第二章 メルネス
ウィレイの街にある公園。
ベンチに座り、うららかな陽気につられて寝かかりそうになったオルをリンが銀髪を引っ張って起こした。
「ちょっとオル! 寝かかってないでよね!」
「ふぁ? あぁ――、わりぃ」
「まったくもう・・・・」
リンがため息を吐き、自分達が座る前のベンチ――つまりは向かいのベンチになるが――を見る。
オルもそれに習い向かいのベンチに座る、初老の人物を見た。
その人物はおそらくはこちらの視線に気付いているだろうが、帽子を目深く被り、新聞を読んでいた。
「でも、信じられなよねぇ」
リンがオルに耳打ちする。
「何が?」
オルが足を組みかえ、リンに向く。
「だってさ、私たちの目の前にいる人が爆弾魔なんてさぁ・・・・・予想つかないよね」
「あぁ、そのことか・・・・」
オルがリンから向かいの人物に視線を戻す。
会話は聞かれていない自信があった。何故なら、二人の間だけでしか聞こえないような小声で話したから。
今、オルとリンは爆弾魔『バーリー・ウエンハム』を前にしている。そして、捕まえるつもりでいる。
しかし、相手は爆弾魔であるからして油断はできない。いつ、爆弾を爆発させるかはわからないのだ。それ故に、二人は先ほどから約一時間前も動いていない。
「ふぁ~・・・・」
「ったくもぉ!」
まったく、緊張感がない。
二発目の欠伸を噛ましたオルをリンが叱咤する。と、向かいのベンチに座っていた人物――バーリーが立った。
「あ・・・・・」
バーリーが立ち上がったことで、彼の後を追おうとしたリンをオルが制した。
「まぁ、待てよ・・・・」
「なんでよ? 逃げられちゃうじゃない!」
いきり立つリンに嘆息して、オルが付け加えるように助言した。
「すぐに追うと犯人にバレやすい・・・・・。見失わないくらいに距離を離してから追った方がいいのさ・・・・・」
「あ、そうなの?」
全然知らなかった。と、一笑するリンの後頭部を嘆息の意味ではたくとオルが立ち上がる。
「さてと、見失わない程度で見失しなっちまったら洒落になんねぇぜぇ♪」
「確かにそうだね♪」
ウインクをしたオルにリンが白い歯を見せて笑うと、二人はバーリーの後を追った。
* * *
我ながらに逃げ足が速いと思う。
路地裏に駆けてきた、バーリーは向かいのベンチに座っていた二人組み――おそらくは、ハンターの類だとおもわれる――から逃げられたことに安堵した。
「ふぅー・・・・・」
息を吐き、今まで抱えるようにしていた新聞紙をそっと開いた。
外見こそは古新聞に見えるこれ、実はバーリーが作り上げた『超極薄爆弾』なのだ。
「・・・・・い、威力は保障できないけど、俺の最高作品だからなぁ・・・・どこで爆発させようかなぁ・・・・・・」
バーリーをどす黒いモノが被い始めたころ、彼の前に茶髪の少女が一人現れた。いや、正確に言うと最初からそこにいたのかも知れないが、彼は今まで気がついていなかった。
「―――――どこで、爆発させるって?」
「そりゃあ、人がたくさんいるところさ・・・・・って、オマエ誰だよ!」
後ずるバーリー。
「・・・・・気づくの遅くない?」
少女が肩を軽く上下させて呟く。
「だ、誰だって訊いてんだよ!」
バーリーが逃げ腰になりながらも罵声を飛ばす。
「私?」
少女は辺りを見回して、自分を指差すとバーリーに尋ねた。
「他に誰がいるんだよ!」
「―――――居るだろ? 他にも・・・・・」
「へ?」
後ろから、明らかに少女の声ではない低い声を聞いてバーリーは震え上がった。気配は感じなかった・・・・・。
「オマエがバーリーでいいんだよなぁ?」
「は、はいぃぃ!」
耳元でドスがきいた低い声を打たれバーリーが硬直する。冷たい汗が滴り落ちる。
「そっか・・・・・」
低い声色はそのままで、後ろにいた人物がバーリーの腕を捻り上げる。『超極薄爆弾』が落ち、少女がそれを拾う。
「いでで・・・・・!」
バーリーは、それこそ腕が千切れてもおかしくないような痛みに顔をしかめ、視線だけを後ろに向けた。先ほどからの恐怖の元凶の姿を見るためだ。
そこには――腕を曲げられているせいで、よく見えなかったが青年―――、と言えば青年だが今だ子供っぽさが残る――が立っていた。
「・・・・それじゃワリィけど、オレ達とサツまで行ってもらうぜ?」
「わ、わかったよ・・・・・」
バーリーが頷く。
青年がバーリーの腕を放した―――時だった!
