(一)
けたたましいサイレン音が、緊迫した急患入り口に溢れかえった。先導するパトカーの後から、白銀の優美なフォルムを持つ車体が滑り込む。
第一須賀総合病院の救急スタッフは、尾上医師と共に、抱え下される患者を見守った。
「部屋は? このままそこへ運ぶ。尾上、来い!」
ためらうことを許さない、峻烈な言葉を凄雀は投げた。
だからといって職務を忘れるはずのない専門家たちは、事態の非常性を汲み取り、素早く尾上の後を追う。
力強い腕に運び去られた少年は、ブレザーの下、胸部に丸く真新しい血痕の染みを作っているのだ。
凄雀は用意された病室へ飛び込むと、尾上以外のスタッフを、先程以上の厳しい口調で締め出した。
「……何が、あったんだ?」
凄雀の異常な神経過敏に、尾上は疑念に満ちた視線を突きつけた。
「ここからは専門家のお前に任せる」
患者は頭部をジャケットに覆われたままなので、誰かは尾上には判断はつかないが、しなやかな痩身には不釣合いな闘いの末であることは、はっきりしていた。
「この傷が何であるか、わかっているのか?」
「だからお前を呼んだんだ。私は医者じゃないからな」
声音が険しいのは凄雀だけではない。
「そうだよ。私は医者だ。まっとうで後ろ暗いところは何一つない精神科医だ。……警察に届ける気はないんだな?」
「くどいぞ」
引く気のない睨み合いが続く。
「くどくもなる。バレたら殺人未遂隠蔽罪だ。
胸部2発。ライフルか、いい腕をしてるな。どう見ても、心臓の丁度真上だぞ……。生きてるなんて奇跡だ……」
「弾を取り出せばその疑問は解けるぜ」
不機嫌な嫌味だった。尾上は受けて立った。この夏の終わりに、突然生きて帰ってきて、昔の親友に挨拶にも来ないという不義理をかまされた悔しさのお返しだ。
「お前……。天国をのぞいたショックで変わっただけだと思ってたが、ずいぶん込み入った奴になったんだな」
「分析はいい。手を貸してくれるのかくれないのか?
無理なら出ていってくれ。運は天に任せる」
赤の他人のような、無機的な態度だ。
何か取り残された違和感に、尾上は視線を落とした。
「とにかく……、俺が外科の免許もあることに感謝しろよ……」
「感謝する。その感謝ついでに条件がある」
「この上まだ……。 !」
目を見張る。凄雀が無造作に、ジャケットを取り上げた。
「これが、彼なのか……?」
「あまり人に知られたくない。ここに入室できるのは、口の堅い看護師一人と君、私だけにしてもらいたい」
「……わかった。もう悠長にはしていられない。婦長を専属にする」
昏睡状態の金髪の少年は、顔面蒼白な騎道若伴だった。
「いけません。面会謝絶です。見えないんですか?」
「でも……。ほんの少し、顔を見せて下さい。お願い……」
「飛鷹さん。諦めてちょうだい」
涙を浮かべる彩子に、いたたまれない目で婦長は告げた。
「そんなに悪いんですか? そんなに?」
彩子の手を押し戻して、婦長はその場を離れていった。
肩を落とす彩子に、駿河は帰ろうと声をかけた。時刻は深夜を回り、事件の翌日に日付は変わっていた。
ネームプレートの無い個室は、先程から婦長だけが器具をもって出入りしていた。尾上、凄雀とも、一度も出てこない。容態は先の見えない一進一退を繰り返していた。
押し黙る彩子は、おそらく自分を責めている。最悪の状況を去年の春にダブらせているはずだった。
ガチャリと、ドアが開いた。
「学園長代行……」
凄雀は荒々しく煙草に火を付け、息を吐いた。
「うるさいぞ。騒ぐなら外へ出ていろ」
「騎道は……、どうなんですか?」
唇を噛んだままの彩子に変わって、駿河が口を開いた。
「命に別状は無い、とっとと引き上げろ」
「凄雀!」
顔を出して呼ぶ尾上。凄雀は煙草を駿河に渡し、部屋へと引き返した。代わって、尾上が二人に声を掛けた。
「今夜はもう帰りたまえ。騎道君はよく頑張ってるよ。
飛鷹君。彼の為にも、気を落とすんじゃない」
やや狭い個室は、すでに集中治療用の機械類で埋め尽くされていた。
「どうも覇気が無いな……」
尾上は、画面に表示される脳波パターンをみつめて呟いた。
ベッドの縁に腰をかけ、青白い顔で眠り続ける騎道を、凄雀は眺めている。
「何かにこだわってるな……。やっかいだぞ。意識が深層下に潜ったまま、自分で出てくる気力も無くしたら」
「それは在り得ない。奴はどうあっても最終的には帰ってくる。問題なのは目を覚ましてからだ」
凄雀はあっさりとした見解をもっていた。
「勝手に死んだ奴のことでも考えているんだろう。ヒーロー気取りが得意だからな。自分一人で背負い込んだ気になって、今はハムレットの真っ最中だ」
