第87話 激変する中東事情
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ダンジョンの出現に伴い、紛争が一時的に停止した。各勢力共に突如発生した異常事態に驚き、武力を伴う対外行為を控えたからだ。活発に活動していたテロ組織でさえ、この動きに同調した事からその衝撃度が推し量れる。
しかし、紛争や内戦の影響で政府の統制が今一取れていない国々においては、突如出現したダンジョンへの立ち入りを規制しきる事は出来ていなかった。
「何だ、これは?」
「さぁ? 昨日までこんな物、ここには無かった筈だぞ?」
「……取り敢えず、中に入って調べてみるか」
「止めとけ、止めとけ。こんな得体の知れない所に、何の準備もなく入るなんて」
「じゃぁ、お前はここで待っていろよ。俺が入って見てくるからさ」
小高い丘の中腹に出現したダンジョンの入口を前にして、男二人が中に入るか入らないかで言い争っていた。青年は好奇心から中を調べて見ようと主張し、壮年男性は良く分からない物には関わらない方が良いと主張しているのだ。暫く2人の意見が真っ向から対立していると、青年は痺れを切らし壮年男性に一言言い残しサッサとダンジョンの中に入っていってしまった。
「お、おい! 待て、勝手に一人で入って行くんじゃない!」
無鉄砲な行動に出た青年を諌めるべく、壮年男性は荷物を置いて慌てて青年を追いダンジョンの中へと足を踏み入れた。
「薄暗いな……」
「待てと言ってるだろが! ほら、さっさと外に出るぞ!」
「出たいのなら、一人で出て行ってくれよ。俺は少しここを探索してから、帰るからさ」
「バカを言ってないで、出るぞ」
「あぁ、もう煩いな……」
「あっ、こら!」
青年は壮年男性の静止の声を振り切り、ダンジョンの奥へと続く通路を猛然と走り出す。2人の距離はドンドン離れていき、最初の通路の角を曲がる頃にはかなりの距離が開いていた。
「くそ! アイツ、どっちに行きやがった! ……こっちか!?」
そして後を追い、2つ3つと通路の角を曲がった先で壮年男性は青年の姿を見失ってしまった。分岐の三叉路を前に青年がどっちに行ったのか分からず、壮年男性は勘頼りで左の通路へ進んだ。
「全く、慎重と言うか過保護と言うか……あの人は。それにしても、凄いなここ。誰が作ったんだ、この石畳の通路?」
壮年男性が左の通路へ去った後、様子を窺っていたのか右側の通路から青年が三叉路に姿を出した。青年は軽く溜息を吐いた後、薄明かりに慣れて来た眼差しでダンジョンを観察し始める。
隙間無く組まれた大きさの統一されたブロック石、寸分の段差も無いフラットな石畳、等間隔に配置されたランプ。この通路が自然に出来た物で無く、人工的に作られた物である事は一目瞭然だった。
「この仕上がりだと、誰かが適当に作った様な物じゃないよな……」
床や壁を触りながら観察し、青年は土埃の付かない指先を見て感想を呟く。
そんな時、壮年男性が走り去った通路の先から悲鳴が聞こえた。
「ぎゃぁぁぁ!」
「なっ、何だ!?」
ダンジョンの内装を観察していた青年は慌てて、声が聞こえて来た方へと走り出す。そして辿り着いた先で青年は、壮年男性が血の海に沈んでいる姿を目の当たりにした。
「お、おい! しっかりしろ!」
「うっ、ううっ……」
「っ!」
青年が慌てて駆け寄り、壮年男性を助け起こすと微かに反応があった。
しかし、壮年男性の腹部には大穴が空いており、穴から血が止めど無く溢れ出てくる。内臓や大きな血管も損傷している様で、壮年男性は明らかに致命傷を負っていた。
「何があった! 誰にやられたんだ!? おおい、しっかりしろ!」
「……」
「何だって!? 聞こえないぞ!?」
「ぅ、うさ……うさ……」
「うさ? うさ、何だって!?」
青年は傷口を布で押さえながら大声で呼びかけ続け、出血と痛みで意識が朦朧としている壮年男性の意識を保たせ様とする。この事態に関する情報収集は勿論だが、ここで意識を失えばそれこそ壮年男性が死んでしまうと思ったからだ。
青年が再び壮年男性に大声で声を掛け様とした時、視界の端に何か動く物を捉えた。
「アレは……ウサギ、か? まさか、あいつに?」
「……」
壮年男性は薄れ行く意識の中、霞む目でウサギの姿を捉え頭を僅かに動かし青年の問いに答えた。良く良く観察すると、ウサギの額に生える角には夥しい量の血が付いていた。
青年が気圧され思わず引くと、ウサギは角を青年に向け動き出す。徐々に加速して行き、青年の5m程手前で跳躍。青年を串刺しにしようとした。
