第379話 近道は直滑降
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クマとの接触を何事も無く終えた俺達は、未だ動揺の収まっていない感じの湯田さんを宥めながらユックリと山の中を進んでいた。
流石に半パニック状態の湯田さんを背負ったまま、山の中を高速移動をするわけには行かないからな。多少時間を掛けてでも、まずは湯田さんを落ち着かせないと……。
「もう大丈夫ですよ、湯田さん。クマ君が後を追って来る気配はありませんから」
「ほ、本当かい? もう出てこない?」
「ええ。話の分かるクマ君だったので、無事説得も出来ました。帰り道に同じ道を通ったとしても、襲われることは無いと思いますよ」
説得……うん、説得だな! いやぁ、話の分かるクマで良かったよ、うん!
裕二と湯田さんのやり取りを耳にしながら、俺は自分に言い聞かせるように声には出さずに説得成功と何度も口の中で繰り返す。こういうのは何度も繰り返すことが大事だよな……例え現実逃避だったとしてもさ。
「はぁー、ビックリした。確かにクマが出るってのは資料に書いてあったから知ってはいたけど、まさか目の前に出てくるなんて……」
「ははっ、災難でしたよね。でもまぁ、ここら辺は元々あのクマくんみたいな獣達の領域ですからね。俺達みたいな不審者が勝手に縄張りに入り込んできたら、警戒して様子の一つくらい見に来ますよ。今回遭遇したのが、話の分かるクマ君で良かったです」
「ははっ、話の分かる、ね。……本当にクマは話が分かってたのかな?」
「さぁ? でも、実力差は理解していたみたいなので、コチラから仕掛けない限りは襲ってこないと思いますよ。あのクマ君だって、勝てない戦いをして怪我はしたくは無いでしょうからね」
裕二が何気ない様子で彼我の戦力差について口にすると、湯田さんは一瞬目を見開き驚きの表情を浮かべていた。まぁ今の裕二の発言を湯田さん視線で見ると、あの程度のクマは敵ではありませんよと言ってるような物だからな。クマと言えば、一般人が遭遇し襲われたらまず敵わないような相手だ。
そのクマを相手にコレだけ強気とも取れる言葉を口にし断言出来るのだ、一般人からすれば命知らずのバカが調子に乗ってアホな発言をしていると正気を疑うよな。まぁ俺達の場合、実績豊かな発言なんだけどさ。
「怪我をしたくない……か」
「ええ。無闇やたらに殺生をする気は無いですけど、流石に怪我を負わせずに制圧するってのは難しいですからね。出来なくは無いと思いますけど、それを気にしすぎるせいでコチラが怪我を負うリスクを背負うのも何ですからね」
「そう、だね。確かに怪我を負ってまでとなると、余程の理由が無いとやりたくは無いか」
ですです。まぁその怪我のリスクってのは、何かの拍子で湯田さんが怪我を負うってリスクなんですけどね? 例えば襲い掛かってきたクマに驚いて、湯田さんが転倒して骨を折るって言う類いのリスク。
ん? 俺達? モンスターでも無いクマを相手に、護衛対象が後ろに居て油断もしてない状態で怪我を負うとでも? もしそんな失態をしでかしたら俺達3人とも、また重蔵さんと幻夜さんに再教育をくらうって。
「ええ。それより湯田さん、落ち着きましたか?」
「ありがとう、大分マシになったよ。俺の方が年上だから確りしないといけないのに、醜態を見せてしまったね」
「まぁいきなりあんな場面に遭遇したら、パニックを起こしても仕方ないですからね。俺達の場合、探索者としてダンジョンではあの手の状況は慣れてますからね、経験の差ですよ。年齢云々の話では無いと思うので、気にしないでください」
「そう言って貰えると助かるよ」
湯田さんは申し訳なさげな表情を浮かべつつ、口ではお礼を口にしているが恥ずかし気に目線を逸らした。
いやまぁ、本当に気にしなくて良いと思いますよ? 一般人としては、真っ当な反応ですしね。
「じゃぁ落ち着いたとの事ですし、スピードを上げますよ。良いですか?」
「ああ、大丈夫だ。よろしく頼むよ」
「了解、じゃぁ行きますよ」
湯田さんの了承も得られたので、俺達はスピードを上げた。
この先はほぼ崖とは聞いてるけど、どの程度なんだろうな。降りれる程度の傾斜なら良いけど……。
山頂を過ぎて少し山を下ると、目的地となる山の全容が視界に入った。さほど標高は高くないが、木々が生い茂る緑豊かな山と言った感じだ。開拓する際は、ある程度木々を切って平地を作る必要はありそうだが……うん、中々良い感じの山だな。
「アレが目的の物件ですね」
「ああ。今は殆ど人の入らない山だから、利用する際は整備が必要だけど良い山だよ。少々手間は掛かるけど、生えてる木々を売るだけでも購入代金をある程度補填出来るかな? まぁ流石にハゲ山にするのは、災害対策や生態系維持の観点から止めて欲しいけどね」
