの物を大胆にゴミ箱に捨てていく。いつか使えるかも、といつもは捨てられない私。でも今日は何だかそういう事が気にならない。春の陽気のせいかもしれない。

 キッチンも、お風呂場も、トイレも、玄関も、全て綺麗に掃除した。買った当初はお気に入りだった壁掛け時計の針が午後三時六分を指していた。

 なんだか、妙に落ち着いた気分になっていた。開けっ放しだった窓からは、私なんかにはもったいないぐらいの心地よい風が吹き込んでくる。

(私の為……なんかじゃないか。馬鹿みたい)

 部屋は整然としていた。この部屋に染み込んでいたワタシ。それらも全て、私が掃除して綺麗に消してしまった。そんな気がした。

 ベッドに上に放り出した携帯電話。それだけが整頓された部屋の風景を乱している。なぜだかそれが愛しく思え、ベッドに座ってそれを眺めた。

 何となく、登録されている名前を上から眺めていった。

 前はよく連絡し合っていた友達。アルバイト先の友達。たまに飲みに誘ってくれる友達。ちっとも連絡しなくなった友達。登録してから、一度も連絡していないトモダチ。寂しくて、その気もないのに思わせぶりな態度で呼び出してしまうトモダチ。

 たくさんのトモダチ。その名前の一つ一つに、くだらないワタシのずるい一面が見え隠れする。

 ボタン一つ押すたびに、ぴ、ぴ、と乾いた電子音が部屋に響いた。その音が、ツマラナイワタシに「オマエハツマラナイネ」と囁いている。ざくざくと胸を刺すガラスの破片。握り締めているワタシの手。痛みはするのに血が流れない。

 ぴ、ぴ、ぴ、ぴ、ぴ――。

 胸を突き刺す私の手がとまった。一年経って、かさぶたにすらならない傷口から真っ赤な血が流れ出す。体中のワタシの血が、ここから流れて私は干からびる。

 ワタナベユウタ。桜のように穏やかで、桜のように儚かった私の恋人。

 そこにユウタはいないと知りながら、ディスプレイの文字に涙する。ずっと消えない保護メール。「ありがとう、さようなら」と書かれた短いメール。ありふれた恋愛の、ありふれた別れ方。でも、どれだけありふれていようとも、私には大切な大切な恋だった。

 未練がましい私は、二人で幸せだった頃に聞いていたCDを聞こうとした。でも壊れてしまったのか、ディスクは回るのに、きゅるきゅると音を立てるだけでちっとも音楽は流れない。

 とんとん、と何回か叩いた。でも不機嫌なCDプレーヤーは私を見向きもしない。

 きゅるきゅるきゅるきゅる。ワタシと同じ。何もできずにただ回っている。

 また、窓から心地よい風が吹き込んだ。切ったばかりの黒髪が風に揺れる。もういいかな、と思った。私は洗面台に行き、鏡台の後ろからカミソリを取り出した。もういいよね、死んじゃっても。


 手首にカミソリの鋭利な刃をあてる。動脈と、静脈と、どちらを切れば確実に死ねるのかわからない。そもそも、どちらが動脈なんだか静脈なんだかわからない。

 とにかく左手だ。心臓に近いから、という理由でそう思った。

 ここを切れば、きっとたくさんの血が溢れるだろう。今日苦労して掃除したこの部屋は、私の血で再び汚されるのだ。大家さん、ごめんなさい。でも敷金を二ヶ月分も払っているから、クリーニング代はそこから払われるだろうな。

 ぐっ、と右手に力を込めた。左手首に、カミソリの刃が押し当てられる。

「ぃたっ……!」

 皮膚を切る、という感覚をずっと忘れていた。子供の頃に誤って切ってしまったことはあった。その時は痛くて痛くて泣いていたのだ。

(でも……、もういいから。死にたい)

 唇をかみ締めて痛みに耐え、さらに右手に力を込めようとしたその時、それまでの静寂を唐突に切り裂く、凄まじい破壊音が部屋の中に響いた。

「ゃっ――!」

 何が起きたのか分からなかった。パラパラと、何かが床の上に砕け散る音がした。

 恐怖に目を瞑り、頭を抱えて床に座り込んでいた。しばらくして静寂が戻り、おそるおそる部屋の状況を確認した。

 手を伸ばせば届く距離に野球ボールが転がっていた。そして、きゅるきゅると回るだけのCDプレーヤーが半壊し、その破片が床へ散らばっていた。

 私は開け放っていた窓を見た。5,980円の安売りレースカーテンが春風に揺れていた。次に自分の右手を見た。さっきまで握り締めていたはずのカミソリは、いつの間にか床の上に転がっていた。

 私は野球ボールを拾い上げた。まんまるくて、硬くて、ざらりとした感触が手のひらに広がる。体の奥から、私の中のワタシの奥から、笑いが込み上げてくるのを止められなかった。枯れたはずの涙までが勝手に溢れ出して、私の支配下にあったワタシは好き勝手に泣いて、笑い始めていた。

「なによっ……、何よそれ……っ! 何で野球ボールが飛んでくるのよ! わかる? 今日、私は部屋を掃除して、思い出も整理して、全部にケリつけて、死ぬとこだったのよ! なによあんた、勝手に飛び込んできてさ……、馬鹿みたいじゃない……!」

 泣きながら、笑いながら、息も絶え絶えに私は野球ボールに説教した。私がどれだけ苦しかったか、どれだけの決意をもって自殺をしようとしたか、礼儀を知らない突然の来訪者に思い切りぶつけた。しばらく思いのたけをボールにぶつけ、やっと止んだ涙を拭いた。と、いつ振りだろうか、玄関のチャイムがワタシを呼んだ。

 たぶんこのボールの持ち主だろうな、と思い、思い切り怒鳴ってやろうかどうか考えた。でも、私のこの泣き顔を見てどんな反応するかな、と思うと段々と楽しみになって、自然と顔がにやけてしまっていた。

 そしてワタシは立ち上がり、部屋を出た。


 誰もいなくなった部屋に、優しいピアノの音色が響く。

 半壊したCDプレーヤーは、今ようやく、その役割を思い出したようだった。

漢字、ひらがな、カタカナを意識的に使い分けてみました。

良い点、悪い点、ご指摘いただければと思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] 補足ですが。自殺することに大した意味を持たない世代。というのが僕らの世代で、(もちろん意味のある人も大勢いますが)まあこれほど簡単に自殺を試みてしまうのよ、というのが僕の主張でありました。>…
[一言] 「ツマラナイ存在。もちろん、彼氏もいない。小さくため息をついて、握り締めていた桜の花びらを窓に放す。花びらは風に乗り、高く高く舞い上がり、私じゃない誰かのもとへ飛んでいった。(青い鳥、青い鳥…
[一言] こんにちは。覚えてらっしゃいますでしょうか。 過去に何度か企画でご一緒したことがあります祐です。 読ませて頂きましたので感想or評価を残していきたいと思います。 一本道のストーリーで分かり…
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