3日間の合宿ー中日(なかび)ー
2日目もいい天気だった。
山犬峠は少し高度があるので、朝晩は涼しい。皐月は意外とすっきりとした目覚めに、自分のずぶとさを感じた。
(昨日、あんなことがあったのに・・・)
しかし、今は合宿中だ。哲也も、部員たちの前で何かしてくることはないだろう。
皐月は気持ちを切り替える。今日は体力作りからだ。少しうきうきしながら身支度を整えた。
朝食後、合宿所内にある広場に集合する。
「先生、その格好は・・・」
「一緒にやろうと思って!」
直子の疑問に、笑顔で答える皐月は、Tシャツにランニング用タイツ、ショートパンツを穿き、タオルを首にかけ、走る気満々だった。こんなこともあろうかと、一応ジョギング用の服装一式を持ってきたのだ。
「皐月先生、走るの好きなんですか?」
いつの間にか部員たちも、皐月のことを名前で呼ぶようになっていた。哲也の影響らしい。
「私、陸上部だったの。短距離だから、スタミナはないけどね。走るのは好きで、今でも時々走ってるの」
「本格的な格好ですねー」
慎が言う。
「そう?」
「そうですよー。ね、マー君!」
話を振られた万里は、しどろもどろしながら、何とか言葉を絞り出した。
「あの・・・似合ってます」
「ありがと」
皐月がにこりと笑うと、万里は顔を赤くしてそっぽを向いた。それを、義成と慎と武志がつついている。
「美しい脚線美ですねー皐月先生」
「朝から戯言はいいから始めませんか、澤部先生」
「あらら、俺には冷たい。では、10分走って、広場に集合。体慣らしだから、全力を使わないようにね」
そう言って、広場の周りを10分間走って回った。意外にも、哲也も一緒に走った。
「哲也先生も走るんだー」
ひなが走りながら言うと、
「演劇に体力作りは欠かせないからねー。これでも、毎日走ってるよ」
と哲也が答えているのが、皐月にも聞こえた。
それぞれが自分のペースで走り、広場に再度集まった。自分のペースで、とはいえ、息が切れている部員も多い。そんな中、万里は余裕がありそうだった。
「万里君、運動何かやってた?」
皐月が話しかけると、万里は少しびくっとしたようだった。
「えっと、中学の時はバスケ部でした」
「そうなんだ!何で高校は演劇部に?」
「昨年の文化祭で観た劇が、おもしろそうだったから・・・」
「マーちゃん、高校デビューなのねー。滑舌が苦手なのは経験値のせいもあるってことか」
急に哲也が会話に割り込んでくる。
「ところで皐月先生、どうしてマーちゃんだけ名前呼びなのかな?」
「どうしてって・・・万里君のクラス、田中が3人いるから、田中君じゃ誰か分からないんだもの」
「ありふれた名字に感謝だなぁマーちゃんー!」
ぐりぐりと頭を押さえつけながら、哲也は万里に絡んでいる。「哲也先生、マー君で遊ぶの楽しいんだねー」と言うのは、武志の言葉だ。
「次の練習は何ですか?」
まじめな今日子が促す。
「うむ。次はケイドロだ!」
「ケイドロ?って、あの?」
今日子が聞き返すと、哲也は楽しそうに言った。
「さあ半分に別れて、警察と泥棒を決めよう!あ、皐月先生も入ってくださいね。範囲はこの広場と、周りの木まではセーフってことで。制限時間内に逃げ切ったら泥棒が勝ち。全員逮捕したら警察が勝ち」
皐月も小さいころに遊んだことがある。その時は『ドロケイ』と言っていた気がするが。
警察は牢屋を持っていて、そこに捕まえた泥棒を閉じ込めておくことができる。泥棒は捕まった仲間にタッチすると、解放することができるという鬼ごっこだ。
「久々だなーケイドロなんて」
義成が言う。
「でもこれ、遊びじゃないの?」
と慎が言うと、哲也がぴっと指差していった。
「体力づくりの一環だ!楽しみながらできる素晴らしいメニューだ!」
そして、付け足すように言った。
「あ、罰ゲームありね」