「そうはいくかよ!」
一声叫ぶなりバーリーは青年の脇をすり抜け、少女が持っている爆弾をひったくるために駆けた。
「どけぇぇぇええ!」
バーリーが少女に突進する。
「きゃ!」
少女の軽い身体が悲鳴を上げて、跳ね飛んだ・・・・・わけではなかった。
少女の身体は確かに浮かび上がりはしたが、それはバーリーの突進によるものではなく、突進を寸分の違いで受け流し、避けたためであった。
「『きゃ!』・・・・・なんて言うと思う?」
バーリーの後ろに着地した少女が両手でバイバイしながら、ウインクした。
「ゴメンね――」
先ほどと同じく少女の姿が掻き消えた。と、思った瞬間には、彼女はバーリーの鼻先へと移動していて、彼のみぞおちに――いつはめたのか、鉄板製の手甲のついた――拳を突き入れていた。
「かっ・・・・・・!」
短く悲鳴を落としてバーリーが崩れた。
「よっと・・・・・」
崩れたバーリーを青年が受け止める。長身の彼には造作もないことだった。
「・・・・・さっすがは、リン様々特注の手甲ですなぁ~」
青年が、肩に落ちた後ろ髪を跳ね上げると口笛を吹いた。
「でしょう~♪」
腕を振り、クルリと一回転すると少女――リンが笑った。
青年も歯を見せて笑うと、バーリーが持ったままである爆弾をひったくり、勢いよく足で踏みつけると破壊した。足元で小さな振動と爆発音がおこったが、特別製のブーツからは熱は伝わってこなかった。
「て、なわけで! そろそろ、今日のメシにありつくとしましょうかねぇ?」
「あ、いいねオル! 私、腹ペコだったのよ!」
「ま、何てったって、朝メシ抜きだったからなぁ・・・・・」
「し、しかたないわよ。この頃、貧乏生活だったから・・・・・」
リンがお腹に手をあて、さするようにして肩を落とした。
「まぁ、今悔やんでもしかたねぇよ・・・・・。かわりと言っちゃあなんだけど、昼メシはたらふく食おうぜぇ?」
「お? 久々に行きますか、海鮮料理」
「当たり前だ! 待ってろよ、海鮮料理十人分!」
二人は空に腕を突き上げた。
今、彼らの頭の中を支配するのは海鮮料理フルコースだけだった。
* * *
「も、もぉ、食べられない・・・・・」
「何だよ・・・・・まだ、三人前しか食べてねぇじゃん」
「ア、アンタだけよ、五人前も食べられるの・・・・」
「そうか? オレはまだ余裕で入るぜ?」
「うわっ・・・・」
ウィレイの街に滞在し始めて二週間くらい経ち、この店―――『大盛り亭』が、二人の行きつけの店となっていた。
名の通り、出される料理はみな大盛りで、中でも今二人が食べているフルコースは、今だかつて誰も、十人前まで行き着いたことがないほどの大盛りとなっている。
そして、今日二人はその、今だかつて誰もなしえたことのない『十人前達成』へと、主力を尽くしていた。だが・・・・・・。
「も、もぅ、無理・・・・・」
「何だよ。だらしねぇなぁ」
ご覧の通りオルはまだいけるようだが、リンはギブアップのようだった・・・・・。
「ったく・・・・・」
オルは嘆息し、六皿目に行こうと手を挙げた時だった。
「やめて下さい!」
唐突に女性の悲鳴が店の中に響いた。
「なんだぁ~?」
「なぁに~?」
オルが不快そうに眉を顰めながら、声のした方を向いた。
「いいじゃんかよぉぉ~・・・・ちょっとくらい」
「やめて下さい!」
見ると、店のほぼ真ん中に位置するテーブルで、酔っているのかそれこそ本来の性格かはわからないが、男がウエイターの女性に手を出していた。
まったくもって不愉快だな・・・・。
「放してください!」
手を伸ばしてくる男に―――無意識のうちに――女性が手を上げてしまった。
「あっ・・・・・」
パンという刻みのよい音がして、男が椅子から転げ落ちる。
そして、数秒後に立ち上がると女性に向いた。その目は、怒りに満ちていた。
「テ、テメェ!」
後ろに下がった女性に男が突進する。
「ね、ねぇ! オル、どうしょう!」
「面倒な事には入り込まない方がいいぜ・・・・・」
店の奥のテーブルに身を乗り出して、リンがオルを揺さぶった。
オルは半ばめんどうくさそうに、男と女性を見ると椅子を立った。
面倒くせぇな・・・・・。
「ったく・・・・・メシが不味くらるだろうが・・・・!」
と、オルはテーブルに置いてあった灰皿を手に取り、フリスビーの様に投げた!
灰皿は店の真ん中にまで飛んでいくと緩やかにカーブして、男の顔面にクリーンヒットした。
「ぶっ!!」
灰皿が当たった衝撃で、後ろに倒れる男。
「え?」
急なことで女性が目を丸くする。
「ったく・・・・・」
倒れている男と、女性のところへ行き、いろんな意味で重いため息を吐くオル。
「いい歳こきやがって、どこまで馬鹿なんだよ・・・・・」
「何だと!」
オルの言葉を聞いて男が起き上がる。そして、オルの胸倉を掴んだ罵声を吐く。
「ガキの分際で調子に乗るなよ!」
「へぇ~、乗るとなんどうなるんだぁ?」
「このガキ!!」
男の拳が眼前に迫る。
「へぇ、そうなるんだ~」
しかし、男の拳はオルの左手で軽く受け止められてしまった。
「! そ、その腕は・・・・・」
男が自分の拳を受け止めた手―――白銀の義手に気を取られた。その一瞬をオルは見逃さなかった。
男の拳を自分の腹部の方へと引くと、右手で男の腕を下から掴む。そして、そのまま男を背負い投げの形で、はね飛ばす!
