第六章 守るべきもの
首筋に強い痛みを感じ、リンは痛みが発した箇所に触れようとし、手を動かそうとしてそれが動かせないことに気が付いた。
暗く、手元がはっきりとしない闇の中で懸命に目をこらして手元を見てみると、自分の身体が何か頑丈な、柱のようなものに縛りつけられている。
「―――お目覚めかな?」
いきなり見知らぬ者に声をかけられてリンはビクついた。そして、ゆっくりと顔をあげると声のした方を見た。
「おやおや、驚かせてしまったね」
と、冗談めかしに言う声の主を闇の中で見つけた。緑色の髪をした、まだ青年だ。
「アンタ誰よ!! ここはどこ! どうして私をここに連れてきたのよ!!」
リンが彼を睨みつけ、大声でまくし立てた。青年が肩をすくめるのが闇の中であってもわかった。
「僕かい? 僕は君たちが追っている組織、『カルテス』のボス、バロデムというものさ。ちなみに、ここはテンバイン五丁目の第三研究所裏の廃校場さ。まぁ、僕ら組織の集結場と言うところかな・・・・・・」
青年=バロデムがこちらに歩いてくる。と、彼はリンの細い顎を掴む。
「それでね、君をさらった理由は、用があったんだ。君のパートナーに・・・・・」
「オ、オルに?」
「そうだよ」
少年のように微笑みを浮かべながらバロデムがリンの顎を放した。
「ほら、君たち僕らのこと捕まえるつもりだったんでしょう? こっちも色々とまずいことしている身だからね、君たちを処分しようかと思ってさ・・・・・」
「でもどうしてオルに用があるの? べつに殺す相手なんだからいいんじゃないの?」
不快な点に気が付いたリンが尋ねた。バロデムはブラウンの瞳でリンを見つめると言った。
「そりゃあ、まぁ、なんたって彼は――――」
そこまで言ってバロデムの声は遮られた・・・・・・・。廃校場を揺るがすような騒音によって。
「おいでになったね・・・・・」
リンとの会話をやめてバロデムが楽しそうに立ち上がる。そして、彼が見た先―――廃校場の鉄の扉が倒れてきているところ――には、ある人物が立っていた。それは、
「オル!」
だった。
(助けにきてくれたんだ・・・・・・!)
胸の中がいっぱいになったような、温かい感覚にリンが破顔になって彼の名を呼んだ。
「オル!」
ここだよ。ここにいるよ! と彼に言いたかった。嬉しかった。敵に捕まってしまうような自分など、弱い自分など、足手まといななる自分など必要にしていないと思っていた・・・・
・・・。助けに、迎えになどきてはくれないと思っていた・・・・・・。
「無事か、リン!」
だが、そんな気持は杞憂だった。彼は今までにないほどに心配と、彼女をさらっていった者への怒りが混ざったような表情で彼女の名を呼んだ。そして、そのまま彼女から視線を上に上げてバロデムを睨みつけた。が、バロデムは微笑んだだけだった。
「いらっしゃいませ。オルセルグ君・・・・・・・。いきなりで悪いんだけど、君にはここで死んでもらうよ」
バロデムが指を鳴らす。と、天井からコートを纏った男が降りてくる。そう、デュークだった。
「やれ!!」
バロデムがもう一度指を鳴らす。
デュークはバロデムの指示をきいて笑みを浮かべ、剣を抜いた。オルも長剣と短剣を抜く。
間髪なしに二人の距離が縮まった!
最初にデュークが剣を振り下ろしてくる。それをオルは右手の長剣で防ぎ、短剣で彼の首元を狙う。
「おっと!」
だが、その突きはいったん身を引くようにバックステップしたデュークにかわされてしまった。二人の距離が開いた。を、詰めるようにデュークは跳んだ。そして、一気にオルの目の前に現れて剣を水平に払ってくる。
オルはそれを地面に伏せるようにしてよけた。そして、頭の上の空気を振るわせ、剣が通ったのを感じながら立ち上がろうとした。そのときだった! また、あの頭痛が襲ってきたのだ。
(ったく、こんな時に!)
