01 時計塔へようこそ!①
――ある日、世界に滅びが訪れた。
それは少女の姿をしていた。時を操り、理を超え、何ものをも蹂躙する力をもった、世界の滅びそのもの。
時の番人。世界災厄、とひとは呼んだ。
――しかし世界は滅びなかった。人類は幸運にも、世界の滅びに見過ごされた。
そして人類は彼女と契約を交わし、永久の協定を結びえた。とある王国、その都に聳え立つ時計塔。その塔を、彼女に明け渡すことによって。
それがだいたい、いまから百年前のことである。
§
「イレーナ様、そろそろ起きてくださいっ!」
怒声とともに、毛布がひったくられた。窓から差し込むまぶしい朝陽に、少女は呻いて目を細める。銀糸のような長い髪がシーツにちらばり、陽光にきらきらと照らされていた。
「……あと五分」
「だめですっ! そう言ってもう三十分寝てますっ!」
引っ張り起こされた。イレーナと呼ばれた少女は目を半分つむったまま、がしっと掴まれた両手を振りほどくこともなく、ぼーっとしている。金色の瞳はどこを見ているわけでもない。
「ミミ……私、今日は一日中寝るって決めてるの……」
「なにバカなことを言ってるんですか! ほら、シャキッとしてくださいっ!」
ミミはウサギ耳をぴょこぴょこさせながら、頬を膨らませた。ピンク色の髪をした、小柄な兎獣人である。時計塔職員に支給される黒制服を朝からきっちり着こなし、胸元には時計をモチーフにした銀のブローチをつけている。そして右腕には、「担当官」であることを示す緑の腕章。イレーナの担当官となって早二年、こうして直属の上司をたたき起こすのがミミの日課だった。
「今日はお昼から勇者様との面会なんですから! それまでにご支度を済ませてもらわないと!」
「……勇者ぁ?」
着替えをばたばた渡されながら、イレーナはうろんげに訊き返した。勇者。勇者との面会。はて、そんな約束あったっけ……
「もうっ、やっぱり忘れてるんですね! ミミは一昨日いいましたよ!」
ミミは手のかかる上司の寝巻を半分ひったくるようにして着替えさせ、それから澄んだ水で顔を洗わせる。そのあいだ、ミミは寝室のすぐ隣、時計塔の館長室兼イレーナの居室に朝食を準備する。イレーナの食事は――というか食事以外も含めたイレーナの日常生活は――ここ、時計塔の最上階ですべて片付ける習わしだ。なぜならイレーナは食堂へ降りることすら億劫がるのだから。
――王立魔導図書館、通称《時計塔》。
アースラ王国が誇る大陸最大規模の大図書館であり、智の宮殿。王宮から、学府から、さらには異国から集まる書物、知識、そして人――その集約点がここ、時計塔である。そしてこの地上十五階からなる大図書館の最上階が、「館長」であるイレーナの絶対的なテリトリーだった。
着替えを済ませ、顔を洗ったイレーナは、寝室から居室直結のドアを開け、ひときわ広めの部屋に出た。部屋のいちばん奥には巨大なガラス窓を背にした館長席があり、そのまえにはちょうど部屋の中央となる位置で、広めのローテーブルがひとつと高級な革のソファが一対設置されている。東西の壁は床から天井まで本棚が敷き詰められ、そこにぎちぎちと本が詰め込まれていながら、それでも入りきらなかったらしい書籍が床にこれでもかと積まれていた。
紙とインクのにおいに混ざって、パンの焼けた香りが居室を満たしていた。イレーナは革張りの茶色いソファに腰かけ、ローテーブルに用意されていたバターロールをひとつとる。時計塔の黒制服に身を包んだとはいえ、ソファに深く腰を沈めるまだ眠そうな銀髪少女には、まったく威厳のかけらもない。
「……で、なんで勇者なんかがうちにくんのよ」
と、もそもそパンを食いながら、気だるそうな声をあげた。ミミはスープとカットフルーツを並べ、そして紅茶を淹れながら、
「なんでも、鑑定不可のアーティファクトを見てほしいそうですよ……あっ、イレーナ様! 寝転んで食べないでくださいっ!」
「超面倒だわ……」
「もう……! そんなこと言ってる暇ないんですからねっ!」
どしん、と紙の束がテーブルの上に置かれた。朝食セットの真横にうずたかく積まれた書類の山が、今日のお仕事。
「こちらが先日の会議資料のまとめです、確認して判子を押してくださいね。それとこちらが新刊入庫の……」
