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天気雨

作者: 森中 隼人

~七月二十日午後七時半~

男はマンションの前でタクシーから降りた。そのマンションはよくある大衆向けのマンションで男はそこの五階に住んでいた。男はエントランスに向かい、自動ドアをくぐる瞬間、ふと立ち止まった。こういう時こそ、カラオケにでもいこうか・・・。


~カラオケに行った場合~

男は自宅のマンションから歩いて五分のところにあるカラオケボックスに入っていった。綺麗な店舗ではなかったため、彼の他に学生が数名しかいなかった。あるいは時間も関係していたかもしれない。男は受付で料金を支払い、個室へと入っていった。たいてい個室には防犯カメラが設置されているが、ここにはなかった。歌を登録する際も、電話帳ほどもある分厚い冊子からいちいち探さなくてはならなかった。


男は大きなため息をついてからマイクを手に取った。この男が感じているストレスは仕事から発生したような生やさしいものでは決して無かった。ストレスが限界を超えた後に生じる事象によって引き起こされた負の感情であった。それはストレスとは表現することができない「何か」であった。その「何か」は歌うぐらいで解消されるはずがなかった。この男もそれは充分に認識していた。それでも男は歌い続けた。喉が渇いていなくても水を飲み続けることがあるように、彼はストレスを解消するために歌い続けていたわけではなかった。ただ歌うしかないから歌っていたのである。


店に入ってからちょうど二時間が経過した時、男の個室のドアが急に開き、サングラスをかけた男が入って来た。男は一瞬、店員が時間を告げにきたのかと思ったが、その考えはすぐにふっとんだ。ドアの前に立っているサングラスはどうみても鈍器のような物体を右手に持っていたからだ。どうやらさっきいた学生の一人のようだ。


「金をよこせ。さもないとどうなるか分かるな。」


サングラスは男に脅迫してきた。ここはカラオケボックス。助けを求めても男の声は聞こえないであろう。そこには防犯カメラもなかったから、強盗するにはもってこいの空間であったわけだ。だが男は急に笑いだした。絶体絶命の状況に陥ったからではない。自分の運のついてなさに思わずあきれてしまったからだ。男は助けを求めるでもなく、一言呟いた。


「ついてないなあ・・・。」


目の前の男が笑いだしたことに怒りがふつふつとこみあげてくるのをサングラスは感じた。サングラスは今もなお不気味な笑みを浮かべ続ける男の真上から右手に持っていた鈍器を振り下ろした。


~カラオケに行かなかった場合~

男は自動ドアの前で一瞬立ち止まったが、やっぱりすぐに家に帰ることにした。このような時だからこそ、男は家でのんびりとビールを飲みたかった。男はエレベーターで五階まで上がり、部屋の前までつくとカバンから部屋の鍵を取り出し部屋に入っていた。その時、男は違和感を覚えた。部屋の明かりがついていたからだ。消し忘れたということはありえなかった。男の部屋はまぶしいぐらい日当たりが良いので、朝は電気をつける必要がないからだ。リビングに向かうと、もっと強烈な違和感を男は覚えた。もはやそれは違和感ではなく、確信と言えた。間違いなく、「何か」が起こっている。男の部屋があらされていたのだ。まるで部屋の中に小さな台風が発生したかのごとく。だが男はこのような状況下でもいたって冷静であった。カーテンの後ろから大柄な男がでてきたのに気付いても、彼は一言も発しなかった。恐怖で声がでなかったからではない。空き巣が部屋の中にいた。彼にとってはそれだけにすぎなかった。空き巣は机に置いてあった灰皿を手に取り、男に近づいてきた。しかし男は逃げようとすらしなかった。その時の男の感情を占めていたのは間違いなく恐怖ではない。男は空き巣に襲われる瞬間、一言呟いた。


「ついてないなあ・・・。」


~七月二十日午後七時~

・・・。男は口の間から音すら発することができなかった。目の前には彼の上司である白髪交じりの男が倒れていた。厳密にいうと、上司であったと言った方が適切かもしれない。すでに息をしていない。状況的にみて自分がやってしまったらしい。何故このようなことをしてしまったのか。数秒前のことなのに全く思い出すことができない。頭が文字通り、真っ白になっていた。恐らく「ストレス」が爆発したのだと思うが、確信することはできなかった。嘘のように男の気持ちは晴れ晴れとしていたからだ。だがそれも束の間の安息。たまたま廊下にでてきた女子社員が惨劇を目撃し奇声をあげたのだ。男はすぐさま階段を駆け下り、会社を飛び出した。少なくともその瞬間は捕まりたくないから逃げたのでは無かった。耳をつんざくような女性の金切り声に男の防衛本能が刺激され、とっさにその場を離れたのであった。たまたま会社の前を通りがかったタクシーをとめ男は乗り込んだ。男は自宅の住所を運転手に告げると、椅子に深く座り込み思わず呟いていた。


「ついてないなあ・・・。」


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