デュークの剣が振り下ろされる! よけられない! そう思った瞬間、リンの声が響いた。
「オル! 転がってよけて!」
リンの声にオルは一瞬だけ我に返り、彼女の言うとおり地面に受身をとったように転がると剣をよけた。
ギィン!!
と音をたてデュークの剣が廃校場の地面に刺さる。あのまま避けなかったら首が飛んでいたことだろう。
起き上がり剣を握る。そして、地面から引き抜いたデュークの剣の振り下ろしを、膝をついた状態で、双剣を×字のように交差して受け止めると、渾身の力で弾きかえす!
「うわっ!」
デュークが後退し、たたらを踏んだ―――瞬間をオルは見逃さなかった。
ブーツが工場の地面をえぐる。右手をあらぬ限りに後ろに回し、そのまま水平を保ちながら一気に払った。
切っ先がデュークの腹部を横一線にえぐった。剣がつくった刃道をたどるようにして血が線を書いた。デュークが苦悶の声をあげて倒れる。
「あや、やっぱり一介の殺し屋じゃあ君は仕留めやれなかったかぁ・・・・・」
バロデムがどこか楽しげに微笑む。と、リンの縄に手をかけた。何をするきなのだ。もし、彼女に危害を加えるようならば許しはしない! オルは柄を握る手に力を込めた。
だが、バロデムはリンに手をだすようなことはなく、ただ彼女を縛るロープをほどいた。
予想をしていない彼の行為にロープをほどかれたリンは困惑したが、すぐに我にかえり、バロデムの様子を伺いながらも、オルの方へとゆっくりと歩き出した。
だが、バロデムはリンに何かをしようとはしていない。彼にしてみれば、リンはオルを呼び寄せるための道具でしかなかったのかも知れなかった。
リンがオルの方に走っていき、彼に抱きついた。とは言うが、彼女はオルよりも頭一つ半分ひくいのだ、結局はいつものように彼の腰に抱きついただけだった。だが、オルはいつものように彼女を引き剥がしたりはせずに、穏やかな声で尋ねた。
「大丈夫だったか? 怪我とかしてないか?」
「うん!!」
ジャケットに顔を埋める彼女を見て、ことさら大丈夫だとは感じなかったオルは、リンの髪をなでると言った。
「怖がらせてゴメンな・・・・・・」
「そんなことないよ」
首を激しく振るリンに、オルは微笑んだ。だが、突如として後ろに――廃校場の入り口に人の気配を感じて振り向いた。リンも顔を上げる。と、そこには――――。
「シーナ?」
「え?」
オルが声を上げた。確かにそこには一人の少女――シーナがいたのだった。
「なんで来たんだ!」
「あ、そ、その・・・・・・」
オルの一喝にシーナは首をすっこめてこちらに躊躇しながら歩き出してしまった。オルは後ろ――バロデムがいる方を目の端で見た。
今ここに来れば彼女に危害が及ぶ! そう考えたオルは彼女の方に走った。
逃がさなければ、シーナを!