「お前な……。物には言いようってものがあるんだぞ?」
「これくらい言ってもまだ足りないと思ってる人間の方が多いはずだ。間違ったことは言っていない」
「……口は悪いが、結構彼のことを把握しているんだな……」
褒めても、けなしてもいない発言のつもりだった。
RⅡ-μが後部座席に一人の女子生徒を乗せて、ゆっくりとカーブを切った。コツリと彩子のヘルメットが駿河の肩に当たる。駿河がハンドルを握るバイクは、第一須賀総合病院の駐輪場に乗り込んで止まった。
「三橋は、まだすねてるみたいだな」
「ん……。処置無しね。
秀一たちのおかげで、あたしは関わってないことにしてあるから、まだあたしにはいい顔を見せてるけど」
ヘルメットを置いて、二人は並んでエントランスホールまでの長いスロープを登った。
「殴り合いになるかな?」
「秀! 不謹慎だよ」
ムッとする彩子に動じもせず、勝手な憶測を並べる。
「あいつら、結構硬派だからな。騎道なんか、案外殴られっぱなしとか」
「やめてよ。想像しちゃうじゃない。
三橋って、結構腕力あるんだから」
「なるほど。とすると血を見るな」
他人事の野次馬に成り下がる、駿河だった。
「秀っ!」
「そういうもんなの。男ってのは。
それぐらいやんなきゃ、お互い気が済まないんだよ」
生真面目な口調に、彩子は黙った。
「止めるなよ。あいつらを中途半端に馴れ合いさせとくと、後悔するのは彩子だぜ」
「わかんないっ。君たち暴力至上主義者を理解しろって方が無理だわ」
駿河は、性別の違いを痛感した。
「あのね……」
「よくわかんないけど、気をつけるわよ」
彩子も理解しようのない違いが、少し腹立だしかった。
「待っててやるよ。またすぐに出てくるんだろ?」
「いーわよっ。今日こそは騎道の顔を見てくるもん。
帰っていいっ」
「はいはい。んじゃ、せいぜい頑張りな」
余裕でカラカラと笑う駿河に背を向けて、入り口のホールを横切り、入院病棟の渡り廊下を抜けていく。
事件から四日経つ。容態は安定していると尾上は言った。おかげで入院当初の悲壮感は、彩子の中では薄れていた。
何より、つききりだった凄雀が学園に戻っている。
周りに妙に気を使われて、落ち込んでばかりもいられなかった。その上、一人何も知らされていなかった三橋への対処は、毎日なかなか緊張を要するものだったのだ。
彩子は目指す病室に辿り着いた。
ネームプレートには、騎道若伴と入っている。
廊下に婦長の姿も見えない。ドアはまだ面会謝絶の文字。
顔を見るだけ……。それだけでいい。でないと気が済まない。尾上も凄雀も、もしかしたら騎道並の嘘つき芝居を打っているかもしれないのだ。何より、まだ意識が戻らないというのがひっかかる。ノブに手をかけた。
「飛鷹君? 飛鷹君、待ちたまえ……!」
背後、ずいぶん遠くで彩子を呼ぶのは尾上だ。
ためらわずドアを開けた。視界を遮る衝立を回る。狭い個室だが、不思議なくらいガランとしている。
「…………」
窓辺にある二つの見舞い用の盛り花をじっと睨んだ。駆けてきた尾上の足音。待ち兼ねたように彩子は振り向いた。
「嘘つきっ!!」
握り締めた手が、小さく震える。ベッドは空だった。
「……誤解しないでくれよ、飛鷹君。僕らは努力したんだ。グランド・キャニオンで綱渡りするより、際どかったんだ。凄雀と不眠不休で最善の手を尽くしたよ。丸三日間だ。それも手に余る患者で初めての経験で。精一杯やったんだ。それだけは信じてくれないか?」
うつむいてしまった彩子に、どう説明したらいいのか、尾上と途方に暮れた。隠し通せないことはわかっていたのだが、よりによってこんな役目を凄雀に押し付けられたことが、釈然としない。つい、ぼやきが出る。
「……まったく、恩を仇で返されるってのはこれだな……。
騎道君も無茶をしてくれるよ……」
「! 騎道……、生きているんですか?」
彩子は顔を上げた。
「あ? ああ。何か誤解してた?」
「どこに居るんですか? だって、重傷って!」
豹変した彩子の怒りに、尾上は怯んだ。
「重傷……だったんだけど……、その、勝手にね。脱走を……」
「いつ!?」
「今朝……」
どんどんと、彩子は拳で尾上の薄い胸を叩いた。
「嘘つき嘘つきっ。人に心配させてっ、外に出られるくらい元気なんじゃないですか!
何が徹夜よっ、大嘘つきっ」
「だっ、だからねっ? 誤解しないでくれって」
尾上は溜め息をついて、正確な情報を漏らす。
「凄雀は、FISのラボに向かっただろうと言ってたが……」
「育君に? 何か?」
「詳しいことはわからない。だが、騎道君が行けばなんとかなる、そんな気がしないかい?」