第六章 虚言/自分
last Thursday→
「ああ、いえいえ。確かに今回『遣い魔』はあまり作っていませんが……決して一人というわけではありませんよ」
「……まさかてめえ! 累も遣い魔に――!?」
「お前絶対、ロクな死に方しないよ?」
成上遠流には『あに』がいた。
血の繋がりはなかった――成上は孤児で、幼い頃に『あに』の家に養子としてやってきたのがその出会いだった。
実の兄弟ではなくとも、『あに』は優しかった。人見知りした成上に優しく接し、彼を当たり前のように『おとうと』として扱った。
初めはおどおどしていた成上も次第に心を開いていき、いつしか彼らは実の兄弟以上に『きょうだい』になっていた。
ある日のことだった。成上は『ちち』と『はは』、『あに』と共に旅行に出かけ、観光バスに乗っていた。
気がついたときには見知らぬ施設にいた。見せられた新聞とテレビで事故があったことを知り、犠牲者の中に『ちち』と『はは』の名前を見つけた。
成上は生きていた。『あに』も生きていた。
だが、成上の身体は既に以前のものではなくなっており。
『あに』もまた、以前の『あに』ではなくなっていた。
「ケッ、まったくよお――示し合わせたような偶然だよなあ」
吐き捨てるようにサーズデイは呟く。語りかけた相手は、いまだふらふらとゾンビのようにうごめいている。
「『事故』と『家族』と『兄』ね――被りすぎてて聞いたときはビビったぜ」
「………………」
累がサーズデイの喉元に絡みつく。サーズデイはものともせずにかわし、再び数歩分の距離をとった。
(大抵の『遣い魔』は気絶させりゃ元に戻るが――しかしこの様子だと、こいつはかなりの時間をかけて『遣い魔』にされたみてーだしな……さて、どーするか)
累の様子を観察しながらサーズデイは思考する。
ウェンズデイの操る遣い魔にはいくつか種類があり、たとえば先程のチンピラたちのように短時間で洗脳された者と、累のように長期間にじっくり洗脳された者がある。
前者は手軽に何人も手下を作れる代わりに、気絶させられたりなど意識を失えば洗脳が解けてしまう。一方後者は時間をかけて対象の精神をじわじわと乗っ取るため、手間はかかるが強力で洗脳が解けにくい遣い魔になるのだった。
(しこたまぶん殴れば解けねーこともねーが……年下の女にそうするってのも寝覚めわりーしなあ……)
なんだかんだ言って、サーズデイは累に対してそれなりの親近感のようなものを感じていた。身寄りをなくし一人暮らししている状況に同情を抱いてもいた。それに加え、たかが貞操の恩人だからという理由で家に連れ込み、風呂や夕食を振る舞われた恩義があった。
(めんどくせーが……やるしかねえよな)
累を助けたい。サーズデイは腹をくくり、彼女を見つめた。
「――――らぁっ!」
サーズデイは思いきり地面を蹴り、猛烈な勢いで累に向かって突進する。
「…………ッ!?」
累はそれを避けきれず、正面から突進を受けた。当然、それを受け止められるはずもなく、サーズデイに押し倒される形になった。
「………………!」
反撃するべく累はもがくが、サーズデイにあっさりと両手両足を押さえこまれる。
「ケッ。ちょっとタガ外れたぐらいでホンモノに勝てるわきゃねーだろ」
言いながら、サーズデイは累の顎を掴んで無理矢理目を合わせた。焦点はぶれているが、累もサーズデイを睨んでくる。
「……なあ累、お前、いつまで嘘吐いてるつもりだ?」
累の命を半ば握ったまま、サーズデイが口にしたのはそんな言葉だった。
「……」
累の動きが寸の間止まる。
「お前自身がどう思ってるかは知らねーが……お前相当、大嘘吐きだよな」
「…………」
反応はない。しかしサーズデイは続ける。
「自分にも他人にもバレバレの嘘吐いて……見ててすげえイライラすんだよ。バレてねえとでも思ってんのか」