シーナのところに行ったオルは彼女の肩を掴んだ。
「はやく戻れ!!」
「・・・・・・・」
「はやく行け!」
うつむき、動こうとしないシーナを揺さぶる。が、何故か反応がない。オルは半ば苛立ち気に怒鳴った。
「はやく行けって!!」
「・・・・・・嫌です」
「え?」
顔を上げた彼女は笑っていた。しかも、短刀を握って。そして、それが生えているのは自分の腹部で・・・・・・・。
次の瞬間にオルは音をたてて倒れた。
「! オル!!」
リンが駆けよってきて彼を仰向けにすると、―――本来、そういった外傷のさいは不用意に手をださないことが鉄則であったが―――、短刀を引っこ抜いてしまった。彼の腹部と口からありえない量の血が溢れでる。青いジャケットが黒く染まっていく。口の中に鉄の匂いと味が広がり、彼は闇の中に引きずりこまれた。
* * *
『――――よく、聞いてね』
と、聞き覚えのある声が闇の中で言った。だが、誰の声かは思いだせない・・・・・。
『今から「賢者の石」をあなたに渡すわ。でもね、オル。約束してほしいの』
声は少し調子を落として、
『この力はあなたが生きていくためにある力―――でも、これを持っていればあなたは必ず狙われてしまう・・・・・・』
しばらく声は喋らなかった。だが、再び喋りだした時の口調は戻っていた。
『そうなったとき、私のことを憎んでもいい・・・・・。ただ、約束して・・・・。この力を「大切なもの」を守るために使うと・・・・・・「神狩りの一族の末裔」として、「賢者の石」に犠牲となる者達を救うために使うと・・・・・』
ここまで聞いてやっとオルは声の主を思い出した。
そう、これは十年前―――まだ彼が牢に繋がれていたころにはじめて、そして、最後に出会った母親の声だ。
そして、母はこの言葉を最期に息をひきとった。理由は簡単だった・・・・・・。母は、自分を犠牲として、オルに『賢者の石』の力を与えたのだ。つまりは、それは、オルが母を殺したと言うことだった・・・・・・。
でも、母はただ微笑み、
『ごめんね』
と言って息を引き取っていったのだった。
そして、母の骸は、長い間牢に入れられていたオルにとって―――長い間、なんの味気もない土ばかりを貪り(むさぼり)食っていた彼にとって、久々にまともな食べ物だった。そして、彼は母を喰らった。母の骸を、泣きながら喰らったのだった・・・・・・・。
「オル、しっかりして!!」
リンの悲鳴じみた声にオルは重いまぶたを開けた。シーナが笑いながら立っていることから、倒れてから大して時間はたっていないようだった。
(大切なもの、ねぇ・・・・・・)
胸中で呟いてオルは自分にそんなものはいるはずがないと思った。でも、少しだけ心あたりがあった・・・・・。二人だけ、頭の中に人物が浮かんだ。
一人は今、風穴のあいた自分の腹に手を押し付け、顔に血がつくのも構わずに傷を塞ごうとしてくれている少女と、自分に外の世界を教え、自由をくれた前相棒の少女――――どちらも、自分のことを『相棒』だと言ってくれた。嬉しかった・・・・・・。世間から疎んじられ、必要とされていなかった自分を『人』として見てくれた二人―――大切な人だった。
『大切なものを守りなさい』
唐突に母の声が頭の中に響いた。
オルはその声に後押しされるように起き上がった。
「! 動いちゃだめ!!」
途端にリンに怒鳴られた。と、同時に身体の力が抜けて崩れた。
「今、失血させるからじっとしてて!」
彼の傷は医学的知識が少ないリンが見てもわかるくらいに酷かった。そして、なにより出血が多すぎた。このままでは死量に到達してしまう。
オルのジャケット引き裂き、それを彼の傷にあてながらリンは唇を噛み締めた。どうしてこう、自分はやくに立たないのだろうか。敵に捕まり、ましてや戦力にもならないのに、こうした治療もできないのか・・・・・。
悔しかった・・・・・。足でまといの自分が。何もできない自分が・・・・・自分が嫌いだった・・・・・。気づいたら泣いていた。
「? どうした?」
泣き出してしまった自分を気遣って、鳴りぞこないの笛のような音を喉から漏らしながらオルが訊いてきた。
