第二章 家族/価値
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「ええと、さっきはありがとうございました」
「なんであのとき……『諦めた』の?」
「僕の名前――僕の名前は、成上遠流、です」
「それで、なんで成上さんはこの町に?」
私は公園のベンチに座って訊ねた。ちょうど夕方のチャイムが鳴り、遊んでいた子供たちが帰りだしていた。
成上さん――目の前のこの青年、成上遠流は旅をしているらしい。バイク(今は駅前の有料駐輪場に停めているそうだ)で日本の各地を廻っていると言っていた。
「えっと、なんていうか、その――『人探し』、かな」
「人探し?」
「うん……」
成上さんも私の隣に座る。どうやらこの人は、他人と目を合わせるのが苦手らしい。
「探してる人がいて……その人がこの町にいるらしいってのを聞いたから、来てみたんだ」
「それで、見つかったんですか?」
「ううん……実はまだ来たばっかりで。君を見つけたのも、とりあえず今晩泊まる宿を探してたところだったんだ」
あの廃工場の近くには旅館もホテルもないのだが。それこそ、駅前で探したほうが見つかると思う。
「……あんまりお金持ってないから。出来たら野宿でもしようかなあって」
「野宿……」
見かけによらずワイルドだ。
「……だったら、私の家に来ませんか?」
「えっ……?」
成上さんが驚いたようにこちらを見る。
「私、一人暮らしなんです。いくつか空いている部屋もあります。助けてもらったお礼です」
「で、でも……女の子の、それも一人で住んでる家になんて……」
「いいんです。どうせ、私にはもう――」
「――もう、失うものなんてないですから」
「累、ちゃん……?」
成上さんが怪訝な顔をしている。私が突然意味がわからないことを言い出したからだろう。
「……いいから来てください。家、ここから近いんです」
私はベンチから立ち上がった。そして、さっき成上さんがそうしたように、私も成上さんの手を掴み、歩きだす。
「え、わ、ちょ、ちょっと!?」
手が簡単に振り払われる。男性と女性、青年と少女の力の差を鑑みれば当然のことだが、しかしなんだか悔しい。
「い、いくら一人暮らしでも、こういうのを保護者の人に相談せずに決めるのは、良くないよ……」
「保護者なんていません」
「…………え?」
「保護者なんて、いません」
成上さんも驚いた拍子に立ち上がった。戸惑いの色が浮かぶ黒目がちな瞳を見つめ、私ははっきり言ってやった。
「保護者なんていません。……だって、私の家族は全員、去年交通事故で亡くなりましたから」
保護者がいない、と言ったが、あれは嘘だ。
実の家族はみんな死んだが、一応私を世話してくれる人はいる。
風見仁導。私の母方の叔父にあたる人だ。別居しているが、ときどき様子を見に来てくれる。
叔父とはいっても、母とはかなり歳が離れていて、私にはむしろ『義兄』のように感じられるくらい若い。
……死んだとはいえ、実の兄をないがしろにして叔父を『義兄』と呼ぶのは自分でもどうかと思うが。
というわけで。
「もしもし。こんばんは、叔父さん」
『……その、「おじさん」って言うのはやめてくれませんかねぇ。急に老けた気分になります……』
家に帰ってきた私は、叔父さんに電話をかけた。
ガラス戸にもたれかかって外を眺めながら、携帯を持ち直す。夜風が冷たい季節だが、私は電話は外でする主義なのだ。
『どうかしたのですか。何か問題が起こりましたか? 学校でいじめられたのですか』
「……いえ。ちょっと、声が聴きたくなったので」
一瞬考え、やはり夕方のことや成上さんのことは言わないことにした。前者は心配や注意をされるだろうし、後者は注意とお叱りを受けることになるだろう。
いくつになっても叱られるのだけは慣れない。
「特に何もない、平穏な一日でした」
『そうですか……それなら良いのですが』
と、叔父さんが溜め息混じりに言う。
『……あんまり、嘘はつかないでくださいね?』
「……はい」
ぷつっ、と通話が切れる。
……やれやれ。私もまだまだだ。まさか電話越しに見透かされてしまうとは。
まああの様子だと嘘の内容まではバレていなさそうので、とりあえずは一安心だ。
携帯をポケットにしまい、中に戻る。
「えっと……お風呂、あがりました」
そこには、ハンドタオルを持って所在なさげに立っている成上さんの姿があった。
…………、ふむ。
「兄のトレーナー、サイズは合っていたようですね」
「……ありがとうございます……」
成上さんを家に連れ込むことには成功したが、ライダースーツ以外の着替えを持っていないというので、まだ処分していなかった兄の服を貸したのだ。
こんなこともあろうかと、とっておいたのさ。
ライダースーツは後で繕っておこう。肩のところが破れてたし。
「今夕飯を作るので、テレビでも見ながらくつろいでいてください」
「あの……累ちゃん?」
「なんでしょうか?」
見ると、成上さんは本当に不思議そうなのと申し訳なさそうなのとを半々にして訊ねてくる。
「僕たち初対面……だよね? どうしてこんなに良くしてくれるの?」
「……別に、良くした覚えはありません。当然のことをしたまでです」
返答が面倒だったので、さっきの成上さんの台詞から引用してみた。
「………………」
納得していない様子の成上さん。そりゃそうだ。
「……何か理由が欲しいのなら、助けてもらったお礼、ということで。もしくは、一人暮らしは寂しいので、誰かと一緒にご飯が食べたかった、とかは?」
