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昼下がりの黒猫

作者: 明曰香

 猫がいた。


 毛並みの素晴らしい黒猫で、名前はトーヤ。


 寂れた神社の石段の上で顔をクシクシと洗う彼の鼻先を、花の香を含んだ春風がふわりとくすぐった。


 あたたかい空気を楽しむように目を細めたあと、トーヤは背骨をぐっとそらして盛大なあくびをする。


 そのときである。

「よっ、元気そやなトーヤはん!」

 雷鳴にも勝る大声が晴天から降り注いだ。黒猫は飛び上がり、そのまま階段をごろごろと転げ落ちる。踊り場にぱっと着地したあと、うらめしげな目で天をにらみつけた。

「たっはー、声がでかすぎたみたいやな。調整忘れてたわ。堪忍な」

 いつのまに現れたのか、トーヤの隣で短髪の少年があぐらをかいていた。極彩色の和装に身を包み、巨大な袋を肩に背負っている。

「最近はとんと霊力のある人間を見かけんからなあ。話す機会がないんよ。人神ひとがみ同士なら声を出さなくても考えを伝えられるしな」

 トーヤはしっぽを揺らして相づちを打った。

「きっと神さんを信じる人間が減ったからやろなあ。ワシのお社も閑古鳥がピーチクパーチクや。猫神はんのとこは……ま、いわずもがなやね」

 少年は首を巡らせて神社を眺める。地面は雑草であふれ、鳥居は塗料がはがれてぼろぼろだった。

 黒猫は尾でたしっ、たしっと石段を蹴った。

「まーまー、そない怒らんといて。どこの神さんも似たようなありさまや。……実はな、今日はそのことで相談にきたんよ」

 しっぽの動きがぴたりと止んだ。

「荒神の社……ワシの家やけど、ここ数十年全く参拝客がおらん状態でな。神の力は、その神を信じる人間の思いに比例する。ワシもすっかり神力が衰えてなあ」

 荒神は深いため息をつき、頭をがしがしと掻いた。

「トーヤはんも知っての通り、荒神は太古の昔から恐ろしい鬼を封じてきた神や。三日あれば大和の国を滅ぼすという最強の鬼を、神の中で最も封印力のあるワシが今日まで押さえつけてきた訳やけど……そろそろ、限界が近づいてる」

 トーヤは少年の背負っている袋を見つめた。それは時折胎動するように震え、布のあちこちに亀裂が走っている。そして最も大きな裂け目の向こうから、巨大な緑の眼球がぎょろりと覗いていた。

「こいつが解き放たれたら、日本はもちろん世界中の人間を食らいつくすまで止まらんやろな。けど、ワシはそれもアリやと思てる。神をないがしろにした人間に罰が当たったっちゅう、ただそれだけのことや。他の神さんも同意見やねん。……トーヤはんはどう思う?」

 黒猫はしばらくの間黙っていた。目は伏せられ、時々しっぽが小刻みに震える他は置物のように動かない。

(ひょっとして寝てしもたんやろか)

 少年が不安になりかけた頃。トーヤはおもむろに目を開き、まっすぐで力強い視線を荒神に注いだ。それは迷いの欠片もない、覚悟の色を宿していた。

 荒神は面食らったように何度もまばたきをしたあと、焦りの滲んだ声で口を開く。

「ほ……ほんまに? 人間にはまだ助ける価値があるって、本気で思ってるん? ろくに参拝にも来ない奴らのために、なんで……」

 言い募ろうとする少年から目をそらし、黒猫は石段の上にある鳥居に視線を注いだ。荒神も口を閉じて同じ方向に目を向ける。

「あ……」

 ぼろぼろの鳥居の根本に、小さな花束が置かれていた。野の花でできたそれはまだみずみずしく、色とりどりの花びらを風にそよがせている。

 少年は諦めたように笑った。

「そのたった一人のために、世界を救うんやね」


 トーヤは目を閉じて神眼を開く。次の瞬間、その姿は千本の剣に変わっていた。無数の闇色の切っ先で、鬼を封じた袋にねらいを定める。

「さすがは最高の攻撃力を誇る闘神「刀夜とうや」やな……ほないくで!」

 少年は袋を下ろし、裂帛の気合いとともに空へ放り投げた。袋から漏れ出した瘴気で空気は赤黒く染まり、恐怖におののいた野鳥たちが叫び声をあげる。

 瞬間、破れ目から巨大な鉤爪が飛び出した。鬼は歓喜の雄叫びをあげ、最後の封印を破ろうと力を込める。

 しかし、彼が自由を謳歌することはなかった。千の刃が襲いかかり、鬼の体を縦横無尽に切り刻んだのだ。

「ぐぎ、ぎゃあぁああああ!!」

 目にも留まらぬ速さで粉々にされ、鬼は断末魔の叫びとともに消滅した。


「……おおきにな、トーヤはん」

 猫に戻ったトーヤの視線の先で、荒神は微笑んでいた。彼の身体は段々と透けはじめ、ついには空気と溶けるように、消えた。

 トーヤは目を細め、しばらく少年のいた空間を見つめていた。


「あっ、クロちゃんだ。元気ー?」


 突然神社に響いた甲高い声。黒猫は面倒くさそうにそちらへ目を向ける。


 石段を上がってくる彼女の小さな手には、たんぽぽの花束がしっかりと握られていた。

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