第444話 良い物件ではあるが……
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少々話が逸れてしまっていた俺達は小さく溜息を漏らした後、話を本来のものに戻す。将来不動産屋さん達が頭を悩ませるだろう問題は、現時点では俺達には余り関係ない話だからな。一応俺達が今回来店している理由は、練習場の場所探しなんだしさ。
俺達は机に並べられた資料に目をやり、桐谷さんと湯田さんに話し掛ける。
「今の俺達と数年後の俺達との交通事情を考えると、物件に対する条件が少し変わってきますね」
「そうですね。皆さんが数年後に運転免許を取るとするなら、行動範囲の広さが変わってきますからね。物件が公共交通機関が通っていない遠地だとしても、移動にそう問題はなくなりますからね」
「ええ。今現在の俺達の立場だとすると、遠地の物件への移動は基本的に公共交通機関頼りになりますからね。街中のように頻繁に電車やバスが来てくれれば良いんですが、場所によっては1日数本とかって場所もあります。それを考えると、自転車で移動出来る場所か近場の物件か公共交通機関が近くにある遠地の物件って事になります」
「そうなると、今回持ってきた物件の幾つかは条件から外れますね。物件までの移動時間は、どの程度見積もりますか?」
移動時間か……どれくらいを見積もれば良いんだ? 俺達3人は顔を見合わせ、取りあえずの移動時間を出す為に相談を始める。
まず自転車移動を考えるのなら、山奥の物件と考えるのなら1時間圏内といった所か? 自転車が壊れない速度での移動だとしても、俺達なら五十km以上は楽に移動出来る。近隣の市町村までは移動可能な範囲だろう。公共交通機関を使う場合を考えると、電車やバスの最寄り駅からの移動も含め1、2時間ぐらいかな? 最寄り駅から物件までジョギングのつもりで走っても、人通りや車が少なければ十km以上でも楽に移動出来るし。
「片道……1、2時間ぐらいかな?」
「うん。まぁ、そんな物じゃないか?」
「そうね、でも出来れば一時間以内が良いわね。余り移動ばかりに時間を掛けたくないわ」
「では、一先ず移動時間は1、2時間という事で考えてみましょうか」
「……ちょっと待ちなさい湯田君。広瀬君、念の為の確認なんだが、その移動時間は探索者基準での1、2時間だね?」
桐谷さんの質問に一瞬、意図が分からないといった表情を浮かべてしまったが、裕二が直ぐに真意に気付き返事をした。
「あっ、はい。中堅クラスの探索者としての1、2時間の移動時間です」
「では、公共交通機関での移動は通常の時間配分で考えて良いとして、自転車や徒歩での移動はどれくらいの移動時間や距離を考えたら良いかな? 不動産屋が使う基準となる数字としては、徒歩1分80mと言ったモノがある。コレは地図上の直線距離で、80m圏内が徒歩1分とされているものだ。実際の道順ではもっと時間が掛かる場合もありますが、コレが一応の基準だね」
桐谷さんがした質問の意図は、移動時間に対する感覚のズレの相互認識を確認するものだ。確かにココは事前にハッキリしておかないと、致命的と言ってもいい誤解が生じるだろうな。
裕二は少し考えてから、中堅探索者レベルでの移動時間の基準を口にする。
「そうですね。徒歩と言うならば、探索者だとしても一般人とそう変わった速度で移動はしないと思います。歩くという事は、そこまで急いで移動しているわけでは無いでしょうから」
「それは道理だね。確かに急いでいないのであれば、速度を出す必要は無いか」
「ええ。ですが走る場合、探索者の感覚として無理の無い軽いジョギング程度のものだとしても、オリンピックのマラソン選手以上の移動速度になると思います」
「軽いジョギング感覚で、そんなになるのか。フルマラソンで大体2時間だから、30分でも10km以上の移動が可能か……大した疲労も無く」
桐谷さんは呆れた様な感心した様な表情を浮かべつつ、頭が痛いとばかりに手で額を押さえている。隣に座る湯田さんも、少し驚いた様な表情を浮かべていた。湯田さんの場合、今まで内見に付き合って貰っていたのである程度把握していたのだろうが、具体的な数字を聞き改めて探索者というものの非常識さに驚いたといった感じだろう。