「うわ!」
男は悲鳴をあげるや否や、テーブルにぶつかり、背中を床に叩きつけられた。
「いででで・・・・・!」
男は背中をさすりながら、顔を上げた。すぐ上に指の関節を鳴らし、満面の笑みを浮かべたオルの顔があった。
「・・・・まだやるかぁ?」
「あ、あはははははは・・・・・」
男が乾いた笑い声をあげながら立ち上がる。そして、オルの視線に従うように、店の戸口にまで向かい、扉を開けて出て行った。
「さっさと消えな」
男の舌打ちを聞いたような気がしたが気にとどめることはなく、灰皿を拾うとオルはテーブルの方へと歩をかえた。
「あの・・・・・」
灰皿を器用に指で回しながら椅子に座ったオルに、先ほどの女性が遠慮がちに声をかけてきた。
「ん?」
オルがフォークを掴もうとした手をとめ、女性に向く。
「さ、先ほどは、どうもありがとうございました」
「・・・・別に」
頭を下げた女性が顔を上げる。
「オレは単に、メシが不味くなるから追っ払っただけさ・・・・」
「で、でも・・・・」
女性が少々困惑したような表情でオルを見詰める。
オルは女性の方には向かなかったが、懐に手を入れ言った。
「なぁ~に、あのオッサンから財布はくすねたからな・・・・」
「え、嘘!」
向かいに座るリンが身を乗り出してくる。
「ホラよ」
いつくすねたのか、オルは茶色いの財布をリンに見せ、笑った。
「今日のメシは安上がりになりそうだな」
「そうだねぇ♪」
リンが拳を固めて喜ぶ。オルはその様子を微笑ましく見ながら、女性に向き直った。
「いいのか? 仕事に戻らなくて」
「え、あの、その・・・・・」
女性がしろもどしながらオルと、店の奥にある厨房を交互に見た。そして、もう一度頭を深く下げると言った。
「ありがとうございました」
「はやく行けよ・・・・・」
オルは女性には向かず、ただ店の奥――厨房を顎でしゃくった。
「はい」
女性は顔を上げて頷くと、店の奥へと消えた。
「やれやれだぜ・・・・」
「なかなか良いとこあるじゃん、オル」
リンがテーブルに両肘をつき、その上に顔を置いて微笑んだ。
「あのウエイターさんオルに惚れたとか~」
「か、からかうなって!」
「にしししし・・・・・」
顔を赤く染め腕を組んだオルに、リンが白い歯を見せて笑った。そして、フォークを握ると、
「さて、気を取り直して食べますか!!」
「そだな」
オルもリン同様にフォークを握り、微笑んだ。
* * *
『見つかったのか?』
「はい・・・・・」
一日中いれば、鼻がもげてしまうような油っぽい臭いの厨房で、先ほどの女性がある人物に電話をしていた。
「白銀の髪に、左腕に義手――――、間違いありません。彼です」
『・・・・・しくじるなよ?』
「わかっています・・・・・・」
受話器を強く握りしめ、女性が頷く。そして、懐から電話の主から受け取った、小さな小瓶を取り出す。
「・・・・すべては、世界の秩序とメルネスのために・・・・」
電話の向こうで頷くのが気配でわかった。女性は受話器を置いた。
* * *
「あの・・・・・」
フルコースを十人前食べ終え、水を飲んでいたオルに先ほどの女性が現れた。
「ん?」
「あの、お口直しにいかがですか?」
女性はレモンティー(香りからして)を二つ持っていた。
「いいんですか?」
リンが身を乗り出し、レモンティーと女性の顔を交互に見やる。女性は微笑み、
「気になさらないで下さい。せめてものお礼です・・・・」
「それじゃ、あまえさせてもらいます」
「はい。どうぞ」
リンがレモンティーを受け取り、オルの前に置く。
「じゃあ、もらいますね・・・・・」
リンがカップの淵を口につけた、その時だった。オルが、短剣を抜き女性の首元に、それを当てたのは。
それを見たリンが慌ててカップをテーブルに置いた。
「ち、ちっょと、オル! なんの真似なの!」
「静かにしてろ・・・・」
オルが口に人差し指をあて、リンを黙らせる。
「・・・・・どう言うつもりだ?」
「何がですか?」
女性が首元に突きつけられている短剣に視線を落として尋ねた。オルが、女性を睨む。
「何がじゃねぇよ。どう言うつもりかって、訊いてんだよ・・・・・毒なんか盛りやがって」
「は?」
オルの声を聞いたリンが首をかしげる。
(毒? 一体どう言う意味?)
