第65話 探索者の知られざる事情
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俺のオムツ発言に、二人は暫し呆然としていた。まぁ、一般人が考えるダンジョン探索には、似つかわしくない物だからな。
そして、俺の言葉を正しく認識した後は、顔を若干赤く染めて動揺した様子でオムツが必要な理由を説いただしてくる。
「えっと、聞き間違いかな? オムツが必要だって聞こえたんだけど……」
「聞き間違いじゃないぞ?」
「……何で、オムツが必要なんですか?」
「何でって……初めてダンジョンに挑む探索者って、かなりの人数が糞尿を漏らすからね」
「「……」」
二人は俺の発言に、顔を引きつらせる。
しかし、実はコレ、表沙汰にはされていないダンジョンあるあるの一つだ。
殺意を剥き出にして襲いかかってくるモンスターと対峙すると、経験の少ない探索者は恐怖と緊張で無意識に失禁することがままある。ある意味、新人探索者に対する洗礼のようなものなので、ある程度経験を積んだ探索者達は漏らしている新人探索者に遭遇しても、見て見ぬ振りをするのが暗黙の了解として成立していた。
誰だって、過去の黒歴史は穿り返されたくないしな。
「嘘みたいな話だろうけど、本当のことだから」
「お兄ちゃん、それ……本当に必要なの?」
「まぁ、無くても大丈夫な人は大丈夫だけど、念の為に着けて行った方が無難だろうな……」
「そうまで言うということは、本当なんですね……」
二人は嫌そうな表情を浮かべながら、重苦しい溜息を吐く。
まぁ、この手の話は盛り下がるからな。世間一般でイメージするダンジョンは、ゲームや小説に出てくる物を真っ先に思い浮かべる筈だ。そうすると、トイレ事情なんて先ず描写したりはしない。
「因みに、ダンジョン内にもトイレはあるけど、比較的安全な2階と3階だけだからな?」
「えっ?」
「当たり前だろ。モンスターが湧いて出てくるような場所に、どうやってトイレを設置するんだよ。2階と3階に設置してあるのは、階段付近にモンスターが近寄らないからだ」
チュートリアルステージな表層階は、階段の傍が安全地帯として設定されているのか、これまでモンスターが出現したことは確認されていない。だから階段付近に、有料の汲み取り式の簡易トイレが幾つか設置してあった。
しかし、4階層以降は階段付近にもモンスターが出現するので、設備の破損を危惧し設置されていない。
因みに汚物の汲み取りや洗浄水の補充は、探索者資格を持つ社員を抱える専門の業者が担当しているようだ。危険手当込みの割増料金でダンジョン協会から管理を委託されているようで、一日一回の補給と清掃で設備は清潔が保たれていると評判は良い。
もしかして、社員さんは洗浄スキル持ちなんだろうか?
「じゃぁ4階層以降に潜る探索者の人達って、どうやって用を足しているんですか?」
「大体の人は、ダンジョンを出るまで我慢するね。勿論、ダンジョンに入る前には水分を控えたり、吸収の良い食事を心がけるなんかの体調管理は行ってる筈だよ」
「あっ! だからお兄ちゃん、ダンジョンに行く前の日はサラダとかを食べなかったんだ」
「じゃあ、どうしてもっていう時はどうするんですか?」
「登山用なんかの携帯簡易トイレを、使っているんじゃないかな? ダンジョンの出口に汚物入れが設置してあるから、ダンジョンを出る時に捨てれば良いからね」
でもたまに、通路の隅に黒い袋が放置してあるのを見るけどね。ちゃんと捨て場が確保されているのだから、公衆衛生マナーは守って欲しいものだ。
俺が二人に探索者事情の話をしていると、店員さんが厳しい顔つきで近寄ってきた。
「すみません、お客様。周りのお客様の迷惑になりますので、その手のお話は控えて頂けると助かるのですが……」
「あっ、すみません!」
「「ごめんなさい」」
店員さんに注意され、俺達は慌てて頭を下げ謝罪する。
どうやら話している内に、声が大きくなっていた様だ。店員さんが去った後、周りを見回してみると俺達をイラだたし気な眼差で見ているお客が何人かいた。
……何とも居心地が悪いな。
「えっと……場所を変えて話そうか?」
「うん、賛成」
「はい。場所を変えましょう」
俺の提案に賛同した二人は、残っていたケーキと飲み物を流し込む。
流石に、ここで話を続けるのは厳しいからな。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
「うん。じゃあ、行こうか?」