「「「また!?」」」
部員たちの声がハモる。
「今日の罰ゲームは、負けたチームが勝ったチームにアイスをおごること」
「「「よかった・・・」」」
ほっと胸をなでおろす部員たち。皐月も参加する手前、昨日のような罰ゲームは困るのでよかった。
直子・慎・今日子・万里が泥棒チーム、義成・ひな・武志・皐月が警察チームになった。
「ではよーい、スタート!」
哲也の合図で、ケイドロ(またはドロケイ)はスタートしたのだった。
「はい、終了ー!」
哲也のホイッスルの音が聞こえ、部員と皐月はその場に座り込んだ。たかがゲーム、されどゲーム。本気でやるとすごく疲れる。
結果は、泥棒の勝ち。惜しいところまで行くのだが、最後の泥棒が警察の網をかいくぐって仲間を脱獄させてしまうため、また振り出しに戻ってしまい、全員逮捕とはならなかった。
罰ゲームのアイスはお昼ご飯の時に合宿所の購買で買った。
「あー哲也先生も食べてるー」
「俺は自分で買ったんだからいいんですー」
哲也はいつの間にか、ちゃっかり自分の分を買っていたらしい。皐月が呆れて見ていると、
「はい、皐月先生」
哲也がもう一つアイスを差し出した。
「え?」
「若者に交じって頑張っていただきましたから、お礼です」
「あ、ありがとう」
それを見ていた警察チームの部員からは、「先生ー俺もー」「私もー」と文句が出た。「自分で買うのだ、負け犬よ!」と哲也はあしらっていたが、最後には3人にもアイスを買い、結局は全員で食べることになった。
一足先に食べ終わった哲也が、皐月に声をかけた。
「皐月先生、ちょっと出てきます。練習までには戻りますから」
「はぁ・・・分かりました」
哲也はどこかへ出かけてしまった。
午後の練習は演技系が中心だった。
皐月は記録に徹し、哲也が一人一人にアドバイスしていることもメモした。
(こういうときは、少しはまともに見えるのに・・・)
ついそんなことを考えては、自分の考えたことに驚き、打ち消すのを繰り返すのだった。
夕食後、哲也は広場に集まるように言った。
「皐月先生、何するか聞いてますか?」
直子に聞かれたが、皐月も、何も聞かされていない。
「分からないけど、とりあえず行ってみましょう」
昼間ケイドロをした広場に行ってみると、哲也が待っていた。
「お、来たか!じゃあ始めるぞー」
「始めるって、何を?」
「いい質問だナリ君!これだよ!」
哲也が言うと、ライターで何かに火をつけた。
「花火だ!」
誰かのはしゃいだ声が聞こえる。
花火の炎に照らされ、哲也の笑顔が浮かび上がる。
「やっぱり、合宿の締めには花火でしょ!」
「ちょっと待ってください澤部先生、ここ、花火して大丈夫なんですか?」
「大丈夫、許可はちゃんと取ってきましたよ!ごみさえ持ち替えればいいそうです。さあやるぞー!」
哲也は手早く部員たちに花火を配っていく。
地面に置いたろうそくを火種にし、それぞれが次々と花火を点けて遊ぶ。
皐月はそれを、しゃがんでぼんやり見ていた。炎色反応だとは知っているが、久しぶりに見る花火はとても綺麗だ。
「ほら、皐月先生も」
「あ、ありがとうございます。これ、お昼に用意したんですか?」
花火を受け取りながら皐月が聞くと、哲也がにかっと笑って言った。
「バッグに入れて来たんだー。こっちで調達できるか分からなかったし。たっぷり買いこんで来ましたよ」
(じゃあ、お昼は何の用だったのかな・・・)
皐月が聞こうかどうしようかと思っていると、慎の声が聞こえた。
「哲也先生ー!打ち上げ花火していいー?」
「待て待て、打ち上げは最後だろ!ドラゴン花火にしておきなさい!」
そう言いながら、哲也は花火を置いてある場所に行ってしまった。
皐月は一人残された。
(聞く必要のないことよね)
「皐月先生は哲也先生のこと、どう思っているんですかー?」
