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夕食の買い出しを終え、メノウ達は街の外れにある自宅に辿り着いた。家の中に入り、玄関の扉を閉めた瞬間、メノウはようやく肩の力を抜く。外にいるときは常に気を張っているのだ。荷物を置き、ソファに疲れた身体を沈める。
「おいで」
メノウは微笑み、後からやって来た我が子を手招いた。少年は嬉しそうに駆け寄ってきて、メノウの隣に行儀良く腰を下ろす。メノウは少年の白い瞼に優しく口づけた。
「もう目を開けて良いわよ、ヒスイ」
「はい」
ヒスイと呼ばれた子供は、ゆっくりと瞼を持ち上げた。現れたのは、鮮血を閉じ込めたような紅の瞳。それは紛れもなく、人ならざる者の証だった。
「人前で絶対に目を開けては駄目よ。盲人であるように振る舞いなさい」
それがメノウの口癖だった。魔の眷属である息子が人間界で平和に生きていくためには、可哀想だが不自由を我慢させるしか術はなかった。
「母さまも、もう『コハク』に戻って良いよ」
ヒスイは熟れた果実のような目を細め、母の頭を慰めるように撫でた。その仕草が在りし日の記憶を思い出させ、メノウ―――コハクは力なく微笑み、ヒスイの小さな身体を膝の上に抱き寄せた。
コハクがハインリヒの元から姿を消したのは、今から二年前。吸血鬼が寝静まる昼間の時間を見計らい、密かに屋敷を抜け出したのだ。直接暇乞いをしなかったのは、ハインリヒの目を見て嘘を突き通すことが出来るとは思えなかったから。
ハインリヒは金品を惜しまない主人だった。これまで大して使わずに貯めておいた給金は、女一人が数年暮らすには十分すぎる額になっていた。子供が生まれてからのことは、それから考えればいい。コハクに迷っている時間はなかった。妊娠に気づいた日からまもなくして、驚くほど急速に腹が膨らみ始めたのだ。
焦ったコハクは少ない荷物を纏めて乗合馬車に飛び込み、思い出が残る屋敷を飛び出した。辿り着いた先は、屋敷から遠く離れた土地にある小さな港町。念のために名前を変え、狭い家を借りて三ヶ月後。妊娠から約半年という異例の早さで、コハクは孤独に赤子を出産した。生まれたばかりのヒスイは、産声を上げる代わりにコハクを「かあさま」と呼んで自力で立ち上がり、出産で困憊しきった母親の手を何一つ煩わすことはなかった。
「また背が伸びたんじゃない?」
ふと、滑らかな黒髪を愛おしげに撫でていたコハクは、我が子の小さな成長に気づいた。母の言葉聞いたヒスイは、びくんと怯えたように肩を震わせ、酷く申し訳なさそうに項垂れる。
「ごめんなさい、母さま………」
「謝らなくても良いのよ。あなたは何にも悪くないんだから」
コハクはしょんぼり俯くヒスイの顔を覗き込み、励ますように微笑んだ。けれども、その笑顔の裏では、今後のことを考えて憂鬱になる。ダンピールであるヒスイの成長は、コハクの予想以上に早かった。一見五歳ほどに見えるヒスイは、実は生まれてからまだ一年半ほどしか経っていない。人間では有り得ない成長速度である。そのため、コハク達親子は長期間、一所に留まることができない。周囲の人間に怪しまれないよう、数ヶ月から半年に一度、住む場所を移さなければならなかった。二人にとって、今の街は三つ目の土地だ。気候は暖かく、人々も親切でとても住みやすい場所だが、そろそろ次の移住先を考える必要があるだろう。
一体、いつまでこんな生活が続くのだろうか。未来のことを考えると気が重くなるが、愛しい我が子と共に生きていくために、コハクはどんな苦難も耐えてみせようと、強く心に誓っていた。