俺は伝票を持って席を立ち、会計レジへ向かう。二人も俺の後を、荷物を持って付いてきた。
会計レジに店員さんが待機していたので、俺達の行動は予想されていたみたいだな。
「合計で3540円になります」
「じゃぁ、5000円からで」
「5000円お預かりします……1460円のお釣りです。またのご利用をお待ちしています」
「騒いで、すみませんでした」
「いえ」
俺達は再度会釈しながら謝罪し、喫茶店を出た。
うん。飲食店で話す様な内容じゃなかったな。俺達は顔を見合わせ、自分達の失敗を反省した。
喫茶店を出た俺達は、繁華街を暫くぶらついた後、昼食を摂ろうと、イタリアの国旗がはためく、イタリアンのお店に入店する。店内は、薄暗目の照明で照らされ、対面式のカウンターと、4人掛けの木製テーブルが並んでいた。お昼時ということもあって、店内は込み合っており、席の大部分は埋まっている。
俺達が入口に立って店内を眺めていると、俺達の存在に気が付いた店員さんが小走り気味に近寄ってきた。
「お待たせしました。何名様でしょうか?」
「3人です」
「では、コチラに……」
店員さんに先導され、俺達は店奥のテーブル席に案内された。俺達が席に座って荷物を整理している間に店員さんがお冷とオシボリ、メニュー表を持って来た。
「注文がお決まりになられましたら、そちらの呼び出しボタンでお呼び下さい」
「はい、分かりました」
「では、失礼します」
店員さんが去っていったので、俺達はメニュー表を広げ品定めを始める。
ランチメニューは、メインがパスタとピザの2種類。サラダとスープ、食後のコーヒが付いて980円と良心的な価格設定だ。
他のメニューも見てみるが、高くても3000円は超えない。
「二人とも、好きなのを選んでくれて良いからね」
「うん」
「有難うございます」
さっきの喫茶店で飲食の会計は俺が持つと事前に言って置いたので、二人は遠慮なく好みのメニューを吟味しているようだ。
俺は2,3分メニュー表と睨めっこした末、ミックスグリルセットを頼むことにした。
「……二人とも、注文は決まった?」
俺はメニュー表から視線を上げ、未だメニュー表と睨めっこをしている二人に尋ねる。
「……うん。じゃぁ、私はランチのピザセットで」
「私はランチの、パスタセットでお願いします」
「二人ともランチで良いの? 好きな物を頼んで良いんだよ?」
俺が会計を持つことに遠慮しているのかと思い、二人に遠慮する必要はないと伝えるが揃って首を横に振る。
「別に、遠慮してるわけじゃないよ」
「はい。さっき食べたケーキがまだお腹に残ってるだけで、遠慮しているという訳ではありません」
「そう……それなら良いんだけど。じゃあ、店員さんを呼ぶか」
それぞれの注文が決まったので、俺はテーブルの横っ面に貼り付けられている呼び出しボタンを押す。ボタンを押すと、店内に鈴の音の様な呼び出し音が響く。
呼び出し音を聞いた店員さんが、見苦しくない程度に素早くやって来た。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「はい。ランチセットをピザとパスタで一つずつと、ミックスグリルセットを」
「ランチの飲み物は何にしましょう?」
「えっと……」
店員さんは手元の端末を操作しながら、俺に質問してくる。事前に決めていなかった質問なので直ぐには答えを返せず、俺は二人にどうするのかと言う視線を送る。
「じゃぁ、私は紅茶で。沙織ちゃんはどうする?」
「私も紅茶でお願いします」
二人は俺の送った視線の意味を正確に理解し、素早く飲み物を選んで店員さんに伝えた。
「だ、そうです」
「はい。では、食後に紅茶をお持ちしますね」
「お願いします。それと、ミックスグリルセットに食後の飲み物は付きますか?」
「ミックスグリルセットには、食後の飲み物はついて来ません。食後の飲み物が必要な場合は、単品で飲み物を注文して貰う必要があります。ですが、お食事をされた方でしたら+100円で食後のコーヒーをお付けする事が出来ますが……」
「じゃあ、コーヒーを食後にお願いします」
「分かりました」
店員さんは俺達から注文を取った後、軽く会釈をして去っていった。
注文の品が来るまでの間、俺は先程中断した相談の続きを聞くことにした。
流石に同じ轍は踏まない様に、話題を変えることにしたがな。
「そう言えば、二人は探索者を始めるって言っていたけど……装備品を揃える資金は大丈夫なのか?」
「えっと、一応お年玉とかを貯めてるから大丈夫だと思うんだけど……」
