第二話 覚醒か、それとも居直りか
クリスマス戦線でデパート店員が走り回る十二月、第二火曜日の三年二組の教室は、朝から魔法少女の話題でもちきりだった。
「おはよ……」
朔夜は心持ちひっそり自席につく。前の席の亮子はまだ来ていないようだ。ほっと息を吐いて、朔夜は鞄から教科書を出していく。周囲は昨夜の戦闘の話を話している。これが受験生の冬の朝なのだろうか。呑気すぎないか。儀式の当事者である朔夜としては甚だ疑問であり、自分の受験が心配でたまらない。本音を言えば、兄の皮を被った変態の噂話を聞きたくない。
「……おはよ」
隣の机に潰れた鞄が置かれた。嘉郎が、どこか不貞腐れた顔でいる。
「おはよう。どしたの? なんかあった?」
「何でだよ」
「機嫌良くなさそうだから」
あからさまに嘉郎の眉間に皺が寄る。
「……最後の模試も近いってのに、朝からくだらねえ話ばかりだからな」
「……みんな、受験、心配じゃないのかな」
朔夜も自分の眉間に皺が寄るのを感じた。魔法少女がらみの色々で時間をとられ、朔夜は自分が焦っているのを自覚している。
「私、毎晩お兄ちゃんに質問してる。まだわからないところがいくつもあるよ……」
話していて凹んできた。
「俺も希里姉さんに教わってる」
嘉郎の言葉に、朔夜はいつの間にか俯いていた顔を上げた。
「希里ちゃん、来てるの? 会いたい」
「……俺のあまりの成績に、カテキョーにな」
目を逸らして嘉郎が言う。
「ごめん」
「んにゃ。成績よくねえ俺が悪い。俺の模試の結果が良かったら遊びに来いよ」
「私の結果も良ければね……」
二人で並んで俯いてしまう。希里は隣町に住む嘉郎の従姉で、一哉と同じ大学の一年生だ。一哉と年が近いこともあり、嘉郎の家に来たときはよく遊んでいた。遊んでもらっていた、ともいう。
一哉も希里も、一度も塾に通わず大学まで進学した。後に続く者は少々、辛い。嘉郎には三歳の双子の弟達がいる。自分以上のプレッシャーだろうな、と朔夜は思う。親がそんなことを欠片も思っていなくても、下の兄弟のために、と勝手に考えてしまうのだ。
「そういえば、加藤が昨日の儀式の写メをケータイに送ってきたな」
話題をかえて、わざとらしい声で嘉郎が携帯遠話器を取り出した。この小さな魔法具を見るたびに亨は、昔はこんなのなかったのに、と独り言を呟く。今では離れた人との会話以外にも、写真も映像も撮れるしメールも送れるしと盛り沢山だ。
「……昨日はどこだったの?」
知ってるけどね、そこにいたけどね。そう思いながらも朔夜は話題転換に乗っかる。
「新宿、らしい……あいつ、勉強してんのか?」
そう言いながら、嘉郎が写メを見せてくれる。
『絶対領域』
そう書かれたメールには、真っ黒で巨大な蛇の頭を殴り倒すゴスロリの後ろ姿があった。筋肉質な太股は露になっているが、スカートぎりぎりでレース縁取りボクサーパンツが隠れている。
「……亮子からもメールあったな、そういえば」
言葉にできず、朔夜は話題転換を試みて、通学中に届いたメールを確認する。
写メだった。
『おねーちゃんが撮ったの。かっこいいね!』
係長の足に踏まれて喜んでいるゴスロリの姿がそこにあった。
『あ、あと遅刻しそう!』
こんなメール送る暇あったら急げよ。
「加藤も宮島も、成績いいんだよな……」
メールを覗きこむ嘉郎が嫌そうな声で呟く。
理不尽だ。
結局、二人で落ち込んでいると、黒板の上にあるスピーカーに魔方陣が浮かび上がるのが見えた。
キーン……コーン……カーン……コーン……
チャイムと同時に担任の間辺が前の扉から入ってきた。その後ろから亮子が身を縮めてこそこそと入ってくる。
「ホームルーム始めるぞー、席につけ。宮島、遅刻寸前だぞ」
「はぁい」
注意を軽く受け流し、亮子は朔夜にひらひら手を振って席についた。セミロングの髪を一つに結っているが、結ったところから四方八方に散らかっている。寝坊だな。言いたいことはあるが後で編み込みしてやろうと朔夜は思う。