「しゃべらないの・・・・・」
だが、リンはオルの問いには答えなかった。答えると、きっと今よりも盛大に泣き出してしまいそうだから・・・・・。
涙を堪え、傷口を押さえる手に力がこもる。だが突如、その手に冷たい感触が乗った。オルの左手だった。
機械の腕の奇妙な感触にリンは顔を上げた。か細く微笑んでいるオルの唇が僅かに動いている。彼が何かを言っている。リンはオルの口に耳を近づけ、彼の小さな声を聞いた。
「―――聞いてほしいことがあるんだけど・・・・・・」
しゃべらないで。と言いたかった。いや、言うべきであったのに、リンは言えなかった。今のオルに何を言っても彼は聞いてくれないと、何となく思ったから・・・・・。
「・・・・・・オレ、『闇』が嫌いだって言ったよな・・・・・・」
「うん。聞いたよ」
リンが頷くと、オルは少し嬉しそうに、でも淋しそうに微笑んだ。
「・・・・・なんでオレが『闇』を嫌うかっていうのな、オレ、ガキのころに監禁されてたんだ。地下牢に・・・・・・」
「え?」
小さな声だったからか、それても予想していなかったことをオルが言ったからか、リンの瞳がみはられた。オルは微笑みを自嘲的な笑みにかえる。
「でも、十歳の時ぐらいに前の相棒のレイスに、助けてもらった。その時、左腕な腐ってたんだ。長い間日にあたってなかったから・・・・・。それで、左腕をしかたなく切り落とした。でも、それはオレが『自由になった証』だったんだ。だけど・・・・・・」
オルが一つ息をつく。息をしたために、ジャケットに血が浮かび上がってきた。
「だけど、二年前――『メルネス』から『賢者の石のデータ』を盗んだ次の日に、レイスはいなくなってた・・・・・・・。なんでかはわかんないけど、きっと、オレに原因があったんだ。
・・・・。その日から、オレの左腕は『罪の証』になったんだ・・・・・」
「―――もういい! もういいよ!」
針を飲み込むような口調にかわったオルをリンは抱きしめた。
「もういい・・・・・。もういいよ。オルばっかりが傷つくなんて、もういいよ・・・・」
さっきまでずっと我慢していた涙が流れ落ちてしまった・・・・・。
すごく悲しくて、すごくつらくて、すごく淋しい、オルの気持がとても、とても、とてもよくわかった。彼がずっと傷ついていたことを、自分の中に悲しみをしまいこんでしまっていたことを、今まで気づいてあげられなかった・・・・・・。
「ごめんね、オル・・・・・・・。気づいてあげられなくて。私、サイアクだよね・・・・・」
「・・・・そんなことないよ」
オルが起き上がり、涙してうつむく彼女の顔を優しく上げた。目の前に、少しあかくなった―――でも、緑色の深い瞳がある・・・・・。オルは、彼女のそれに吸い寄せられるように顔を近づけ、唇をよせた。
時がとまり、静けさが二人を包む。
この人を守りたい。
自分を『人』としてみてくれた人を。
大切な人を。
すると、彼の意思を感じ取ったかのように腹部の傷のところに光りがあらわれる。最初、弱々しかったそれだが、段々と光りを増し、鋭く発光した。
一筋の光りが消え、そして、彼の傷も跡形もなく消えていた。
「あっ、え?」
顔を放し、リンが目をみはった。だが、目をはっているのは彼女ばかりではない。この場にいる全員――オルを除く――が顔を引きつらせている。
オルが立ち上がる。しかし、先ほどのように崩れ落ちはしなかった。
「あはっ。わかったぁ~」
バロデムが唐突に声を上げた。そして、狂ったように笑い出す。
「それ、『賢者の石』の力だよねぇ?」
バロデムの言葉にシーナの顔が引きつるのが目の端で見えた。オルは自嘲的な笑みを浮かべて言った。まるで、独り言のように。
「―――あるところに、神を裏切った『神狩りの一族』でありながらも、神に命乞いをし、『賢者の石の力』を、母の命を代価に手に入れたものがいた・・・・・・」
「ま、まさか・・・・・」
後ろでシーナが驚愕の声を上げた。オルは頷く。
「そう、そのまさか・・・・・。オレこそが『神狩りの一族』にして、『神に寝返ったもの』―――オルセルグ・ナイトホークだ」
オルの言葉を聞いて、皆が凍ったように動かなくなった。しかし、それは一瞬だった。