「うわぁぁぁ!」
「ぎゅっ!」
青年は咄嗟に肩に掛けていた荷物入れのショルダーバッグを振り回し、ウサギの横っ面を強かに殴り付ける。跳躍し飛翔していたウサギはこの反撃を避けきれず、鈍い打撃音と共に勢い良く吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。叩き付けられた衝撃でウサギの角は折れ、壮年男性の物とは違う血を流しながら壁に張り付いている。
青年は暫しの間、その光景を唖然とした眼差しで眺めていた。
「……ぅ」
「……はっ! お、おい! 確りしろ!」
「……み、水」
「水!? ああ、ちょっと待ってくれ!」
青年が唖然としていると、壮年男性は苦々し気に微かな声で水を求める声を上げた。青年は慌てて荷物入れのバッグから水筒を取り出そうとしたのだが……。
「くそっ、壊れてやがる!? さっきウサギに叩き付けたせいか!?」
荷物入れのバッグに入れていた水筒は破損していて、中身を全てぶちまけていた。とてもではないが、壮年男性の要望に応える事が出来無い。
「……み、水」
「……すまん。……ん?これは」
恐らく壮年男性の最後の願いだろう水を用意出来ず、青年が無念で意気消沈していると手元に見知らぬ瓶が転がって来る。瓶を拾い上げて見てみると、薄暗く良く見えないが中には液体が入っていた。怪訝に思いつつ蓋を開け匂いを嗅ぐが、何の匂いもしない。
「……ほら、水だ」
「……」
青年は一瞬躊躇した後、謎の液体の入った瓶を壮年男性の口元に運び傾け飲ませた。中身は不明だが水に代わる物が無い以上、壮年男性の末期の願いを叶える為には仕方が無いと思ったからだ。壮年男性は口に流し込まれた液体を僅かに喉を動かし飲み込む。
そして……。
「……」
「くそっ! くそっ!」
壮年男性の体から力が抜け、動かなくなる。青年は壮年男性の制止を振り切り、ダンジョンに潜り込んだ自分の愚かな行動を責め大粒の涙を流した。
だが……。
「……ん?」
「うわぁぁぁ! あぁぁぁ、アンタ! し、死んだんじゃないのか!?」
死んだと思った壮年男性が急に起き上がり、青年は思わず絶叫しながら距離をとった。
「……残念ながら生きてるよ。どう言う訳だか知ら無いがな」
「だって、だって。アンタ腹に大穴を空けて、大量の血を流していたんだぞ!? どう見たって、致命傷だったじゃないか!」
「ああ、俺も死んだと思ったんだ……って、穴が塞がってる?」
「えっ?」
壮年男性が上着を捲り上げ傷を確認すると、ベッタリと血に濡れてはいるが致命傷だった大穴は完全に塞がっていた。
「……本当だ」
「なぁ、お前……俺になにかしたか?」
「えっ? いや特に……って、あっ」
「あっ? 何か心当たりがあるのか?」
「あっ、うん。多分アレだと思う」
青年は壮年男性が起き上がった拍子に、驚いて放り出した瓶を探す。瓶は直ぐに見付かったのだが、落とした影響で中身の大半が地面に零れていた。残りは小さじ1杯にも満たない、僅かな量だけだ。
「……コレか?」
「あ、うん。それを飲ませた直後に起き上がったから、多分それが回復の原因だと思う」
「……」
壮年男性は瓶を受け取り、瓶底に残った僅かな液体を眺めた。
「それが何なのかは分からないけど……」
「……まぁ、良い。それより、早くここを出るぞ。何時、次の奴が出てくるか分からないからな」
「あっ、うん」
男は血塗れの服の感触に一瞬気持ち悪そうな表情を浮かべたが、脱出が最優先だと思い青年を伴い元来た道を駆け出す。青年は血塗れの壮年男性の後を追いながら、何故元気に走れるのか疑問を浮かべながら不思議そうに首を捻った。
そして……。
「やっと、外に出れた」
「本当、無事に出れて良かった」
全力で走り続ける事数分、二人は新たなモンスターに遭遇する事も無く無事にダンジョンを脱出した。無事に脱出出来た事に安堵しながら、青年は今日遭遇した事を思い返す。
突如出現した不思議建造物、殺す気で襲い掛かって来るウサギ擬き、瀕死の重傷を一瞬で癒した謎の液体……明らかに常軌を逸した出来事の連続だった。
そして、青年は改めて自分が引き起こした事態に肝を冷やし、軽率な行動を取った罪悪感に苛まれつつ、血塗れの服を着た壮年男性に深々と頭を下げ謝罪する。
「俺が勝手な行動を取ったせいで危険な目に遭わせてしまって、本当にすみませんでした!」
謝罪を受けた壮年男性は、血塗れの自分の姿と頭を下げ続ける青年を見比べて、溜息を吐きながら声をかける。