「ぎゃっ!」
突然背後から声がして、皐月は小さく叫ぶ。
背後にいたのはひなだった。
「せ、瀬能さん?」
「どう思ってるんですかー?哲也先生のこと」
「な、なんでそんなこと・・・」
「だって、傍から見てても好意全開ラブラブビームが毎日発射されてるのに、皐月先生ってばスルーなんだもん。逆に気になっちゃってー」
「気になる気になる」
「ふ、古畑さんまで・・・」
「私もおりますよ」
「あ、ブッチョ先輩」
結局、演劇部女子3人が、皐月を囲む形になった。
「皐月先生、彼氏いるんですか?」
「いないけど」
「じゃあなんで哲也先生と付き合わないんですかー?」
「なんでって言われても・・・」
「あ、マー君の方が好みですか?」
今日子、ひな、直子の順に皐月を質問攻めにする。
「なんでそこに万里君が出てくるの?」
「うわ」「ありゃ」「残念」
本気で分からないといった顔の皐月に、3人は万里の敗北を悟った。
「先生のことはいいんです。それより、みんなは好きな子いないの?」
皐月は女子に話を振る。ちょっと聞いてみたかったのだ。
「私が今一番好きなのは、ディクト様ですね!」
両手を組み目をきらきらさせながら、ひなが言った。
「でぃくと・・・誰それ?」
「先生、ゲームのキャラクターです。ヒナは、スマホのゲームにはまってます。結構ゲーマーなんですよ、この子」
今日子が補足する。
「私は、今一番気になる異性はあれですね。用務員の七山さんですね」
直子の告白に、皐月は驚く。
「用務員って・・・シルバーの?」
鳥川第二高校では、地域のシルバー人材を活用しようと、用務員などの仕事をお願いしている。
「七山さんは、大会前とか応援してくれるんですよ。校内で会った時にも挨拶してくれるし。やさしくて、素敵な方です」
確かに、仕事は丁寧だしあいさつはきちんとしているし、頼りになる用務員ではある。
だが・・・
(一番気になる異性っていうのとは、ちょっと違う気が)
皐月の思いが通じたのか、直子が付け足す。
「同年代の男子に興味がないわけではないですが、いまいちよく分からないのですよ。恋愛の好きと言うやつは」
「ああ、それはそうかもね・・・。古畑さんは?」
「私は・・・私も、まだ、よく分かりませんね」
そう答えて、今日子は花火をしている男子たちを見た。男子は何本手に持って花火ができるか競っている。
「あーアホがいる」
「樋野さん、容赦ないのね・・・」
「こら、もったいない!ほら、花火やりに行こう!皐月先生も!」
直子に言われ、花火を楽しんでいる哲也たちの方に行く。さっきもらった花火に点火すると、きれいな赤い炎が出てきた。
その後も、ねずみ花火をしたり、打ち上げ花火をしたり、線香花火で誰が一番もつか競争したりした。
楽しい時間はあっという間に終わり、片付けをして、解散する。
「澤部先生、私も半分、ごみ持ち帰ります」
そう言ってごみを入れた袋を持とうとすると、哲也が横からひょいと取り上げた。
「いいですよ。俺が勝手に持って来たんだし。女性の荷物を増やすわけにはいきません」
「でも・・・」
「それより、明日が最終日ですよ。しっかり眠ってくださいね」
おやすみなさい、と哲也が自分の部屋のドアを閉める。
哲也の言葉で、皐月は気付く。哲也が演劇部の練習を見るのは、明日が最後なのだ。
すっかり忘れていた。最初から、そういう約束だったのに。
皐月が立ち尽くしていると、哲也の部屋のドアが開き、この数日ですっかり見慣れた顔がひょこっと現れた。
「おやすみのキス、要ります?」
「要りませんっ!」
皐月はバタンと音を立ててドアを閉める。哲也はそれを見て、くっくっと笑った。
シャワーを浴び、ベッドに横になっても、皐月の気は晴れなかった。
昼間運動してほどよく疲れているはずなのに、頭がもやもやしてなかなか眠りに付けなかった。