2週間の試練
あとは終業式を残すのみとなった、1学期最終日。
皐月の勤めている高校では、朝の職員朝会で、副校長から教師陣に驚きの一報が伝えられた。
「えー、皆さんご存知のように、おめでた中の佐藤美保先生ですが、昨日、切迫流産の疑いがあり、入院されたとのことです」
朝から美保の姿が見えなかった理由がわかり、皐月は心配する。美保は今年29歳の国語教師で、結婚して2年目で子どもを授かったらしい。確か妊娠7か月くらいではなかっただろうか。年が近い皐月は、話しやすいこともあって、比較的よく一緒にいた。
「容態が安定するまでは入院となるのですが、いつまでかかるか分からないことと、明日から夏休みになることも考え、佐藤先生には休暇等を使ってできるだけ休んでいただくことに、本人との話し合いで決まりました」
成績つけが終わってからなんて、美保もおなかのお子さんも生徒思いだと皐月が思っていると、思わぬ爆弾が落とされた。
「そして、演劇部顧問代理を、湯川先生」
「えっ!私ですか?」
美保は、自身も中学高校と演劇部だったらしく、この高校でも顧問をしていた。
「ええ、湯川先生はバスケ部の副顧問でしたよね?他に手の空いている先生がいないんです。バスケ部は副顧問の先生がもう一人いますし。よろしくお願いします。詳しいことは後程」
「演劇部の副顧問の先生は?」
「今年度、新しい部活が増えたこともあって、人員を割けなかったんですよ。産休代替の先生が来たらやってもらいますが、それまでの間お願いします」
「・・・分かりました」
元より、断れるわけがない。劇などまったく分からないのに、どうしたらいいのだろう。
朝会の後、副校長から演劇部顧問について詳しい説明があった。
どうやら、産休代替の先生も演劇経験者ではないため、元々、美保が産休に入ったら演劇部の外部コーチを依頼する予定だったらしい。昨日そのコーチに連絡を取り、予定を早めて指導してもらうことにしたが、どうしても8月以降になってしまう。これから2週間は、指導者不在になるとのこと。
「もし、湯川先生の知り合いでその期間だけでも指導していただける方がいましたら、お願いしたいのですが」
副校長に言われるが、皐月も友人たちもバリバリの体育会系で、演劇とは無縁で過ごしてきた。指導できそうな人物などまるで思いつかない。
「こちらでも、卒業生などを当たってみようとは思いますが、まあ2週間だけとなると・・・湯川先生に託すことになるんじゃないかと思うんです」
「託されましても、私、まったく分からないずぶの素人ですが・・・」
「まあ部員たちに聞いて、何とか2週間乗り切ってください。よろしくお願いします」
さらりと言われる。そんな無茶苦茶なと思うが、どうしようもない。とりあえず、部員に話を聞いて、これからのことを考えよう。
今日は終業式もあり半日だったが、演劇部は午後に部活動をするとのことで、皐月は部室を訪れた。
ドアをノックする。
こんこん。
「失礼します」
がらっとドアを開ける。
「わぁっ湯川先生!?」
「どうぞどうぞ、お入りください!」
「え、どうして先生が?」
「ばか、さっき言われたでしょう?美保先生の代わりの先生が来るって!」
「それが先生だったんですね!」
代わる代わる部員たちが喋るが、皐月には誰が誰か分からない。数人、見たことがある生徒もいるが。
「はい、じゃあ丸くなってー。とりあえず、自己紹介から!」
1人の女子生徒が言うと、部室にいた7名の生徒は円陣を組んで座った。
「2年3組、部長の樋野直子です。みんなからはブッチョと呼ばれてます」
先程の女子生徒が言う。
「じゃあ先輩からってことで、2年生どうぞ」
「はい!2年1組、副部長の須藤義成です。ナリって呼んでください」
「2年4組、土山慎。シンシンです。はい、1年生」
言われて、4人が立ち上がる。
「1年3組、古畑今日子です。キョンキョンって呼ばれています」
「同じ3組の、瀬能ひなです。呼び名はそのまんま、ヒナです」
「4組水谷武志です。タケって呼んでください」
「1年5組、田中万里です」
そういうと、万里は座った。
「田中君、呼び名は?」
他の生徒は言っていたのに一人だけ言わず、気になって尋ねる。
