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ログ・ホライズン二次短編集

錬鉄少女の夜明け前

作者: 津軽あまに

本作は本編書籍六巻のネタバレを含んでおります。ご覧になる前には、可能な限りそちらを先に読んでいただけますようお願いいたします。

 

 

 アキバの街。

 生産ギルド街の奥にある廃ビルの一角。通称〈変人窟〉。風変わりな趣味人たちのギルドが集うその建物の地下フロアに、彼女は佇んでいた。

 その名は多々良。

 ドワーフの〈武士〉にして、このアキバでも数えるほどしかいない〈刀匠〉のサブクラスを保有する〈冒険者〉だった。

 彼女の手には、一振りの刀。

 工房の作業台の上に恭しくそれを置くと、彼女は両の手で撫でるようにその鞘に触れた。

 普段、店頭に立つ彼女を知る者が見れば驚くほどの繊細な手つき。

 気だるくカウンターに突っ伏して誰とも目を合わせようとしない無口で無愛想な多々良という女性の、これがもう一つの顔であった。

 鉄節竹の目釘を外す。

 まるで解けるように、柄、(はばき)、鍔、切羽、(なかご) がむき出しになった刀身と、各種の部品が作業台に展開された。

 茎に刻まれた銘は〈喰鉄虫〉。

 鉄を喰らう鉄。同族殺しの名を刻まれた刀。

〈鳴刀・喰鉄虫(はがねむし)〉。

 彼女のギルド〈アメノマ〉が扱う商品の中でも最高峰の性能を誇る逸品だった。


「……ごめんね」


 茎にヤスリを当て、多々良は誰に言うとでもなく呟いた。

 この工房は、無数の預かり物の刀を保管する倉庫も兼ねている。

 エリア設定により、彼女以外の人間は入れないようになっている。

 故に、それは完璧な独り言であるはずだった。

 だが。


「〈喰鉄虫〉を磨上げるか。そやつの気性が荒いのは知っておろう? タラよ」

「……タラって言うな」

「なんとぞんざいな口のきき方か。妾を誰と思っておる。かつて幾多の朝敵魔物を退治し、当世随一の英雄の寵愛を受けること数知れず、今代においては無双の武士団〈西風〉の当主最愛の(つがい)じゃぞ!」

「それ二十三度目」

「むう。可愛げのない反応じゃのう」


 背後からかけられた声に、多々良は驚くでもなく言葉を返した。

 声の主はその気の無い返事に気を悪くした様子もなく、多々良の向かいへと回りこむ。

 小柄な少女だった。

 白の水干には、鳥の羽根を思わせる意匠。髪は白みがかった銀だが、その艶は老いを連想させない。

 その腰には刀の鞘だけが下げられ、にもかかわらず手には刀が存在しなかった。

 多々良に輪をかけて、浮世離れをした少女であった。


「して。そのような手間をかけるとなれば、その殺刃鬼にも買い手が決まったということかえ?」

「……違う」

「ほう、それは異な。なれば、遣い手も決まらぬ刀に不要に傷を入れるのかえ? 御主が? これは明日は矢でも降るのではないか」


 からかうような少女の声に、多々良はかぶりを振った。

 眼前の白の少女は、ここ数日の多々良の様子を全て見知っている。

 その上で、敢えて問うているのだ。彼女の本質が厄介な愉快犯であることを、ここ数ヶ月の付き合いで多々良はすっかり把握していた。


「……この子の遣い手は、決まってる。売るんじゃない。私が、渡す」

「なれば問おう。タラよ。対価は誰にも平等に。いらぬ争いを生まぬよう、透明に、供贄のように冷淡に。それが貴様の処世術ではなかったかえ?」


 揶揄の口調はそのままに、白の少女は真っ直ぐに多々良を見つめた。

 反射的に〈黒水晶のゴーグル〉を下げかけ、腹に力を込めてそれを押しとどめる。

 少女の言葉はあまりにも正しい。

 まるでNPCのように冷淡な商売。

 それは、ここ数年貫いてきた、多々良の方針であったからだ。

 多々良は〈エルダー・テイル〉がゲームであった頃の一時、アキバにおいて唯一の〈刀匠〉を極めたプレイヤーだった。

 彼女の生み出すことのできる高レベルの製作級刀(しょうひん)は、そのあまりの性能と、商売に頓着のなかった彼女の値段設定により、一時この街の流通に大混乱を引き起こした。