情に訴えかけてみた。これならどうだ。
「……累ちゃん」
「なんでしょうか?」
「もうちょっと、自分を大事にしようよ」
それは本気で心配している顔だった。
まだ会ったばかりの、他人を。
「……そうですね。たとえば、成上さん」
私は冷蔵庫を開け、食材を確認しながら語りかける。
「よく、『守銭奴だった男が、強盗に伴侶や子供を人質に取られ、ありったけの金を差し出した』みたいな話、ありますよね」
「……それがどうかしたの?」
「私、わからないんですよ。大切な人の命って、大切なお金を差し出してまで守りたいものなんですか?」
「……………………」
豆腐を見つけたので、今日は麻婆豆腐にしよう。あとは人参ともやしと白菜と……野菜炒めも作るか。
「私、家族が嫌いだったんです。ろくに口もきかない父。御近所付き合いを気にして家庭を省みない母。夜遊びばかりして、めったに家に帰ってこない兄。……嫌いでした。大嫌いでした。もう、うんざりでした」
「亡くなった……んだよね? 交通事故で……」
「ええ。家族旅行中に、高速道路で玉突き事故に巻き込まれて。私は家で留守番していたので、死なずにすみましたが」
私以外は仲の良い家族だったんですよ、と呟きながらシンクに食材を並べ、まな板と包丁を用意する。
「だから、悲しくはないんですよ。不謹慎ですが、むしろせいせいしたと言っていいくらいで」
「累ちゃん……」
成上さんの視線が背中に刺さる。自分がどれだけ酷いことを言っているのかぐらいわかる。叱られたり注意されたりでは足りないほど酷いことを。
「でも……なんででしょうか」
シンクに水が滴る。
「大切なんかじゃなかったのに、大好きなんかじゃなかったのに……」
空白。空虚。がらんどう。
自分の中身がくりぬかれてしまったような、ぽっかりとした喪失感。
「……それ以来、ですかね。なんというか……『大切』とか『重要』とか、そういう『価値』の有る無しが、なんだかよくわからなくわからなくなってしまいました」
お金が大事なのは知っている。命が大事なのも知っている。
だが、それらはどっちがより大事なのか、どっちにより価値があるのかがわからない。
どちらも同じように『無価値』だとしか思えない。
私にとっての『家族』が、ほとんど『価値』がなかったのと同じように。
「………………」
「……すいません。今夕飯を作るので、テレビでも見ながらくつろいでいてください」
さっきと同じ台詞を言いながら、私は蛇口を捻る。
なんだか前がよく見えないから、顔を洗おう。
「何やってるんだろう、私……」
湯船に身体を沈めながら呟く。晩ごはんの後は長風呂に限る。
私は何を考えているのだろう。
ちょっと内心を見通されたからといって、ほとんど見ず知らずの他人にべらべら喋って。どうしてほしかったんだ? 慰められたり同情されたかったのか?
成上さんもいい迷惑だろう。いきなり家に連れ込まれたと思えば、変な悩みを打ち明けられて。うっとうしがっているに違いない。
……ああ、恥ずかしい。自己嫌悪する。
頭を冷やそうと思ったが、お湯で冷やせるわけがなかった。
のぼせているのかもしれない。そろそろ上がろう。
「…………あ」
浴室から出て、着替えを出し忘れたことに気づいた。
……しょうがない。まさか客の成上さんに持ってきてもらうわけにはいかないし。私が取りにいくしかない。
身体にバスタオルを巻いて自室に向かおうとた。
が、廊下に出ようとしたところ、突然ついていたはずの電気が消え、真っ暗になった。
「………………!?」
廊下や洗面所だけでなく、リビングの明かりも消えているようだ。ブレーカーが落ちたのだろうか? こんな時間に停電になるなんて聞いていないし……。
こういうときのための懐中電灯はリビングに置いてある。私は壁を確かめながらリビングに向かった。
「――わっ!?」
「うわわわ……!」
リビングに入った途端、誰かと鉢合わせして尻餅をつく。いや、この家には私と成上さんしかいないのだから、成上さんに違いないのだが……。
そのとき、ぱちん、とリビングの電気がついた。ブレーカーが原因ではなく、一時的な停電だったのだろうか? とにかく、私は立ち上がろうと、前を向いた。
目の前に、私に馬乗りになる格好の成上さんの姿があった。
「――ひ、」
「あ……うああ……」
ここで思い出していただきたい。私が今、どんな格好であるかを。
そして尻餅をついたショックか、私の身体を覆っていたタオルが若干はだけていた。
「――ひ、やぁああああああああああああああああああああっ!」
「やっ、違っ……! 別に君の裸が見たいと思ったわけじゃなくて! 僕、帯電体質で……」
「いやあああああ!」
とっさに右手で成上さんの頬をはたく。
「痛っ……」
成上さんが頬を抑えて仰け反る。私は急いで立ち上がると、まっすぐ自室へと向かった。
「あっ、ちょ、待っ……」
「うわあああああああん!」
最悪だ、最悪だ、最悪だ――
自分の過失もあるとはいえ、出会ってまもない人に裸を見られるなんて!
どうしよう、もうお嫁に行かれない!
成上さんを家に連れてくるんじゃなかった。
今日、初めてそう思った。
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「……いつも通りにするとしましょう。ちょうど、あの娘もいることですし」
「えっと、その人は……僕の、『おにいさん』みたいな人なんだ」
「俺の名前はサーズデイ――改造人間サーズデイだ」