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(五)


 尾上は一度電話をかけて、偶然を装って『良薬』に近付いた。目標である彼は、右手首を真新しい包帯で包んでいる。ここには診察にきただけのフリを、するつもりらしい。

 整形外科まで案内するよと声をかけ、入院病棟まで連れ出した。すぐに彼は察したらしいが、黙ってついてきた。

 二人は騎道の病室前に、何の理由もなしに立ち止まる。

「コカコーラ・ジュニア・テニスリーグに出場が決まったんだって? 世界への登竜門じゃないか。やったな」

「どうも。地区大会があんまりいい勝ち方じゃなかったから、出場要請がくるなんて考えてもいなかったのに、Aランクの試合に出れるだけでもラッキーですよ」

 世界テニス競技連盟からAランクの指定を受けているということは、国際レベルの試合であるということになる。

 名の通りジュニアクラスの高校生を対象にした、国内ではかなり大きな大会であった。

「腕の怪我が心配だな」

 なんともないと、軽く三橋翔は腕を振った。

「平気です。派手に腫れただけで他はなんともないですし」

「よくこらえたよな。事実上の決勝戦は準決勝で済ませた後で、楽勝できる決勝だったから良かったものの」

 決勝開始直後の怪我だった。心配する主審に、三橋は試合の続行を申し出た。右手が使えなくても、彼には左手がある。かろうじて死守して、地区大会を制覇した。

「オレがミスったんです。……なんかむしゃくしゃしてた。決勝は、空回りしか記憶になくて、みっともなかったです」

「ギャラリーもはらはらしただろうな」

「むかつきますよね。……手首でボールを受けたのも、全部」

 三橋は、病室のドアを真正面に据えて壁にもたれた。

「眠れなかったんじゃないのかい? 前の晩」

「ええ……、まあ……。変ですよね。二度目の決勝で緊張するなんて。ガキじゃあるまいし」

 パサリと、前髪を頭を振って跳ね上げた。何か、手持ちぶさたで落ち着かない半面、らしくなく沈んでいる。

「騎道君のことは、宿舎に帰ってから聞いたのかい?」

 切り出す尾上に、三橋はニッと笑った。

「先生まで、オレに余計な気を使ってくれるですよ?

 明日は大事な決勝だからだの、動揺しないよーにだのって。あんな野郎、死のーが生きよーが、どーでもいいってのに。隠し事なんか、人を見てからしてほしいですよ」

 尾上は、目を逸らしてドアを見つめた。あまり防音設備がよくないので、ある程度の会話なら筒抜けのはずだった。

「俺、絶対に認めませんから。

 一人で突っ走って、他人に心配かけて迷惑かけて、自分だって死にかけて。

 どんな理由があっても、そんな奴は大バカですよ?」

 じっと、尾上が眺める同じドアを睨みつけながら、三橋は言い切った。

「……そうか。でもやっぱり、顔だけ見て帰りなさい。

 僕も付き合うよ。さっき数磨君と話し込んでいたから、今頃は疲れて眠ってるよ」

「いいんです」

「さあ」

 尾上はノブに手をかけた。

「開けないでくれよっ!」

 驚いて見返す尾上に、三橋は照れる苦笑いを向けた。

「……三橋君」

 決心がついたように、壁から起き上がった。

「ほんっ気でいいんです。……あいつなんか、一人でやってけるんですよ。誰かが心配することないんです」

 信頼、とも違うと、尾上は三橋の表情を読み取った。

「そんな奴は、やりたい放題やってりゃいいんだ……」

 またうつむく。三橋は、一枚のチケットを差し出した。

「これ、渡してください。……顔、見たくないんで」

 コカコーラ・J・テニスリーグの観覧券である。

「……ブッ倒れてる奴に、何するかわかんないから……」

 よくわかったと、尾上はうなずいて受け取った。

「彩子君も行くんだろ?」

 尾上の何気ない一言に、ガッと顔を上げた。

「なーんであいつらをデートさせなきゃなんないんすか!?」

「騎道君だけ?」

 ブスっとふくれて、苦しい言い訳を放つ。

「それ一枚しか手にはいんなかっただけっす。どーせ自宅療養とかで、暇してるはずでしょ? 試合は平日だし」

 ふーんとしつこくうなずいて、尾上はもらした。

「この頃なら、もう学園に戻ってるんじゃないかな?