「おはよう。昨日も魔法少女の戦闘があったが、お前達は気にせず勉強しろよー。でもニュースはまめにチェックしておけよ」
意図はわかるが矛盾をはらむことを言いながら、間辺が最前列に座る生徒達にプリントを配っていく。生徒達は自分の分を取って、後ろの席に渡していく。亮子から最後の一枚を受けとるとき、朔夜は、後で編み込みしようか、と囁いた。亮子は笑って、お願い、と言って前を向く。
「模試の注意事項なー。魔法科に進学する奴も真面目に受けろよ。魔法以外の成績も影響するからな」
間辺の適当に軽い言葉に、何人かの生徒がはーいと応じる。日本では、魔法の素質があっても余程のことがない限りは義務教育を終えてから専門校に進む。
魔力は単にエネルギーであり、近代の魔法革命から始まった魔法回路や魔法具の開発と発展により、多くの人々が利用できるようになっただけだ。作られた道具もなしに魔法を発動できる人は、近代以前と変わらず、それほど多くはない。
昔は集落に一人はいた医者代わりの呪術師や巫、占い師、国の中枢にいた陰陽師や法力のある坊主がそれに該当する。それらと同じ素質が見込まれる子供は、魔法専門機関に進学することを奨励されていた。魔力枯渇地域や集中地域での特殊な仕事、魔法学の教師など、食いっぱぐれのなさそうな進路である。能力が低くても魔法具製作の企業や、色々な意味で器用なことを求められる役所などに就職しやすい、という噂もあり、魔法学の実技で成績のよい生徒は、その方面へ進学することが殆どだ。
そんな彼らを眺めて、朔夜は理不尽だと思う。特殊な魔法具が使える能力があるからこんな生活になっているのに、自分には今のところ通常の魔法で才能がある見込みはなかった。成績は可もなく不可もなく。極めて平均である。
私に流れるご先祖様の血は、どうしてこう応用がきかないかなあ。
昨日までの一週間に得た自分の家にまつわる知識と、変態であったことが露見した兄を思い出し、朔夜は小さく唸った。
ご先祖様、あなたの子孫は私利私欲で魔法少女をやっています。
初めての儀式のあと、兄の変態性に狼狽える朔夜は、母と叔母に宥められつつ改めてこの家のことを教わった。
停滞魔力をを具現化したものは、昔は鬼やあやかしと呼ばれるような類いのモノだったらしい(闇幹部と同じ能力を持った人が無意識に具現化してしまっていたのではないか、とは千世談)。
和ノ内はそれらを祓う陰陽師だったが、見事に無名で、それもあって権力者に利用されつつ陰で働いていたらしいこと。
江戸時代になると争いもなくなったためか、幕府が停滞魔力から発生する怪異を自発的に祓うため、和ノ内家を含む『祓う』特殊能力者を『巫女』、部長のような怪異を『作り出す』特殊能力者を『黒鬼』と呼んで管理し、定期的に怪異を祓って魔力のバランスを整える儀式を行うようになった。それが明治以降も呼称を変え見た目を変えて続いている。
彼ら特殊能力者は、本来は魔法具を使用する必要はなかった。
しかし、幕府お抱えとなったときから、血を受け継ぐ者であれば、手にすれば魔法を発動できるような魔法具を使用するようになった。確実に魔法を発動するため、そして、必要なとき以外に魔法を発動されないようにする、という管理側の思惑であった。
それぞれの家が使用する魔法具はある神社にて徹底管理されている。その神社が日本全土の停滞魔力の監視を行い、停滞魔力の影響が無視できないくらいになると、そのエリアの担当者達が『儀式』を行う。
魔法革命以前は、停滞魔力は大都市でもそう頻繁に発生するものではなかったらしい。日本では開国し、近代化とともに停滞魔力の問題が重大な懸念事項となった。しかしもともと幕府に『巫女』と『黒鬼』がいたため、対応は迅速だったそうだ。むしろ、西欧諸国が日本のシステムを採用し、これまで町レベルで魔女や教会が行ってきた停滞魔力調律を、国が管理するようになったらしい。
家庭の事情も、知らないことが多かった。
