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(四)


 騎道は帰りの電車の中で、改めて、これからどうするのかと尋ねた紫月に、返した言葉を思い出していた。

「この先、何も起こらないなら、これ以上の追求はしないつもりです。真実を暴くことは、亡くなった統磨さんの意志に反しますから。その必要があるまで、できることなら永遠に伏せておきたいんです」

 即答した騎道を、紫月は黙って見返していた。

「理想論、ですね……」

 騎道は、謝るように微笑んだ。

 秋津統磨の単独犯、彼の自殺、もしくは事故死という形で、すべてが処理される。それが、騎道の推測だった。

 追求を続けたなら、数磨にもその手は伸びる。数磨の揺れやすい精神が、その恐怖に耐えられるとは思えなかった。

 紫月は、騎道の沈痛な意を汲んで、おおらかに肯定した。

「悲観することはないさ。夢を見ることはいいことだ。

 そうしていれば、絶望せずにいられるからね」

 騎道は手を差し出して堅い握手を交わした。

「紫月社長は数少ない理解者ですよ。現実を見ろって、よく叱られるんです」

 騎道は、暮れてゆく西の空に視線をやり、初めてそこに輝く金星を見つけた。彼が辿り着く頃には、街は完全に眠りについているだろう。

 静かに密やかに、何事もなかったかのように、彼は街に溶け込んでゆくつもりだった。



 第一須賀総合病院の騎道若伴の病室には、相変わらず面会謝絶のプレートが掛かっている。だが今夜は、偽りではない。

「……どうも、ただのチェーンにしか見えないんだが……」

 尾上は、手の中のゴールドのブレスレットをしげしげと眺めた。駿河が、騎道のものだと置いていった品だ。

「見た目はそうでも、精神波を多少増幅する特殊な金属が入っている。その上で、ある暗示を『刷り込んで』ある。

 一定レベルのESPを放出した場合、その倍以上の負担をこれを身に着ける人間に即座に跳ね返す、という」

「下手をすれば自分を一番傷付けることができる矯正機か」

 よく出来た代物に、尾上は驚嘆していた。

「こんなものを使いたくなるくらい、自分の気持ちを抑えていられるか、自信が無かったんだろう」

 凄雀は、再度電極をいくつか取り付けて、ベッドに横たわる少年を、たいして心配するふうもなく眺めている。

「お前が言っていた通り、結構落ち込んでいたぞ」

「……放っておけ。勝手に暗くなっているだけだ」

 行き着く所まで落ちれば、這い上がってくる。と、尾上は良心的に受け止めた。が、あんまりな放任発言であった。



「何もわざわざここに来てブッ倒れることはないだろう?」

 どうせなら専門家の所で……、と面と向かって、尾上はボヤいた。FISラボから帰った翌日の昼過ぎ、ようやく騎道は目を覚ましたのだ。

「……すみません。でも、ラボで倒れたら、検査槽にブチこまれて、一ヶ月は出てこれなかったでしょうから、避けたかったんです。彼等は僕の価値を知っていますから」

「? 君はFISの関係者じゃないのか?」

「いいえ。協力することはありますが、稀です」

「なら、凄雀はどうやって君のような人間と知り合って、こういう関係になっているんだ?」

「あ……、さあ? あの人の性格ですから、いい退屈しのぎの拾い物をした、程度じゃないんですか?」

 思わず膝を叩きたくなるほど、的を突いた発言に聞こえる。ただし、現実問題は悲惨な境遇といえた。

「別人みたいだよ。超能力者とはお知り合いで、扱いも手馴れてる。何でなのか隠し通す気もない、素直に打ち明ける気もない。何を考えてるんだか。あいつは」

 大袈裟に溜め息をついてみせる。

「……親友だから、あの人なりに悩んでいるとか……」

「うーむ。そんなに殊勝な心掛けがあるとは思えないが、水臭い奴だ」

 口の減らない友情だが、騎道は不思議な暖かみを感じた。



 午後の診察を終え尾上は再び騎道の病室に向かった。

 病室のドアの前に、見知らぬ少年が立ち尽くしている。学生ならまだ授業中であろうに、濃紺のセーターというスタイルだった。

「君も、騎道君の見舞いにきたのかい?」

 尾上は声をかけてから、はっと緊張した。振り返った幼さの残る顔立ちには、一人の人間が背負うには重すぎる、沈鬱さと苦悩が現れていた。

「……はい。でも……」

 最初から諦めている泣きそうな目で、赤い文字のプレートを彼は見やった。