 来週から、登校するって言ってたが?」

「なっ!! なーっ、なっ! だって、死にかけてたのに?」

「オーバーだな。彼なら、殺しても死なないよ?」

 ふるふるふるっ。と、三橋は拳を握り締めた。

「あの野郎っ。人に死ぬほど心配かけてっ!

 おーし、おーしっ。わかった! 覚悟してろよ騎道っ!」

 ドアに向かって一声吼えると、三橋は駆け出した。

「おい。三橋君。整形外科はそっちじゃないよ!?」

「ほっといて下さい! 自分で探しますっ」

 思春期の若者の激情に、付いてゆけないものを感じて、尾上は騎道の部屋のドアをノックした。

「きどー君? 生きてるかーい?」

 声がないのでドアを押すと、ゴツンと鈍い音が響いた。

 ドアのすぐそばに、騎道は立っていた。

「……いい薬だと思ったんだが、あんまり効かなかったかな?」

「いえ……。結構、きてます。やっぱり、誤解があるみたいで……。お気遣いありがとうございました……」

 ぶつけた額をさすりながら、騎道はベッドに戻った。

「……あいつだって、一人でやってけない時があるのに……。僕だって、おんなじですよ……」

「ああ……。みんな誰かに頼られたい、頼りたいものさ」

 騎道は、ぼんやりとした中から、ふっと顔を上げた。

「もう退院だ。迎えは呼んであるから、帰りなさい」

 尾上の見立てでは、さっきまでの沈み方よりは、やや浮上している。当人同志まだ気持ちの整理がついていないのだ、これ以上二人をぶつけても意味がない。

 時間が必要なのかもしれないと、尾上は判断した。

「三橋翔を見かけたが、来てたのか?」

「騎道君の良薬のつもりだ」

 尾上が没収したはずのバッグを手に、凄雀が病室に入ってきた。早い迎えである。

「ふーん。殴られてやったのか?」

「…………」

「薬は利かなかったらしいな、ヤブ医者」

「副作用を起こすよりはマシだろーが。

 とっとと連れて帰ってくれ。病院で殴り合いは困る」

「こんなツラをした奴を連れて帰れって?」

 凄雀は不満顔だ。

「マシになった方だ。顔色が悪いのは元からと、貧血のせいだから気にするなと、夫人には教えておいた方がいいぞ。だから、そう簡単によくならないと。君の生徒は、まだまだこれからも無茶をやらかしてくれる気だろうからな」

 これは尾上の予言である。

「俺は、こいつの教育者だと名乗る気はないぞ」

 まじまじと、尾上は感動さえ覚えて、凄雀を見上げ。

「よーく分かっているじゃないか?