困惑の表情を浮かべるリンにオルが、見ろと言うとカップを持ち、腕を伸ばすとテーブルの横にあった植物の鉢にカップの中身を注いだ。
「あっ・・・・」
リンが声を上げた。何故なら、先ほどオルがレモンティーを入れた鉢に生えていた花が、見る間に枯れてしまったから。枯れた花びらが落ちる。
女性の顔が少なからず引きつる。オルは、それを見るや否や続けた。
「・・・・第一に、剣を突きつけられていて、なんで悲鳴を上げない? おかしいだろう? 違うか?」
「そ、それは・・・・・」
女性が後ずる。
オルは片目だけで、それを見ると続けた。
「それに、口直しって言ったら普通は、デザートが出てくるだろ? 仮にもフルコースなんだ。・・・・・まるで、オレが甘い物が嫌いだってわかってるかのようによ・・・・」
「・・・・・さすがですね」
女性が薄ら微笑んだ。
「さすがは、『銀の番人』と恐れられるハンター、オルセルグ・ナイトホーク・・・・・。私には少々荷が勝ちすぎましたか・・・・・しかし!!」
と、女性が懐に手を入れる。
女性が手を引き抜いた時、その手には鋭利な刃物が握られていた。
「ハッ!!」
一声叫ぶと女性が突っ込んできた。
オルは女性の腕を掴み、数時間前の男にしたように背負い投げを繰り出す。
「あまいですよ」
しかし、女性は空中で受身をとると、ナイフを数本投げてきた。
「おっと!」
ナイフが風を切る音を耳元に感じながら、オルはある声をきいた。それは、店内であがる他の客の悲鳴だった。
(ここで、やると被害がでるな・・・・)
実にめんどうな場所だな、ここは・・・・・。
オルが、店の出入り口めがけて数回バック転する。
「オレとやるなら、もっと広い場所の方がいいと思うぞ?」
「そう言って、被害を減らそうというわけですね・・・・・・。私は別にいいですが」
女性がオルの方へと走る。オルはもう一度バック転すると、さっきから握ったままだった短剣を鞘に入れ、裏道の方へ左折した。
「あ、ちょとオル!」
声を上げてリンが追ってくるのを気配で感じながら、オルは駆けた。
どこか、人気がないところへ・・・・・!
オルは女性と距離を離そうと全力で走った。しかし女性は、女性とは思えないほどの脚力で、オル同等に走ってついてきた。
「逃げるだけですか?」
女性がオルの後ろからまた、ナイフを数本放ってくる。
オルはそれを側転してよけると、素早く立ち上がりまた走った。が・・・・・・。
「・・・・・鬼ごっこは終わりにしませんか?」
上から唐突に響いた声に身を硬くし、オルがバックステップする。と、今までオルが立っていた場所に女性が上からナイフで追撃をかけてきた。
そのまま動かなかったら、脳天から串刺しになっていただろう。
オルと女性の立ち位置が先ほどと逆に変わる。
「もう、逃げないんですか?」
オルは静かにかぶりを振った。
別に逃げようと思えば逃げられる。が、逃げれば間違いなく彼女は追ってくる。そうなれば、人々に被害がでるのも免れなくなってしまう―――めんどうだが・・・・・。
「奥ゆかしいのですね・・・・・・」
微笑を浮かべて女性は、『でも』と切り出し表情を一変させた。そして、懐からさらに二本のナイフを取り出した。だが、そこへ・・・・・。
「ちょっと待って!!」
かん高い声の尾を引かせ、リンが上から降りてきた。陣形はちょうど、女性をオルとリンが挟む形になった。
「オルが狙われるなんてことはいつものことだけど!! 理由くらいは教えてくれてもいいんじゃないの!!」
リンがオルと女性を睨む。その眼差しからは、自分が一緒になって狙われることよりも、何故オルが狙われるのかと言った疑問が渦巻いていた。
オルが軽くため息をつき、女性を見る。
オル自身、過去に触れられたいわけではないが、ここで話をはぐらかせばリンは黙っていないだろう・・・・・・。それに、彼女が狙われるのは自分のせいなのだ。理由くらいは簡単にでも説明してやらなければ・・・・・。
女性は決してナイフを下ろすことはしなかったが、微笑むとオルに向いた。
「どうやら、お連れの方が知りたがっているようなので、お教えしてもよろしいですか?」
好きにしろよ。と、でも言いたいような顔つきでオルが女性を見返した。
女性は二年前と、始めた。
* * *
オルが長年追い続け、また追われ続けている組織を『メルネス』と言う。
政府と並ぶただ一つの国家機関であり、世界の三分の一を牛耳る大規模組織でもある。また、このメルネスは、表では『メルネス教』と言われる宗教を説いている。が、それは全て表の姿―――化けの皮にすぎなかった。
実のところメルネスは裏では人種売買にはじまり、麻薬の密輸入や要人の暗殺などさまざまな、悪行をおこなっているのだ。
中でも、『最高機密』の欄に入れられているのが、『賢者の石』と言われる物質の研究だった。
『賢者の石』は錬金術と科学技術を応用し、創りだされるものであり、それを手にしたものは『不老不死の力』や、『望みを叶えることのできる力』などが手に入るのだと言う。
そしてオルは、その研究データを二年前に前相棒と共にメルネスから盗んだのだった。
* * *
「・・・・・アンタ盗みの腕にかけては、本職よりもいいんじゃないの?」
「ヤッパ?」
「うん」
オルを見上げるかたちでリンがオルに言った。
女性が二人の会話を聞いて微笑んだ。
「でも、どうして『賢者の石』の研究データなんか盗んだの? 別にオル、不老不死とか興味ないんでしょう?」
「まぁな」
リンの問いにオルが頷く。それを聞いた女性の顔が少なからず曇る。
「ではなぜ、危険を冒してまでデータを盗んだのですか?」
「ん~?」
女性の問いにオルが腕を頭の後ろで組む。が、すぐに外し答えた。
「・・・・・『賢者の石』が、人の命を代価にして創られていたからさ」
「やはり、そのことを知っていたのですね?」
「当たり前さ。じゃなきゃ、なんでこんなことする必要があるんだ?」
オルが笑みをつくり女性に向く。女性はナイフの柄を強く握った。
「そのことは私とてわかっています。しかし、これが世界のためなのです・・・・・・」
「人の命を犠牲にすることが、か?」
「はい。命を犠牲にすることで、新たに命をつくるのです・・・・・・」
「オレにはわからないな・・・・・」
オルが構えた。これはやはり一戦交えるしかないと感じたのだった。
彼女の志すものはどうだか知らない。知りたくもない。どちらにしても、自分と彼女の意が交わらないということは、先ほどからの話で十分に理解させてもらった。
女性も腰を低く落とし、構えを取る。
「・・・・もう一度だけ訊きます。命が惜しければデータを返して下さい」
女性が手を差し出す。が、オルはそれには目もくれず、
「冗談キツイぜぇ・・・・」
と呟いた。
女性が『?』の顔をつくり、オルを窺う。
「そんなモンは、全部頭ン中にぶち込んで燃やしたさ・・・・」
「まぁ、そうでしょうね・・・・」
女性の顔から微笑が消える。あるのは、冷たい殺意だけ・・・・・。オルは続けた。
「それにさぁ・・・・」
「それに?」
女性が問う。
「命が惜しかったらとか言いながら、どうせは、殺すんだろ?」
「・・・・・よくわかっていらっしゃいますね」
女性がこの言葉を最後に突っ込んできた。
「リン、離れろ!!」
リンを下がらせオルは、女性の方へと短剣を抜いて突っ込む。
ギィン!!
