きんちゃん、いつか天国で会えるかな
今日、縁日で頂いて以来大切に飼ってきた金魚のきんちゃんが死んだ。いや、正確に言えば、死んでいるのを発見したのが、帰省先から帰ってきた今日だったと言うべきだ。またもうひとつ、大切に飼ってきたと言っていいのかどうかもわからない。確かに、私たちはできるだけのことはした。だが、帰省前に水槽の掃除をし、水を換え、留守番用の餌を水槽に入れておいたとはいえ、きんちゃんは実際、帰省中の三日の間、放っておかれたことは事実である。その三日の間に、きんちゃんは死んでいた。死んだきんちゃんには尻尾がなかったことから考えるに、尾腐れ病にかかっていたかもしれない。たかが小魚一匹と思う人もいるかもしれないが、誰もいない部屋できんちゃんは独りで死んでいったのだ。私に、何かできることはなかったのだろうか。無念とはこういうときのためにある言葉なのだろう。
きんちゃんは、帰省を二週間後に控えた七月の終わりにうちにやってきた。きんちゃんは、縁日の金魚すくいの金魚だった。金魚すくいをどうしてもやりたいとだだをこねる息子に、私は「キャッチアンドリリースだけね」と条件をつけた。金魚を持って帰れば面倒を見るのは私になるに決まっているが、生き物を飼うなんて面倒なことは性に合わないし、第一すぐに死んでしまうのが嫌だったからだ。だが、幾度も金魚を掬いたがる息子を見かねた金魚屋のおじさんが、「坊主、もってけ!」と言って、金魚が二匹入った袋を思いがけず息子に下さったのだ。折角だからお断りするわけにもいかず、正直言うと半ば嬉しく、半ばありがた迷惑と思いながら、私は金魚を連れて帰ったのであった。
だが面倒とはいえ、折角縁あってうちにきた命だ。こうなったら大事に面倒見ようと思い、すぐに縁日の帰りに開いていたスーパーで餌を買った。金魚屋のおじさんに飼い方を聞くと、水温さえもといた水と同じにしてやれば、水道水でも飼えるという。それを鵜呑みにしてしまった私たちだったが、残念なことに、一匹は翌日の夜、私が見ている前で死んでしまった。仰向けになっていたのでおかしいと思って見ていると、必死で何かを訴えるように泳ぎだし、そのあと動かなくなって、水槽の底に沈んでしまったのだ。
それを見ると、どうしてももう一匹だけでも大切にしなければならないという思いに囚われた。どうにか死んだ仲間の分まで生き延びてほしいと祈りつつ、夜中にインターネットで必死に金魚の飼い方を調べ、眠れぬ夜を過ごしたのち、翌朝ペットショップが空くと同時に駆け込んで、どうにか金魚を飼うのに万全の装備を手に入れた。
ポンプを水槽に入れてあげると、金魚はみるみる元気になった。この頃から、私たちはこの金魚を「きんちゃん」と呼ぶようになった。きんちゃんは翌日すぐに尾腐れ病に罹ったが、すぐに塩水浴をさせ、薬を入れたおかげで、無事に病気も治って元気になった。夜通し金魚のために調べ物をしたり、走って装備を買いに行ったりでへとへとになるのは家族のうちで私だけだったので、何と手間のかかることかと思ったのは事実だ。だが餌をあげるために近づくと、きんちゃんが元気にこちらへ寄ってくるのが私にはとても嬉しかった。そのうち人にも慣れたのか、私が水槽に近づくと、きんちゃんは尾を振って近づいてくるようになり、その様子がえもいわれず愛らしく、私はいつまでも飽かず眺めていたものだ。
帰省する前、私はきんちゃんのことが気掛かりだった。できれば帰省先まで連れて行きたいと思ったが、ドアツードアで三時間半ほどかかる移動中はエアーポンプが使えないし、新幹線の中で息子がきんちゃんの水槽をひっくり返す危険もある。そうなるときんちゃんにとっても負担だろうからと思い、苦渋の決断として、私はきんちゃんを置いていくことにした。三日間ほど留守にしても大丈夫とパッケージに書かれた、留守時用の餌を用意して。
私は帰省先から帰ると、真っ先にきんちゃんの水槽へ向かった。だがその時、きんちゃんは既に死んでいた。死ぬとききんちゃんは苦しかったかな、などということを私は考えた。北側の部屋に移しておいたので、水温はそれほど上がっていなかったが、きんちゃんのひれは溶けてなくなっていた。やはり尾腐れ病だったのだろうか。じっくり見てあげることができていれば、助かった命かもしれない。生き物を置いてうちを空けてしまうということがどれほど酷いことなのか、それがどれほどエゴに満ちた行為なのか、思えば悲しくなるばかりだ。
主人は、縁日の金魚なんて弱いものだ、もともと失われやすい命だったのだと、割り切っているようだ。「どうせすぐ死ぬところを、うちに来て二週間ほど儲けたんだ。その間餌もたらふく食べて、幸せだったと思うよ」(実際、きんちゃんはよく食べる金魚だった)と素っ気ない。幼い息子もあっけらかんとしたものである。だが私は、どうしてもそのように割り切ることができない。今となっては、きんちゃんを天国に入れてもらえるよう、神様にお祈りするしかないが―。
神様はどうして、きんちゃんのような小さくて可愛い生き物を、弱いものとしてお創りになられたのだろう。あまりにも可愛らしいので、早く天国に呼びたいから?きんちゃんは今頃、広い天国の一角、小さくて可愛い生き物たちが沢山いる場所で、小さなひれを振って、元気に泳いでいるだろうか。神様の御許で、幸せにしているだろうか。
いずれ私が死んで、もし天国に入れてもらえるなら、その時はもう一度、きんちゃんに会えたらと思う。そしてもし会えたら、「ごめんね」と言いたい。ふわふわしたあの雲の間を、小さいひれを振って泳いでいるであろうきんちゃんに―。