 いいか、騎道君。こいつは、教育者の看板を利用するだけの偽善者だぞ。気をつけろは手遅れだから言わんが、私の手をこれ以上煩わすのは、よくよく考えてからにしろよ」

「……尾上……」

「フン。おまえのことなど小学生から知っとる私だ。ガン飛ばされたって怖くもなんともないぞっ」

 と言いつつ、眼光に押され、後退って尾上は姿を消した。

「いいものなんですね。幾つになっても、親友って」

「有り難迷惑だ」

「いいものですよ。……羨ましいな」

 暗すぎる騎道が、背後から思いっきりド突かれたことは、言わずもがなである。



「あのヤブ医者っ! 大事を取ってって、ギブスで固めることねーだろっ。これじゃ、あのバカ、殴れねーじゃんかっ」

 ブツクサる三橋だった。大袈裟に右手を吊っていた布も、エントランスホールを抜ける所で、取って捨ててしまった。

「!」

 玄関を出ると、右手に白銀の美しいセダンが停車している。その後部座席に、バッグを積んでいる私服の少年。

 ドライバーズシートの青年、凄雀が、視線で彼に何かを伝えた。落ち着いたグリーンのセーターが振り返る。

 険しく変わった視線を受けて、騎道は頬を強張らせた。

「……三橋。手、大丈夫なのか?」

 三橋は一度立ち止まった足を、彼の目前まで進めた。

「聞いてたのか。さっきの」

「……うん。三橋……」

 即座に、三橋は口を挟んだ。

「わかってんだろーな……!?」

 低く殺した声に、コクリとうなずいて返す。

「……上等だぜ」

 三橋の視界の隅で、凄雀が腕を組んで眺めている。

 楽しんでやがる……。そう思うと、更に腹が立った。

「目ぇ閉じろ! 歯を食いしばれっ!」

 自棄に近い怒鳴り声だった。

「いーかっ。絶対に目ぇ開けんなよっっ!!

 てめーの目の代わりなんざ、やらねーからなっ!」

 言われる通り目を堅く閉じる騎道から、眼鏡を取り上げる。制服のポケットに、それをつっこんだ。



「おだまり!」

 駿河の背中に張り付いている彩子が、声を高くする。

 第一須賀総合病院までの定期便は、あとほんの一分で到着する道程に来ている。

 もぬけのカラの病室に見舞いに行ってどーすんだよ? と、駿河が漏らした直後だった。

「いい? 入院中のフリをしてるってことは、あたしを騙して知らない顔でいつか帰ってくる、ということなの」

「はいはい。そうでございますか」

 触らぬ神に……を、駿河は再認識した。

 やけに静かなので妙だと思って追及したことが、最大の誤りだった。向ける相手が不在なために、内向していた怒りは一言に触発されて、一部噴火したわけなのだ。

「……今度こそ、とっちめて締め上げてやるんだからっ!」

「……今日、帰ってきてればの、修羅場だな……」

 駿河は、騎道にものの哀れを感じつつも、自業自得と舌を出し、さらにアクセルを握り締めた。

 面倒なので、このままエントランスへ突っ込んでしまえと、決めていた。もうすぐである。



「……まずは。彩子の分だ」

 胸倉を鷲掴みにされる。見えないからこそ気配を感じる。

 激しい息遣い。ふっと、それが息を詰める。

「……くっそぉ!」

 風圧。触れた瞬間は熱いのに、その直後は石のように堅く冷たい。衝撃に、世界が真っ白になる。

 アスファルトの大地は、無情だった。



「痛っ、てーっっ!!」

 絶叫する三橋。すっかり頭から抜けていた。この痛みの衝撃は大きい。

 右手首を押さえて、三橋は思わずしゃがみこんでいた。みっともないが、仕方ないのだ。

「三橋!」

「バカっ! 目ぇ開けんなっ。……なんともねーよっ!」

 なんともあるのだが……。もう一発残ってる、の執念が、三橋翔を取り繕わせた。

 振り返って立ち止まる通りすがりを視線で威嚇しながら、アスファルトに転がった騎道に手をかけた。

 大した怪我でもねーのに、肘まで痛てーぜっ。そう吐き捨てて、多少気楽になりたかったが、そうもいかない。

 もう一度襟首を掴まえて、引き起こす。

 騎道は目を閉じたまま、自分でも立ち上がった。

「大バカっ!! あんたたちっ。何やってるのよ!!」

 よーく聞きなれている、罵声。男二人は青くなった。

「バカはどっちだよ。あれほど止めるなって言っておいただろ!? 放っとけってば!」

「秀なんか黙ってて! 放しなさいってば!」

 駿河ががっちり彩子を掴まえている。今一瞬、駿河秀一が救いの天使に見えた、騎道と三橋であった。だが。

「早いとこ、ケリ付けろよ。お二人さん!」

「無責任!