ミミのすらすらとした説明を右から左へ聞き流しつつ、イレーナは紅茶を啜った。王立魔導図書館という大仰な施設でも、館長の仕事はかなり地味だ。下から上げられてくる書類を承認して、また下に戻していく。もちろん考えることはいろいろあるはずなのだが、時計塔はどこのどいつも職員が優秀すぎて、イレーナは口を出す必要がないし、ぶっちゃけ出す気もない。
「さて、お仕事の時間ですよっ!」
「……はいはい」
重い腰をあげて、館長席にぽんと背中を預ける。館長室の奥に据えられた、重厚な樫の木造りのテーブルは、イレーナが着任して以来のシロモノで、ゆうに百年以上の威光を湛えている。が、そこに収まるのは、頬杖ついて気だるげな銀髪美少女。威光も威厳もあったもんじゃない。
「……イレーナ様って、ほんと、偉い人には見えませんよねぇ」
「……なによ。バカにしてんなら寝るわよ」
ミミが書類を仕分けて机まで持ってくる。時計塔の日常が、今日もはじまる。
§
「……でか」
時計塔の入り口。人の行きかう大通りのど真ん中で、勇者――ユーリ・アイゼンは頭上を見やって呟いた。短い黒髪に青色の眼をした、だいたい十代後半くらいだろう少女である。まだ幼さの若干残る顔つきは「勇者」というにはすこしかわいらしすぎるが、しかし右腕を覆う黒鉄の兵装が少女の異質さを物語っていた。
「近くで見るとこんな感じなんだ……あんまり来ないからなぁ、こっち」
時計塔は地上十五階建ての大建築だ。ユーリが首をぐっと後ろに傾けて、ようやく最上階の大時計が見える。荘厳なゴシック建築の時計塔は、数百年前に建てられた聖堂を大増築し、現在の巨大な図書館になったのだ――と、どこかで聞いたことがある。
「ユーリ~っ!」
後ろから元気いっぱいの声が飛んできた。振り返ると、オレンジ髪の女の子がばたばたと走ってくる。ツインのお団子を頭に結い、余った後ろ髪をふわりとそのまま落としている。瞳は空のように澄んだ青色。白のブラウスにスカートを履き、魔術師らしい黒ローブを軽く羽織っている。右手はユーリにぶんぶん振って、もう片方の手で布に包まれた棒状の何かを抱えていた。
「あ、メーチェ。よかった、間に合って」
メーチェ――メルセデス・クォート、十七歳。勇者パーティ《黎明》のメンバーである。若干息を弾ませながら、
「間に合った⁉ セーフ~!」と、ユーリに突進する勢いで飛び込んできた。
「うわっ、ちょっと止まっ――ごふっ」
元気すぎる大型犬のようなハグがユーリを襲った。超重量の棒――鑑定不可のアーティファクトが、腹にクリーンヒットする。
「あっ、ごめんユーリ! だいじょうぶ?」
腹をおさえてうずくまるユーリの顔を覗き込むようにしてしゃがみ込む。メーチェが左腕で抱えているアーティファクトは、本来ならば王国の騎士数人がかりでも抱えきれなかった超重量なのだが、メーチェはこれを片腕で抱えて走ってきたらしい。
「う、だい、じょうぶ……」と、ふらつきながら立ち上がる。「ていうか、相変わらず力持ちだね……重くなかった、それ?」
「んー? まぁ、そこそこ!」
軽やかな口調で言って、メーチェは時計塔を見上げた。空色の瞳がきらきらと輝く。
「うわー、近くで見るとでっかいねぇ! ねぇねぇ、館長さんって最上階にいるんだよね! やっぱり最上階って景色いいのかなぁ! 楽しみだねぇ!」
「あはは、そうだね……じゃあいこっか」
まだ腹をさすりながら、ユーリは時計塔の扉を開いた。
入ってすぐは、巨大なホールになっていた。石造りの壁には、聖堂時代の名残だろうか、瀟洒なステンドグラスがはめられ、差し込む日差しが緑色の落ち着いた色合いのカーペットをやさしく照らしている。奥のカウンターには時計塔の受付係がずらりと座り、利用者の対応に追われていた。さらに奥では黒制服の職員がばたばたと動き回り、なんだかずっと忙しそう。利用者も多い。子どもから老人まで、休憩スペースに座り込んだり、本を借りたり返したり、意外にもにぎやかである。
「へー! 中ってこうなってるんだぁ!」
メーチェは一階をぐるりと見まわしながら、ユーリの後ろをついていく。
「あんまりよそ見して歩かないの!」と注意しつつ、ユーリはカウンターに向かった。「あの、すみません。館長のイレーナ様はいらっしゃいますか?」
受付職員はユーリの顔を見ると、心得たように肯いて、
「勇者ユーリ様ですね。伺っております」と、事務的に応える。「ただいま担当官を呼びますので、どうぞそちらのソファでお待ちください」
いわれたとおり、休憩スペースのソファに腰をおろして、ユーリとメーチェはしばし待つ。メーチェは座っているのに上半身が動きまくっており、視線もあちこちに飛んでいる。時計塔のようすがずいぶん物珍しいらしい。その気持ちはユーリにもわかる。