俺達も自分達で言っていて、随分と一般人離れしたよなと実感する。
「……自転車の場合ですと、一時間で数十km、5、60kmは大した疲労も無く楽に移動出来ると思います。山越えの道であったとしても、平坦道と大して速度を変えずに行けるかなと」
「その山越えというのは、街中にある小高い丘みたいな山をさしているのか、登山をするような本格的な山をさしているのか……どっちかな?」
「本格的な山の方ですね。恐らく勾配のキツい1000m近い標高の山越え峠道でも、大した苦も無く越えられると思います」
「君達、本当に自動車って要るのかな? ほぼほぼバイクと考えて良いような気もするんだけど……」
その疑念は尤もだと思います。ですが残念ながら、耐久力やブレーキ性能で自転車ではバイク並みの移動は難しいだろうな。山の下り坂だと、恐らくブレーキは性能不足になるだろう。
減速出来ずに谷底へ……なんてのはゴメンだ。まぁ谷底に落ちたとしても、怪我無く凌げそうな気はするけどさ。
「所詮は学生が通学に使う自転車ですよ、何十万もするような本格的なレース用自転車とは違います。そこまで無理が利くような作りはしてませんよ。まぁレース用でも、探索者の全力は保たないでしょうけど」
「本格的な山越えが出来ても、そこそこか……」
「そこそこです。それに自転車だと、大物の物資運搬は難しいですからね。自力で練習場を整備するにしても、それなりの道具を持ち込む必要がありますし」
「そこは業者に造成を頼む、ってのはしないのかな?」
裕二が練習場の整備問題について話を漏らすと、桐谷さんは業者に頼むんじゃないのかと首を傾げた。尤もな疑問だが、練習場の整備は訓練がてらに自分達でするつもりだ。
そこそこのレベルの探索者なら、頑丈なスコップ一本有れば小型の重機が相手なら接戦出来るだろうからな。それにスキルを含めて考えると、下手な重機に優る作業効率を叩き出すことも可能だろう。
「自分達の手で作ろうって話してます。まだ買う場所が決まっていないので具体的なプランは無いですが、探索者の練習がてらにコツコツと」
「なるほど、自分達の手で自分達の作りたいようにか。それは良いですね。ただ、その場合一つ注意して貰いたいことがある」
裕二の練習場整備計画の話を聞き、桐谷さんは興味深げな表情を浮かべると共に、少し真剣味を帯びた表情を浮かべながら忠告を発する。
「山間部の土地だと素人が好き勝手に切り開いたり掘削すると、大雨が降った時に土砂崩れが起きる原因にもなる。練習場の整備計画が固まったら、1度専門家に相談しておいたほうがいい。土地の地形や地質なんかの関係で手を付けたら駄目な場所とかを、事前に把握しておかないと後で泣きを見ることになるから」
「そういえば偶にテレビニュースなんかで見ますね、無計画な伐採を行ったせいで大規模土石流が……ってヤツ」
「ええ、そういう事件だね。人里離れた山奥で誰にも迷惑が掛からないのならまだしも、人が巻き込まれた場合なんか大変なことになる。土地の持ち主の管理責任問題になるからね」
その話を聞くと素人が下手に手を出すより、専門の業者さんに任せた方が良いような気がするな。でもそうなると、今度は費用的問題が発生するんだよな。人里離れた山奥の開発なんて、幾ら掛かるんだって話だ。整備する場所と広さにもよるんだろうが、下手をすると何千万と掛かるだろうな。
とは言え、物件によってはその手の問題も考慮しないといけない。安易に考えていると、後で後悔することになるからな。
「肝に銘じておきます」
「うん。とはいえ、探索者の身体能力だと徒歩や自転車でもその移動能力があるなら、かなり範囲は広げても大丈夫そうだね」
「道路事情にも左右されると思うので、そこそこでお願いします。信号の多い都市部近郊だと、それなりに足止めもされるでしょうから」
「移動経路の全てが田舎の一本道、とは行かないだろうからね。了解だ」
というわけで、一通り物件までの移動に関する条件を示すと、桐谷さんと湯田さんは早速物件資料の仕分けを始めてくれた。
良い物件が出てくると良いんだけどな。