「そうですよね。確かに購入代金を補填出来るというのは魅力的ですけど、木々を切りすぎて災害を発生させたら元も子もないですよ。仮に木々を伐採して売るにしても、専門家と相談してからの話ですね」
目先のお金にとらわれ一山をハゲ山にした際のデメリットを考えると、安易に手を出せる話じゃ無いからな。木々を切りすぎた為、土砂災害が発生した、木々を切りすぎた為に山の恵みが減って周辺で獣害が大発生した……うん、素人が安易に手を出すべきじゃ無いな。
色々起きた原因を調査した結果、所有している山を考え無しにハゲ山にした結果だって分かったら、莫大な損害賠償が発生する問題になりかねない。
「そうだね。それはそれとして……行けそうかい?」
「「「……」」」
湯田さんの問い掛けに、俺達は無言で視線を足下に落としながら返答を返す。山頂付近から、さほど標高の高くない隣の山の全容が良く見える、それは目前に視界を遮る障害物が無いという事。
つまり俺達の足下には地図上で等高線が密集した地帯、崖と言える景色が広がっているということだ。
「裕二、行ける?」
「そこまで傾斜はキツくないし、足場になる突起もあるから行けないことは無いと思うけど……」
「人を背負ってとなると、って事よね?」
「ああ。一人で降りるだけなら何とかなると思うけど……」
崖は断崖絶壁というわけでは無い、そこまでキツい角度ではないダム壁だろうか? まぁそれでも、傾斜角は45度は越えてそうだけどな。幸いダムのように表面が平面というわけでは無く、岩が所々露出しているので足場には困らなそうだ。
だが問題なのは、崖の状態よりも裕二が湯田さんを背負っているという事だ。人を背負ってとなると、バランスをとるのが極端に難しくなる。仮に湯田さんが崖を下る恐怖に負け暴れた場合、裕二が足場の岩を踏み外す可能性が出てくるからな。
「……一人でと言う事は、行けることは行けるのかい?」
「ええ、傾斜は急ですけど足場になる岩もありますからね。一人で良いのなら、問題なく降りられる崖だと思います」
「そうか……降りれるんだ、この崖」
湯田さんは裕二の肩越しに崖を眺めながら、何かを飲み込んだような呟きを漏らしていた。
「……どうします? 湯田さんが良ければ試してみますけど、その場合は俺を信じ体を預けていて貰う事になりますけど」
「……」
湯田さんは裕二の質問に、視線を数回崖と裕二との間を行き来させた後、軽く目を瞑り深呼吸をしてからハッキリとした口調で答えた。
「崖の方を下ってくれ。降りられると言うのなら、探索者ならココを降りる事も可能だという事を確認するのが仕事だからね。それにコレまでの事を考えると、君達が大丈夫というのなら大丈夫だと信じられる」
「……分かりました。そこまで言われたら、任せて下さい、と言う返事しかないですね」
短い付き合いではあるが、覚悟と信頼が混じった表情を浮かべながら湯田さんが任せると言ってくれる以上、俺達としてはその期待に応えるだけだ。何、ただ傾斜が急な坂を下るだけだ、問題無い。
湯田さんの意思も決まったので、俺達は崖を下る準備を始める。
「降下ルートは、大樹が決めてくれ。大樹の観察眼なら、確りとした足場を選べるだろうからな。俺達は、その後を付いていく」
「了解、出来るだけ降りやすい部分を選んで進むよ」
「それじゃぁ私は、湯田さんを背負う広瀬君のフォローに入るわ。大丈夫だとは思うけど、万一の備えは必要だものね」
「出来るだけお世話になるつもりは無いけど、万一の時はよろしく頼むよ」
「任せて」
各々の役割分担を軽く打ち合わせながら降下準備を整える、もちろん湯田さんも。
「荷物にはなっても足手纏いにはなりたくない、動かないようにしっかり固定してくれ」
「分かりました、ちょっとキツ目に縛りますよ」
「やってくれ」
降下中に重心がブレないように、湯田さんの手足を紐で縛り裕二の体に固定していく。湯田さんも注意はするだろうけど、不意に動いてしまったって事はあるだろうからな。最初から固定しておく方が安全だろう。
そして全ての準備が終わり、俺達は崖の縁に立った。
「じゃぁコレから崖下に降りますね。出来るだけ素早く降りますけど、暫く連続した浮遊感を感じると思います。気持ち悪くなるかもしれませんけど、出来るだけ動かないで下さいね」
「了解。目を閉じて動かないようにして我慢しているから、気にせず行ってくれ」
「分かりました、じゃぁ行きますね。大樹、柊さん頼むな」
「ルート取りは任せろ」
「いざという時はフォローに入るから、心配しないで」
「良し、じゃぁ行くか」
そう言う訳で、俺を先頭に下を目指して崖縁から足を踏み出した。
初めて行う崖下りと言う事で緊張していたが、やってみると意外とあっさり下まで降りることが出来た。覚悟を決めていた湯田さんも、目を閉じ我慢している内にアッサリ到着していたと、拍子抜けしたような表情を浮かべている。
うん、降りる前のあの緊張感は何だったんだろうな?