オルの短剣と女性にナイフが噛みあい、喧しい音が裏路地に木霊する。
「おぉぉ~!」
オルの剣を受け止めた女性に歓声の声をリンが上げた。
「お、スッゲェーな・・・・・」
オルも、自分の剣を受け止めた彼女の力に感心しながら、意識を集中した。
パキパキ・・・・・・
水が凍っていくような乾いた音をたて、オルの左腕が徐々に形状を変えていく。しばらくして、オルの左腕に白銀の剣が姿をあらわした。
オルが左手にあらわれたそれを、女性の腹部を狙って突く! が・・・・・。
「あまいです!」
女性はそれを横に避けると、ナイフを放ってくる。
「おっと!」
オルはナイフの刃先をつまみ、眼前で受け止めると女性の方へと返し投げた。
女性はそれを手にしているナイフで弾く。と、呟いた。
「本当に悲しいことです・・・・・。その身体能力、剣技、錬金術の知識―――どれをとってもあなたは一級品であるのに・・・・・。それを我々のために使おうとしない・・・・・。まさに、『宝の持ち腐れ』ですよ」
悲しそうに目を伏せ、嘆く女性にオルは手を腰にあててこう返した。
「なぁ~に。よく言うだろ? 『能ある鷹は爪を隠す』ってな。ようは、オレのことだよ」
ニカッと笑ったオルだったが、彼の返答を聞き表情が硬くなった女性に肩をすくめた。
「・・・・そう言えば、まだアンタの名前聞いてなかったよな? なんて言うんだ? アンタ」
「・・・・・敵にそんなことを聞いてもよろしいのですか?」
女性の表情が少なからず険しくなる。が、オルはそのことはあえて気にかけず、女性の言葉の続きを黙って待った。
「それも、強者の余裕ですか?」
「まぁな」
オルが頷く。彼の返答を聞いた女性がほんの少しだけ、表情を緩めた。
「私は、アリエナ・・・・・。アリエナ・ソブアーズと言います」
「へぇ~」
女性――アリエナの方を向いてオルが首を縦に振った。
「いい名前じゃんかよ」
「・・・・・・ありがとうございます」
言おうか言うまいか迷った挙句といった感じで、アリエナはオルに頭を少し下げて敬意をあらわした。皮肉なことにも、それは命を奪わなければいけない相手であったため、少し引けを感じたが・・・・・。
「ま、ともかく、オレはデータを返すことも、ましてやメルネスにスカウトされるってことも、イヤだからな」
「そうですか・・・・」
アリエナは頷いた。別にこちらの意見がかわるなどとは、微塵も考えていなかったようだ。
だが、オルとてそんなことはわかっていたことだ。微笑み、構えなおす。アリエナも構える。そして、最初にナイフを二本放った。
オルはそれを短剣で弾く。が、切っ先にあたり弾け飛んだのは、一本のナイフだけだった。
(もう一本は?)
だが、もう一本のナイフの行方を考えている時間はなかった。
アリエナがもう二本ナイフを投げてきたのだ。
「チッ!」
オルは身を翻し、二本のナイフを避けた。が、唐突に肩に―――後ろから――衝撃を感じて、踏みとどまった。
できるだけアリエナと距離を置くようにバックステップすると、首を軽く回して肩の辺を見た。と、そこには、アリエナが放ったと考えられるナイフが刺さっていた。
ナイフの柄に手をかけ、引っこ抜く。出血はそうでもないようだが、軽い痛みを感じて顔を顰めた。
「・・・・・どうやった?」
「どうって何をです?」
アリエナがとぼける。が、オルの表情がかわらないのを見て、肩をすくめた。
「そうですね、ようは跳弾ですよ」
「跳弾?」
「ええ」
アリエナが微笑む。
「最初二本投げたでしょう? それの一本だけが、障害物に当たるように上手く投げて、時間差であなたにあたるようにしたんですよ」
「なるほどな」
首を振ると痛みが走ったが、顔には出さずにオルが頷く。アリエナがまた、二本ほどナイフを取り出す。と、投げた!
