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月夜の恋人  作者: 咲良
続編
21/24

2

 ―――ドンドン!

 棺桶の蓋を乱暴に叩かれて、ハインリヒは目を覚ました。うるさい。コハクやセバスチャンならば、こんな無礼な起こし方はまずしない。となれば、この屋敷においてハインリヒの寝室に侵入できる者はただ一人。ハインリヒは不快を露わに眉を顰め、棺桶の蓋を開けて起き上がった。そこにいたのは、ハインリヒの予想通り、ひどく青ざめた顔をしたヒスイの姿で。

「―――助けて!」

 ヒスイは紅玉の瞳に涙を浮かべ、悲鳴のように叫んだ。その思いがけない言葉に、安眠を妨害された怒りをいかにしてぶつけてやろうかと考えていたハインリヒは、僅かに目を瞠った。ヒスイが自らハインリヒの元を訪れるのは、今回が初めてのことだった。血を分けた息子である彼は、いつもハインリヒの前ではコハクかセバスチャンの背後に隠れて怯えた目で震えているばかり。一時はその臆病な態度が気に入らず、苛立ちに任せて痛めつけていたこともあった。そのせいもあり、同じ屋敷の中で暮らしていても、今までまともに言葉を交わしたこともない。そのヒスイがハインリヒに助けを求めてくるなど、余程のことがあったに違いない。

「何があった」

「これが、玄関に………!」

 低い声で尋ねると、ヒスイはハインリヒによく似た顔を悲痛に歪ませ、胸に抱きしめていたものを差し出した。贈答用と思しき白い箱の中にきちんと畳まれて入れられたそれを見て、ハインリヒは真紅の目を瞬かせた。それは、ハインリヒにとって日々見慣れたものだった。

「コハクの、服?」

 それも、ところどころ引き裂かれ、真っ赤な血に染まっている。

「………あれの血ではないな」

 味わってみなくとも、臭いですぐに分かる。静かに呟いたハインリヒの言葉に、ヒスイは唇を噛んでこくりと頷いた。

「セバスの血だよ。さっき誰かが屋敷を訪ねてきて、僕、母さまだと思ってセバスと一緒に玄関まで迎えに行ったんだ。そしたら、ドアを開けた途端にセバスがいきなり斬りつけられて………!  その後すぐに犯人は逃げたから顔は見えなかったけど、気づいたら足下にこれが置かれてあったんだ。セバスはすぐあなたに知らせろって。それで、自分は血だらけのまま犯人を追いかけて―――」

「………待て、どういうことだ。コハクは今屋敷にいないのか?」

 興奮したヒスイを遮り、ハインリヒは怪訝な顔で問うた。コハクが外出しているなど初耳だ。ハインリヒが話を促すようにきつく見つめると、ヒスイは今にも泣き出しそうにくしゃりと顔を歪めた。

「僕、朝早くに熱を出したんだ。すぐに治るって言ったのに、母さまは聞いてくれなくて………一人で街に薬を買いに」

「………愚か者が」

 ハインリヒは小さく舌打ちをし、額に乱れかかる艶やかな黒髪を無造作に掻き上げた。吸血鬼ほどではないとは言え、強靱な生命力を持つダンピールがたかが病ごときでどうなるはずもないというのに。

「―――」

 ハインリヒは無言でヒスイの方へ手を伸ばした。殴られるとでも思ったのか、びくりと肩を震わせたヒスイを無視して、その手の内にあるコハクの服を取り上げる。途端にふわりとコハクの香りが漂い、頭の奥が痺れた気がした。まず間違いなく、コハクは誘拐されたのだろう。それも、コハクの主がハインリヒであると知っている者の犯行である。心当たりは無数にある。セバスチャンが後を追っていると言うが、足を負傷している今、期待出来る結果を持って帰ってくるとは思えない。

「………コハク」

 届くはずもないというのに、気がつけば吐息だけで名前を呼んでいた。無惨に引き裂かれたエプロンドレスを見下ろす。もう二度と袖を通すことは出来ないだろうそれは、コハクを初めて屋敷に連れてきたときに気紛れに買い与えたものだ。それ以来、どんなに高価なドレスを渡しても、コハクは何故かこの地味な服ばかり着ている。何か手がかりが残っていないかと箱から引きずり出すと、スカートの間に挟まっていた何かがはらりと床に落ちた。

「白薔薇………?」

 ヒスイが不思議そうに呟く。その小さな手が伸ばされる前に、ハインリヒは床に横たわる一輪の花を拾い上げた。闇の中にぼんやりと浮かび上がるそれは、切り取られてから時間が経っているはずなのに、汚れを知らぬ純白の花びらは今も瑞々しく咲き誇っている。ハインリヒは紅に燃える瞳を眇め、容赦なくそれを握りつぶした。

「あ………」

 ヒスイが息を飲む。棘がついたままの白薔薇は、ハインリヒの長い指を傷つけ、溢れ出した血が真っ白な花びらを赤黒く染めていく。ハインリヒはそれをまるで塵のように放り捨てると、棺桶から抜け出し、外套を羽織って闇の中へと姿を消した。一人残されたヒスイはその背が消えた方向を見つめたまま、しばらく呆然と立ちつくしていた。

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