「……まぁ、今回は何だかんだで無事だったんだから許してやる。ただし、今度からはちゃんと人の忠告は素直に聞けよ?」
「はい! 本当にすみませんでした!」
「じゃぁ、血塗れのままだと気持ち悪いし……帰るか?」
「はい!」
青年の謝罪を受け入れた壮年男性は、放り出していた荷物を回収し青年と一緒に帰宅の途につく。
そして帰宅後、家族に血塗れ姿を驚かれながら事情を説明すると家族からダンジョンの存在を知らされ、自分達が如何に危険な場所に無造作に侵入したのか改めて認識し、壮年男性は滝の様な冷や汗を流し無事に帰れた幸運を噛み締めた。
しかし、これは極々希に見る幸運な一例。二人と同様にダンジョンに侵入した者達の大半は、モンスターの襲撃や罠に掛かり死傷する事となった。
ダンジョンからお宝が手に入ると言う事実が広まるにつれ、政府軍と武装勢力との武力を伴う小規模の奪い合いが始まった。ダンジョンは国境や勢力圏など関係なく広く点在し、ダンジョンを資金源にと見た各勢力が、こぞって確保しようと動き出したからだ。幸い、争いは山や荒野などの人里離れた地域が主で、民間人に犠牲者が出る事はそうなかった。
しかし、数ヵ月後、とある発表でそれらの事態は急変する。
某国大統領執務室。その部屋の主は今まさに、急変する世情に直面していた。
「……欧米からの支援が滞りだした、だと?」
「はい」
「馬鹿な! アイツ等この国の石油が欲しくて、我らを支援していたのでは無いのか!? 今我らへの支援を滞らせれば、我らが確保している産油地帯の安定が揺らぐ事になるんだぞ!? 何を考えているんだ!?」
「……恐らく先日、日本が発表した例の事案が関係しているかと」
「……コアクリスタル発電」
秘書官に指摘され、執務机に座る男は苦々し気な表情を浮かべる。
「はい。あの日本の発表で、石油のエネルギー資源としての価値が揺らいだ事が原因かと……」
「くっ! まさかダンジョンから、あんな物が得られるとは……!」
大統領は悔し気に、机の天板を握り拳で叩く。
「コアクリスタルと石油を比べれば、エネルギー資源としては圧倒的にコアクリスタルが優れています」
「……日本の発表が正しければ、原子力さえも圧倒しているらしいからな」
「はい。それに、限られた地域からしか得られない石油と世界各地に点在するダンジョンから得られるコアクリスタルでは、確保の容易さが違いすぎますから」
世界中で確保出来ると成れば、エネルギー資源を輸入に頼っていた国々はコアクリスタル発電に重点を移そうと動く事は容易に想像出来る。昨今大きく騒がれる環境保護の面から見ても、完全無公害とされるコアクリスタル発電が次世代エネルギーの筆頭になり、化石燃料が衰退するのは目に見えていた。
「くっ、それで我らへの援助を絞り始めたか!」
「石油の化学繊維等の原料としての重要さは変わらないでしょうが、エネルギー資源としての価値は確実に低下します。今までの様な、莫大な需要は見込めなくなるでしょう」
因みに、原油の利用用途比率の7割近くが発電や自動車等の燃料である。
「そうなれば、面倒な事情を抱える我々を切る決断を欧米が行ってもおかしくはありません。他の情勢が安定している産油地帯から、必要分を輸入すればいいのですから……」
「面倒な事情……自分達が石油欲しさに撒き散らした種だろうが!? 今更、放り出すつもりか!?」
「ですが、イラクやイランの例を考えれば、無いとは言い切れません」
「……くそっ! くそっ! くそぉぉぉ!」
秘書官の指摘が正しいと理解し、大統領は悔し気に再び机の天板を握り拳で何度も叩き続けた。
石油のエネルギー資源としての価値が揺らぎ、欧米諸国が泥沼の様相を呈する中東から徐々に手を引こうとし始めると、それまで欧米諸国の影響で抑えられていた各勢力が水面下で動きを見せ始めた。各勢力がダンジョンから得たアイテムを闇ルートで売り捌き始め、商取引で得た資金で武器を購入し勢力の強化や拡大を始めたのだ。欧米諸国の支援が先細りし統制力が低下し始めた政府には、各勢力の動きを阻害する事さえ至難の業になり始め、更なる泥沼感が増し始めた。
そして、ダンジョンが出現してから凡そ1年後、各勢力が牽制し合う事で保たれていた奇妙な平和がついに破綻。停戦条約を無視しての武力侵攻を切っ掛けに、中東地帯での戦乱の幕が開かれた。
中東編です。
コアクリスタル発電の登場で、欧米の対応に変化が生じ混乱が起きています。只でさえダンジョン出現で混乱状態の最中に、援助の手が遠のき始めれば……ですね。