「あ、先生、こいつはマー君って呼ばれてます」
そう武志が言うと、「余計なこと言うな」と万里が武志の頭をはたいた。
「それでは私も。1年生は化学の授業で会っているから分かると思いますが、湯川皐月です。佐藤先生に代わり、演劇部の顧問になることになりました。それで、相談なんだけど・・・」
皐月は部員たちを見回して言った。変にごまかさず、正直に話すのが一番だろう。
「私、演劇って全然分からないの。副校長先生が、外部で指導してくださる人に依頼してるんだけど、来られるのは2週間後からなんですって。だから2週間は、私たちで何とかしなくちゃいけないの。誰か、指導をお願いできる人、知ってる?」
顔を見るが、生徒たちはみな困惑気味だ。
「・・・そうだよね。私も、もう少し探してみます。あと、演劇についても勉強します。まずは2週間、一緒にがんばりましょう」
やはり皐月がやるしかない。まずは演劇部の実態を聞く。
「そういえば、3年生は?」
「あ、うちは夏公演でいったん区切るので、そこで引退される方がほとんどです」
部長の直子曰く、演劇部の大きな大会は秋だが、11月に開催され、しかも優秀作品は県大会、関東大会と上がっていくため、どうしても受験とぶつかってしまう。そのため、夏の自主公演で3年生は引退し、夏休み以降は1、2年生で進めていくのだ。
「どうしても手が足りない時は、手伝っていただくこともありますけどね」
義成が言う。3年生がいつまでもいては、後輩が育たないという考えもあってのことらしい。
「これから2週間なんだけど、演劇部の予定ってどうなってるかな?」
皐月が尋ねる。今一番気になっていたことだ。
今日子が、心配そうに直子に言う。
「ブッチョ先輩、2週間って、合宿入ってるんじゃ・・・」
「あ、そうか。シンシン、入ってる?」
カレンダーを確認していた慎が「ちょうど丸々入ってるね」と言った。
「合宿?」
「はい、1、2年生の結束を高め、文化祭や秋大会に向けて技術を高める目的で、毎年行っているんです。2泊3日、山犬峠で」
「その練習内容を決めてるのは?」
「美保先生です・・・」
「・・・そうよね・・・」
皐月はまたもや暗い気持ちになる。
練習内容なんて、どのように決めればいいのか分からない。しかし、入院中の美保に心配や迷惑はかけたくない。
「とにかく、昨年までの合宿の記録とかある?参考になるかもしれないし・・・」
部日誌や合宿ノートを借り、普段の練習内容は2年生を中心に部員たちに任せることにした。
「大丈夫、私がなんとかするからね。じゃあ、また来るね」
そう言って、皐月は部室を後にした。
その夜。
自分の部屋で借りてきた資料を広げながら、皐月は絶望的な気持ちになった。
「なんとかって・・・しようがないんだけど」
ノートにはいろいろな練習方法が書かれているようだが、皐月には全然分からない。
「エチュードって何?発声練習って、具体的にどうやるの?即興?パント・・・はパントマイムのこと?単語1個1個分からない・・・」
いちいち調べていたのでは、まったく進まない。
やはり、何も知らない皐月では、合宿の練習内容など決められそうもない。
「だからって、知り合いもいないし・・・」
(演劇・・・劇・・・あれ?劇?)
最近、誰かからその単語を聞いた気がして、皐月は考えを巡らす。日常会話で出てくることはなさそうだが・・・。
「あっ、あの人!」
皐月の頭に浮かんだのは、居酒屋の変な男性店員だった。
(劇団員とか言ってなかったっけ?)
知り合いでもないのに頼っていいものか、そもそも劇団員と言うのは本当なのか、皐月は迷った。しかし、教師として、生徒たちのためにでき得る限りのことはしてあげたい。
「確か、捨て忘れてた・・・」
居酒屋に行った時のバッグをひっくり返す。連絡先が書かれたショップカードが転がり出てきた。
正直、あの男性店員は皐月の苦手なタイプだ。あまり関わりたくはない。でも、今はこれに頼るしかない。
(そうだ。本人じゃなくて、誰か紹介してもらえばいいんだ)
藁にも縋る思いで、皐月はその番号に電話をかける。
「あの、もしもし、鳥川第二高校の湯川と申しますが・・・」