「あははははっ! いいねぇソレ! でもねぇ、じつは『賢者の石』、僕も持ってるんだぁ」
ほらっ。と言ってバロデムが懐から血のように紅く、煮えたぎるような色をした石を取り出した。『賢者の石』であった。完成していたのだ・・・・・・。そして、バロデムが目を閉じる。
「前々から、君と闘ってみたいなぁって思ってたんだぁ。さぁ~て、どんな姿になって君を殺そうかなぁ」
どれにしょうぉ。と不気味に微笑むバロデム。そして、彼が握る石が鋭く発光した。それは、オルの傷を癒した時のようにおさまった――――時には、そこにはバロデムはいなかった。
いるのは、身の丈三メートルはあろうかという異形の姿をした、まさしく怪物だった。大きく横に広がった緑色の肩に、ザクロの様な頭。硬質化した足と腕。
『あははははっ! スゴイよこれ! 力が湧き上がってくるよ!』
鋼へとかわった腕を振り回してくるバロデム―――もはや怪物――にオルは剣を抜き、リンを下がらせた。
「リン、下がってろ・・・・・」
「私も一緒に闘うよ!!」
一緒にという言葉にオルは嬉しくなったが、首を振った。
彼女を危険な目には合わせたくなかった。
「大丈夫。無理はしないから」
不安げな顔になってしまったリンを安心させるようにオルが言った。
「ほんとに?」
「ああ。ほんとにさ」
「約束、できる?」
「ああ」
細いリンの小指にオルは右手の小指を絡めた。
「約束したよ? もう、一人で傷つかないって・・・・・」
「あぁ、約束する。もう、オマエを悲しませたりしないから」
大丈夫。と最後に言って、オルは意識を集中させた。左手に白銀の剣を生成し、オルは走った。
目の前にいすわる、あの怪物から大切なものを守るために・・・・・・。
『神狩りの一族の末裔』としての使命と、母との約束を守るために・・・・・・。
* * *
鋼の腕の振り上げを側転してよけ、オルは怪物を、腰の辺りから首筋まで斜め一線に切り上げた。
『危ないなぁ!』
だがそれはバロデムの鋼の右腕に遮られる。鋼の腕に傷が入り、剣がめり込む。しかしそれは、瞬時に光りをもらして消えうせた。
『痛くなんかないよぉ!』
バロデムが左腕を振り上げてくる! オルは傷が消えてもめり込んで離れない剣を引き抜くため、腕に力を入れ、両足をひきあげると鉄棒で坂上がりをするように回転する。彼の顔面を蹴りつけるとまではいかなかったものの、固い肩を蹴りつけ、その反動で剣を引っこ抜く。
『ギャッ!』
重たい蹴りを肩にくらい、バロデムが後ずさった。その瞬間にオルがバロデムに突進する。肩を思いっきりぶつけ、そのまま気を放つ!
『うわぁぁっ!』
悲鳴を上げてバロデムが倒れる。仰向けに倒れた巨大な怪物めがけて、オルは剣を叩きつけた!
「終わりだ!!」
「シーナちゃん・・・・・」
うつむいて何やらと呟いているシーナにリンは警戒しながらも、声をかけた。先ほどオルを刺したように、いつまた攻撃をしてくるかわからなかったのだ。だが、そう予想していたこととは裏腹に、彼女は泣いていた。
「ど、どうかしたの?」
笑うやら泣くやら、なんとも感情の激しい少女である。不快に思いながらリンが訊いた。シーナが涙をぬぐう。
「ごめんなさい」
「へ?」
泣かれたうえにいきなり謝られ、リンは面食らった。一体何が彼女は言いたいのか。主語を言ってもらわないとわからない。
「どうして、謝ったりするの?」
リンが訊いた。シーナは鼻を啜り、
「オルさんを刺して、ごめんなさい」
「・・・・・・」
謝ってどうこうする問題ではないが、リンはあえてそのことを言わずに彼女に問いただした。彼女が謝るということは、それが本意ではなかったということなのだ。一体何が彼女を動かしたのか、訊きたかった。
「でもどうして、オルを刺したりしたの?」
シーナがうつむく。そして、蚊のなくような小さい声で答えた。
「―――バロデムが約束してくれたんだす。オルさんを殺せば―――刺せば、『人間』にするって・・・・・・」
「は? 『人間』に?」
はい。とシーナがうなずく。
わけがわからない。だって、シーナちゃんは人間でしょう?