「やってみると、そこまで難しくは無かったですね」
「ははっ、そうかもしれないね。俺としてはアソコから、こんなにアッサリ降りてこられるとは思っても見なかったよ……」
湯田さんは手足を固定していた紐を外して貰いつつ、顔を崖の上に向けつつ乾いた笑みを浮かべていた。まぁこの崖を下から見れば、そう思うよな。上から見るのとは違い、下から見上げてみると何とも立派に聳える崖である。コレを数十秒で駆け下りてきたとなると……ほぼ落下だよな。
自分達がやったことだが、良く無事に降りて来れたものだ。
「まぁ出来たモノは出来たんですから、あまり深く考えない方が良いですよ。でも、他の探索者の方がやる場合は、ある程度他で練習してからの方が良いと思います。今回は大樹が先導してくれたから大丈夫でしたけど、確りした足場の確保の見極め方や万一足場が崩れた場合の対処を事前に習得しておかないと、ぶっつけ本番ではキツいでしょうからね。何の準備も無くやったら、怪我で済めば良いって事になりかねません」
「確かにそうだね、その辺は重々注意しておくよ。それにしても、今の話し方だと、今回上手くいったのは九重君がいたからって感じなんだけど……」
「大樹は目が良いですからね。ダンジョン探索の時も、罠なんかを一発で見抜く凄腕です」
「へー、目が良い。つまり、観察眼に優れているって事か。確かに彼が先導してくれたお陰で、一度も足場が崩れたなんて事は無かったね」
何か湯田さんに誤解されているような気がするが、別に都合が悪い誤解でも無いので《鑑定解析》スキルを誤魔化す隠れ蓑としてそのままにしておくか。
「そうですね。よし外れた、じゃぁ行きましょうか。もう少しで目的地に到着ですね」
「ああ、この崖を降りれたのなら、この先はさほど険しい道のりは無いよ」
「アレ? 事務所で説明を聞いたときは、険しい道のりが続くって言ってませんでしたか?」
「あの話は、この崖を迂回するルートを通った時の事だよ。崖を下ることが出来るのなら、余り関係ない話だね。ああでも、帰りはココを登るわけにも行かないし、結局は通らないと行けないか……」
この崖を登るか……まぁ行けなくはないか? 先程降りてきたルートとは違うけど、俺達の跳躍力を考えると……うん、やっぱり行けるな。でも今回は現地調査って事を考えると、迂回ルートの方も通って置いた方が良いだろう。
俺達は崖登りで帰れる事を伏せつつ、湯田さんと軽く帰り道に関して少し相談した後、目的地へと足を進めた。
「もうすぐ到着する……と言うよりも、この辺も物件内なんだけどね」
「えっ、そうなんですか?」
「うん。今通ってきた山の裾と目的地の山の裾との中間地点らへんが、物件としての境界線になってるからね。もうすぐ到着って言ったのは、事務所での説明で言っていた元作業小屋があった広場の事だよ。山に入る少し手前の辺りにあるんだ」
「へー」
そうして湯田さんに誘導されながら少し歩くと、下草が伸びているが切り開かれた空間に出る。どうやらココが湯田さんの言っていた、元作業小屋があったという広場なのだろう。引き払われてから年月が経っているからか、小屋があったと感じる痕跡は残っておらず、唯々木々が生えていない広場って感じの場所だ。
ただ……隠れてるけど何か居るな。




