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人間のコハクを連れていては闇を渡れない。セバスチャンに馬車で迎えに来させると、何故か面倒なことにヒスイまで引き連れていた。ハインリヒの腕の中、死んだように眠るコハクと再会したヒスイは、安堵のせいか火がついたように泣き出し、ハインリヒを心底辟易させた。以前、ハインリヒがいくら理不尽に痛めつけても涙一つ零さなかったくせに、馬車が走り出した後もコハクの側にぴたりと張りついたまま、いつまでも泣き止もうとしなかった。苛立ったハインリヒは、幼い息子の頬を容赦なく打ち、屋敷に到着するまで大人しく気絶させたのだった。
やがて馬車が屋敷にたどり着くと、ハインリヒは目を覚ましたヒスイとセバスチャンが追いかけてくるのを無視して、コハクと共に自室へと向かった。数刻前に立ち去った時のまま、蓋が開いたままになっている漆黒の棺桶の中へ、ぐったりとしたコハクの体を横たえる。
「コハク」
呼びかけてみるが、やはり返事はなく、伏せられた睫毛はぴくりとも震えない。ゆっくりと微かな呼吸を繰り返す淡い唇をしばらく見つめていたハインリヒは、そのまま視線を滑らせ、血で汚れた胸元に目を止める。柔らかな谷間を包む純白のドレスは、否が応でも白薔薇を連想させた。
―――気に入らない。
「……………」
ハインリヒはコハクが身に纏うドレスの深く開いた襟を掴むと、迷うことなく引き裂いた。コハクの白い胸が露わになる。心臓の真上に触れると、己には有り得ない脈動と、ほのかな体温が指先に伝わる。
「………生きている」
ハインリヒはぽつりと呟いた。コハクは確かにここにいて、息をしている。ただそれだけのことに心から安堵している自分がいることが信じられない。ハインリヒは己の不可解な感情を持てあまし、すぐに放棄した。白い胸の間に舌を這わせ、柔く牙を立てる。忌々しいドレスを早々に剥ぎ取り、柩の外へ打ち捨てた。覚醒を促すように、わざと酷い痣が残るような愛撫できつく責め立てれば、それまで死人のような顔色をしていたコハクの表情が、苦痛と紙一重の快楽から艶やかに歪む。
「ん………」
濃密な口づけの合間に酸素を求めて薄く開いた唇から甘い声が漏れ、ハインリヒは暗い愉悦に濡れた真紅の瞳を満足げに細めた。無意識に逃れようとする白い体を押さえつけ、容赦なく追い詰める。
「あ―――!」
最後の瞬間、コハクが大きく目を見開き、ハインリヒを真っ直ぐ見上げた。かと思うと、すぐにとろりと溶けるように瞳が濁り、再び目を閉じてしまう。ハインリヒは紅い唇を微かに吊り上げ、汗ばんだ額に口づけを落とした。
* * * * *
どれほどの時間が経っただろう。浅い眠りに落ちていたハインリヒは、腕の中のコハクが小さく身じろぐのを感じて目を開けた。唇が触れ合うような距離にいたコハクが、ぱちぱちと忙しなく目を瞬かせている。
「気づいたのか」
コハク、と。甘く濡れた声で名を呼び、あわよくば、一度は消え去ったはずの熱を再び呼び覚まそうと伸ばした手が、ぱしんと振り払われた。一瞬、何が起きたのか理解できず、反応が遅れた隙に、コハクが腕の中から素早く飛び出した。
「コハク………?」
ハインリヒは体を起こし、素肌のまま胸を隠して蹲るコハクを怪訝な目で見下ろす。コハクはようやく生気を取り戻したかのように見えていた頬を一気に青ざめさせ、ハインリヒを強い視線で睨めつけた。その瞳に浮かぶのは、紛れもない恐怖。そして、がたがたと哀れなほど震える唇で甲高く叫んだ。
「あなたは………誰っ?」
おわり。つづきます。