 多くのプレイヤーがその刀を求め、ときに暴力で、ときに情に訴えて、その入手優先順位を奪い合った。

 多々良はただ、刀が好きなだけだった。

 彼女の祖父は居合を修めた武人であり、彼の薫陶を受けた彼女も、その美しさに憧れたのだ。

 刀がただ美しかったから憧れたのではない。

 刀の魅力が人にそれを手にさせ、人が刀を凛と振るう。

 そんな相互の在り方が美しいと思った。

 そして、仮想の世界でくらいそんな武具を作るものでありたいと。そう願って、多々良は〈刀匠〉の道を邁進した。

 商売には興味がなかった。

 ただ、同じように刀を愛してくれる人に、自分の生み出したものを手にしてほしかっただけ。

 けれど、そんな気持ちは、データ的な有利を求める風潮によって、折れて歪んで汚された。

 彼女のギルド〈アメノマ〉は混乱から逃げるようにして大幅に活動を縮小し、多くの非難を受けながらも、ほとぼりが冷めるまで貝のように口を閉ざして嵐をやり過ごした。

 それからの彼女は、まるで鉄のように固く、淡々とした商売のみを行うようになったのだ。

 少なくとも。

 二ヶ月前にこの店を訪れるようになった、とある黒の少女と出会うまでは。

 多々良は一つ、大きく息を吐き出して白の少女を見つめ返した。

 もしも相手が〈冒険者〉であったとしたら、こうもいかなかっただろう。いや、〈大地人〉であっても、無理であったかもしれない。ただ、この白の少女に対してならば、多々良は勇気を振り絞って言葉を返すことができた。


「……私の信念は、折れて歪んだけど」


 多々良は〈喰鉄虫〉にヤスリを入れる。

 響く音に悲鳴を連想して、手が鈍った。だが、強く、指になおも強く力を込める。


「それでも、まだ折れても歪んでもいない、あの子に手を貸さない理由には、ならない。それに、今の事件の原因の一つは、私が売った刀。なら、その責任くらいは、とらないと」