「私もお年玉は貯めているので、それでと思っていたのですが……」
ふむ。一応、二人ともそれなりに蓄えがある様だな。
でも……。
「一応言っておくけど、最低限必要な物を揃えようと思えば10万円はかかるよ?」
「えっ!」
「じゅ、十万円……ですか?」
俺が初期投資に必要な金額を伝えると二人は驚きの声を上げ、今居る場所を思い出し慌てて口を手で押さえていた。
俺は周りの席を見回し、軽く会釈で謝罪をしておく。
「二人とも、場所が場所だから余り大声は上げないでよ。また追い出されるのは、勘弁して欲しいから?」
一応自主的に喫茶店を退席したが、実質追い出されたのと変わらないからな。
「ご、ごめん」
「すみません」
二人は自分達の失態を恥じ入るように、頭を項垂れさせ反省していた。
「……まぁ、額が額だから驚くなと言うのも無理だろうな」
項垂れるふたりを見ながら、俺は水を一口飲む。
俺達も最初、装備品を買い集める為の出費には頭を抱えたからな。
「捻出出来る資金が少ないのなら、中古品で済む物は中古品で済ませて、武器や防具を新品で購入した方が良いからな? ここの投資をケチると、後々致命的な問題が出てくるぞ」
「ええ、中古品なの……」
「資金が足りないのなら、妥協する所は妥協しないとな。必要と不要をキッチリ見極めて、必要な所に資金を集中した方が良い」
どうやら美佳は、中古品と言う響きが嫌のようだ。
まぁ、新品で身を固めたいと言う気持ちも分からないでは無いけど、資金が足りないのなら仕方ない。
「中古品と言っても、数回ダンジョンに潜っただけで探索者を辞めた輩の放出品だから、殆ど新品と変わらないぞ? 協会HPのオークションページで程度の良い物を探すのには苦労するだろうけど、掘り出し物もあるから探してみると良い」
中には、1回のダンジョン探索で探索者を辞めた様な輩の物も混じってるからな。
すると、今度は沙織ちゃんが中古品市場のことについて聞いてくる。
「それ、本当ですか?」
「ああ。探索者の中では、周りのノリに流されたり、知人友人に誘われ断りきれなかったりで探索者になったっていう輩も多いからな。そして、その手の輩はモンスターと戦えば直ぐに心が折れるからね。立ち直れば探索者を続けるだろうけど、大部分はそのまま引退だよ。そういう輩の物が、中古品の扱いでオークションにかけられているんだ」
「でもそれって、入札競争が激しくて結局高く付くんじゃないんですか?」
沙織ちゃんの疑問も尤もだろう。
しかし、協会HPのオークションは普通のオークションサイトとは少し事情が異なる。
「そう思うのは無理はないけど、実はそうでもないよ」
「?」
「中古品市場を利用する探索者は、実はそれほど多くないんだよ。稼げる探索者は普通に新品を買うし、主な利用層と思われている新人探索者も、大抵は装備を揃えた後に中古市場の事を知る事が多いからね」
「……告知はされてないんですか?」
「されてはいないね。協会としても中古品を買われるより、新品を買って貰った方が良いだろうしね。聞かれたら丁寧に答えるけど、聞かれなかったら何も言わないっていうスタンスだよ、ダンジョン協会は」
武器の件でも似たような事があったしな。腹が黒いと言うか、底意地が悪いと言うか……そういう組織だからなダンジョン協会って。
「……うわぁ」
「それは何とも……」
「協会は、利用者がちゃんと勉強していれば心強い味方になってくれるけど、利用者が無知なら搾取こそしないけど敢えて手は差し伸べはしないからね。二人も協会を利用する時は、その辺りの事を気をつけるんだよ?」
俺の協会の話を聞いて、二人は嫌そうに顔を歪める。まぁ、この話を聞いたら、大体の人は似たような反応を示すだろうな。
「お待たせしました、ご注文の品です」
どうやら話しているうちに、大分時間が経っていたようだ。両手に料理を持った店員さんが、俺達の直ぐ傍まで来ていた。焼けたピザの香ばしい香りが、食欲を掻き立てるな……。
「ご注文の品は全てお揃いでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
「では、ごゆっくりお過ごし下さい」
注文の品を運んで来た店員さんは、軽く会釈をして去っていった。
俺達の眼前には、湯気を立て料理が並んでいる。……さて、食うか。
「さっ、難しい話はここまでにして、熱い内に食べよう」
「うん」
「はい」
さて、先ずは腹拵えだな……いただきます。
知られざる探索者事情の一部です。
他の事情は何れまた……。