 男同志でケリつけられたら、あたしはどうなんのよっ!」

 燃える大きな瞳が、戦意喪失の三橋を震えあがらせた。

「……やばいぜ……。彩子ちゃん、怒ると本気、怖いんだ……」

「……公衆の面前で女の子に殴られたら、彼女に悪いよな……」

 と、言ってる矢先に。……駿河は平手を食らっている。

 三橋から眼鏡を取り返した騎道も、目撃した。

 駿河を突き放して、駆け寄ってくる飛鷹彩子。

 が、その目の前に、白銀のセダンがバックで割り込んだ。

 ドアを開けた凄雀は、騎道を無造作に後部座席に突っ込む。彩子は眉を上げて、凄雀を見返した。

「これ以上殴られて再入院でもされたら、私が私の保護者に責められるんだ。悪く思うなよ、飛鷹君。

 この埋め合わせは、必ずさせるので、その時はいかようにも料理してくれ。では」

 涼しい顔で、凄雀はアクセルを踏み込んだ。

 渋々、彩子はうなずいた。

「ちょっと待って下さい! それって無責任ですよ!」

 あわてて体を起こす騎道だが、すでに遅い。

「騎道っ! 親友を見捨てんのかっ……! おい……」

「三橋っ! 誤解するなっ!」

 遠ざかるセダン。視線を絡ませた友が、去ってゆく。

 ずいっと、彩子は立ち塞がった。

「なーに? なーに? もう仲直りしたの?」

「すっ、するかよっ。俺の分まだ残ってるのに」

「親友って、今言ったじゃない? 空耳かなっ?」

 棘を隠したかわいい声に、三橋はいつもの調子で乗る。

「あれはさっ、彩子ちゃんさっ、……」

 一転して、彩子は表情を凍らせる。反省がないのだ。

「大体ね? 怪我人になんてことすんのよ? 騎道もまともに受けてるし。常識ないのよね、あんたたち。

 じゃれあいや殴り合いを友情だなんて勘違いするくらいなんだから、ほんっとに救いよーのない大バカね」

 アホらしくてやってられないと、三橋を突き飛ばして、さっさと背中を向けて歩き出す。一番効果的なイジメを知っている、彩子であった。

「違うってば、誤解だってば。親友だぜ? 俺たち。

 大、大、だーい親友さっ。

 ……あんのヤロ、一人で逃げ出してっ……」

「じゃあさ。もう一発はやんないわけだ。親友だから」

「やんないやんない。お友達を、殴ったりしないよぉ。

 ……絶対、一発じゃ足んないよなっ……」

 人格が分裂寸前の三橋を盗み見しながら、彩子は密かに溜め息をついた。

「……殴るの殴られるのって、なんで男って格好にこだわるのよ……? 全然っ、素直じゃないんだから!」



 珍しく凄雀が大笑いしている。騎道は、心底恐ろしいものを感じながら、後部座席から凄雀を眺めた。

 くわえ煙草をうまそうに吸って、バックミラーを見る。

「これでお前は、裏切り者の親友だな」

 やっぱりやっぱりやっぱりっ!

 凄雀の魂胆に、頭を抱える騎道だった。

「そんなに学園での、僕の不幸が楽しみなんですか……?」

 稜明学園に通ってもいいと言い出したのは、凄雀その人である。この性格を把握していながら、ほいほいと乗った騎道も悪いのだが。

「楽しみだね。次はどんな騒動を起こしてくれるのか」

「……巻き込まれてるだけです」

 おや? という凄雀の視線に、騎道はやむなく顔を逸らした。自分でも嘘を付いて胸が痛むらしい。

「これからは、騒ぎを大きくしないように、努力します……」

 おやおやと、凄雀は目を細くした。

「親友ができると、そうも殊勝になるものなのか。

 恋人までできたらどうなるのか、不安だな……」

「……親友だけで十分ですよ。大騒ぎは……」

 ひとまず、騒動ばかりだった騎道の学園生活に、真実の友情が加わった、……らしい。

 噛み締める日々が来るのは、随分と先の話しであろうが。今は少し、胸を張りたい気分であった。

 街は、金色の光に黄昏てゆく。ゆったりとした秋の宵が、訪れようとしていた。



『プリズム 完』




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