「安い詭弁だな、タラや。少なくとも〈喰鉄虫〉はそんなことでは納得すまい。訳を聴かせよ。そやつの身を削るに足る理由をな」


 白の少女の言葉通り、茎はぎちりとヤスリを噛み締め、ぴくりとも動きはしなかった。

 鉄を喰らうという刀身の魔力がそうさせるのか、それとも己の迷いが手を止めているのか。

 だが、この理由をどのように口にすればよいのだろう。

 気恥ずかしくて、青臭くて、舌に乗せるにも苦い、身勝手な理由だ。

 そんな逡巡を見透かしたように、白の少女はつまらなそうに言葉を付け加える。


「妾は貴様の足らぬ言葉には期待しておらぬ。存分にその手で語れ。匠と妾らの関係とはそのようなものであろうが」


 そうだ。

 何を気負うことがあるのだろう。

 自分は〈刀匠〉。刀に想いを伝えるのに、この技術以外の何があっただろうか。

 〈喰鉄丸〉の銘を指でなぞる。

 自分は、この店に通い、おまえを眺めるとある少女が気になって仕方なかったのだと。


 最初は、ただの客でしかなかった。

 無口で無愛想な姿に、一方的な共感を覚えていたけれど、それ以上でも、それ以下でもなかった。

 だがいつか、その表情に、心が揺れた。

 自分の無力に懊悩し、報われぬ努力に逡巡し、それでも尽力を絶やさぬ姿。

 いつかの自分に似たその姿を、目で追うようになっていた。

 好意ではない。ただ、願いだった。

 自分のようになりませんように。

 邪悪な呪いや世の悲惨に、押しつぶされてしまいませんようにと。

 そんなお節介な気持ちだった。

 彼女の表情は日に日に暗く、重くなり。

 祈りが無為に終わるかと思った、とある日。

 黒の少女は、化けた。


 街で見かけた彼女は、多くの少女たちの中にいた。

 頭を下げ、真摯に語り合い、教えを請うていた。

 多々良に一声かけることすら躊躇っていた彼女が、だ。

 光を見た気がした。

 自分が想いを寄せる〈武士〉の少年が天高く煌々と輝く中天の太陽なら、あの日以降の黒の少女は手探りの闇を照らさんと足掻く紅昏(かわたれ)だ。

 今は地面をのたうとうとも、数刻先には天へ舞うと確信できる、可能性の輝きだ。

 それは同時に、多々良にとって、希望でもあった。

 自分とよく似た少女が、自らが掴めなかった選択肢を手にする、そんな幸せな可能性。

 それを妬むのと同時に、それ以上に喜ぶ自分に気づき、多々良は悟ったのだ。

 自分は彼女の、友になりたかったのだと。

 不器用な克己を。自らの能力に対する卑下とも言える過小評価を。病的とも言える繊細さを。気に食わぬこと、気の合わぬところ含めて、総じて好ましいと感じていたのだと。

 彼女の力になりたいと。

 彼女とともに悩みたいと。

 そして、今の試練を乗り越えた彼女とともになら、自分が長く落ち込んできた夜のその先を、わかちあえるかもしれないと思ったのだ。


 ヤスリが動き出す。茎を少しずつ、削り取っていく。

 〈喰鉄虫〉の赦しを得て、多々良はその刀身を作り変えていく。

 多々良が始めたのは磨上と呼ばれる加工だ。

 長い刀身を、遣い手の身長や流派に合わせて短くする行為である。

 単に削って短くすればよいというものではない。

 刀身とは本来、その長さ、厚み重心、全てが完成された比率で構成されたものである。

 刀身の厚みは均一ではなく、故に磨上には長さだけでなく、その機能を損なわせぬための繊細な厚みの調整までもが必要となる。

 それは刀を生みなおし、鍛え打ち直すに等しいこととも言っていい。

 黒の少女の愛刀の修理を幾度も経て、多々良は彼女の癖を全て把握している。

 どのように振るい、断ち、握り、受けているか。

 その姿を想定し、その動きを想像し、多々良は新たな刀身を創造する。

 あの彼女の体の一部、物語の一葉となるように。


 ――あなたに、友情を。


 そんなこと、言えるはずはない。無口で無愛想なのは変えようのない自分の芯鉄だ。そして彼女もまた。それこそが、自分達に許された共通項。だから、代わりに刃に刻む。


 ――あなたに、幸いを。


 そんなこと、言うまでもない。あの生真面目過ぎる少女が、折れず歪まず進んでいけますように。自分のように、邪悪(むじひ)(おも)いに叩かれて、世の悲惨(つめたさ)に炙られるようなことがありませんように。


 ――あなたに、夜明けを。


 人は刀を、刀は人を支えるもの。

 自分はそんな、甘ったるい理想を語れる立場にはないけれど。 

 願わくは、多くの人を不幸と恐怖に落とし込むことになった刀をこの刀で叩き折り、皆で夜明けを迎えられますよう。


「なあ、タラや。悪意に叩かれ、妬みに焼かれ、己がねじれ果てたと喩えたな」


 〈冒険者〉ならではの集中力により、見る間に磨上が完成された刀身。

 それを満足気に眺め、白の少女は緩やかに微笑んだ。


「が、錬鉄場(タタラ)の名を負う娘よ。鉄とは鎚に叩かれ、炎に炙られてこそ鋼となる」


 それは、初めて白の少女が正しく口にした、多々良の名。

 白の水干の裾が翻り、はらりと羽根が舞った。

 刀身めいた優美な曲線を描く指先に、思わず視線が吸い寄せられる。

 

「妾が折り紙をつけようぞ。貴様は鋼にして刃を打つ心。まごうことなく我が同胞であると」


 貴族のような物言いに、思わず笑みが漏れた。

 この白の少女はいつだって、自然の振る舞いがどこか断定的で芝居がかっているのだ。

 だがその言い切り方が今は、ひどく心強かった。

 背中を押されるように、銘を刻む。この刀に、新たな生を刻みつける。


「……ありがとう」

「今から渡しにいくのかえ?」

「うん。これは、私が、手渡さないと」

「そうか」

「懸想しておる妾の主と会うより、それが今の御主の大事であると?」


 いつの間にか自分にとって心の大きな部分を占めるようになった、アキバ一有名な少年の笑顔を思い出して、多々良はかぶりを振った。

 黒の少女は、想い人の帰る場所を守るために、踏みとどまって戦っている。

 ならば、自分が選ぶべきことは決まっている。


「……うん。今は、会えない。ね、あの人のこと、頼める?」

「愚問だな。妾を何だと思っている。かつて幾多の朝敵魔物を退治し、当世随一の英雄の寵愛を受けること数知れず、今代においては無双の武士団〈西風〉の当主最愛の(つがい)……」


 多々良の問いに、白の少女は決まり文句で応える。

 それは彼女の誇りにして、揺らぐことのない、存在理由。 

 だが、今回、その名乗りには続きがあった。


「……そして、この街で最も刀を愛する女に砥がれ、手入れをされている刀ぞ。信じられぬ道理があるならば申してみよ」


 多々良はこらえきれず、ゴーグルを下げた。

 口元が緩む。頬が熱くて仕方がない。まったく。この少女は、何を臆面もなく言い出すのか。


「……うん。それじゃあ。あの人によろしくね、武運を祈ってるわ。孤鴉丸」

「なれば妾は、御主が人間の友に対しても、(カタナ)と同様に話せるようになるのを祈るよ。多々良」


 想い人の刀の化身たる白の少女に背を向け、多々良は工房を出る。

 夜明け前の街を駆ける友の元へ駆けつけるために。


 想いを届けるべく、刻んだ銘は〈喰鉄虫・多々良〉。

 己が名をことさらに刻む自己主張の趣味はないけれど。

 鎚で叩き、炎で炙り、鉄を鋼に変える場としての銘ならば、あの彼女にも相応しいだろう。

 

 

 

[神刀・孤鴉丸]

《しんとう-こがらすまる》

ソウジロウ=セタが所持する幻想級の強力な武器。〈武士〉専用装備であり入手は非常に困難。強力な攻撃力に加え、AI型アイテムであり使用時には特殊召喚された刀の化身が戦闘を支援してくれる。

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― 新着の感想 ―
[一言]  カッコ良さに痺れました。
[良い点] 本家で書かれてからたった一日で仕上げた素早さ。 到底その期間で書いたとは思えない質の高さ。 [一言] 本家と併せて本当に良いものを見せて頂きました。 多々良があの刀に込めたアカツキ…
[良い点] 反応いいですね〜。これはいいファンフィクション。素晴らしい。 フレーバーテキストに込められた多々良の想いを見事に補完してますね。 [一言] うぶ茎新々刀、区送り古刀、大摺り上げ古刀、菊池…
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