亨は、実は魔法省に勤める国家公務員だということ(ただし守秘義務あり)。
和ノ内は沙世が継いでいること。和ノ内から離れた血族はやがて能力を失い、そこで魔法省の管理下から外れること。
沙世は体が弱いわけではなく、保有魔力が高すぎて体内のバランスが崩れやすく(魔法少女任務の影響があったらしい)、定期的に調整が必要だということ。
「話しておいてくれてもいいじゃない」
朔夜はふて腐れて抗議した。尚哉も隣で大きく頷く。
「こればかりは話せるのが儀式のときと決まっています」
沙世は首を横にふる。
「先祖から引き渡される義務と責任、この能力が全く良いものではない、ということを理解できる年齢でないと話せないわ。あと、お父さんの職業は家族でもおいそれとは話せないの。この儀式に関わる部署だから」
真剣な顔で沙世は話す。
「この能力は、不便で危険なの。魔法少女と闇幹部の魔法を悪用したら、停滞魔力が武器になってしまう。だから国で管理する。だけど国だけでも何もできないし、私達だけでも何もできない。学校で教わったでしょう? 停滞魔力の爆発で町が消えて、魔力枯渇地域になってしまった話。この魔法の解析だってしていいものかどうか、お母さん個人としては疑問だわ……解析はどの国でも全くできていないようだけど」
考えたこともない難しい話に、朔夜と尚哉は黙りこむ。
この世界の殆どの生き物は、多かれ少なかれ魔力エネルギーを利用して生きているけれど、人類で魔法を思うがままに使用できる、古くは魔法使いや魔女と呼ばれるような存在は極少数だ。
人類は研究の結果である、魔法回路を描いた魔方陣や魔法具、魔力を貯められる魔石を利用して魔法を発動する。空を鉄の塊で飛び、地を鉄の塊が走る。遠いところで記録された風景を魔力波により送られ、映像として見られる。遠いところの人と話ができる。
その魔法具の魔法回路を理解していなくとも、その恩恵を受けられる。
しかし、自分が特別なのだと知ったら、どうだろう。
今、朔夜は受験生で、勉強と将来への不安とそこはかとない期待でいっぱいになっている。そのうえ、心の中でこっそり尊敬している兄の変態性を目の当たりにした衝撃で、正直なところ自分の中にある受験の役に立たない特殊能力など、どうでもよかった。
だが、この状況でなかったとしたらどうだろう。
想像でしかないが、朔夜は、おそらく、自分でもよく分からない使命感や、自己顕示欲や、そういった感情で、きっと何かを間違えるだろう。何を間違えるのか、具体的には分からないが、きっとそうだ。
もしかしたら、そのときでも、一哉の真の姿に衝撃を受けて何も間違えずにすむかもしれないが。
「うん、お母さん、なんとなく分かったよ」
朔夜は沙世をまっすぐに見る。視界の端で尚哉も神妙な顔をしている。
「あなた達がしっかりとした子になっていてくれて、お母さん嬉しい」
沙世が何の曇りもなく微笑んだ。
……母よ。
あの兄はあれでいいのか。
斜め前でさも自分もそうだというように頷いているがゴスロリの、あの上の息子はあれでいいのか。
朔夜はそう言いたいが、ぐっと堪える。
儀式は毎週月曜に行われるようになったらしい。
当事者の誰かの都合が悪ければ変更されるが、定期的に行うことがよいそうだ。人々の心構えも、当事者の心構えも。
一哉も月曜というのは都合が良かったようだ。
「ゼミが木曜だからな」
シンプルな格好をした、前後左右どこから見ても健全な今時の大学生である一哉は、尚哉にヘッドロックをかけつつ朔夜の数学の質問に答えるという器用なことをやりつつ、そう感想を述べた。
「金曜は飲み会があることも多いし。この計算、違うぞ」
「えっ、あ、うう……教授のバイトは大丈夫なの?」
「受験生の妹の勉強を見るからという理由で、講義のない時間に片付けている。事実だしな」
「兄ちゃん、彼女とデートは、痛っ、痛いっ、兄ちゃん痛いっ」
「お前もこの歳になれば分かるぞ……己の全てを受け入れてくれる人間はなかなかいないということに」