だが、シーナは首を激しく振る。
「違うんです。私は、『ホムンクルス』――――。『賢者の石』を創った際に、失敗作として生まれてくる、『複写人間』なんです・・・・・・」
シーナの言葉にリンは喉が詰まる思いだった。自分よりも小さい子が、己の道に抗おうとしている・・・・・・。しかも、その道は自分が決めたものではない。望んでもいない道に立たされ、進まされるというのは、とても簡単なことではないし、つらい。
(この子も苦しんでいたんだ・・・・・・)
咄嗟にオルの顔が浮かんだ。また、自分は気づいてやれなかった。つらい思いを背負い、生きている者の気持に・・・・・・。
「私も、ごめんね」
リンはシーナに近づき、彼女を抱いた。しかし彼女は身体を硬くし、その様子からは今までのつらい思いが見て取れるようだった。
「・・・・そんなことないです・・・・・・。ありがとう。リンさん」
シーナが腕の中で微笑む。でも、リンは微笑めなかった・・・・・・。
そこへ、バロデム=怪物の奇声が木霊した。
「な、何?」
リンがシーナを放し、身構えた。シーナも姿勢を低くする。
見てみると、バロデムが倒れ、オルが剣を叩きつけようとしているところだった。だが、怪物の腕が不意に振るわれる。
「! オル、危ない!!」
リンの声にオルが後ろに飛ぶ。だが、避けきれずに横っ面を強打され、吹っ飛んだ。怪物が起き上がり、仰向けに倒れたオルに腕を振り下ろした。
「っ!!」
オルが腕を頭の後ろに回し、足を曲げて腹を凹ますと後転した。そして、そこから何回かバック転をして怪物と距離をはなした。
「オル!!」
「来るなよ!!」
こちらにこようとしたリンにオルは一喝した。彼女の動きが止まる。オルはそれを見届けると、デュークに向いた。
「―――オマエさぁ、前どっかであったような気がしてたんだけど・・・・・・」
怪物と化している奴に自分の言葉が通じるかはわからなかったが、オルは言った。
「確か、数年前にオレが監獄にぶち込んだはずだ・・・・・・、懲役百五十年だったかな」
『――――そうだよぉ』
鉄と鉄とをすり合わせた時に発するような耳障りな音をたてて、デューク=怪物が頷いた。まぁ、首のない怪物の姿では、頷いたかなどもかなりあいまいな判断になるが・・・・・・。
『一年半前くらいだったかなぁ。僕、監獄から逃げ出したんだぁ・・・・・・。君に復讐するためにねぇ・・・・・』
怪物の目が細まる。―――これも、あいまいではあるが。
「なるほどね」
と、オルがほくそえむ。怪物は続けた。
『それでねぇ、僕、一年前くらいに「カルテス」を設立したんだぁ・・・・・。君を探すために、「賢者の石」を創って、政府に―――僕を監獄に閉じ込めた政府に復讐してやるんためにねぇぇぇぇ!!』
怪物が腕を振り上げる! オルがバックステップすると攻撃を回避した。鋼の腕が地面にめり込む。
『おわぁっ!』
床に入り込み、抜けない腕を力いっぱい引っ張るデューク。だが、腕は抜ける気配はない。
「もらった!」
オルが太く、長い腕を飛び台にして怪物の頭と同位地に飛ぶ!