びくっ、と累の身体が跳ねる。押さえつけられた手足をほどこうとする力が強くなる。
「――お前、実は寂しくて寂しくてたまんねーんじゃねーのか?」
「……ッ、――――!」
それまで表情がなかった累に、明らかに動揺が走った。瞳孔を開き、汗を流し、必死でじたばたしている。
「やっぱりな。お前は家族がいなくなって寂しいんだ。そうなんだろ?」
「――――ぅ…………」
サーズデイの決めつけるような台詞に、累は小さく声を漏らす。
「無価値だか無意味だが知らねーけどよ。そんなの、寂しいのを強がってるだけにしか見えねんだよ。価値がわからなくなったんじゃねえ。お前は、大切な家族を亡くして混乱してるだけだ」
「……ぅ、るさい。うるさい、うるさい、うるさい――!」
「家族をいっぺんに失ったんだ、そりゃパニクるし自棄っぱちにもならあな! 何もおかしいこたーねえ。そんなの当たり前のことだ!」
「ぅっ――るさあああああああああああああああああい!!」
累が絶叫し、今までとは比較にならない力で暴れる。首をもたげ、額をサーズデイにぶつけた。
「つっ……!」
サーズデイが一瞬ひるんだ隙に累は拘束から脱する。サーズデイの腹を蹴って倒し、先程とは逆に累がマウントポジションを取った。
「うるさい――貴方に何がわかる! 知ったような口をきくな――!」
サーズデイの胸ぐらを掴み、累は狂ったように叫ぶ。
「私は悲しくなんかない――私は寂しがってなんかいない!」
「ケッ――話しもしねー他人の気持ちなんざわかるわきゃねーだろ」
呆れたようにサーズデイは言う。
「だがな、お前が意地張ってんのは充分わかったぜ。お前が大バカだってこともな」
「な、にを――!」
サーズデイはやれやれと首を振り、累の顔を指した。
「あのなあ。じゃあ訊くぜ、なんでお前はそんなにみっともなく泣き喚いてんだよ?」
「………………!」
その言葉でようやく、累は自分の頬が濡れていることに気がついた。
「……これ、は」
「また嘘吐くんだろ? もう何も言わなくていい。お前は悲しくて寂しくて辛くて泣いてる、それでいいじゃねーか」
「ち、違う――違う違う違う違う違う! 私は、私は――!」
累は否定しようと、必死で頭を巡らせる。しかし何も言葉が浮かばない。サーズデイの言葉は、悲しいほど図星をついていた。
(……おし。効果はあったみてーだな……)
サーズデイは内心ほくそ笑む。ここまで心をぐらつかせれば、もう洗脳は容易に解けるだろう。
(あとは殴りでもして気絶させちまえばこっちのもん……ぅぐっ!?)
サーズデイが気を緩ませた隙に、累の手がサーズデイの首に伸びていた。殺意のこもった首絞めに、サーズデイは思わず息を詰まらせる。
「ぐ……お前……!」
「うるさい……もう何も言うな……私は、嘘なんてついていないんだ……!」
累は嗚咽混じりに呟きながら、目の前の青年の息の根を止めるべく両手に力を込める。
だが。
「効かねーよ……改造人間だって散々言っただろうが……そんな小せえ手じゃ気管どころか皮膚にも痕もつかねーだろうよ」
ちょっとびっくりはしたけどな、と言いつつ、サーズデイは累の両手を掴む。
「しょーがねえ奴だよな、まったくお前は。こんだけ言ってわかんねーんなら、実力行使しちまうぞ?」
ばちん――サーズデイの周囲で火花が弾ける。
赤く発光したそれは、サーズデイの身体から放たれていた。バチ、バリバリ――! 虫の羽音程度だった音が、だんだんと大きくなる。
「…………っ!」
累はとっさにサーズデイから離れようとしたが、両手を掴まれている以上身動きが取れない。
電流――累の目に狂いがなければ、それは電光であった。焔よりも赤い稲妻が、サーズデイから発されていた。