「少し、待ちたまえ。僕は彼の主治医なんだ。会えそうか、一応聞いてみるよ。もう随分よくなっているからね。

 いい? 待っているんだよ?」

 うるさいほど念を押して、尾上はノブに手をかけた。

「君、名前は?」

「……秋津数磨です」

 尾上は、この名前に不自然な憔悴を納得した。

 面会者の名前を告げると、騎道は身を乗り出すようにして承諾した。



「騎道さん……、僕、会えると思わなくって……」

「花を届けてくれたのは君だろ? 嬉しかったよ。

 君に会いたかったんだ」

 窓辺に飾られた二つの盛り花は、両方とも署名が無かった。一方の落ち着いた紫を基調としたものには、別れを告げる美しい筆跡のカードが添えられていた。騎道はそこに、沈んだ顔立ちの藤井香瑠を浮かべた。

「僕、どうしても騎道さんに……」

 口ごもる数磨。騎道は数磨の手をとってしっかりと引き寄せた。数磨は逃げ出そうと体をすくめた。

「ダメです……、近付かないで……!」

「何が、だめなんだ? どうして? 怖いと思うのは普通の感情だろうけど、僕は平気だ。育君とは違うから」

「!」

 更に頬を歪めて、数磨は怯える。騎道は知っているのだ。

「君を責めるつもりはないよ。育君はもう立ち直っているし、彼は君のことを少しも恨んでいない。

 君は、育君の身に何が起きたのか知っているんだろう?」

 訴えたい感情が、数磨の目に浮かぶ。

「でも、君の意志ではなかったね?」

 かろうじてうなずきを返す。自分の中にある異物が目を覚まさないか、牙を剥きはしないか、それだけが気掛かりでならなかった。が、あのいやな感触は湧いてこなかった。

「ごめんなさい……、騎道さん……。

 知らなかったんです……、騎道さんが久瀬という人の知り合いだったなんて……。騎道さんに、僕は恨まれたって……」

 騎道は、数磨の背中に腕を回した。

「君のせいじゃないよ」

「統磨兄さんのことだって……!」

 育の中に見た数磨と全く同じに、彼は呻き声を漏らした。

「もういいんだ。僕だって、僕にはできたはずなのに、統磨さんを救えなかった。

 あんな結果を、君のお兄さんは望んでいたんだ」

「違う……! 兄さんは僕の為に……」

「手は離した瞬間、彼は笑っていた。

 あれで、良かったんだよ?」

 思い詰めて、数磨は唇を噛み締める。

「君の中の何かが、統磨さんに言ったんだね? 白楼陣を成せと。そして彼は、誰かにその方法を尋ねた?」

「……はい。

 そうしたら、出てってやるって、言ったそうです……」

 ためらいながらも、数磨は語り出した。

「そうすることの本当の目的は?」

「……わかりません。言わないんです」

「白楼陣という言葉を、それ以前に聞いたことは?」

「言葉だけなら、聞いたことがあります」

「君の中に居るのは何なのか、君は知っているのかい?」

「……いいえ」

 把握できない辛さは、度々恐怖を呼び起こしてきた。

「それが君の体を借りて、何をしてきたかは……?」

「その時のことはほとんど覚えてません。意識がなくて。

 大体後から、夢の中に出てきて……、それで……」

「いつも突然、前触れもなしに出てくる?」

「いえ……。悲しい時に、出てくる時もあります」

 騎道は少しほっとした。

『サイキックな子供に、もう一つ、極端に異なる人格が現れるのは、そうめずらしいことじゃないよ』

 オルソンに騎道は、一つだけ確認しておいたのだ。

「そいつは君が生み出した、強すぎる幻だ。

 サイキックな力が鋭敏である上に、それを否定されている状況におかれた時、人格が分裂して、もう一つまるで正反対の人格をもつことはよくおきるんだ。

 君のすべきことは、泣いて頭を下げることじゃない。

 胸を張って、そいつを越えてしまうことだ」

「だって……、僕は覚えていないけど、兄さんははっきりと会話をして、ショックを受けていて……。だから、僕以外の!」

「そう思って、逃げているだけだ。僕の言葉を信じるんだ」

 騎道は、厳しく言い伏せた。数磨の顔を上げさせて、

「もう、これで終わりにしよう。

 誰もはじめから君をうとんだりしていない。

 これからも君は一人じゃない。

 だけど忘れないでほしい。君を救えるのは、統磨さんでも静磨さんでも、僕でもない。僕たちは君を見守って信じるしかできない。手を取って引き上げることはできないんだ。君は自分で、自分を守るしかないんだ。