「喰らえ!」
腕を突き出し、それ以外の身体全体を回す。と、回転していなかった腕をさらに突き出した! 最大限に増幅された、渾身の突きだ。怪物はざくろのような頭を切り裂かれ、紅い果汁のような血を噴出した。
『ギャァァァァアアァァアアアッ!』
悲鳴をあげて怪物が倒れた。オルがあおられるように着地し、荒い息ついた。
「オル!」
声をあげ、リン血相をかえてがかけよってきた。後ろからシーナもやってくる。
「大丈夫?」
紅く染まり、汚れまくっている額の包帯に手を伸ばしてリンが気遣わしげに尋ねた。
「大丈夫だよ」
シーナが後ろにいることから少し身構えてしまったが、リンが首をふったので、彼は警戒をといた。だが、
『――――いったいなぁ・・・・・もぅ』
なんてことしてくれたのぉ。と、とどめをさしたはずの怪物が起き上がった。皆が肩をビクつかせて怪物を見た。しかし、徐々に――元々身体の形を成していなかった―――怪物の身体が崩壊しはじめた。緑色のスライムのような液体が彼の脳天から流れ出す。
怪物は自分の手の平をみて、
『! ど、ど、どうして! どうして身体が、身体が溶けていくんだ!』
「あたりまえさ・・・・・」
身体とともに精神も崩壊しはじめた怪物にオルは冷たく、ごくごく平然とした、しかし抑揚の感じられない声を彼に浴びせた。怪物の目――目と思われる――が見開かれる。
「『賢者の石』のような強力な錬金術の産物を、錬金術さえ使えない―――特別な訓練もない、普通の人間が扱えば、精神が耐えられなくなって、身体は崩壊する・・・・・・」
「そ、んな・・・・・」馬鹿な。と怪物は呟くと、だがまた、人間の時のように不吉に笑いだした。
『あはははははっ! ははははっは! あははははっはっは・・・・・・・!!』
怪物は笑いつづけながら崩れていった・・・・・・。死臭が漂う。どろどろとした液体―――生前は怪物であった――が、流れていく。
皆が顔をそむけた。
これが『賢者の石』の力を求めた者の末路・・・・・・。
オルは胸中で呟き、自分の胸に手をあてた。
自分の身体には石の形は見当たらない。でも、確かに『賢者の石』はここの中にある。
自分も、いつかあのようになってしまうのだろうか・・・・・・。
怖いというわけではない。別に恐れがあるわけではないのだが、どうなるのかと考えると少し身震いした。
「大丈夫?」
腕を抱いたオルにリンが近づき、尋ねた。
「あ、いや大丈夫・・・・・」
と答えたが、リンは納得しなかった。
「また、無理してるでしょ?」
細い小指を目の前に突き出して、リンが詰め寄った。正直に答えろと、瞳が語っていた。オルが嘆息する。
「いやさ、オレも、こんな風になっちまうのかなって、思ってさ・・・・・だとしたら、すっげぇ怖い・・・・・・」
「・・・・・・そっかぁ」
ほんの少しだけ間があき、リンが頷いた。そして、微笑むと、
「だいじょうぶ。オルは絶対にあんな風にはならないよ」
「・・・・・・なんで?」
自分を気遣い、わざとそんなことを言っているのだと感じたオルは彼女に詰め寄った。先ほどの彼女ではないが、瞳が『正直に言え』と語っていた。だが、リンは首をふる。
「ほんとうだよ。オルは絶対にあんな風にはならない・・・・・・。だって、オルがしてることは正しいことだもの。だから、絶対にだいじょうぶ!」
オルはなんとなくわかったような気がした。自分が消えてしまわないという根拠ではなく、消えることを恐れた理由―――それはきっと、離れたくないと思ったのだ。彼女と、リンと離れてしまうのが、怖かったのだ・・・・・。独りはもう、いやだったのだ。
「そう、だと、いいな・・・・・・」
切れ切れに話すオルにリンは満面――、とはいかなかったものの、笑みを浮かべて、剣から姿をもどした左手と右手を引いた。
「だいじょうぶ! 私が保証するから!!」
笑みを浮かべる彼女につられて、オルも知らず知らずのうちに微笑んでしまっていた。でも、それは自嘲的な笑みではなく、自然な笑みであった。