オルはそれを、頭を下げるとよける。が、また肩に先ほどよりも強い――痛みを感じてうずくまる。隙が生まれてしまう・・・・・・。
「――――終わりです」
肩を押さえて、うずくまったオルの後ろから声がした。顔を少し上げたオルが見たのは、ナイフを頭上で構えるアリエナと、光る閃光だった。
風が切れる音がした。
オルは咄嗟に目を閉じた。が、痛みはいつまでたってもこなかった。
恐る恐る目を開けると、アリエナが何故か吹っ飛び、壁に激突しているところだった。だが、自然と『何故か』の理由はわかった。それは咄嗟にだろう、飛び出したリンが振るった拳に吹き飛ばされたと言うことだった。
「オル、大丈夫?」
リンがアリエナの方に向いたまま訊いてきた。だが、オルは頷けなかった。かわりに、彼はリンを叱咤していた。
「馬鹿! なんできたんだ!」
あぶねぇだろうが!
オルの一喝にリンが身体をビクつかせたが、弾かれたように言い返してきた。
「馬鹿ってなによ! 馬鹿って!」
「馬鹿だから馬鹿っていったんだよ!」
「何よ!」
「何だよ!」
二人はいが見合うが、すぐに我にかえるようにして表情が元に戻って言った。そして、口からは自然と言葉が溢れた。
「ごめん。大丈夫?」
「あ、いや、オレの方こそゴメン。せっかく助けてくれたのに・・・・・怪我ないか?」
「うん。私は大丈夫だけど、オルは・・・・・」
リンがオルの後ろに回るようににして、傷を見た。
「大丈夫だよ・・・・・」
赤い傷口に触れようとしたリンの手を返し、オルがまるで傷を隠すように壁を背にした。
リンは、返された手で何度か、彼の傷を見ようとしては、やめてアリエナの方を向いた。彼自身が拒んでいることなのだ、今でなくとも後で診てやればいいと、考えたのかも知れなかった。
「お話は済みましたか?」
大丈夫ですか。とは、さすがに訊いてこなかった。オルが笑みを浮かべた。
「待たせたか?」
「いいえ」
と、女性が首を振る。
「お連れの方は意外と腕っ節がお強いようで・・・・・。少々、起き上がるまでに時間がかかりましたよ・・・・・」
そうは言うものの彼女は平然とした面持ちで立っており、リンに殴られ、赤く腫れた顔に微笑を浮かべていた。
オルはそんな彼女に一種、感嘆に近い笑みを返した。
「・・・・・さすがだな」
「光栄ですよ。あなたにお褒めの言葉をいただくとは・・・・・!」
アリエナが優美な動作で頭を下げたかと思った瞬間、ナイフを投げてくる。
オルはそれをバック転してよける。そして、立ち上がり様に後方へと二、三度バックステップする。いかな跳弾と言えど、ターゲットに激しく動かれては、ホーミングのしようがない。と、考えた策だった。
だが、それはある一つの欠点を生むことになってしまった・・・・・。
「放して!」
唐突に上がったリンの悲鳴にオルは身を硬くし、彼女を探した。先ほどまでは、自分の近くに居たはずだ・・・・・。どこだ!
「・・・・・動かないでくださいね」
アリエナの静かな声が脇で聞こえる・・・・に、視線をあててオルは驚愕した。
「リン!」
アリエナの腕の中にはリンがいた。首にナイフを突きつけられ、腕を後ろで捻られた姿で・・・・・。途端に、オルの中で何かが動いた。
「テェメ!!」
頭の中が真っ白になる。しかし、アリエナがリンの首元にナイフをさらに近づけたことで、色が戻ってきた。
「私とて、こんな策を取りたいわけではありません。しかし、あなたはお強い・・・・・。私の跳弾でも、ここまでが限界と言うところでしょう・・・・・。故に、人質をとらせてもらいました・・・・・」
淡々と語る彼女の口調に、つい短剣を振り上げかけた右手を、剣から形状を戻した鋼の義手の左手が強く握りとめる。
今は動けない・・・・・。動けばリンに何をされるか、わからないのだ。今は耐えろ・・・
・・・。
必死に自分を言い聞かせ、オルはアリエナの動きを見た。アリエナが一種、満足そうな顔になったが、そんなことはどうだってよかった。
「・・・・・これから言うことであなたが選べるのは二つに一つです・・・・・」
オルは黙っている。アリエナは続けた。
「盗んだデータについてのことを明かすか、ここで死ぬか・・・・どちらか選んで下さい」
アリエナが目を細め、ナイフをリンに突き立てる。リンの顔色がかわり、抵抗もしなくなっていた。
オルは顔を上げた。
「・・・・・もし、オレがどちらか選んだとして、リンはどうなる?」
目を細めたまま、アリエナが軽く笑みを浮かべた。
「私の目的はあくまであなたが持つデータの奪還と、あなたの命です・・・・。この方のことについては何もする気はありません・・・・・・」
「そうか・・・・」
オルが頷き、そして腰の鞘から長剣と手に握る短剣を、放った。『カツン!』と言う軽い金属音を、裏路地に響かせて剣が地に落ちた。と、オルが歩をアリエナとリンに向けて進んだ。
アリエナは最初、身を硬くしたが、硬くしただけでリンに切りかかりはしなかった。
オルがアリエナのナイフの間合いにまで来て足をとめる。と、口を開いた。
「・・・・・データを明かすことはできない」
アリエナが目を細める。
「では、あなたがとった選択肢は・・・・・」
「ああ・・・・・、オレを殺せよ」