 そうやって闘っているのは、君だけじゃないんだ」

 数磨は激しく反応した。強く首を振る。

「数磨君!」

「僕がもっと強かったなら……? 兄さんはあんなにはならなかった? ずっとそばに居てくれてたんですか……?」

 数磨には、射抜く騎道の視線を受け止め続けることはできなかった。うつむくと、熱い涙が零れ落ちた。

「いや。君のそばでずっと暮らすことなんてできなかっただろう。彼にも夢があった。もしもそれが、君の夢と異なっていたならば、道は同じにはならないよ」

「夢……? 僕の……?」

「君だって、何か望んでいたことがあっただろう?」

 騎道は数磨の腕を取って、顔を起こさせた。

「……僕は、普通の兄弟で居たかった……。

 好きな時に会えて、喧嘩をしたり、笑ったり。顔を見て話しをして」

『兄貴の言うことも信用できないようじゃ、他人と友達になるなんてできないぞ。もっと信頼するんだ』

「……ずっと、おいていかれるんじゃないかって不安だった。僕が普通の人と違うから……。

 でも何度も、兄さんたちは大丈夫だって言ってくれていたのに……! 僕は怖くて……、ずっと疑っていた……」

「……わかるよ。兄貴って、勝手に先を走っていくから……」

 自分を責めるように、数磨は何度も騎道の胸に額を押し当てた。二人はお互いに、もうその背中を追いかけることも出来なくなった兄たちに、想いを馳せていた。

 彼等は遠すぎて、はかない、一つの星だった。



 尾上は騎道の病室から、病院を出てゆく数磨を見送った。

「君は不思議だな」

「何のことですか?」

「魔法でも使えるのかと思ってね」

「立場上、一通りのやり方は知ってますけど?」

「いーよっ。悪かった。からかったりして。これ以上何か言い出されて、混乱させられるのはゴメンだ」

 本気でベッドの上の騎道は、顔をしかめた。

「ひどいなぁ。冗談なのに。僕、普通の人間ですよ?」

「謙虚だな。使用前使用後の顔写真を、撮っておくべきだったな。

 君のことはこれから、人間プリズムと呼んでやるよ」

「はぁ?」

「ここを出た数磨君は、いい目をしてた。本職のカウンセラーが褒めてるんだ。少しは嬉しい顔をしてくれよ」

「嬉しいですよ。勿論。

 ただ、彼が背負っているものは、彼だけでなく普通の人間でも背負いきれないくらい重いものだから。

 このまま数磨君が、もっと立ち直って自分を取り戻して、越えてくれることを祈るだけです」

 年に似合わずしっかりした事を言うと、尾上は舌を巻いていた。そのくせ、騎道は自分のことは後回しにしている。

 騎道にはどんな薬が良薬か、本職の医者として内心頭を悩ませているから、尾上はつい病室に通ってしまうのだ。

 だが、数磨が出ていった通用門に、初めて顔を見せる、最も効果のありそうな『薬』を発見した。

「おいっ! また脱走か?」

 尾上が目を離しているすきに、騎道は着替えを取り出していた。それを、バッグごと尾上は取り上げる。

「誰が退院していいと言った? ほらほらっ。服はすべて没収だ。いいか? 今度ブッ倒れたら、即刻FISラボに通報させてもらうからな」

「でも、退屈で。それに、病院食って口にあわなくて。学園長夫人の手料理、最高に美味しいんですよ」

「気持ちはわかる。凄雀のおふくろさんの料理は天下一品だ。しかしな。もう一晩泊まっていきたまえ。

 それがいい。そうしなさい。それが君のためにも、みんなのためにもなるんだ。いいねっ?」

 そそくさと出ていく尾上を見送って、騎道は首を傾げた。

「なんの為に、だろ……?」



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