「それは兄ちゃんが変態だから彼女ができな、痛っ、ギブ! 兄ちゃんギブ!」
「一緒にふりふりひらひらの服を着てくれて蔑みの眼差しで俺を冷たく見つめてくれるだけでいいのに」
「ハードル高いよ!」
「一応説明しておくが、女の子の好みはそれくらいしかないからな。好みと性癖はベツモノだからな」
「わけわからないよ!」
「お前も大人になればわかる。己が何にときめき、何に悦び、何に勃つのか……それを知ったときが、大人の階段の第一歩だ。あ、そこ間違ってる」
「……小学生の弟に性癖語るの止めてもらえませんかね」
受験生で思春期ど真ん中の妹の前でもな。
朔夜は大きく溜め息を吐いた。
儀式は、新宿五丁目の交差点だった。
転送されて、ビルに囲まれた交差点であることに気づいて朔夜は戸惑う。交通規制されている道路の両側には、月曜とはいえ人がかなり集まっていた。携帯遠話器の写影レンズをこちらに向けている人も大勢いる。
「お兄ちゃん」
にゃあ、と猫の高い声が喉から出た。不躾な視線に怯え、朔夜は一哉の脚をつつく。一哉が下を向き、屈む。
「どうした」
「……そのヤンキー座りはやめて。中身が丸見え」
レース縁取りボクサーパンツが丸見えだ。いやんえっちぃ、と一哉が笑って膝を抱える。
「今日は、都心だね」
「そうだな。たぶん、俺の力がこれくらいイケルと踏んだんだろう」
「どういうこと?」
「前回ので、これくらいの魔力量の塊を倒せそうかなって思われたのさ。人も建物も多いだろ? 停滞魔力が多いよ」
顔は見えないが、一哉の声はいつも通りの穏やかさで、朔夜はなんとなくほっとする。
「あと、これだけ見られてるとぞくぞくするよな……普段の俺を知らない人々がゴスロリミニスカニーハイの俺を見てざわめいているが」
「止めてそれ以上興味ないから」
語りを遮られて不満そうな一哉を無視して、朔夜は前を向く。
「係長達、来たよ」
二十メートルほど前のアスファルトに魔方陣が展開する。陣上に半透明に翠に薄く光る結界が発生し、この場に存在するものをゆっくりと斥けて空間を切り取る。その内部に部長と係長が現れると光は霧散した。
「……今夜も、よろしく」
係長は相変わらずの狐面だった。足下の部長が低く鼻で鳴く。
「よろしく」
一哉が立ち上がり、応える。足下で見上げる朔夜には、ベールの中で微笑む口元が見えた。とん、とん、と一哉が足を鳴らす。
それが、合図になった。
係長が胸の谷間から取り出した呪符を空中に放り投げた。ネオンの灯りを閃かせて呪符は一哉と部長の中央の空間に留まり、即座に魔方陣が展開する。部長と朔夜が同時に結界を展開した。周囲がざわめく。
結界がネオンの灯りを乱反射して、ぼんやりと明るい。
その中央で、黒い塊が蠢きはじめる。
「……さあ、倒してみせて?」
姿を現した魔力の向こうから、係長の低い甘い声が聞こえた。
魔力は、黒の八ツ首の蛇の姿となった。
八岐大蛇もかくや、といった姿だった。
「期待されてんなー」
頭上から届く一哉の声に、朔夜はいつのまにか止めていた息を吐く。呑気な、いつもの声。
八ツ首の黒蛇は小型のダンプカーくらいの大きさだ。一つの首は朔夜(人型)の胴回りほどの太さがあり、各々が一哉を睨み蠢いている。大きな口が八つ、こちらを向いている。鋭い牙から、粘性の液体が滴る。それが地面に落ちると、しゅう、と黒い煙になった。
お金をもらっているけど、なんていうか使命とかそういったものなんだろうけど、だから我慢するけど、でも。
でも、これは怖い。
怖いものだ。
朔夜は、一哉を見上げる。視界の隅にある魔法の一覧の検索を始める。せめて、もう少し防御を。
一哉が朔夜を見下ろした。
「大丈夫だ」
そう言って、笑う気配。
「あれならいける。待ってろ。でも何かいけてるっぽい魔法があったら使ってみろよ」
うん。
猫の声で朔夜が応えると、一哉が、よし、と頷いた。
一哉がゆっくりと八ツ首の黒蛇に近づく。朔夜は一覧を斜め読みで検索する。急げ、急げ……。
そ、速度上昇があった!