アリエナの言葉にオルが頷く。が、リンは首を激しく振った。
「駄目! 駄目だよ、そんなの!」
リンはまるで、いやいやをするように首を振ると、もがいた。が、自分を押さえる女性の力は思ったよりも強くて、放れられそうにはなかった・・・・・・。
「本当にそれでいいのですか?」
「ああ」
リンを造作もない様子で押さえつけながらも、アリエナが尋ねる。オルが即刻に頷いた。
「・・・・・わかりました」
アリエナが頷く。そして、リンを突き飛ばすとオルの懐に突進し、ナイフを突きいれた。
* * *
アリエナに弾き飛ばされ尻餅をついたリンは、目の前の惨状に頭の中が真っ白になってしまっていた。
「あ・・・・、オ、オルが・・・・」
彼女の目の前でナイフを胸に生やして、オルは力なく崩れた。そして、その脇にオルを殺した張本人であるアリエナがたたずんでいる。
「・・・・・本当はこんな手立てをしたくはなかったのです・・・・」
許して下さいね。と、呟きをつけたしアリエナが、座り込むリンに向いた。そして、懐から大振りのナイフを取り出す。
「オルセルグさんには、あなたには手を出さないといいましたが、申し訳ありません・・・・。組織のことについて知るあなたは、処分しなければなりません・・・・・」
アリエナがナイフを振りかぶる。
リンは目を閉じた・・・・・が、痛みは感じなかった。
頭を咄嗟に守った腕をはなし、目を開けると、ナイフを振りかぶった状態のまま静止したアリエナと、それに突進するようなかたちで銀の剣を突き刺している、ある人物を見つけた。それは――――
「オル!」
―――だった。
何故か彼は生きていた。いや、正確に言えば傷さえも受けていなかったのかも知れない。と、言うのは、彼の腹部に刺さったナイフが落ち、(抜いたわけではない)その傷口が赤くないことからわかることだった。
「ど、どうして・・・・・!」
アリエナの顔が驚愕に歪む。その顔が、あり得ないと語っていた。
「やっぱりな・・・・・」
アリエナの問いにはさらさら答えず、オルが呟く。
「やっぱり、リンを殺すつもりだったか・・・・・・!」
「なっ・・・・・!」
短い悲鳴を上げながら、アリエナの口から血が噴出する。オルは彼女に視線をあてる。それは、ただ冷たい殺気と怒りしか映していなかった。まるで、錆びた剣のような目だった・・・
・・・・。
オルが剣を引き抜いた。アリエナが崩れる。が、オルは彼女の胸倉を掴んで立たせると、ぶん殴る。
アリエナが悲鳴をあげる暇もなく壁に激突し、そのまま動かなくなった・・・・・・。別に殺してはいない。ただ、気を失っているだけのことだ。
「オル、大丈夫?」
リンが寄ってきて気遣わしげに尋ねた。
「ん? あぁ、大丈夫さ・・・・・」
「よかったぁ・・・・・ほんと、よかった!」
リンがオルに飛びつく。が、オルより頭一つ分低い彼女である、その格好はオルの腰の辺に抱きついているだけだった。
「え? お、わ! リン!」
いきなりの行動にオルは後ずさり、リンを引き剥がそうとする。しかし、彼女の力は意外と強くて・・・・なかなか引きはがれてはくれなかった。
「わかった! わかったから!!」
オルが自分の腰を抱くリンの腕を外そうとする手に力を加える。
「大丈夫! 大丈夫だって!」
「ほんとに?」
オルの口調にリンが心配深げに見上げてくる。
「あぁ・・・・・」
彼女の視線に息が詰まりそうな、不思議な感覚を覚え、オルは彼女を剥がした。
自分を引き剥がそうとするオルに、少し抵抗をしたリンだったが、徐々に大人しくなると放れてくれた。そして、今まで気になっていた。とでも言うように、尋ねてきた。
「ねぇ、でもなんでオルは無事だったの?」
「ああ・・・・それかぁ」
アリエナに刺されたはずの腹部に手をあててリンが気遣わしげに訊く。オルが頷き、ジャケットのジッパーを下げる。
「?」
リンが不思議そうに見守るなか、オルは黒いアンダーシャツを腹部まで上げた。
「きゃわっ!」
「? どうかしたか?」
オルのいきなり行為に目に手をあててリンが後ずる。オルは、最初リンが何をしているのかと思ったが、すぐに苦笑するといった。
「別に素っ裸になろうってわけじゃねぇよ。ただ、これ見ろよ」
「え? あぁ・・・・うん」
目にあてた指先を少しだけ開いてオルの方を見るリン。オルは苦笑しながらも、先ほどアリエナに刺された腹部を指差した。
「そ、それって・・・・・・」
オルがリンに見せたのは、鍛えぬかれた腹部の肌の一部分が、灰色に鋼化した部分だった。
「ナイフが刺さる瞬間に、腹を厚さ五ミリの鉄板に変えたのさ・・・・・」
シャツを下ろし、ジャケットのジッパーを上げながらオルは言った。
「さすがに、心臓にナイフ突き立てられたんじゃ、たまったモンじゃないからなぁ」
「な、なるほど・・・・・」
目を丸くしてリンはオルを見た。
錬金術って便利だなぁ・・・・・・。
「オマエ今、なんか『便利だー』とか考えなかったか?」
「え?」
まるで心を読んだような発言にリンは戸惑った。が、誤魔化しても別に損得なんぞがあるわけではない・・・・・。と、考えリンは打ち明けた。
「うん。便利だなぁって思った」
リンが頷く。しかし、オルはリンの顔を見て表情を曇らせた。
(何か気に障ることでも言ったかな?)