「知ってるか? 北欧神話に出てくる『トール』って神様は雷を操るらしいぜ? 本当に出来すぎた話だよなあ……!」
「ま、さか」
サーズデイの手を精一杯振り払おうとしながら、累が喘ぐ。
「電気――雷――!」
「大丈夫だ。お前は死なない」
サーズデイは笑って断言する。
「死ぬほど痛いかもしれねーが――それはお前が死ぬほど嘘を吐いてきた罰だ」
瞬間、サーズデイから目が眩むほどの光が電流とともに放出される。
「あ――あああ、あ」
叫びすぎたせいか、もう累の口からは大声は出なかった。
びくんっ!! と身体が反り返り、彼女はそのまま仰向けに倒れた。
些細なことでよく嘘を吐いた。
家族をからかって嘘を吐き――その度に叱られていた。
『正直になりなさい。嘘ばかり吐いていると、いつか誰にも信じてもらえなくなりますよ』――そう叱ってくれた母は、誰より一番私を信じてくれていたのかもしれない。
そして、ある日誰もいなくなった。
自分以外に嘘を信じてくれる人はいなくなった。
「たとえ嘘を喋っても、自分がそれを信じればそれは本当になるんですよ」
彼は眼帯をつけ直しながらそう言った。私もそう思って、思い込んで――今までずっと騙し続けていたのに。
「騙せてなんていなかったんだよ。でも君はそれに気づかないふりをして、また自分に嘘をついたんだ」
そうだったのだろうか。わからない。頭の中がしっちゃかめっちゃかで、考えが上手くまとまらない。
自分を騙すのはそんなにいけないことなのか?
「やっちゃいけないことじゃないさ。誰もが無意識にやっている。ただ、君はやりすぎた」
やりすぎた……?
「嘘に気づいてしまった時点で、君は正直にならなきゃいけなかったんだよ」
嘘はバレたら意味がない。だが、バレない嘘は嘘じゃない。
「もしも、絶対に嘘を吐かずに生きていけるのなら、それはとても幸せなことなんだろうね」
それでも、私は嘘を吐かずにはいられない。それ以外に自分を守る方法を私は知らないのだ。
「それはこれから学べばいいんだよ。君の人生はまだまだ長いんだから」
……サーズデイ、いや、成上さん。
「なんだい?」
「貴方はどうして、そんなに強いんですか?」
私を背負う背中に問いかける。顔が見えないので、今の彼はどちらなのかわからない。
「……強くなんかないさ。僕も君と同じだよ。自分は弱くなんかない、自分は強い……そう自分を騙してるだけだ」
「思い込みで強くなれるんですか?」
「案外わりとね。成上遠流という僕が弱くても、サーズデイという俺に変身すれば強くなれる」
「……嘘だったんですか。『サーズデイ』は」
「あァ? 嘘じゃねーよ」
と、彼は突然口調を変えて言った。
「『キャラ』なんだよ。『僕』は弱っちくて虫すら殺せねーヘタレだから、いくら改造されてても身体をロクに使いこなせねえ。だから『僕』は思い込む。自分は『成上遠流』じゃねえ。横暴で凶暴な最強無敵の改造人間なんだ、ってな。それが俺、『改造人間サーズデイ』の正体だ」
つまるところ。
成上遠流=サーズデイは、私なんかとは比べ物にならない程の大嘘吐きなのだ。
私のような青二才が吐く嘘など簡単に見透かしてしまうほど、熟練した。
「『嘘』はな、自分や誰かを騙すために吐くもんじゃねーんだよ」
「最初は嘘だとしても、それを本当にするために吐くんだ」
二通りの口調で言う。結局、彼はどっちの彼が本物だったんだろう。
いや、どっちも本物なのだろう。どちらの彼もそう言うだろう。
「…………大嘘吐き」
主張がまったく一貫していない。道理や論理の欠片もない。整合性はどこにある?
「そうだね、その通りだ」
彼はケケケ、と自嘲するように笑い、私は再びまどろみの中に落ちた。
目が覚めたら、少しだけでも正直になる努力をしよう。そう思ったのは、たぶん嘘じゃない。