アンクレットを尻尾で一撫でし、朔夜は呪文を詠唱する。
省略形を選択したが、魔法回路が一哉の足元から脚を包み込む形で展開する。
筋力倍増。防御増強。朔夜は目についた呪文を次々と唱える。一哉の行使する魔法は、正直なところ物理的攻撃に魔力を乗せたものだ。一哉の身体的能力を補強する(ようにみえる)魔法を選択する。
「サンクス。こんなもんでいけそうよ? 俺」
振り向かず、一哉がひらひら手を降った。
「掛け声どーしよっかな……」
朔夜からするとどうでもよい悩み事を呟き、一哉が八ツ首の前に立つ。それぞれの蛇頭が一哉を睨み、うねる。
「……うしっ」
一哉が右手の拳を左の掌に合わせた。ばちん、と火花が散る音がした。
「思い付かん」
右の拳が帯電しているのか、淡い紫色の雷を纏っている。右足の爪先をとん、とアスファルトで鳴らすと、右足も同じように雷を纏う。辺りが紫色に照らされる。
突如、八ツ首の一頭が一哉に噛みつこうと口を開けて迫った。黒い首が伸びる。
「ひとつ! 秘密の悪行三昧!」
真っ正面から一哉が殴り倒した。弾き飛ばされ、そのまま空中に溶けるように消える。
「ふたぁつ! 麓でバーベキュー!」
続けて低い位置から飛び込んできた頭を踏み抜く。
「みっつ! 耳から耳血が吹き出し!」
怖いよ、それ。
訳がわからないことになってきた掛け声で三頭目を蹴り飛ばした一哉を眺め、朔夜は届かないとわかっていてもツッコミせずにはいられない。
「よっつ! 夜なべで母さん手袋編んだ!」
四頭目を手刀で叩き斬ったところで、残りの頭が一斉に一哉に襲いかかってくる。一哉を囲むように覆うように首を伸ばして絡みつこうとする。二頭がそれぞれ上半身、下半身に絡みつき、締め上げる。
「ぐ……っ」
お兄ちゃん!
一哉の呻き声に、朔夜は声を出す。
「公開緊縛プレイか……やばいな」
嬉しそうに笑うなあ!
朔夜の心の叫びは届かない。
「ちょっと勃っちゃうよねこれ」
たたせるなあ! ていうか呟くな呟きだけど係長達には聞こえてるわ!