リンが不安げに訊こうとした時、オルが口を開けて喋ったため、リンは口を閉じた。
「・・・・便利っぽく見えるけど、実はそうでもないんだよなぁ」
「そ、そうなの?」
「ああ・・・・・・」
何故かと訊こうとしたが、オルが口を閉ざしたのでリンは聞けなかった。そして、彼は話題をかえるように踵をかえすと、うずくまるアリエナの方へと歩いていった。リンはそれを何となくみていたが、オルが両手の平を合わせたことで、彼の方へと走った。
そう、あの格好はいつもオルが錬金術を使うときに、意識を集中させるためにする、一種の癖なのだ。つまり、彼は錬金術を使おうとしていると言うことだった。
案の定、彼の左手に白銀の剣が再び姿をあらわす。そして、オルはそれをアリエナに振りかぶった。
「だめ!」
リンはオルの腕を掴んだ。オルの顔に驚愕が浮かぶのが見て取れた。
「・・・・・なんでだよ」
オルが露骨な表情になりながら、リンに訊いた。
「だめ! 殺しちゃ、だめ!」
リンは激しく首を振り、オルの腕を下ろさせようとする。だが、オルはあくまで、剣は下げずにリンの方を向いた。
「・・・・・コイツはオマエを危険な目にあわせたんだぞ?」
「それでも駄目!!」
(ったく・・・・・・)
オルは胸中で舌打ちした。
いつもこうだ。自分が人を殺めようとすると、必ず止めに入ってくる・・・・・。オルにはリンの意図が毎回のごとく、わからなかった・・・・・・。
奴らはオレ達を殺そうとしたんだ。だったら、オレ達も殺したって構わないだろ?
――――そんな疑惑がいつも心の中でとぐろを巻くから・・・・・・。
(しかたねぇ・・・・・・)
オルは腕を下ろした。
いつものことなのだ、これは。だったら、いつものごとく、リンは決して自分の腕を放すはずはない・・・・・・。そして、標的の前から退くはずも、ない。
「・・・・・わかったよ」
一言呟き、オルは白銀の剣を義手に戻した。リンの顔に嬉々が浮かぶ。
「わぁ、ありがと。オル!」
「別に・・・・・」
オルはそっぽを向き、アリエナの腕に手をかけた。彼の行動に一瞬リンが身構えたが、オルがアリエナを抱えただけだとわかると、拳をゆるめた。
オルが振り向く。
「ただし、サツには連れてくぞ?」
もう襲われたくはないからな。と、付けたしオルが歩き出す。リンも彼の後を慌てて追った。
「―――――なぁ、リン」
「? なぁに?」
先ほど捨て置いた双剣を拾い、足で蹴って宙で受け止め、鞘に入れながらオルがリンに問うた。
「オマエとパートナーになって、三ヶ月たつたけど・・・・」
「うん・・・・・」
リンが無邪気な様子でオルを見上げながら頷く。それ、次に何を言いだそうとしているのか疑問に思っている様子だった。
「・・・・・別れてもいいんだぜ?」
「え?」
プレゼントを貰う前の子供のようなリンの目の色が、急激に色を失った。何を言われたのかわからないとでもいうような・・・・・、そんな目だった。
「いや、オレといると色々と今日みたいにめんどうなことに巻き込まれると、思って・・・・。だからさ、オレから離れた方がいいと思うんだ・・・・・」
少しうつむきがちになったリンに向いてオルが言い切った。リンは少しの間、下を向いていたのだが、すぐに顔を上げるとオルに向いた。
「そんなことないよ・・・・・」
「え?」
小さい声だったため、オルは何を言われたかわからなかったのだろう、聞き返した。リンがオルと視線を合わせる。
「そんなことないって言ったのよ!」
唐突に響いたリンの大声でか、それとも言われたことに対してか、オルは目を見開きわずかに後退した。
予想していなかった。と言うのが、今の彼の心情としては一番近いかも知れない。
彼自身、リンはてっきり『そうだね』って言って、自分の傍から離れて行くものだとばかり考えていた。その方がいいと、彼も望んでいた。が、そんなことはさらさらなく、リンはただ言った。
『そんなことないよ』と・・・・・・。
嬉しい。と言えばそうかも知れないが、何処となく気恥ずかしい気持にもなり、オルはそっぽを向いた。
彼女に言いたいことは山ほどあった。
本当にいいのか。とか、どうして。とか・・・・・・。色々、訊いてやりたいことはあった。でも、オルはあえて訊かなかった。いや、訊けなかったのかも知れなかったが、そんなことはどうだってよかった・・・・・・。そして、かわりにでたのは、いつものごとくの一言だった。
「あっそ・・・・・・」
呟いただけのつもりだったが、リンは聞こえたのだろう、いつものごとく返してくれた。
「うん。そうだよ」
オルはいつのまにか自分が微笑んでいることに気が付いた。そして、同時に、フルコース十人前完食達成を逃したことにも気がついたのだった。




