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5ヶ月後の返事

哲也のプロポーズ後、高校では挨拶とともに、「で、湯川先生、結婚式はいつですか?」と繰り返し聞かれていたが、少しずつ次第におさまってきた。


おさまってきたころに哲也が文化祭に現れ、大騒動になったのだが、完全に公認になったことで、誰も何も言わなくなった。


哲也のこともたくさん知った。


秋の公演で、皐月は初めて劇を観に行った。小さな劇場で観る劇は、役者の息遣いや汗が飛び散るところすら見え、その臨場感に圧倒された。「今回、かっこいい役もらったから」と言っていた哲也は、主役ではないがクールな脇役で、確かにかっこよかった。本人には伝えられないが。


哲也の後輩と、その彼女にも会った。哲也曰く、「俺のおかげでくっついたんだ」と言っていたが、皐月はそれは怪しいと思っていた。ひっかきまわして、結果的にたまたまうまくいっただけではないかと思う。

その後輩から、哲也の学生時代の女癖の悪さを聞いてしまい、皐月は少しへそを曲げることになった。3年間で13人と付き合っていたというのだ。


「13人って・・・両手でも足りない数だね。哲也さんはすごいですねー」

「そんな拗ねないでよ皐月さん。昔のことじゃん」

「そーですねー昔のことですもんねー」


そんな皐月を見て哲也はやれやれとため息をつく。


「それに、あれは付き合ったって言わないよ」

「どうして?」

「俺が劇でかっこいい役を演じるとね、女の子が寄ってくるの。でもそれは、その役を好きなわけであって、俺を好きなわけじゃない。だから、付き合ってもすぐに、『イメージと違う』って振られるの。いつももって数週間くらいだった」

「・・・それも大変ですね」

「だから、俺自身と付き合った子は、1人か2人だったんじゃないかな。もちろん、浮気も二股もしてないからね」


哲也は、1人の人とまっすぐ向き合う付き合い方をする。それは、皐月にも分かってきていたので、そこは疑っていない。


他にも、哲也は大学に入る前に1年浪人していて、さらに在学中に1年間世界旅行に出ていたので、大学卒業時には24歳だったとか。

今度大口の脚本の仕事が入ったので、今その執筆に追われていることとか。

好きな食べ物、好きな色、よく着る服、よく行く場所・・・いろいろなことを知っていく度、自分の中の哲也の存在が大きくなっていることを、皐月は感じていた。




クリスマスの夜。

皐月と哲也はデートをしていた。


本当はイブの方が恋人同士らしいのかもしれないが、高校の終業式が今日だったので、心置きなく遊びに行けるように、今日にしてもらったのだ。


退勤後落ち合い、お互いのクリスマスプレゼントを一緒に選んで買って、ちょっとおしゃれなレストランでディナーを食べた。


皐月は今日、哲也に言おうと思っていることがあった。渡したい物も。

哲也はいつも、好意を言葉や行動で示してくれる。しかし、皐月はいつも、それに応えることができなかった。そう、まだ一度も、哲也に「好き」と言えていないのだ。

少し前から、今日こそ言おう、と思っていたのだが、なかなかチャンスがつかめなかった。


今日を逃すと、来年になってしまいかねない。そうすると、自分でどんどん先延ばしにして逃げてしまう可能性がある。


(もう今日しかない!)


そう覚悟を決めていたはずなのに、いざとなると言えない。


ディナーが終わり、帰り道の公園の中で、皐月は立ち止った。


「皐月さん?」

「あの、哲也さん、えっと、渡したいものがあって・・・」

「ん?」

「こ、これ!」


皐月はバッグから、封筒を出し、哲也に手渡した。

哲也が中身を取り出すと、いつか渡した婚姻届が出てきた。『妻になる人』の欄が埋まっている。


「あの、その、だから・・・」

『好きです』の4文字が出てこない。いっそ『好き』の2文字でもいいのに。『す』と『き』がくっつくだけで、どうしてこんなに口が重くなるんだろうと皐月は思いながら、何とか言おうとする。


「その!・・・察してください!」


(違う!そうじゃなくて・・・)


皐月は完全にテンパっていた。『す』と『き』だ。もう『隙』でも『鍬』でもいいから言えないだろうかと思い悩む。


「皐月さん、察してって・・・」

「待って、待ってください!もう少しだから!」

「はい、落ち着いて。深呼吸して。・・・ちゃんと待つから、言って?皐月さんの言葉で聞きたい」


半分涙目になりながら混乱する皐月に、哲也は優しく声をかける。

皐月は言われたとおりに深呼吸し、冷たい冬の空気を体に取り込むと、少し冷静になった。

哲也はそんな様子を見て微笑みながら、彼女の言葉を待っている。

皐月は蚊の鳴くような小さい声で言った。


「・・・哲也さんが、好きです。だから、これ、持ってきました」

「うん」

「こ、これからも、一緒にいてください」

「うん。一緒にいよう。ずっと」


そう言って、哲也は、いつもよりも少し強めに、皐月を抱きしめた。


しばらく2人はそのままでいた。冬の寒さが気にならないくらい、抱き合っていると暖かい。

不意に、哲也が声をかけた。


「今から、うちに来る?」

「え?」


皐月はフリーズした。その言葉が何を表すかは分かる。分かるのだが、どうしていいか分からない。


「だって皐月さん、結婚相手だけって決めてるんでしょ?で、今、結婚する相手が決まった。と言うことは・・・」

「ちょっと、ちょっと待って、そういう意味じゃあ・・・」

「違うの?あ、今日体調悪い?」

「悪くないけど、そうじゃなくてっ!」

「素直だなー皐月さん。体調のせいにして断ればいいのに」


その一言に皐月はしまったと思うが、後の祭りである。


「だって・・・心の準備が・・・」

「皐月さんの心の準備待ってたら、何年待ちなの?俺」

「そんなに待たせないと思う!・・・たぶん」

「どうかなー?・・・まあでも、今日は皐月さんが好きって言ってくれたから、それでよしとするか」


行こうと言って、哲也は皐月の体を離し、駅に向かって歩いていく。


いつもそうだ。哲也は、皐月の嫌がることは無理強いしない。ぐいぐい押してくるが、皐月が本当に嫌なときにはすっと引く。その優しさに、いつも皐月は甘えてしまっていた。


でも、今日は。


皐月は小走りで哲也を追いかけ、自分より大きい手を取る。


「哲也さんち、どこですか」


その言葉を聞き、哲也は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに笑った。


「30分くらいで着くよ。心の準備は、その間に」


2人は手を繋いだまま、クリスマスのイルミネーションがきらめく通りへと歩いて行ったのだった。

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