少々時間を掛け吟味した結果、今回湯田さんが持ってきてくれた物件資料の中から、2つの物件が残った。1件目は青々とした景色が広がる一角にポツンと盛り上がった小高い山の物件、2件目はローカル電車の駅近くにある山間部の一角の山だ。
広さで言うと2件目の方が広いが、1件目は1時間程度の自転車移動で到達が可能だろう。
「今回持ってきた物件資料の内、先程君達が挙げた移動条件に該当するのはこの2つだね」
「1件目は移動が便利そうで、2件目は土地の広さが魅力ですね」
「前回までの内見に行っていた物件と比べれば、かなり移動は容易になったと思うよ」
そう言うと、湯田さんは残った資料の詳しい説明を始める。
「先ず1件目の物件だけど、簡単に言うと山間部近くの耕作放棄地の物件だね」
「耕作放棄地、ですか」
「元は農家さんが畑で野菜を作っていたらしいんだけど、数年前に後継者がいなくなって放棄されちゃったみたいだね。ココを再度畑として使うとなると、再整備にそれなりに費用がかかるかな?」
「それでこの荒れ具合って事ですか……」
資料に添付してある写真に写る青々とした草が生える大部分が、湯田さんの言う元畑という事なのだろう。大農家さんだったのか、複数の農家さんが後継者がおらずに廃業したのだろうか……。
まぁ都市近郊の山間部になるのだろうが、コレならご近所付き合い?はなさそうかな。戦闘訓練で多少大きな音を立てたとしても、五月蠅いと怒鳴り込まれることは無いだろう……多分。
「ただ山間部近くの耕作放棄地になるので、山中のイノシシなどの野生動物が時々出てくるそうです。襲われないように注意しないといけないんですが……」
「いざとなったら返り討ちにする事も出来ますので、問題にはなりませんね」
「ははっ、そうなりますよね。今までに何度も、そんな場面に遭遇しましたし……」
湯田さんは裕二の返答に、少々頬が引き攣ったような表情を浮かべながら何処か遠い目で天井を見始めた。恐らく、内見で見た野生動物たちの命乞いの場面を思い出したのだろう。
アレを見たのなら、山から下りてきた野生動物など問題無いと言う裕二の言葉は疑うまでも無いだろうからな。記録映像を見たらしい桐谷さんも湯田さんの横で、少し引き攣った表情を浮かべてるしさ。
「んんっ、説明を続けますね。そういう訳ですので、交通の便は良いですが物件周囲に定住されている方は殆ど居ません。まぁ交通の便は良いと言っても、公共の乗り物は近くにありませんが」
「自転車で無理なく移動出来そうですので問題無いです。公共の乗り物も近くに無いとはありますが、最寄り駅からでも走れば20分も掛からなさそうですしね」
「では、移動面は問題ありませんね」
今回条件に加えた移動面は問題無さそうだった。自転車ではあるが、自力で移動可能な距離にある物件というのは良い。山間部などの僻地になると、公共交通機関の運行スケジュールを基準に動かないと行けなくなるからな。
「では周辺情報はこの位にして、物件本体の説明をします。広さは3.28ヘクタールほどになります」
「結構な広さですね、この写真に写っている山を丸ごとですか?」
「はい、写真に写っている山が丸ごとですね。山の高さは凡そ60mほどになります」
「60m……20階建てのビルくらいですね」
写真で見ると小高い山に見えるが、結構な大きさの山である。この山を丸ごとか……この物件高いんじゃ無いか?
「山に生えている木々の大半は杉……過去に植林された物になります」
「杉山ですか……時期によっては花粉とか凄そうですね」
少し嫌そうな表情を浮かべる裕二の質問に、湯田さんは何とも言い難そうな曖昧な笑みを浮かべていた。この山を買った人が花粉症持ちだと、花粉が舞う時期は地獄だろうな。
幸い俺達は花粉症持ちでは無いが、杉山というのは少々考え物かも知れないな。花粉が苦手だからと、全部伐採するわけにもいかないからな。
「それでこの物件のお値段なのですが……」
「お幾らなんですか?」
「諸経費は省きますが、おおよそ4500万円になります」
4500万か、今回の購入予定額の上限近くだな。諸経費を加えたら、ギリギリか……。
購入出来なくは無いが、もう少し安い物件の方が良いかな?