音声的にはにゃあにゃあ鳴きながら、朔夜はちらりと係長達に目を向ける。
係長はわからないが、部長は気の毒そうな申し訳なさそうな微妙な顔で朔夜を見ていた。犬の顔なのに伝わるほどに。
うわあ、消えたい。
内心の葛藤で動かなくなった朔夜を気にせず、一哉が、
「もったいないけど、まあ、やりますか」
と呟いた。
絡みついていない二頭が唾液を滴らせてゆっくりと一哉に迫る。絡みつく二頭も首を伸ばし、大きな口を開けた。
「いつつ!」
気合いのように一哉が叫ぶ。全身が淡い紫色の雷を帯びた。
「いつまで待てば彼女ができるんだ!」
上半身に絡みついていた蛇の体が弾け飛んだ。
紫の光に照らされた一哉は、自由になった腕で引きかけた頭を捕らえて抑え込む。
「むっつ!」
一哉がその口に拳を突っ込む。
「無理難題だとでもいうのか!」
破裂音とともに雷が迸り、蛇頭が内側から破壊される。一哉の体が自由になった。
「ななぁつ!」
一瞬、体を沈めた一哉が勢いよく蛇の頭の下に潜り込む。
「なにゆえ彼女ができないんだ!」
体を伸ばす勢いを乗せた拳が蛇の顎を撃ち抜く。
「やぁっつ!」
振り向きざまに最後の頭に裏拳を入れて、一哉が吼える。
「厄にまみれて爆発しろリア充!」
雷が蛇の体表を迸り、大きく光る。黒い長い蛇が動きを止めて、そして砕けた。
靄のように崩れて漂い消える。
その中央で、レースをひらめかせ、淡く輝き、一哉が立っていた。
「……十までないと落ち着き悪いな」
あと二個も口にされたくありません。
駆け寄って、朔夜はブーツに猫パンチを繰り出した。
だから彼女ができないんだよ。
「お疲れ様……苦戦するかと思ったけど、簡単に倒すわね」
係長が声をかけてきた。言葉とはうらはらに、ほっとした声だ。朔夜は係長を見る。仮面で表情はわからないが、心配していたのだと、朔夜は理解する。それはそうだろう。魔法少女の力量をはかり、倒せると信じて魔獣としたあとは、彼らは任せるしかないのだ。
「次はもう少し強くても大丈夫そうね」
「ああ、問題ない」
係長の問いに、一哉が頷く。
「早く、終わらせよう」
「……そうね」
係長は低い声で同意を示した。朔夜も猫の鳴き声で必死に同意を示す。こんな恥ずかしいことはさっさと終わらせるに限る。にゃあにゃあ騒いでいると、視線を感じて朔夜は顔を向けた。係長と目があった、と思ったら顔を背けられた。
地味にショック。
どうせ仮面なんだから目があったかどうかもわからないのに、背けられたよ。朔夜は八つ当たり気味に一哉に猫パンチを繰り出す。
「わかった、わかった。もう帰るから」
一哉が面倒くさそうに手をひらひらさせた。違う。大きくは外してないが違うぞ。
「あ、ちょっといいか?」
一哉がふと思い出したように係長に声をかける。
「何だ?」
躊躇いもなく近づく一哉に、少し引けた様子で係長が応える。一哉は無言で係長の前に、手を伸ばせば届く距離まで寄った。
朔夜からは背中しか見えない。何となく不安になって、朔夜はにゃあと呼ぼうとした。
したのだ。遅かったが。
「いやな、ちょっと」
係長の問いに答えることなく、一哉は両手で係長の腰を掴んだ。
がしっと。
掴む音の幻聴が聞こえるほどに。
「あ、やっぱり」
「何しやがるんだこの野郎……っ」
「わんっ!」
自分一人で勝手に納得したように一哉が呟くのと、係長が一哉を殴るのと、部長が一哉の腹にタックルするのが、同時に行われていた。
朔夜は呆気にとられる役割だった。
目の前で、殴られてバランスを崩したところに大型犬のタックルを受けて見事にうつ伏せている一哉がいた。
しかも、係長に踏まれた。
「何がやっぱりなのか知らねえが、誰かに何か言ってみろ……」
低く押し殺した声で係長が一哉に話している。部長は怒ったように一哉の背中を前足で叩いていた。たしたし、と擬音が見えるようだ。
なんか悦んでそうだなあ……。朔夜は腰をおろした。
関係者と思われたくはなかった。
更新は常に未定です。
ただ、この文字数まで書くとスマホでのコピペが面倒なのでもっと短くしようと決意しました。