時計塔。それは王都に住む者ならだれでも知っている、王都西部を象徴する巨大な建築物である。図書館部分は一般公開されており、許可証さえ作ればだれでも利用できるのだが、しかしユーリたちが拠点としている冒険者ギルドはまったく反対方向の王都東部。じつはこうして足を運ぶのは二人ともはじめてだった。
「あっ、勇者様ですね!」と、小柄な兎獣人が駆け寄ってきた。時計塔の黒制服に身を包み、胸元に銀のブローチ。そして右腕には緑の腕章。ユーリはすっと背筋を伸ばして立ち上がる。メーチェもつられてそうする。
「大変お待たせしました! イレーナ様の担当官で、ミミと申します!」
「あ、どうも。ユーリ・アイゼンです。こっちはパーティメンバーのメルセデス・クォート」
「こんにちは~!」
と、ぴょこんとメーチェが顔を出す。その視線は、ミミのウサ耳に釘付けだ。「かわいい……!」という心の声が、長い付き合いのユーリには聞こえる気がする。
「では、館長室までご案内しますっ!」
職員専用という看板付の昇降機に乗りこんで、ミミは最上階のボタンを押し、力いっぱいレバーを引く。ぎぎぎ、という歯車の噛み合う音が響いて、すぐに昇降機が動きだした。
「ねね、ユーリ」と、こしょこしょと耳元に。「ここの館長さんって、どういう人なの?」
「うーん、わたしも詳しくは知らないんだけど……」
「イレーナ様ですか?」
ミミのウサ耳が、ふたりのこそこそ話をきっちり捉えていた。昇降機の騒音のなかでも、獣人の聴覚はごまかせない。
「あ、すみません……紹介で来たのはいいものの、その、『会えばわかる』としかいわれてなくて」
ユーリはバツが悪そうな顔をして、苦笑した。時計塔訪問の話が出たのは三日前。とある依頼で王都からほど近いところに出現した、未探索の遺跡調査がそもそものはじまりだ。そこから持ち帰って来たのが、いまメーチェが抱えている謎のアーティファクトである。しかしどこに行っても鑑定不可のたらい回し。そして三日前、最終的に紹介されたのが、時計塔のイレーナという人物だった。
「会えばわかる、ですかぁ……まぁそうなんですけどぉ」
言い淀んで、ミミはウサ耳をぴこぴこ動かす。会話にずいっとメーチェが入り込んで、
「てゆーか、やっぱりすごい人なの? 館長さんって!」
「えぇ、それはもう!」と、ミミはウサ耳をピンと立たせて、「時計塔の長にして、魔術研究の第一人者ですから! この王国でイレーナ様以上の知識を持った方はおられません!」
「へー! じゃあじゃあ、これの正体もずばっとわかっちゃうのかな⁉」
「うーん、どうだろう。そりゃあ、わかればうれしいけど」
「あ、そろそろ着きますよ!」
ミミの声と同時に、がこん、と昇降機が停まった。扉が開き、最上階の廊下に出る。
静謐な廊下だった。昇降機の轟音に慣れていたユーリたちの耳には、あまりに静かすぎて、まるで異世界に迷い込んだような心地になる。最上階は一階とは違ってひとの気配はなく、窓から白い昼の光が差し込んでいるばかり。かなり高級そうな赤いカーペットが石床のうえに敷かれ、奥までずっと続いている。
「こちらです!」
廊下をすこし進んだところに、重厚な木の扉が見えてきた。両開きで、とくにプレートなどはないが、とはいえ一目見ればここが館長室だとだれにでもわかる。ミミは慣れたように扉の前に立ち、こんこん、と小気味よくノックした。
「イレーナ様、勇者様をお連れしましたぁ!……イレーナ様?」
返事がない。しーんと静まり返っている。まるで中には誰もいないみたいだ。ユーリとメーチェは顔を見合わせて、首をかしげる。
「……イレーナ様ぁ? 入りますよぉ!」
ミミが金属製のドアハンドルを握りしめ、両開きの片方をぐっと押した。ユーリとメーチェが中を覗き込むと、そこは想像以上に広々とした部屋だった。中央には応接用だろうローテーブルと、向かい合うように設置されたソファ。左右の壁には成人男性三人分ほどの高さの本棚が立ち並び、そこに本が一分の隙間もなくぎちぎちと詰め込まれている。それでも入りきらなかった本は床に山積みにされ、部屋の隅に置かれていた。
そして、部屋の奥。王都を一望するような巨大なガラス窓の前、年季の入った樫のデスクが堂々鎮座していた。その館長席には――
「くかー……」
銀髪の美少女が、寝ていた。




